迷宮街「ダイダロス通り」。ギルドとガネーシャの眷属の手が回っていないこの地域は、裏社会の人間にとってはうってつけの隠れ場所でもある。つまり、ラキア側の者にとっても都合の良い所でもある。
ピュラーは人影がない路地裏にいた。周囲に不審な気配がないことを確認して、壁をコンコンッとノックした。
そして、ある言葉を口にした。
『筋肉は裏切らない。命の灯はプロテイン。パワーイズマッスル』
音もなく、壁があった場所に扉が現れた。彼女は扉の中に入っていく。
合言葉は神様の言葉であるため、下界の住人にとっては意味が分からないものだ。しかし、筋肉信者たちはその言葉の意味をなんとなくで理解しつつあり、元現代日本人であるピュラーは「馬鹿すぎる合言葉だけど共感できる」と、少しだけその合言葉を気に入っていた。
扉の奥に広がるのは、宿付きの酒場。そこには、仮面を付けた男や女たちがいた。彼らはラキア国民のオラリオ配属情報収集班の一員である。
数週間前に初めてここに来たピュラーは、歓楽街担当の新人Pであった。ここにいる者は仮面や布、フードなどを被り、お互い姿と本名を晒さない。これは、身バレ防止の対策の一つでもあるが、普通に本来の姿で堂々とオラリオで会話をしている。
この場で、彼らは情報交換・整理や今後の方針決め、各担当地区の報告などを行っている。Pの目の前にはAというフードの体躯の良い男がいた。
「おはよう、P。最近どうだ?」
「おはようございます、Aさん。最近は表向きの仕事が大変ですね。女の恨みより怖いものはないことを思い知りますよ」
「一体何をやらかしたんだ」
「仕事場に病んでる女の子たちが襲撃してきました」
「ひぇ、歓楽街担当だろ?大変だな、やっぱり。他の奴らもお前と同じようなことを言ってたわ」
「貴方は確か、商店街担当でしたよね。そっちの方が大変でしょう?特に闇派閥の襲撃が」
「何回も襲撃されると、慣れてくる。今は同じ担当の同僚と誰が一番早く逃げれるか勝負できるくらいの余裕はある」
「話は変わるが、お前が来る前に同志たちが今週分の情報整理を全て書類にまとめたから、それを全て本部に送ってくれ」
「わかりました」
Pは手慣れた手つきで分厚い書類を自身の鞄に入れた。Aは性別不明で人懐っこいPを可愛がっていた。少々ポンコツなところが目立つが、その分頑張って働いているので微笑ましい。Pが鞄に入りきらない書類を何とかして詰め込んで、「あ、破れそう。違う鞄を持ってこればよかった」と焦っている姿を見たAは、ラキアにいる可愛い娘と息子を思い出し、今度の誕生日に何を送るかを考えていた。
(うぅ、また貯金が消えていく)
伝達の業務を遂行する精霊は、基本的にPとその父親、幼馴染以外の言う事は絶対に聞かない。おまけに、元々よく食べる大食らいで、オラリオとラキアを往復するうちに、食べる量が倍になってしまった。Pとしては相棒が満足するまで食べさせてあげたいので、必死に働くが、Pの貯金は増えるどころか減るばかりである。情報収集に本腰を入れる前にあった大量の貯金が、底を尽きるまで、後2週間。
「P、明後日は定例報告会だから忘れるなよ。お前一回すっぽかしたことあるし」
「うっ、すみません」
「新人だからと言って気を抜くなよ、俺たちも全力でサポートするから」
その後、数時間ほど、A以外の先輩たちとお喋りしたPは帰宅した。
ちなみに、オラリオ情報収集をする際に、ピュラーは見た目を変えている。例えば、髪色は赤から白に、瞳の色は金から蒼に。これは、彼女の幼馴染が趣味で作った魔法道具を使っている。いつもとは違う仮面とフードを身に着けて、相棒に「記憶に残りにくくする」魔法をかけてもらっている。そのため、周囲の人は性別を勘違いしている節があり、身バレ対策は完璧である。万が一の場合のために、彼女は筋肉の生息地、オラリオ中心部、闇派閥の制圧など、様々な場面に合わせて見た目を変えているのであった。
先ほど、ピュラーがいた場所の名は「
彼らはお察しの通り脳筋であり筋肉至上主義者ではあるが、情報収集能力が非常に高い。元々陽キャである彼らは既にオラリオの裏事情まで網羅していた。その内容は、物資の流通量からオラリオの軍事備蓄、防衛網、オラリオさんの品の売れ行き、各ファミリアの動向、神の黒歴史、カップル爆散理由、噂話など多岐にわたる。
ゼウス・ヘラのファミリアがオラリオの頂点に君臨していた黄金の時代から、ひっそりと誰にもバレずにその組織は活動していた。老人から若者まで、癖の強い多種多様なメンバーで構成されている。今まで情報を収集するだけで、オラリオに悪影響を与えるわけでもなく、逆にオラリオの成長を促しているようなこともあった。
しかし、彼らは敵に塩を送っていたなど露に知らず、「油断しすぎだな。ふっ、俺たちの演技が上手すぎたせいかな」と勝手にナルシスト化するものもいる。実際のところ、演技ではなく本心でオラリオの住民たちと仲良くなっているのだが、それを意地でも認めないツンデレの集まりだった
闇派閥の襲撃に逢っても、彼らは自国の厳しい教育と雑草のようなド根性精神のおかげで簡単に生き残っている。「ま、これも俺たちの経験値となりうる存在だ。闇派閥の連中はあんな頭の可笑しい神に仕えるのではなく、こちらの偉大なる神を知ってほしいものだ」とポジティブシンキングをして、尊敬する神の布教をしつつ、オラリオの生活をちゃっかり楽しんでいた。一応、ピュラーと違い、彼らは定期的に帰省している。
一方で、ひとつだけ大きな問題があった。それは、集めた膨大な情報をラキアに届けることである。無事に届けられてはいるものの、何せオラリオの外へ出るには非常に手間がかかる。重要な情報も、届く日が遅れては価値が下がってしまう。しかし、長年蓄積されたデータから価値を見出すなど、頭脳担当達の活躍もあり、ここ数十年でラキアは徐々に、「戦争は大好きだが、国内の伝統と平和を守る」という、色んな意味で矛盾したツンデレ国家へと成長を遂げていた。
そこで、派遣されたのがピュラーである。彼女の相棒に頼めば、半日で届く。頭脳担当達は当初、ポンコツなところが傷であるピュラーを伝達担当だけにしようとしたが、思いのほか情報収集の役も見事にこなせてしまうものだから、ウハウハであった。そもそも彼らが情報収集を行う理由は単純明快だ。ラキア以外がどう動くかは、国の存亡に関わってくるし、何より損はないからだ。
しかし、ピュラーを送り込んだ理由は、「彼女の夢のため」だけではない。彼らの本当の狙いは別の所にあった。
世界が荒れている中、ラキアは適材適所の人材派遣や衣食住の保障政策などをずっと昔から行っているおかげで、人口も食料も比較的安定している。おまけに、闇派閥は何故かラキアには現れていない。そして、ある時からオラリオ以外の国に手を出さなくなった。自然とオラリオに他国の正しい情報が集まり、勝手にオラリオがラキアの敵となる国と戦ってくれるのである。そのため、オラリオで他国の情報も効率的に得ることができている。
世界全体が闇派閥の非道な行いに悩まされている時期だからこそ、自国の生活基盤の更なる向上など内政に力を入れて、自由気ままに平和に過ごしたい。そのため、彼らは、何としても信頼できる神と性根は良い王がオラリオと戦争をするのを防ぎたがった。
そこで、ピュラーの「オラリオに行ってくる」という一言から、頭脳担当達はひらめいてしまったのだ。
「「「そうか。ピュラーをオラリオに行かせれば、戦争をしないのでは??」」」
天才的な発想であった。一石二鳥、いや一石三鳥である。彼らの予想通り、筋肉バカは愛娘がオラリオに行ってからというもの戦争をぴたりとやめ、内政に力を入れ始めた。民衆の生活が安定して、更に充実していった。
しかし、彼らは気づいていない。愛娘の供給が少なくなった親バカが何をしでかすかを。
オラリオの暗黒期が終わった頃には、すでにその抑止効果も薄れ、逆に「ピュラーのためにもオラリオを配下に収めよう」と、定期的に戦争を仕掛けまくる未来がやってくることを。
そうすれば、毎日オラリオでも平和に娘と暮らせるし、娘の夢である「和食文化を広める」ということだって達成できると、親バカは思いつくまで後x年後。