主は食事中に本を読まない。それだけならいいのだが、問題は別のところにある。
「主、野菜を食え」
「もぐ」
主が箸で野菜を口に放り込み、秒で飲み込む。
「ちゃんと噛め」
「噛んでます」
「一回じゃないぞ」
言いながらも御飯を口に入れては、秒で飲み込んでいく主。
「噛め!」
「噛んでます。ごちそうさま」
皿を空にした主は、さっさと食器を片付ける。
この主、読書時間のために、食事を飲んでいる。気づいたのは近侍に就任して、わりとすぐのことだ。
最初は、食事中は読書をしないんだなと安堵した。だが、やけに食べるのが早い。そこから、ほとんど噛まずに飲み込んでいることに気づいてしまった。
「主!」
「はいはい、日課終わらせますー」
「そうじゃないっ」
追いかけて、主の細い手首を捕まえ、引き留める。主は怪訝そうに、鶴丸を見上げてくる。
「食事をちゃんとしないと、人間はすぐに風邪を引くだろう」
「風邪を引いたら、読書できなくなるぞ」
主はしっかりと頷く。
「はい、なので食べてます」
「あれは食べるじゃなく、飲む、だろう」
「ご飯は飲みものじゃありませんよ?」
何を言っているんだという主に、ため息もつきたくなるというものだ。
だというのに、主の方が呆れたようにため息をつく。
「鶴さん」
「なんだ」
「鶴さんこそ、ちゃんと食事してください。私ばっかり見て、食べてなかったの知ってますからね」
「は?」
呆気に取られ、力が緩んだ隙をついて、掴んだ手を外された。
「人間の身体は、食事で栄養を取らないと病気になる。そう説明したでしょう」
「だから、ちゃんと食べ終わってから来てくださいね」
正論を突き付けて去っていく主を、鶴丸は追いかけることができなかった。
「……て、君がきちんと食事をしていないからだろうが!!」
鶴丸の叫びを聞いた主は、立ち止まって軽く振り返り、にやりと笑って手を振った。
その肩にぽん、と手が置かれる。
「鶴さん」
「光坊、なんなんだ、あの主はっ」
「……まあ、あれでも食事してくれているだけマシなんだ」
「ん?」
「むしろ、よくここまで連れてきてくれたよ。流石、鶴さんだよね」
称賛はいいから、という鶴丸は、食事中だったテーブルに戻された。
「今は早く食べた方がいい。主くん、たぶん戻って読書してる」
「は!?」
「……やる気はあっても、目の前に好きなものがあったら無理だよね……」
遠い目をする燭台切に、これまでの苦労が忍ばれる。
仕方なく、鶴丸も食事を再開した。
「……食事のスピードに関しては、鶴さんも同じだと思うけど……」
(失礼な。これでも、ちゃんと噛んで食べている)
鶴丸が睨みつけると、燭台切は肩をすくめて、去っていった。
午前中に日課を終わらせ、午後に鶴丸が少し目を離したすきだった。
ばさりと本の落ちる音が聞こえた。
「は?」
落ちた本の上に、一羽の鶴がいる。普通ならどこから入ったと疑うべきだろうが。
「……は?」
鶴は、足元の本にくちばしを伸ばし、必死にページを開こうとしている。
嘘だろ、と鶴丸は小さく呟いた。
近侍になってすぐにあった、呪いの事件は忘れていない。あれから、すべての荷物は鶴丸が確認して、問題のないものだけを主に渡していた。
なのに、なぜ。
「主?」
顔を上げた鶴が、じっと鶴丸を見つめた。墨色の目を。
鶴丸は慌てて、鶴と本を抱えて、石切丸の部屋へと駆け込む。だが、今は遠征中だという。
「おぃぃぃぃっ!?」
「鶴丸、そういうときは太郎太刀ですよ」
冷静に今剣が指摘しなければ、気づけなかったかもしれない。
「まったく、あわてんぼうですね。こんどはつるですか」
「慌てるに決まってるだろうっ?」
「ぼくもつきあいますから、いっしょにいきましょう」
今剣のその様子は完全に楽しんでいた。
「遊びじゃないんだぞ」
「わかってますって。あるじさま、あとでそのほんをかしてくださいね。ぼくもよんでみたいです」
主らしき鶴は、楽し気に鳴き声を上げた。
どちらも暢気が過ぎる。
主を太郎太刀のところへ連れて行くと、既にどこかで噂でも聞いたのか、次郎太刀とともに解呪の準備がされていた。
「主をこちらへ」
そして、あっさりと解呪されたのはいいんだが。
「……流石に、本を持てないのは困りますね」
主が苦笑いし、次郎太刀は部屋の隅で大爆笑している。解呪の儀式が終わったとたんだ。
今剣は主に近寄り、何故か頭を撫でられている。
「それで、どんなほんなんですか。そのあるじさまをのろったほんは?」
主は困ったように言う。
「それがですね、まだ読めない文字だったんですよ。かろうじて読めたのが」
――鶴の恩返し。
「なん、だと……」
確かに装丁にそう書いてあるのを見た。が、ただの御伽草子だったし、呪いの気配はなかったというのに。
「あぁ、これは主を狙ったものでしたか」
「な!?」
「時々あるよねー、そういうの。くくくっ」
太郎太刀の言に、笑いながら次郎太刀も同意する。
「……なんだよ、それは……」
「まあ、あるじさまはにんきものなので、しかたないです」
うんうんと今剣が腕を組んで呟く。
「仕方ないですよね。私を単体で狙う酔狂な遡行軍なんて、気づけるわけないですから」
主は酔狂と言っているが、鶴丸としては初耳が過ぎる。
「君、政府から依頼されて、本の調査をしているだけじゃなかったのか」
「それが都合の悪い方もいる、ということでしょう」
主が太郎太刀に手を差し出す。
「解呪終わったなら、いいですよね、それ」
「まだ読むのか!?」
「え、だって、まだ読み終わってませんし」
「……ただの御伽草子だったよな? 読んだことあるんだよな?」
「タイトルは同じですけど、装丁が違って、読めない文字が使われているので、ちゃんと調査しないと!」
「読めないのに、読むのか」
「……鶴さん」
主がぱっと返されたばかりの本を開いて、こちらに示した。
「これ、読めますか?」
「……ああ、まあ、読めるが」
「じゃあ、一緒に読んでください! それで、読み方も教えてください!!」
まったくめげない主に、鶴丸は笑いだしそうになる。
ついさっきまで、本が読めない呪いは困ると言っていたのに、解呪したとたんにこれだ。
「太郎太刀、これはもう解呪済みで、主に呪いはかからないんだよな?」
「はい」
「わかった」
主がぱっと顔を輝かせる。
「鶴さん!」
「ただし、読み終わったら、今日は風呂に入って、夕飯食べて、さっさと寝ろ」
「なんで!?」
「……あのな、主はさっきまで呪われてただろ。体調に不安がある時に読むんじゃない」
「えぇぇ」
酷く残念そうな主に鶴丸は吹き出した。
「そうだな、言うとおりにするなら、鶴さんが寝物語を聞かせてやろう」
完全に幼子扱いだが、主は嬉しそうに笑った。
「本当ですか! じゃあ、本は選んでおきますね!!」
「なんでそうなる!?」
鶴丸としては、ただ話をしてやるだけのつもりだった。だが、主には寝ながら聴けるチャンスと受け取られたらしい。
「何がいいですかねー。鶴さんは推理ものはお好きですか?」
「サスペンスを寝物語にするな」
鶴丸と主のかけあいを、三振は微笑ましく眺めていた。
「あるじさま、たのしそうです」
「そうですね」
「……いい近侍がついたもんだよ」
そうして、三振で顔を見合わせ、安堵の顔で笑うのだった。