念能力者が行く多重クロス世界 作:匿名のななし
すり減った革のソファに寝転がりながら、俺は天井のシミを数えていた。
一つ、二つ、三つ。
四つ目を数えたところで面倒くさくなって、視線を壁際の小さなテレビへと移す。
画面の中では、綺麗に髪をセットした女性のアナウンサーが、深刻そうな顔を作ってニュース原稿を読み上げていた。
『本日午後三時頃、米花町の商業施設にて、またしても大規模な爆発が発生しました。警察の発表によりますと……』
俺は鼻で笑って、傍らに置いてあったマグカップを引き寄せた。
中身の冷めきったコーヒーを口に含む。苦いだけで全然美味しくない。
「えぇ~……また爆発ぅ? なぁにそれぇ……」
誰に聞かせるわけでもなく、一人で部屋の中にツッコミを響かせる。
米花町。
俺がこの小さな事務所を構えている場所からは少し離れているが、あの町のニュースを見ない日はない。
冗談抜きで、毎日どこかが吹き飛んでいる。
あるいは、誰かが毒を飲まされて倒れている。
どうしてあんなにポンポンと建物が爆発するのか、俺にはさっぱりわからない。
火薬の仕入れルートはどうなっているんだ。
警察の予算は足りているのか。
そもそも、あんなに毎日事件が起きる町に、どうしてまだ人が住み続けているのか。
俺なら速攻で引っ越す。絶対に近づかない。
不動産屋はあの町の物件をどうやって売っているんだろうか。
「日当たり良好、駅から徒歩五分、ただし週に一回は近所で爆弾が爆発します」なんて説明されたら、タダでも住みたくない。
でも、テレビの向こうの住人たちは、なぜかあの町を離れようとしない。
まるで、事件が起きることが当たり前であるかのように。
チャンネルのボタンを押して、別の番組に変えてみる。
『続いてのニュースです。先日、海に浮かぶ孤島の洋館に集められた資産家たちが、次々と命を落とす事件が起きました。外部との連絡が取れない中……』
「はいはい、嵐で船が来なくなるパターンね」
俺は大きく欠伸をした。
なんでお金持ちってやつは、わざわざ逃げ場のない島とか、雪深い山奥のペンションとかに集まりたがるんだろうか。
大人しく都内の高級ホテルでパーティーでもしていればいいのに。
わざわざ「ここで事件を起こしてください」と言わんばかりの場所に出向いていく。
そして案の定、電話線が切られて、誰かが悲鳴を上げるのだ。
さらにチャンネルを変える。
『警察からの発表によりますと、昨夜、有名な宝石を狙うという犯行を知らせる手紙が届いたとのことです。警察は厳重な警備を敷いており……』
「マジで言ってる? いつまで昭和のノリを引きずってんのよ……」
白いマントでも羽織って、空でも飛んでくるつもりだろうか。
警察も警察だ。
予告されたなら、その宝石を金庫の奥底に隠してコンクリートで固めておけばいいじゃないか。
なんでわざわざ見晴らしの良い展示ケースに入れたまま、周りを囲んで「さあ来い!」みたいな陣形をとるのか。
俺には理解できない。
テレビを消して、ふうっと息を吐き出す。
部屋の中に静寂が戻ってきた。
外からは、遠くを走る車の音と、カラスの鳴き声が聞こえてくる。
この世界は、どう考えてもおかしい。
俺がその事実に気づいたのは、まだオムツをつけてハイハイしていた頃だった。
そう、俺には「前の人生」の記憶がある。
よくある話だ。
死んで、目を開けたら白い空間にいて、やたらと後光が差している怪しいおっさんに「君には新しい世界で生きてほしい」とか言われて。
「特別な力をあげるから、どうか楽しんでね」とか、そんな軽いノリで送り出された。
最初は夢だと思っていた。
でも、赤ん坊の体で目を覚まして、ベビーベッドの上で天井を見上げた時、俺は自分が本当に生まれ変わったのだと悟った。
絶望だった。
またあの面倒くさい人生を、ゼロからやり直さなきゃいけないのかと。
オムツを替えられる屈辱に耐え、言葉を覚え直し、幼稚園のお遊戯会で恥ずかしいダンスを踊らされる。
そんな苦行をもう一度繰り返すなんて、何の罰ゲームかと思った。
でも、本当の地獄はそこじゃなかった。
物心がついて、テレビのニュースを見たり、親に連れられて外を歩いたりするようになって、俺は戦慄した。
平和な日本に生まれ変わったと思っていたのに、ここはどう見てもヤバい場所だった。
一見すると、普通の町並みが広がっている。
コンビニがあって、ファミレスがあって、スーツを着たサラリーマンが歩いている。
でも、その解像度を少し上げて、よく観察してみると、この世界がどれほど狂った布みたいに継ぎ接ぎされているかがわかる。
幼稚園の頃、親と一緒に歩いていた交差点で、大きなモニターに映るニュースを見た。
新宿のド真ん中で、ヤクザみたいな連中が派手に銃を撃ち合っていた。
映画の撮影かと思ったら、マジの事件だった。
警察は何をしているんだ。
交番の前を通りかかれば、眉毛の繋がったおまわりさんが、自転車でトラックを追いかけていくのが見えた。
どう見ても車に轢かれたのに、次の日にはピンピンして交番の前に立っていた。
人間じゃない。バケモノだ。
中学生になって行動範囲が広がると、さらにヤバいものを見るようになった。
少し離れた町にある高校では、毎日カラスが空を舞っていて、制服を着た不良たちが何十人単位で殴り合っている。
あいつら、学校で授業を受けている形跡がない。
ただひたすら屋上や校庭で喧嘩をしている。
親はどういう気持ちで学費を払っているんだ。
ある日、スーパーに卵を買いに行った時のことだ。
特売のタイムセールに並んでいたら、隣にやたらと背が高くて、顔に深い傷のあるおっさんがいた。
可愛いキャラクターが描かれたエプロンをつけて、目を血走らせながらおばちゃんたちと特売の肉を奪い合っていた。
あとで噂を聞いたら、影の世界で一番恐れられていた元ヤクザだという。
なんでそんなヤバい奴が、平和に主婦に混ざって買い物をしているんだ。
意味がわからない。危ないから近づかないでほしいんだけど。
夜の街に目を向ければ、もっと怖い話が転がっている。
駅の伝言板。
今はスマホがある時代なのに、なぜかチョークで書き込める古い黒板が置いてある駅がある。
そこに、アルファベットの最後の三つの文字が書かれることがあるらしい。
それを書くと、凄腕の始末屋が現れて問題を解決してくれるという噂。
そんなの、警察が張り込んでいれば一発で捕まるだろ、と思うのだが、なぜか誰も捕まえられない。
影の世界では、「ファブル」とかいう名前の、無敵の殺し屋の話もよく聞く。
どんな相手でも絶対に殺すらしい。
都市伝説だと思いたいが、この世界なら本当にいてもおかしくない。
表の社会だって狂っている。
ニュースをつければ、「四宮」っていうバカでかい財閥の名前が毎日出てくる。
世の中のお金の大半を牛耳っているらしい。
でも、一歩裏道に入れば、とんでもない利息でお金を貸し付ける金融屋がいて、逃げられないように人を追い詰めている。
「帝愛」っていうグループがやっている、地面の下にある労働施設の話も聞いたことがある。
一度捕まったら、何十年も太陽の光を浴びられずに働かされるらしい。
一番引いたのは、お金持ちの子供たちが通う「百花王」っていう学校の噂だ。
そこでは勉強の成績じゃなくて、ギャンブルの強さで人間の価値が決まるらしい。
高校生が平気で何千万円、時には何十億円っていうお金をテーブルに積んで、人生を賭けた勝負をしている。
バカじゃないのか。
そんな大金があるなら、南の島で一生遊んで暮らせるだろうに。
なんでわざわざリスクを背負ってヒリヒリしたがるのか、俺には一生理解できない。
そして、厄介なことに、一見平和に見える普通の暮らしの中にも、バグみたいなおかしな現象が混ざっている。
休みの日に気分転換で下北沢の街を歩いていた時のことだ。
路地裏の小さなライブハウスの前を通りかかったら、大きなミカンのダンボール箱が落ちていた。
捨てられているのかと思ったら、箱の中からギターの音が聞こえてきた。
よく見ると、ダンボールの中に女の子が引きこもって、震えながらギターを掻き鳴らしている。
どういう状況だよ。
声をかけようかと思ったが、あまりにも奇妙すぎて、見なかったことにして通り過ぎた。
有名な料理学校の近くを通った時もひどかった。
その学校の生徒が作った料理を食べた人間が、なぜか次々と服を弾け飛ばしているのだ。
「うまい!」と叫んだ瞬間に、シャツのボタンが弾け飛び、ズボンが破れる。
どういう理屈でそうなるのか。
料理の中に小さな爆弾でも仕込んでいるのか。
それとも、美味しさのあまり体が膨張して服が破れるのか。
どっちにしても、あそこの料理は絶対に食べたくない。外で全裸になる趣味はない。
車好きの同級生から聞いた話も大概だった。
群馬の山奥に行くと、夜な夜な車が競走をしているらしい。
それ自体はよくある話だが、問題はその中の一台だ。
白と黒のツートンカラーの古い車が、ありえない速度でカーブを曲がっていくという。
タイヤの摩擦とか、車体の重さとか、そういう自然の法則を完全に無視して、溝にタイヤを引っかけながら滑るように走るらしい。
「あれは幽霊だよ」と同級生は笑っていたが、この世界なら本物のバケモノが運転していても不思議じゃない。
日常と非日常。
普通の暮らしと、狂気に満ちた暴力。
それが何の境界線もなく、ごちゃ混ぜになって存在している無法地帯。
それが、俺が今生きているこの世界だ。
こんな場所で、普通の人間として生きていくなんて無理だ。
いつ爆発に巻き込まれるかわからない。
いつヤクザの抗争に巻き込まれて流れ弾に当たるかわからない。
いつ狂ったギャンブラーに全財産を奪われるかわからない。
だから俺は、自分の身を守るための「力」を磨くことにした。
あの光るおっさんがくれた、たった一つの才能。
「オーラ」を操る力。
俺の体の中には、目に見えないエネルギーみたいなものが流れている。
血液の巡りと同じように、全身の血管の中を熱い何かがぐるぐると回っている感覚。
最初はそれが何なのかわからなかったが、意識してコントロールしようとすると、体の外に薄いオーラみたいに溢れ出すことに気づいた。
試しに、グラスに水をなみなみと注いで、その上に葉っぱを浮かべてみた。
そこに手をかざして、体の中のエネルギーをグラスに向けて流し込んでみる。
すると、グラスの中の水がものすごい勢いでブクブクと泡立ち、あっという間にグラスの縁から溢れ出してしまった。
「うわ、めっちゃ水こぼれた……」
雑巾でテーブルを拭きながら、俺は自分の特性を理解した。
どうやら俺の力は、物や自分の体を強くするのに向いているらしい。
いわゆる、脳筋タイプってやつだ。
炎を出したり、雷を落としたりするような派手なことはできない。
ただひたすらに、自分の肉体を頑丈にして、殴る力を強くする。
地味だけど、この狂った世界で生き残るには、一番ありがたい能力だった。
それからの俺は、ひたすら自己鍛錬に明け暮れた。
学校の授業中も、通学の電車の中でも、ずっと体の中のエネルギーを練り続ける練習をした。
溢れ出そうになるオーラを、皮膚の内側に薄く張り巡らせる。
誰も俺がそんなことをしているとは気づかない。
でも、俺の体は少しずつ、鋼みたいに硬くなっていった。
中学生の頃、誰もいない河川敷で、コンクリートの橋脚に向かって思い切り拳を振り抜いてみたことがある。
エネルギーを右手の拳に集中させて、一気に叩き込む。
ドゴォォォン! という重い音が響いて、コンクリートの表面が粉々に砕け散った。
俺の拳からは一滴の血も出ていない。
「マジかよ……」
自分の手を見つめて、俺は少し引いた。
でも同時に、深い安心感に包まれたのを覚えている。
これなら、ヤクザが銃を撃ってきても、気合で弾き返せるかもしれない。
落ちてくる鉄骨の下敷きになっても、死なずに済むかもしれない。
そうやって力を隠し持ちながら、俺は十八歳になった。
高校を卒業して、さてどうするかと考えた時、普通の会社員になるという選択肢は最初からなかった。
満員電車に乗って会社に通うなんて、リスクが高すぎる。
いつ駅が爆破されるかわからないのだ。
かといって、影の世界にどっぷり浸かるのも嫌だ。
殺し合いなんて御免だ。俺は痛いのも怖いのも嫌いなんだ。
平和に、安全に、でもいざという時は自分の身を守れる範囲で稼ぎたい。
そうやって悩んだ末に出した答えが、この事務所だった。
「揉め事処理屋」
表の警察には頼めないけど、影の世界のヤバい奴らには関わりたくない。
そういう、境界線に落ちているような面倒くさい案件を拾って、こっそり処理する仕事。
ペットの捜索から、浮気調査、時には借金の取り立ての真似事みたいなことまで、お金になればなんでもやる。
もちろん、命に関わるようなヤバい依頼は全力で断るつもりだ。
事務所を開いて、今日で三日目。
古ビルの二階を安く借りて、リサイクルショップで買ってきたソファと机を並べただけの、殺風景な部屋。
壁には、適当に作ったチラシが貼ってある。
電話の回線も引いたが、今のところ一度も鳴っていない。
「まあ、鳴らない方が平和でいいんだけどさ……」
ソファの上で寝返りを打ちながら、俺は大きく伸びをした。
背骨がポキポキと鳴る。
お金は減っていく一方だが、焦りはない。
最悪、夜の工事現場で警備員のバイトでもすれば、食い繋ぐことはできる。
この頑丈な体があれば、力仕事なんて全然疲れないし。
時計の針が、午後三時半を指している。
そろそろお腹が空いてきた。
近所のコンビニで弁当でも買ってこようか。
いや、あのコンビニは昨日、強盗が入ってガラスが割れていたな。
別のスーパーに行くか。でもあそこは、たまに変なおっさんが包丁を持って暴れているし。
「外に出るのも命懸けだなぁ、本当に」
独り言を呟きながら、重い腰を上げてソファから立ち上がる。
窓ガラス越しに外を見ると、どんよりとした曇り空が広がっていた。
雨が降りそうだ。
傘を持っていくべきか悩む。
でも、傘を持っていると、いざという時に両手が塞がって動きが遅くなる。
この世界では、そのほんの少しの遅れが命取りになるかもしれない。
「やっぱり、手ぶらで行くか」
壁にかけてあった薄手のジャケットを羽織り、ポケットに財布とスマホを突っ込む。
靴の踵を潰さないように、慎重にスニーカーを履く。
準備は完璧だ。
部屋の空気を入れ替えようと思って、窓の鍵に手を伸ばす。
その時、下の通りから甲高いブレーキの音が聞こえた。
キキィィィィッ!
黒い車が、乱暴に路肩に停まる音。
続いて、車のドアが乱暴に開け閉めされる音。
「おい、待てやコラァ!」
野太い男の怒鳴り声が響く。
俺はため息をついて、窓のブラインドの隙間からそっと下を覗き込んだ。
黒いスーツを着たガラの悪い男たちが三人、誰かを追いかけているのが見える。
関わりたくない。
絶対に、関わりたくない。
俺はそっとブラインドから指を離し、息を殺した。
ドアの鍵がちゃんと閉まっているか、もう一度確認しようと思った。
その時だ。
ドンドンッ!
ドンドンドンッ!
事務所の薄っぺらい木のドアが、壊れるんじゃないかという勢いで叩かれた。
叩かれているというより、誰かが体ごとぶつかってきているような音だ。
「開けて! 誰か、開けてよっ!」