ハスールに連れられて歩いている間、俺はずっと落ち着かなかった。
別に決闘が怖いから、というだけじゃない。
いや、そりゃあ、怖いに決まってる。
何しろお相手様は魔法学園の首席で?俺は魔法を一度も使ったことがない異世界人。
大体漫画ならこういうとき、主人公には大抵何かあるもんだ。
転移特典だとか、チート能力だとか、ステータス画面だとか、神様から授かった加護だとか、そういう「はい、君は今日から特別です」と言わんばかりの便利な何かがあるもんだ。
俺の場合は、今のところ何もない。
ステータス画面は俺に恥をかかせただけだし、神様にも会っちゃいない。
剣も持っていないし、魔法も使えない。
何なら異世界に来たときの記念品すらない。
あるのは制服と鞄くらいで、その鞄の中身だって、異世界で役立ちそうなものは何一つ入っていない。
スマホに?財布に?筆箱に?教科書?だからなんだ?
ああ、追加するなら、昨日買った漫画。
文明の利器としてスマホはかなり強いと思うが…電波があるのかどうかも分からないし、そもそも充電が切れたらただの板だ。
教科書はもっと駄目だろうな。
高校二年生の数学の教科書を異世界に持ってきたところで、魔王討伐にも、もちろんこれからの決闘にも、何の役にも立たない。
せいぜい魔王に投げつけて、「二次関数をくらえ!」と叫ぶくらいしか使い道がない。
あほらしい。
そんなことを考えながら歩いていると、前を歩くハスールが振り返った。
「お前」
「何だよ」
「さっきから何をぶつぶつ言っているんだ?」
「あー…いや。別に。ちょっと現実逃避してただけだ。気にすんな。」
「決闘前に?」
「ああ…まあ、決闘てのも、現実感ねぇしなあ。」
「ふぅん。…変な奴。」
「お前にだきゃあ言われたかねぇよ。」
ハスールはそれ以上何も言わず、また前を向いた。
腹が立つ。
けれど、不思議とさっきより緊張がほぐれていた。
こいつと話していると、どうも調子が狂う。
怖い奴だとは思う。
実際、俺はこいつがどれくらい強いのかすら知らない。ただ、学園の首席だということだけを知ってるだけで。
それでも、話している間はどうしても「ちょっと偉そうなだけの変な奴」という認識が先に来てしまう。
まあ、決闘が始まればそんな認識も吹き飛ぶんだろうけど。
「ねえ、カゴキ」
隣を歩いていたリサが、俺の顔を覗き込んだ。
なんなら、ベックスも連れ添ってきている。
この二人からの信用は勝ち取れたらしい。あるいは、可愛そうだと思われてるだけかもだけど。
「えっと…何?」
「今さらなんだけどさ、ほんとにやるの?」
「まあ…うん。やるって言ったし。」
「いやー、もしあたしがカゴキだったら逃げるなーって。」
くつくつと、ベックスが喉を鳴らした。
その点には同意するらしい。
「全くだわな。杖持ってるってんならともかく、魔法も知らねぇ異世界人が戦っていい相手じゃねぇ。」
「……そんなに、ヤバいのか?」
いや、ヤバいってのはまあわかるんだ。
今までの周囲の反応もそうだし、多分、最初に戦う最強キャラなんだろうさ。
……まあ、異世界漫画知識なら、だけど。でも、現実もそれに近い。
「ハスールだしねー。」
「ハスールだからな。」
説明する気がないらしい。
リサは楽しそうに笑っているし、ベックスも抑えてはいるが、のどを鳴らしている。
明るい。
とにかく明るい。陽キャ過ぎる。
さっき会ったばかりなのに、俺に対する遠慮がほとんどない。
俺としては…まあ、助かっているけど。
何せ今の俺は、知り合いが一人もいないから。
その中で、こうやって普通に話しかけてくれる人間がいるというのは、思っていたよりずっとありがたいことだった。
……まあ、できれば決闘を止めてほしかったけど。
「ところで、ハスールさんよ?」
「何」
「決闘って、どんな感じなんだ?」
「何が?」
「いや、ルールとかだよ。こっちは異世界人だぞ。」
「はぁ…簡単だよ。」
ハスールは歩きながら答える。
「相手を戦闘不能にするか、降参させる。基本的にはそれだけ」
「……戦闘不能、ねぇ」
「そう」
「それさぁ、結構物騒じゃねぇの?」
「魔法を使うんだから当然だろ」
「いや、俺の世界だと学校でやったら……はぁ、それを言うのもお門違いか。」
「お前の世界は知らないからな。ここに来たなら、ここのルールに従うべきだ。」
「異世界人の説明を聞く気がなさすぎだろ、お前。」
◇◇◇
それからしばらく歩くと、建物の雰囲気が変わった。
校舎を抜け、さらに奥へ進んだところに、それはあった。
円形の広場。
周囲を低い石壁が取り囲み、その外側には観客席のような段差がいくつも設けられている。
床は土ではなく、灰色の石で舗装されていた。
ところどころに細かな傷が残っている。
何度も何度も魔法をぶつけ合った場所なのだろう。
中央には、円形の線が刻まれている。
まさに、決闘のための舞台ってわけだった。
「……すげえ」
思わず呟いく。
さっきまでの校舎とは違う意味で、異世界に来たという実感があった。
こういう場所を、俺は漫画の中で何度も見てきた。
魔法使い同士が戦う場所。
大勢の観客がいて、強者同士がぶつかり合って、地面が吹き飛んだり、炎が空を覆ったりする。
もちろん漫画は漫画だ。
現実にはそんなこと起こらない。
そう、思っていたのに。
「ここが決闘場?」
「そう」
ハスールは中央へ歩いていく。
その足取りには迷いがない。
多分、何度もここに来てる。どんな理由だとしても。
俺も後に続いた。
石床の中央まで進むと、ハスールが振り返った。
「お前、杖は?」
「ねぇよ。そう言ってんだろ。」
「そうだったね」
忘れてんじゃねぇよ。
そう思っても、つたわりゃしない。ハスールは少し考えるように俺を見ていた。
杖でもくれるのだろうか。…魔法系のチートスキル、持ってねぇかなぁ……
「なら、そのままでいい」
「…あっそ。」
はい詰み。
とりあえず、俺が魔法関連のチート持ってても、今回は使えねぇ。
「魔法を使ったことがない人間に、いきなり杖を渡しても意味がないだろ」
「まあ、それはそうなんだろうけどよぉ……」
「それに、今回の目的はお前が魔法を使えるかどうかを確かめることじゃない」
「え?」
「ボクが知りたいのは、お前が何なのかだよ」
その言葉に、俺は少しだけ眉をひそめる。
そう言えば、さっきから何度か、言われていることだ。
その言い方が、妙に引っかかる。
ハスールは俺の異世界人という立場に興味を持っている。
それだけなら分かる。…それだけなら。
けれど、さっきからこいつは妙に俺自身を見ている。
まるで何かを探しているみたいに。
それとも、俺自身に何か備わってたりするわけか?
それこそ…チートスキル、みたいな。
「……何だよ、その言い方」
「何が?」
「俺が何者なのかって」
「そのままの意味だよ。お前が異世界から来た。だったら、魔法について何も知らないのは理解できる。でも、それだけでは説明できない部分がある」
「はぁん?説明できない部分?」
「だから確かめる。」
ハスールは杖を構えた。
さっきまで肩に乗せていた杖を、今度は両手ではなく右手だけで握っている。
先端が俺へ向いた。
たったそれだけだ。たったそれだけで、空気が変わった。
背筋が勝手に伸びる。
喉が鳴った。
心臓が一つ、大きく跳ねる。
冷や汗が背筋を伝う。
怖い。
さっきよりも、ずっと。
「お前」
ハスールが言う。
「最後に言っとくけど、死にそうになったらそう言え。」
「……」
「お前には魔法の知識がない。杖もない。身体能力も、見る限り優れているわけじゃない。それに、ボクはこの学園の首席。」
「……随分はっきり言うな」
「事実だから。」
確かに、その通りだ。
「だから、お前が勝てる可能性は低い」
「何パーセント?」
「ほぼゼロ」
「言い切ったな!」
「だから言ってる。ボクだって人殺しになりたいわけじゃない。」
俺は少しだけ黙った。
怖いし、逃げたい。
できれば今すぐ、「やっぱなしで」と言いたい。
この決闘も。転生も。
「でもなぁ……」
目の前にあるんだよ。魔法が。
俺がずっと漫画で見てきたものが。それを使う人間が。
俺の目の前にいる。
いま、ここに。
だったら?
……はははっ
「やるよ」
自分でも驚くほど、声は普通に出た。
「勝てるかどうかは知らねえけど、やってみなきゃ分からないだろ」
「……そう」
ハスールは小さく頷いた。
「じゃあ、開始。」
周囲に人が集まってきている。
いつの間にか、観客席にはかなりの人数がいた。
知らない顔ばかりだ。
俺を見ている。
異世界人だからだろう。
首席のハスールと戦うからだろう。
あるいは、その両方か?
その中に、さっきまで一緒にいたリサの姿も、ベックスの姿もある。
リサは観客席の端から身を乗り出して、俺に向かって大きく手を振っていた。
ベックスは面白そうな顔をして、軽く手を振ってきた。
「カゴキ! 頑張ってー!」
「絶対俺が負けると思ってない!?」
「だってハスールだしー!」
「そっかー!」
リサはずっとハスールだから、と言っている。
まあ…皆の総意なんだろう。ベックスもおんなじこと言ってたし。
俺等の会話が面白かったのか、観客から笑いが起こる。
ハスールが露骨に嫌そうな顔をした。
「はぁ…うるさい。」
「…お前って、そういう顔するんだな」
「どういう意味?」
「いや、もっと無表情な人間だと思ってたってだけ。」
「お前、本当に余計なことばっかりだな。決闘前ってこと、忘れてるのか?」
「うるせえよ」
そう言い合った、次の瞬間だった。
ハスールの顔から、表情が消えた。
ふざけた空気が、一瞬で消える。
俺も口を閉じた。
風が吹いた。
決闘場の外側に植えられた木々の葉が擦れ合い、乾いた音を立てる。
その風が、俺の頬を撫でた。
ハスールの杖の先端が、ほんのわずかに動く。
俺には、それしか見えなかった。
何かをしたようには見えない。
呪文を唱えたわけでもない。
大きな動作もない。
ただ、杖の先端が。
ほんの少し。
右へ動いた。
そして──
「フェルリッド」
ハスールが呟いた。
たったそれだけ。それだけの瞬間。
俺の目の前で、空気が爆発した。
「――っ!?」
轟音。
次の瞬間には、身体が後ろへ吹き飛ばされていた。
足が地面から離れる。
視界が回る。
「うわっ!」
何が起こったのか分からない。
ただ、何かが俺の胸にぶつかった。
なにも見えなかった。何も聞こえなかった。
でも、それなら──
吹き飛ばされた俺は、背中から石床に落ちた。
「がっ……!」
肺から空気が抜ける。
痛い。
めちゃくちゃ痛い。
身体が転がる。
視界の端に青空が見え、次の瞬間には石床が見えた。
何とか腕をついて起き上がる。
「……っ、はぁ……!」
呼吸が苦しい。
胸が痛む。
俺の数メートル前に、ハスールが立っている。
杖を構えたまま。
何も変わらない顔で。
「今のが魔法」
「……」
言葉が出ない。
でも、理解はした。
あれは火だ。たぶん。だって、あれは爆発だった。
目の前で。一瞬にして。
「火属性。フェルリッド。設置型の初級魔法だよ」
「……初級?」
「そう」
俺は、ゆっくりと周囲を見る。
俺がさっきまで立っていた場所。
そこに、細長い傷が入っていた。
石床が削れている。
俺は、自分の胸元を見る。
制服が少し焦げていた。
「……これが」
声が震えた。
「魔法……」
返事はない。
ハスールはただ、俺を見ている。
俺は立ち上がった。
脚が少し震えている。
怖い。
今の一撃だけで分かった。
こいつは強い。当たり前に、俺は勝てない。勝てるわけがない。
魔法が現実にある。
その事実を、俺は今、自分の身体で理解した。
それでも、それでもそれでもそれでも。
不思議と。
口元が少しだけ緩んだ。
「……すげえ」
ハスールの眉が動く。
「何?」
「いや」
俺は胸元を押さえながら、笑った。
「すげえよ、お前」
「……」
「今の、火だろ?何も見えなかった。直接じゃない。ちょっと遠くで爆発しただけ。でも、俺は吹っ飛んだ。」
「だから魔法だ。それができる、それが魔法。」
「いや、そうなんだけどさ」
俺は自分の手を見る。
「……俺も、使えるのかな」
その言葉を聞いたハスールの目が、わずかに細くなった。
「試してみれば?」
「どうやって?」
「知らない」
「おい」
「ボクはお前の教師じゃない」
「さっき教えるって言っただろ!」
「お前が勝ったらね」
「くっそ!」
笑いが起こった。
観客席からも。
リサも笑っている。
ハスールまで、ほんの少し口元を緩めている。
俺は思わず苦笑した。
……まあいいけどさ。
まだ終わっていない。
俺は構えた。
構え方なんて知らない。
格闘技の経験もない。
漫画で見た主人公の構えをなんとなく真似してみる。
「……」
ハスールが俺を見る。
「何、その構え」
「うるせえな。俺の世界じゃこれが基本なんだよ」
「そう」
「笑うな」
「笑ってない」
「笑ってるだろ。ごまかせてねぇぞ。」
「気のせい」
俺は息を吸った。
魔法は使えない。じゃあ、何をするか?
ハスールへ向かって走る。
距離を近づかなければ意味がない。
だが──
「――遅い」
「え?」
ハスールが消えた。
否、そう見えただけだった。
次の瞬間には、俺の横にいる。
「うわっ!?」
反射的に振り向く。
だが、それでも遅い。
杖が見える。
緑色の瞳が見える。
その先端が俺の身体へ向いている。
まずいって。
そう思った。
だが、ハスールの杖が、俺の身体に触れる直前。
何かが弾けた。
光でもない。
音でもない。
チートスキルみたいな、派手なものじゃない。
ハスールの杖が、俺の肩に触れた。
その瞬間に、魔法が消えた。
「……え?」
俺も。
ハスールも。
何が起きたのか分からなかった。
ただ一つ。
俺にはわからない話だったが。
ハスールの杖から放たれようとしていた魔素が、俺の身体に触れた瞬間だけ。
何の痕跡も残さず、消えていた。