この本丸は、さほど男士が多くない。
ただ印象的なのは、時代時代の男士は顕現しているということだ。
「鶴さん。これは、こう読むんですよね?」
「違うな。これは、こう」
「ええ? 難しい……」
主は本が好きだが、特別頭が良いというわけではないらしい。
数日前にも同じ会話をしたことを思い出し、鶴丸は小さく笑う。
「対照表があってもなかなかスラスラとは読めませんね」
「主の時代はかなり読み易くしてあるな」
「そもそも字をくっつけないでほしい。上から読ませてほしい」
「ははっ」
御伽草子でこの調子だが、主は執念で読めるようになるのだろうか。
「これが読めれば、手紙関係ももっと読めるのに」
「手紙?」
「はい。手紙をまとめた本があるんですよ」
主が取り出した本を受け取り、開くと、中身の時代がばらばらだ。
「陸奥守さんと、大倶利伽羅さんに教わった分は読めました。でも、それより前の時代が、癖が強くて」
「は? 伽羅坊?」
「政宗公のお手紙はたくさんあったので」
「……君、意外とすごいな……」
「え、なにがですか?」
馴れ合わないを貫こうとする大倶利伽羅に、字の読み方を教わるとか。主は本に関しては引かなそうだし、大倶利伽羅も根負けしたか。
クスクスと鶴丸が笑う様を、主が不思議そうに見つめる。
ちなみに顕現してから、ここまで会話が続いたのは二度目だ。
一度目は、鶴になる呪いの本の事件後。読み方を教えた時だ。
今、主は違う御伽草子を読み解こうとしている。
「で、その本はどこから持ってきた?」
「この積読からですね」
床に積まれた本のタワーのひとつに、主が軽く手を乗せる。
なるほど、道理で鶴丸に見覚えのない本のわけだ。
「前の近侍か」
「前の前か、その前か。心当たりがありすぎてわからないですね」
軽く肩をすくめる主は、再び本に目を落とした。少しずつ文字を追う指が早くなっている。
「……こっちは確認済みだったよな。電子化するぞ」
本を読み始めた主から、返事は返らない。いつものことだ。
いつもの。
一瞬目を離すと、なんで何かが起きているんだ。
「主?」
読んでいる主の足元が、ひんやりとしている。薄い氷が張っている。
「……おいおい、部屋の中だぞ」
作業を中断して、鶴丸は主の本を覗き込もうとした。
その目の前に、青白い炎が浮かび上がり、とっさに仰け反る。
「っと!? なんだぁっ?」
ぺらりと、主はいつものようにページを捲る。
そのたびに床に薄氷が広がり、狐火のような青い炎が増える。それも、鶴丸の邪魔をするように。
「氷、炎、って、奥庭狐火……御伽草子じゃねぇのかよぉっ!」
鶴丸は慌てて、石切丸を呼びに行き、解呪を頼む。
戻る頃には、主の服装が白一色の着物へと変貌していた。もとは人形浄瑠璃。早着替えも見物になる話だ。
「……とんだ呪いもあったものだね」
部屋の中を見た石切丸が、感嘆の息を吐く。これが呪いでなければ、ただ美しい情景とみることもできるのだが。
「ぼ、僕の見落としです……っ」
部屋に駆け込んできた五虎退が、震える声をこぼす。
「主様が読みたくなる御本で、呪いがないと思っていました」
いつ五虎退が近侍だったのかは知らないが、やはり鶴丸と同じような呪いのチェックはしていたのだろう。それでも、主を狙った呪いは、完全には防げない。
「この程度なら、すぐだよ」
石切丸が幣を掲げ、いつものように解呪する。それが終わると、主の足元の氷も、空中の炎もなくなり、服装もジャージと羽織姿に戻った。
「やっと、読めるようになってきました!」
「そうじゃないだろ!?」
なにがあったのか、わかっていないのかと鶴丸が叫ぶ。主はきょとんと不思議そうに眼を瞬き、次いで五虎退を見た。
「これ、確かに面白い短編集です。次の話も楽しみ」
どうやら、本を読み進めて、誰が置いたか思い出したらしい。
「っ、主様、僕、本当に……っ」
両目に涙を浮かべる五虎退の前、本を両腕に抱えたままの主がしゃがんで、顔を覗く。
「ほらほら、泣かない泣かない。また面白そうな本、教えてくださいね」
「……はい……っ」
優しく微笑む主は、慈悲深い様相をしているが、鶴丸にはわかる。
この主、まったく、これっぽちも懲りてない。
「主、今回は何があったかわかってるか?」
立ち上がって、鶴丸を振り返った主が、顔を輝かせる。
「本が濡れてなくて、燃えなくて、本当に良かったです!」
「そうじゃない!!」
やっぱり全然懲りてない。
両肩を掴んで詰め寄ろうとすると、五虎退が間に立ちふさがった。
「あ、あの、鶴丸さん。今回は僕のせいなので……っ」
「それはいい」
「え」
「それより、主。呪いに気づいてたなら、読むのをやめろ」
「え、気づいて……?」
五虎退が主を振り返ると、主はにっこりと満足げに笑っていた。
「面白かったら、最後まで読まないと!」
「えええっ」
石切丸が頭を抱え、五虎退が戸惑いの悲鳴を上げ、鶴丸は深く息を吐いた。
本当に、本当に、どうなってるんだ。この主は。
※「奥庭狐火」――上杉謙信の娘・八重垣姫を主人公とする御伽草子。