宇宙世紀0079年一月。
人類が宇宙へ生活圏を広げてから、もう半世紀以上が経過していた。
スペースコロニー。
それは人類が地球環境の限界を乗り越えるために建設した、巨大な人工の大地だった。
だが、人類という生物は、どれだけ文明を発展させても、人間関係だけは発展させられなかった。
そして今、その巨大な人工の大地の一つが、まもなく地球へ落とされようとしていた。
「……つまり、あのコロニーが地球に落ちる」
連邦軍宇宙軍、第六方面軍司令部。
作戦会議室の大型スクリーンに映し出されたアイランド・イフィッシュを見上げながら、グレン・ハワード中尉は呟いた。
「はい」
参謀が答えた。
「ジオン公国軍は、あのコロニーを地球へ落下させるつもりです。現在の予測では、最終的な落下地点は南米方面。ジャブローが最有力です」
「ジャブロー……」
グレンは頭を抱えた。
ジャブロー。
地球連邦軍の中枢である。
そこへ巨大なコロニーが落ちれば、ただでは済まない。
「何としてでも阻止する」
司令官が言った。
「迎撃部隊を出す。戦艦、戦闘機、可能な限りの宇宙戦力を投入する」
「しかし……」
別の参謀が、言葉を濁した。
「ジオン側に、新型兵器の投入が確認されています」
「新型兵器?」
「詳細は不明です。人型をしているという情報があります」
「人型?」
会議室に、妙な沈黙が落ちた。
「宇宙空間で?」
「はい」
「人型の兵器が?」
「はい」
「……何のために?」
「知りません」
実にもっともな答えだった。
連邦軍は、この時点でまだモビルスーツという兵器体系の恐ろしさを知らなかった。
だからこそ、この会議に参加していた者たちの多くは、
「人型なら戦闘機より空気抵抗がありそうだ」
などという、宇宙空間ではほとんど意味をなさない感想を述べていた。
その日のうちに、迎撃作戦が決定された。
作戦名は『アイランド・イフィッシュ迎撃作戦』。
そして第六方面軍所属、第118戦闘機小隊にも出撃命令が下った。
小隊長、グレン・ハワード中尉。
年齢三十二歳。
独身。
部下三名。
全員独身。
そして、全員――
「中尉」
整備兵が言った。
「なんだ」
「118小隊の皆さん、全員彼女いないんですね」
「……そうだ」
「全員?」
「そうだ」
「三人とも?」
「そうだ」
「中尉も?」
「……そうだ」
整備兵は気まずそうに目を逸らした。
グレンは煙草を取り出そうとして、禁煙区画だったことを思い出して懐に戻した。
「笑うな」
「笑ってません」
「顔が笑っている」
「すみません」
「謝るな。余計に傷つく」
その日の夜。
グレンは部下三人を呼び集めた。
整備も一段落し、格納庫の隅に簡素なテーブルが置かれていた。
若いパイロットたちが座っている。
ジェイク。
トーマス。
そしてリック。
彼らは皆、宇宙軍士官としては優秀だった。
射撃成績も良い。
操縦技術も高い。
規律も守る。
ただし、女性との交際経験だけは、三人揃って驚異的なほど少なかった。
ゼロだった。
「諸君」
グレンは言った。
「我々は明日、死ぬかもしれん」
「はい」
「ジオンの新型兵器に関する噂が本当なら、戦況は相当に厳しい」
「はい」
「そこでだ」
グレンは一度、深呼吸した。
「作戦前の慰労として、私が費用を出す」
「……」
「諸君らが楽しめる場所へ行く」
「……!?」
確かに、三人とも彼女はいない。
しかし、男が楽しめる場所と聞いて察せない程バカではない。
特に、彼女がいないという立場なら尚更だ。
「明日だ!」
沈黙。
次の瞬間。
「中尉ィィィィィ!」
「ありがとうございます!」
「俺、中尉についていきます!」
「一生ついていきます!」
格納庫に歓声が響き渡った。
整備兵が振り返った。
「何事ですか?」
「小隊長が我々に休暇を!」
「いい上司ですね」
「最高の上司だ!」
グレンは苦笑した。
「大袈裟だ。明日死ぬかもしれないんだ。それくらい――」
そこまで言ったところで、通信端末が鳴った。
司令部からだった。
………翌日。
グレンは上官の執務室に呼び出された。
「ハワード中尉」
「はい」
「君は昨日、部下を連れて慰労に行こうとしたそうだな」
「……はい」
「そのことが地球圏全域に知れ渡っている」
「…………はい?」
机の上には大量の報告書。
そして、地球圏のニュースネットワークから抜粋された記事が並んでいた。
『連邦軍士官、部下に不適切な慰労を計画』
『宇宙世紀になっても残る旧時代的価値観』
『軍人の人権意識を問う』
グレンの顔が引きつった。
「なぜ、こんなことに……」
「誰かがSNSに書いたらしい」
「誰が?」
「知らん」
「なぜ軍内部の話が地球の市民団体まで?」
「今はそういう時代なんだ」
上官はため息をついた。
「地球の婦人団体、各種人権団体、社会運動グループから抗議が来ている」
「……」
「特に問題視されているのが、『部下を喜ばせるために上官が費用を負担する』という部分だ」
「そこですか?」
「そこだ」
「明日、我々が死ぬかもしれないのに?」
「だからこそ人権意識が重要なのだそうだ」
「……」
グレンは窓の外を見た。
宇宙だった。
静かだった。
あまりにも静かで、明日そこが戦場になるとは思えない。
「中尉」
上官が言った。
「慰労計画は中止しろ」
「……了解しました」
その夜。
グレンは部下たちを集めた。
三人とも期待に満ちた顔をしていた。
「中尉」
ジェイクが言った。
「行きましょう!」
「……」
「中尉?」
「中止だ」
「…………え?」
「慰労計画は中止になった」
「どうしてです?」
「世間から批判された」
「世間?」
「地球の市民団体からだ」
沈黙。
トーマスが呟いた。
「……俺たち、明日死ぬかもしれないんですよね?」
「そうだ」
「それでも?」
「そうだ」
リックは俯いた。
「……そうですか」
それから三人は、何も言わなかった。
士気は、最低だった。
そして翌日。
宇宙世紀0079年、一月。
後に一週間戦争と呼ばれる戦いが始まった。
アイランド・イフィッシュは地球へ向けて移動を開始した。
連邦軍は迎撃部隊を展開。
第118小隊も出撃した。
「こちら118。敵機を確認!」
「何だ、あれは!」
レーダーに映ったのは、戦闘機ではなかった。
巨大な人型。
それが宇宙空間を、戦闘機とは比較にならないほど自在に動いていた。
「人型兵器……?」
グレンが呟く。
「馬鹿な……!」
ジオンのモビルスーツ。
その存在は、連邦軍の戦術思想そのものを嘲笑うかのようだった。
「撃て!」
三機の戦闘機が一斉に攻撃する。
だが、敵は避けた。
そして反撃。
閃光。
「ジェイク!」
『うわあああっ!』
通信が途切れた。
「トーマス、下がれ!」
『了解!』
敵MSが迫る。
連邦軍の戦闘機が次々と撃墜されていく。
艦艇も同じだった。
砲撃。
爆発。
通信。
悲鳴。
宇宙は一瞬にして地獄へ変わった。
「弾薬残量、ゼロ!」
リックが叫んだ。
「中尉!もう撃てません!」
「……そうか」
グレンは計器を見た。
弾薬は本当にゼロだった。
残されたのは機体と、自分の命だけ。
だが、その命も長くはない。
前方には、巨大なアイランド・イフィッシュ。
そして、その周囲には敵MS。
「中尉」
リックが言った。
「俺たち……死ぬんですかね」
「分からん」
「昨日、慰労に行けてたらよかったですね」
「……リック」
「俺、別に贅沢言ってたわけじゃないんです」
声が震えていた。
「ただ、死ぬ前に一度くらい……」
グレンは何も言えなかった。
その時だった。
リックの機体が加速した。
「おい!」
「中尉!」
「戻れ!」
「嫌です!」
「リック!」
「俺は!」
通信越しに、リックの声が響いた。
「地球の女の馬鹿野郎!」
「何を言っている!」
「俺たちは!」
彼の戦闘機が敵MSへ向かっていく。
「お前らを守るためになんか死にたくない!」
「リック、戻れ!」
返事はなかった。
閃光が走った。
一機、消えた。
トーマスもまた加速した。
「おい、トーマス!」
「俺も行きます!」
「やめろ!」
「中尉!」
彼は笑っていた。
泣いているのかもしれなかった。
「俺、まだ何もしてないんですよ!」
そして彼もまた、敵MSへ突っ込んだ。
「地球の馬鹿野郎!」
閃光。
また一機、消えた。
「……馬鹿野郎ども」
グレンは呟いた。
だが、もう一人もいなかった。
ジェイク。
トーマス。
リック。
全員死んだ。
グレンだけが残った。
その頃、地球。
オーストラリア大陸、シドニー。
とある政治家の邸宅前では、社会団体による抗議集会が行われていた。
「時代錯誤を許すな!」
「古い価値観を捨てろ!」
「我々は人権を守る!」
プラカードが掲げられる。
だが誰も知らなかった。
空の彼方から、巨大なコロニーが接近していることを。
誰も知らなかった。
連邦軍の抵抗によって、その軌道がわずかに変化していたことを。
誰も知らなかった。
そのわずかな変化が、歴史を変えるほど重大なものだったことを。
空が暗くなった。
「……?」
誰かが空を見上げた。
次の瞬間。
世界が、白くなった。
シドニーは消えた。
大地が震えた。
都市が消滅した。
そして、そこにいた人々もまた――歴史の巨大な流れの中へ飲み込まれていった。
宇宙。
戦闘は終わっていた。
アイランド・イフィッシュは地球へ落下していった。
ジャブローへの直撃こそ免れた。
しかし、その代償はあまりにも大きかった。
グレンの機体だけが、宇宙を漂っていた。
「……ジェイク」
返事はない。
「トーマス」
返事はない。
「リック」
返事はない。
グレンは目を閉じた。
軍人として、生き残った。
小隊長として、部下を全員失った。
そして、人間として。
彼は何をしてやれたのだろうと思った。
格納庫に戻った彼は、三人の遺品を整理した。
ドッグタグ。
写真。
そして、彼らが最後まで欲しがっていた女の象徴………ポルノ雑誌。
グレンはそれらを花束と一緒にまとめた。
「……すまんな」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
それを小さな放出用コンテナに収める。
そして宇宙へ放した。
コンテナは、ゆっくりと遠ざかっていった。
無限の暗闇へ。
「お前たちは……」
グレンは呟いた。
「最後まで、馬鹿だったよ」
通信機の向こうでは、誰も答えなかった。
宇宙は静かだった。
地球は青かった。
そして人類は、その青い星を守るために戦いながら、同時にその星そのものを壊していた。
それが、一週間戦争だった。