消えた。
確かに、消えた。
ハスールの杖が俺の肩に触れた瞬間、さっきまでそこにあった何かが、まるで最初から存在していなかったみたいに消え失せた。
「……」
「……」
俺とハスールの間に、妙な沈黙が落ちた。
「……今、何が起こった…?」
俺が聞く。
「それはボクのセリフ。…何をした?」
「いや、俺に聞かれても分かんねえよ」
「本当に?」
「本当だって」
ハスールが俺から一歩離れた。
杖を下ろす。
その目が、さっきまでとは明らかに違っていた。
戦う相手を見る目じゃない。
観察する目。
まるで珍しい動物でも見つけたみたいな目。
魔法の使えない邪魔者から、珍妙で、興味深い、おかしな奴。
それに、変わった。
「……もう一度やる」
「え?」
「今度は別の魔法を使う」
「いやいやいや、待て待て待て。…待てって。俺に聞く前に勝手に決めるなよ」
「いいから」
「よくねえよ!」
ハスールは聞いていない。
杖を構え直す。
さっきまで俺を吹き飛ばしていた少年とは思えないほど、目を輝かせている。
いや、実際に輝いているわけじゃないが。ほぼ無表情だ。
でも、なんとなく分かる。
こいつ、絶対楽しんでる。
「お前、今すげえ楽しいだろ」
「そんなことはない」
「嘘つけ」
「うるさい」
ハスールが杖を振る。
「ヴァンル」
風が来た。
今度は正面からだった。
俺はとっさに腕を交差させる。
意味があるかは知らない。
というか、たぶんない。
それでも身体が勝手にそう動いた。
風が身体にぶつかる。
服が大きくはためいた。
髪が乱れる。目を細める。
そして。
何も起きなかった。
「……えーっと…?」
風が止む。
俺は腕を下ろした。
身体に傷はない。
吹き飛ばされてもいない。
ハスールを見る。
ハスールも俺を見ている。
「今の……」
「効かなかったな」
「お前、今、何かした?」
「だからしてないって」
「だったら、なんで効かない…?」
「俺が聞きたいよ!」
観客席がざわついた。
そりゃそうだ。俺自身だって意味が分からない。
でも、俺にはなんとなくわかった。
まさか俺の脳細胞が突然発揮されたってわけじゃない。
だけど、これはこれは──
「……俺」
自分の手を見る。
「魔法、効かないのか?」
待ち望んでいた、
「…可能性は高いだろうな。」
「……なあ。お前はもうちょっと驚けよ」
物足りなさすぎるだろ。
もっと驚けよ。異世界ものの醍醐味じゃねぇか、これが。
これから俺の無双伝説が始まっちゃう場所だろうがよ。
「驚いているよ」
相変わらずの無表情で返される。
最悪のキャラ過ぎるだろ。もっと盛大に驚けよ。
驚き桃の木山椒の木を植えていけよ。
「……それの、どこが驚いてるんだ?」
「内心」
「分かるか!」
ハスールは杖を握り直した。
「もう一度」
「おい」
「水属性を使う」
「いや待てって!」
「ネアル」
杖の先から水が生まれた。
「うおっ!」
勢いよく飛び出した水の球は俺の顔めがけて突っ込んでくる。
運動神経も反射神経も普通な俺に避けられるわけもなく。
だが、やはりか。
水球だというのに、俺のことを吹っ飛ばす勢いで当たった魔法は消え去った。
感覚は気持ち悪い。水に当たっても、濡れていないから。
だが、確かに消え去った。
一度の運や偶然じゃない。確かな再現性を持って、俺に当たった魔法は消え去った。
「……」
「……」
「……お前」
「何だよ」
「面白すぎるな」
「第一声それか!?」
ハスールが近づいてくる。
ちげぇよ!もっと驚けって言ってんだよ!
なんでお前は研究者魂燃やしてるわけ!?
「もう一度」
「嫌だよ!」
「どうして?」
「怖えんだよ!」
「炎は効かなかっただろ」
「効かなかったからって怖くなくなるわけじゃねえんだよ!」
俺が叫ぶと、ハスールは少し考えた。
……この程度の主張で意見を変えてくれる奴だろうか。
「……なるほど」
「何がなるほどなんだよ」
「お前、魔法が効かないのに魔法そのものは怖い、と。そういうわけ?」
「当たり前だろ! 俺は今日初めて魔法を見たんだぞ!」
「ふーん」
「お前、絶対分かってないだろ」
「分かってるよ」
「顔が分かってねえ!」
だから言ったんだ!ぜってぇ意見変える気ねぇって!
ハスールは俺を無視して、今度は別の魔法を使った。
風。
火。
雷。
水。
どれも同じだった。
俺に触れた瞬間、何の痕跡も残さず消えていく。
最初は驚いていた。
次は怖くなった。
──その次には、少し楽しくなってきた。
そして最後には。
「……これ、結構すごくね?」
俺は自分の手を見ながら呟いた。
異世界に来て、初めて見つけた自分だけの力。
魔法が効かない。
ようやく、ようやく見つけた俺の
何年あこがれ続けた?何回自作ノートに書きつけた?
待望の、待望の──
「
「……チート、ね。」
ハスールが言った。
「何だよ」
「勘違いするな」
「何を?」
「お前の能力は確かに強い。少なくとも、通常の魔法使いが相手ならかなり厄介だろう」
「おお」
「でも、それだけだ」
「……急に辛辣だな」
「事実だよ。魔法が効かないことと、戦闘能力が高いことは別だ」
「……ああ、そう。まあ、そうだろうけど──」
「お前自身が魔法を使えるわけでもない。身体能力が高いわけでもない。今だってボクの攻撃を避けることすらできていない」
「……」
「
「いや、言い直そうか。お前の能力はチートでも、身体が無能じゃ仕方がない。」
「足りてないんだよ。全部が全部。ちぐはぐで、意味がない。」
ぐうの音も出ない。
実際、さっきの風だって避けられなかった。
俺は魔法を無効にできる。
でも。
俺自身が強いわけじゃない。
「……じゃあ」
俺は拳を握った。
「鍛えればいいじゃねえか」
ハスールが少しだけ目を見開いた。
「身体を鍛えて、魔法のことも勉強して。お前に近づけるくらい強くなればいいんだろ」
「……」
「それなら、俺にもやれることはある」
自分でも単純だと思う。
でも、それでいい。
俺は異世界に来た。
なら、ここでできることを探せばいい。
漫画の主人公みたいに、最初から何でもできなくてもいい。
努力して強くなれるなら、その方がずっと現実的だ。
ハスールはしばらく俺を見ていた。
そして。
「……決闘を続ける」
「もう十分だろ…?結構いい雰囲気だったじゃん……」
「雰囲気とか、関係ない。」
「お前さぁ…!」
「どうせ、ここで心を折っとかないと。お前、つけあがるだろ」
「ぐぅ……」
今度はぐうの音が出た。
「安心しろ。お前が勝てる可能性も、少し増えた」
「一応聞くけど……何パーセントだよ」
「1」
「1!?」
「1パーセント」
「増えたの1だけか!?」
観客席から笑い声が上がった。
俺は思わず頭を抱える。
こいつは本当に性格が悪い。
でも不思議と、嫌いにはなれない。
むしろ、もっと知りたいぐらいだ。
こいつの魔法を。
この世界のことを。
そして、自分自身のことを。
だから俺は、もう一度構えた。
「……来いよ」
「言われなくても」
ハスールが杖を構える。
風が吹く。
今度は、俺も動いた。
ハスールの杖先を見て。
その動きを読む。
魔法を避けるのではなく。
魔法を無効にするために。
俺自身が、魔法に近づいていく。
それが、この決闘で俺が初めて見つけた戦い方だった。