「ボクと決闘して」
その言葉が、妙に静かに響いた。
ハスールが杖を抜いたからといって、別に周囲の景色が一変したわけじゃない。
空は相変わらず青いし、庭園を囲む石造りの校舎も変わらないし、風に揺れる木々の葉も、遠くで話している生徒たちの声も、さっきまでと何一つ変わっていない。
杖を抜いただけだ。
たったそれだけなのに、目の前のこいつから漂ってくる空気が明らかに違う。
いや、違う。俺にその違いが分かったわけではない。
だけど…周囲の人間の空気が変わったのだ。
魔法に触れたことも見たこともない俺でも、周囲の人の空気は分かる。
「……決闘?」
俺が聞き返せば、ハスールは眉をわずかに寄せる。
「聞こえなかった?」
「いや、聞こえたよ。聞こえたけど、確認しただけだ。俺、異世界に来たばっかりなんだけど?」
「それは知っている」
「知ってるならなおさらおかしくないか? 普通もっとこう、歓迎とか説明とかあるだろ。ここがどこなのかとか、俺がどうしてここに来たのかとか、帰る方法はあるのかとか」
召喚されたわけでもないし、別に国を挙げて歓迎しろとは言わねぇ。
でも、ちょっとぐらい落ち着いて確認してもいいだろ。なんでいきなり決闘なんだよ。
こちとら、チートスキルもあるかわかんねぇ運動不足現代日本人だぞ。
「それは後でいい」
「よくねえよ!」
思わず声が大きくなる。
こいつ…!序盤に出てくるクソ性格悪い高飛車野郎じゃねぇか…!
異世界ものなら、大体こいつをぶっ飛ばしてチートを発揮するけど……
「俺は、持ってんのか…?」
幸か不幸か、俺のボヤキは周囲の喧騒にかき消された。
異世界人とかを名乗る俺と、主席とか言うハスール。
まあ、確かに野次馬も集まるだろうよ。俺だって見てみる。
だが、最悪なことに俺は当事者。逃げも隠れもできねぇ。
「……なあ、ハスール」
「何」
「お前、俺が魔法を使えないって聞いたよな?」
「聞いた」
「俺、さっきまで日本っていうところにいたんだけど」
「それも聞いた」
「そもそも魔法自体、今日初めて見たんだけど」
「だから?」
「いや、だからって……」
頭を抱えたくなった。
話が通じない。
言葉は通じているし、意味も通じている。
そのうえで話が通じない。
最悪の人間すぎる。
自己中とか、偉そうぶってるとかでもねぇ。
ただただこいつは、自分が間違ったことを言っていると、思ってねぇんだ。
リサもベックスが横で困ったように笑っている。
流石に俺のことを可哀そうに思ったのか、擁護してくれた。
「主席さんよぉ、さすがにいきなり決闘はどうかと思うんだがな?」
「何故?」
「だってこいつ、魔法を使ったことないんだろ?それに異世界から来たばっかり…って、こいつは言ってるしな?もうちょいこう、説明とかに時間取ったほうが良いだろ?な?」
「なら説明する」
ハスールは俺のことを見つめる。
そういうことじゃなくてな…休憩と腰を落ち着けて魔法について知りたいというかさ……
あと、俺がチートスキル持ってるかも確認したいんだがなぁ……
「この学園では魔法を扱う者同士が、その実力を競うことがある」
「──はぁ……それが決闘ってことか?」
「そう」
「で、俺に勝負を挑むと」
「そう」
「俺は魔法を使えない」
「そう」
「お前はこの学園の首席」
「そうだね」
「……」
カスか?
もっと意思疎通を図れよ。
会話のキャッチボール苦手か?
フォークしか投げれない投手かなんかかよ、お前。
「……じゃあ、俺が勝てると思ってる?」
「思っていない」
「じゃあ何でやるんだよ!」
「お前が勝てないことを理解するためだよ」
なんだこいつ…めちゃくちゃ腹立つな。
いや、それは最初からなんだが……そういうことじゃなくて。
「お前さあ……」
「何?」
「さっきから俺のこと馬鹿にしてるだろ。」
「しているけど」
「認めるのかよ!」
思ってても言うんじゃねぇよ!
ヤバいぞ、こいつ(おそらく)強いってだけじゃなくて、レスバもつえぇ。
ピキる。脳の血管が切れそうになる。
「お前は異世界から来たばかりで、魔法も使えないんだろ。なら、現状のお前がこの学園でどれほどの位置にいるのか、理解しておいた方がいい」
ハスールは淡々と続ける。
それもまた、腹が立つ。
「お前を見ている生徒は多い。異世界人というだけで注目されているし、お前がどういう人間なのかを確かめたいと思っている人間もいるだろう。そこでお前が、自分は特別な存在だから何かできるはずだと勘違いして、身の丈に合わない行動を取ったらどうなると思う?」
「……まあ、危ないだろうな」
…全力でチートスキルのことを否定された気がする。
「そういうことだ」
とにかく、言っている内容だけを聞けば案外まともだった。
少なくとも、単純に弱い相手をいたぶりたいという話ではなさそうだ。
まあ、確かにこいつは、俺を見下してはいるものの、妙にはしゃぐとか、テンション高いとか、そういうわけでもない。
それはそれとして腹は立つ。
漫画ならチートスキルでこいつのことボコボコにできんのに……
「……なあ」
「何」
「俺、魔法使えねぇって言ったよな?」
「そうだね」
「だったら勝負にならないんじゃねえか?」
ハスールの目が細くなった。
その瞬間、何かが背筋に刺さったような感覚になった。
緑色の瞳が、今までとは違う色を帯びている。
「
「それ?…何が、
「お前が本当に、魔法を使えないだけの人間なのか」
「……?」
意味が分からない。
だが、ハスールはそれ以上説明しなかった。
代わりに杖を握り直す。
長さは俺の腕より少し長い程度で、黒に近い色。
漫画みたいな飾り気はほとんどない。ただ、先端だけが細く尖っているだけの、そっけない杖。
それを見て、ふと疑問に思った。
「なあ」
「なんだ」
「
「……」
ハスールが止まった。
いや、ベックスやリサもおんなじだ。
なんなら周囲の生徒たちも、なんとなく静かになった。
「……何だよ」
「いや」
リサが口元を押さえている。明らかに、笑いをこらえていた。
「なんか、すっごい基本的なところから知らないんだなって」
「いやぁ…だって、初めて知るわけだし……」
女子相手っていうこともあって、ちょっとおずおずとしながら返事をする。
そんな変なことか?…まあ、そうなんだろうなぁ……
「基本的には必要だ」
ハスールのその声は、先ほどより少しだけ説明することを楽しんでいるように聞こえた。
意外と、説明が好きなのかもしれない。
「魔法は魔素を操ることで発動する。人間は誰でも魔素を扱えるけれど、何も補助せずに扱うのは難しい。特に、魔法を一点へ集中させる場合はね」
ハスールが杖を軽く掲げる。
「杖はそのためのものだ。魔素を集め、方向を定め、暴発や逆流を抑える。単純に言えば、安全装置と増幅器を兼ねている」
「へえ……」
「杖がなくても魔法そのものは使える」
そこでハスールは、少しだけ目を細めた。
同時に、後ろでベックスがくはっ、と笑う。たぶん、杖を使わない危険性を知ってるから。
俺らが、包丁の刃は触らない方が良い、なんて教えられるのを見ているようなもの、なのだろう。
「ただし、実用的ではない。お前が魔法を知らないなら、手を使って火でも出してみればいい」
「…出せるのか?」
「理論上は」
「やめた方がいいけどな」
ベックスが口をはさんだ。
見ていられなくなったのか、それともヒマになっただけか。
「…一応聞くけど、何でだ?」
「危ないから」
ハスールの言葉は短かったが、その目は冗談を言っていなかった。
当たり前のことを、当たり前のように警告しているだけだ。
「魔素は、お前が思っているほど素直なものじゃない。特に、魔法を扱う方向を定めるための杖を失えば、操作の難易度は大きく上がる。手の先に火を出そうとして、手の先に出るとは限らない」
「……それは怖いな」
自分の両手を見る。普通の手だ。日本にいた頃から何も変わっていない、普通の手。
指も五本。爪もある。怪我もしていない。
……この手から、本当に炎が出るのか。
少しだけ試してみたい気持ちが湧く。
だけど、ハスールの忠告を聞いた直後なので、さすがに自重した。
そう言えば、と思いついたことがあった。
というより、聞きたい事か。
「……なあ」
「今度は何だ。質問が多い。」
うぜぇ。…が、まあ確かに多い。
それにしたって、しょうがねぇと思うけどな……
急に異世界転生…転移?したんだからよ……
「お前、俺が異世界から来たって話、信じてんの?」
「半分くらいは」
「半分?」
「お前が嘘を言ってる可能性はある。でも、そんな嘘を吐くことに、ボクはメリットを感じてない。」
ハスールは少し考えてから言った。
「だから、お前が異世界人であるというお前自身の証言は信じてないけど、疑う理由も今のところはない。それに、お前が異世界人かどうかなんて関係ないから。」
「……お前、思ったよりちゃんとしてるな。」
「お前に言われたくないな。」
「…なんでだよ。」
「さっきから驚いたり叫んだりしているから」
「異世界に来たんだぞ!?」
いや、そのツッコミはおかしい。異世界に来て驚くのはまあ、そうだけど……
叫んだのは余計だったな。やめときゃよかった。
「だからって叫ぶ必要はないだろ」
「あるんだよ!いろいろとよぉ!」
再び周囲から笑い声が起こった。
頭を掻く。何だか調子が狂う。
まあ、叫ぶ必要は…ない。なんとなく、反論したかっただけだ。
「……まあ、いいや」
息を吐いた。
多分、完全に回避不能なイベントなんだろう、これは。
なら──
「──決闘、やればいいんだろ?」
「ようやくか。」
「はぁ……ただし条件がある」
ハスールが眉を上げる。
面倒くささ半分、興味半分、ってところか。
「条件?」
「ああ」
指を一本立てた。
対して意味もないだろうが、なんとなく。
「俺が勝ったら、色々教えてくれ」
「何を?」
「この世界のこと。魔法のこと。ここがどこなのかとか、俺がどうしてここに来たのかとか、帰れる可能性があるのかとか」
そこまで言って、少しだけ声を落とす。
「……あと、俺にも魔法を教えてくれ」
ハスールは黙った。
その沈黙の意味は、なんだろうか。
無理か?それも当然だろう。
魔法の使い方すら知らない異世界人が、いきなり魔法学園の首席様に挑む。
生き残れれば御の字、交渉やら条件なんて付けれるとは、思っちゃない。
だが──
「
「……え?」
「お前が勝ったら、教えてやる。」
ハスールは杖を肩に乗せた。
「ただし」
「ただし?」
「お前が勝てたら、な。」
「……」
やっぱり腹立つ。
「お前、いちいち一言多いんだよ!」
「事実を言っただけだ。」
「そういうところだぞ!」
「何が?」
「そういうところ!」
ハスールは本気で分かっていないらしい。
リサが横で腹を抱えている。
ベックスの方は、そこまでじゃないが、それでも笑っていた。
「あの主席様が、今日はめっちゃ喋るじゃねぇか。」
「…うるさい。ボクのことを何だと思ってるんだ。」
「いつもなら『勝手にしろ』とか『興味ない』で終わるのによ、なんかその子にはめっちゃ絡むじゃねぇか。なあ?」
「異世界人だから。それ以上でもそれ以下でもない。」
「ほーん?」
「何だ。言いたいことでもあるのか?」
「別にぃ?」
ベックスが意味ありげに笑った。
ハスールは露骨に嫌そうな顔をしたが、俺には何がそんなにおかしいのか分からなかった。
っつうか、俺は今、異世界に来て数十分しか経っていない。
この学園のことも、この国のことも、そして、この世界の魔法のことも何も知らない。
なのに、もう決闘をすることになっている。
普通に考えりゃおかしな話だ。漫画だってもっとゆっくりさせてくれるだろ。
──ただ。
ただ、不思議と嫌ではなかった。
そりゃ、怖くないと言えば嘘になる。
死なないにしても、傷ぐらいは負う可能性だってあるし、俺に何も能力がないってわかる可能性もある。
それでも、胸の奥には、別の感情もあった。
期待。
異世界への。魔法への。そして……目の前にいる、どう見てもただ者ではない少年への。
そりゃあ、俺は何も知らないし、何もできない。
多分、この世界の小学生よりも。
でも俺はゲームと漫画と小説に人生を捧げてきた、馬鹿な高校生だ。
新しい世界?何にもわからない設定?
んなもん、上等だ。
その方が、楽しいじゃねぇか。
「……よし」
拳を握った。
今まで握りしめたことのない力で。
「やってやるよ」
「ふん…その意気は嫌いじゃない」
「上から目線だなあ、お前」
「ボクはお前より強いからね」
「そこを否定してんじゃねえんだよ」
ハスールは答えず、踵を返した。
「ついてきて」
「…どこに行くかを話せよ。」
「決闘場」
「学校にそんなもんあるの?」
「ある」
「あるんだ……」
籠喜は歩き出したハスールの背中を見る。
その隣にリサが並んだ。
「ねえ、カゴキ。」
「何?」
「死なないようにね。」
「怖いこと言わないで…?」
「いや、ハスールだし。」
「……そんなやばいわけ?あいつ…」
「うん。ハスールだから。」
「ハスールだからかぁ……」
説明になってない。
そんな会話をしながら、俺も歩き始めた。
庭園の向こうには、巨大な校舎がある。
近くで見ると、その大きさはさらに現実味を失っていた。
石造りの壁には何本もの柱が並び、窓の一つ一つに魔法陣のような模様が刻まれている。
廊下の向こう側では生徒たちが杖を持って歩いていて、時折、どこかの教室から光が漏れた。
魔法学園。
その言葉が、ようやく現実として腹の中に落ちてきた。
自分は今、本当にここにいる。
その先に何があるのかは分からない。
ただ、籠喜は知らなかった。
この日、自分が受けることになる決闘が、この学園における自分の立場を決めるだけではなく。
ハスール=セルラインという少年との関係を始める、最初の一歩になることを。
そして、その決闘によって。
郁目籠喜という異世界人が、世界にとって決して無視できない存在になることを。
この時の彼は、まだ知らない。
知らないまま。
少しだけ浮かれた顔で。
魔法学園の奥へ歩いていった。