念能力者が行く多重クロス世界 作:匿名のななし
階段を駆け下りると、アパートの前に黄色いタクシーが停まっていた。
後部座席のドアが開いていて、中から二乃が手招きしている。
「遅いわよ。早く乗りなさい」
「はいはい、わかってるって。ちょっと準備に手間取っただけだよ」
俺はジャケットの襟を正しながら、逃げ込むようにタクシーのシートに体を滑り込ませた。
バタン、とドアが閉まる音が、まるで牢屋の鍵をかけられたような響きに聞こえる。
シートは使い込まれた布製で、独特の芳香剤の匂いが鼻を突いた。
「運転手さん、お待たせしました。米花町の『米花ツインタワー』までお願いします」
二乃が前を向いて行き先を告げると、初老の運転手はピクッと肩を震わせた。
バックミラー越しに目が合う。
その目には、明らかな戸惑いと、隠しきれない拒絶の色が浮かんでいた。
「……お客さん。米花町、ですか」
「ええ。急いでるの。高速道路に乗って飛ばしてちょうだい。一時間もあれば着くわよね?」
「いや、あの……誠に申し訳ないんですがね。私、あっちの方面はちょっと……その、管轄外と言いますか……」
運転手はしどろもどろになりながら、メーターのスイッチを入れようとしない。
ほら見ろ。俺の言った通りじゃないか。
プロのドライバーですら行きたがらないんだよ、あの町は。
「あのね、運転手さん。乗車拒否はルール違反じゃないかしら? ちゃんと目的地はお伝えしたわよ」
二乃が少しだけ声を低くして、凄みを利かせる。
こういう時の彼女のプレッシャーのかけ方は、裏社会の人間にも引けを取らない。
「い、いや、乗車拒否なんてそんな大層なもんじゃありませんがね……。ただ、あそこは最近、どうも物騒でして。先週も、大きなデパートで爆発があったばかりじゃないですか。その前は観覧車から火が吹いたとかで……。うちの会社の者も、なるべくあの町には近づかないようにって言ってましてね」
運転手の言い分は百パーセント正しい。
俺は心の中で彼に拍手喝采を送っていた。
そうだ、もっと言ってやれ。あそこは人間が近づいていい場所じゃないんだ。
このまま彼が折れずに「やっぱり無理です」と俺たちを降ろしてくれれば、俺は正々堂々と依頼を断る口実ができる。
「ほら、タクシーもこう言ってるし、やっぱり今日はやめとこ?」って二乃に言える。
だが、甘かった。
二乃はハンドバッグから先ほどの茶封筒を取り出すと、中から福沢さんを三枚抜き出し、運転席と助手席の間の隙間からスッと差し出した。
「お釣りはいらないわ。高速料金もここから払ってちょうだい」
「……」
運転手は無言でそのお札を見つめた。
ここから米花町まで高速を使って一時間ほどのロングドライブ。メーター料金と高速代を合算したところで、せいぜい一万五千円に届くかどうかといったところだ。
そこに無造作に提示された三万円。
およそ一万五千円分もの破格のチップである。
初老の運転手は、少し震える手でそのお札を受け取り、懐にしまった。
「……シートベルトを、お締めください」
ガチャリ、とメーターが回る音がした。
タクシーは滑るように発進し、俺の淡い期待はコンクリートの道路に叩きつけられて粉々に砕け散った。
「ちょっと二乃。なんであんなお金の力で解決みたいなことするのさ」
俺が小声で文句を言うと、二乃は鼻で笑った。
「お金で動くなら安いものよ。それに、あの運転手さんもお小遣いがもらえてハッピーじゃない。ウィンウィンの関係よ」
「ウィンウィンって……命の危険と一万五千円を天秤にかけてるんだぞ。俺の命も、そのチップ代と同じくらい軽く見られてる気がしてならないんだけど」
「あんたの命は百万円以上の価値があるから大丈夫よ。さあ、高速を降りるまでに資料の残り、ちゃんと目を通しておいてよね」
二乃はクリアファイルを俺の膝の上に押し付けてきた。
タクシーは料金所を抜け、高速道路の本線に合流してぐんぐんとスピードを上げた。
窓ガラスには、パラパラと小さな雨粒が当たり始めている。
どうやら天気予報は当たったらしい。
どんよりとした灰色の雲が、これから一時間かけて向かう呪われた土地を覆い隠すように広がっている。
俺はため息をつきながら、膝の上のクリアファイルを開いた。
依頼人の名前は『大黒 建造』。
年齢は六十代半ば。恰幅のいい、いかにも成金という感じの顔写真がクリップで留められている。
不動産やレジャー施設を手広く展開している『大黒グループ』の会長らしい。
まあ、お金は腐るほど持っていそうな顔だ。
「この大黒って人、何をして命を狙われてるわけ?」
俺が尋ねると、二乃はスマホの画面をスクロールしながら答えた。
「そこまでは詳しく書いてないわ。ただ、最近彼が手がけているリゾート開発の件で、地元の反対派とか、競合の会社とか、色々と揉めているらしいの。脅迫状が何通も届いていて、警察にも相談してるみたいだけど、あそこの警察は今、別の連続殺人事件で手一杯らしくてね」
「また連続殺人かよ……。本当にどうなってんだ、あの町は」
俺は頭を抱えたくなった。
警察が別の事件で手一杯。いかにもありそうな話だ。
米花町の警察署は、たぶん日本で一番過酷な職場だろう。
休みなんて一日もないはずだ。
朝出勤したら、どこかで人が刺されている。
昼ご飯を食べようとしたら、レストランで客が毒を飲んで倒れる。
夜になって帰ろうとしたら、怪盗から予告状が届いて警備に駆り出される。
おまけに、現場に行けばなぜかいつも小学生の子供がウロチョロしていて、推理を披露し始めるのだ。
俺が警察官だったら、三日で胃に穴が開いて辞表を叩きつけるね。
「それで、大黒さんはどうしても外せない用事があって、今日の午後二時に米花ツインタワーに行かなきゃいけない。その間の身辺警護をうちの事務所に依頼してきた、と」
俺は書類の文字を目で追いながら、内容を整理する。
「でもさ、おかしくない? こんな大企業の会長なら、プロの警備会社を雇えばいいじゃないか。SPみたいなガタイのいい連中を何十人も引き連れて歩けばいい。なんでわざわざ、うちみたいな個人の、しかも今日名前を知ったような弱小事務所に大金を払ってまで頼んでくるんだよ」
俺の疑問に、二乃は少しだけ声のトーンを落とした。
前を向いて運転している運転手に聞こえないようにするためだ。
「そこよ。私もちょっと変だと思ったの。だから、知り合いの情報屋に少し探りを入れてみたんだけど……」
「情報屋って、いつの間にそんな怪しいコネ作ったのさ」
「いいから聞きなさい。どうも、この大黒さん、表向きはクリーンな実業家を気取ってるけど、裏ではかなりグレーなことにも手を出してるみたい。土地の買収で地上げ屋まがいの連中を使ったり、裏社会の資金をマネーロンダリングしたり。要するに、あまり警察や真っ当な警備会社には知られたくない事情があるらしいわ」
「うわぁ、真っ黒じゃん」
俺は嫌悪感で顔をしかめた。
「そんな胡散臭いオッサンの護衛なんて、ますますやりたくないんだけど。狙ってくる連中だって、ただの反対運動の市民なんかじゃないだろ。プロの殺し屋とか、そういうヤバい連中が来るかもしれないってことじゃないか」
「だから、あんたの出番なのよ。表の警備会社じゃ対応できないような、裏の連中が来た時のための『切り札』として期待されてるの。それに、私たちみたいな名もなき処理屋なら、万が一のことがあっても切り捨てやすいからね」
二乃は冷静に分析している。
彼女の言う通りだろう。
高い報酬には、それなりの理由がある。
俺たちは、大黒のオッサンの盾であり、いざという時の使い捨ての駒として呼ばれたのだ。
気分が悪いことこの上ない。
「……ねえ二乃。やっぱり帰らない? 俺、急に胃が痛くなってきた」
俺がお腹を押さえて仮病を使おうとすると、二乃は冷たい目で俺を見下ろした。
「今日の晩ご飯は、最高のネタを揃えた回らないお寿司。明日の朝は、ふっくら焼いた鮭と、出汁巻き卵。夜は……そうね、あんたの好きなビーフシチューを、トロトロのお肉で作ってあげるわ」
「……行きます。全力でお守りします」
仕方ない。
食欲という人質を取られている以上、俺に逆らう権利はないのだ。
ビーフシチュー。あの濃厚なソースに浸したバゲットを想像するだけで、口の中に唾液が溢れてくる。
あのお肉のトロトロ具合を味わうためなら、ヤクザの弾丸の一発や二発、弾き返してやろうじゃないか。
タクシーは順調に高速を走り続け、やがてインターチェンジを降りると、窓の外の景色が少しずつ変わってきた。
高いビルが増え、歩いている人々の数も多くなる。
看板の文字が派手になり、どこか浮ついたような空気が漂い始める。
そして、大きな交差点の上に架かる歩道橋に、「ようこそ米花町へ」という横断幕が掲げられているのが見えた。
「ようこそ、じゃないよ……。引き返せ、の間違いだろ」
俺は窓ガラスにおでこをくっつけて、ぼやいた。
この横断幕の下を通った瞬間から、生存確率がぐんと下がるような気がする。
見えない結界でも張ってあるんじゃないかと思うくらい、この町に入ると空気が重くなる。
俺はジャケットの下に着込んだ防刃ベストの感触を確かめるように、胸のあたりをトントンと叩いた。
少しゴワゴワして動きにくいが、これがあるだけで精神的な安心感が全然違う。
「……あんた、まさかそれ着てきたの?」
俺の動作に気づいた二乃が、呆れたような声を出した。
「それって、あの通販で買った防刃ベスト? ちょっと、あんた自分の体の硬さ分かってるの? ナイフなんて素肌で折れるくせに、なんでそんなの着る必要があるのよ」
「だから、痛いのが嫌なんだってば」
俺はムキになって反論した。
「いいか、俺の能力は体を硬くするだけだ。衝撃を完全にゼロにするわけじゃない。ナイフで刺されれば『チクッ』とはするし、銃で撃たれれば『ドンッ』って重いパンチを食らったみたいな感覚はあるんだよ。それが嫌だから、少しでもクッションを挟みたいの。あと、服が破れるのも嫌だし」
「服が破れるって……命がかかってる時に服の心配するの?」
「するよ! お気に入りのシャツに穴が開いたら凹むだろ!」
二乃は深くため息をつき、「もう好きにしなさい」と首を振った。
彼女にはわからないのだ、この繊細な俺の心が。
どんなに体が頑丈でも、心までは鋼じゃない。
血を見るのも怖いし、大きな音が鳴るのもビクッとする。
できれば、安全な場所からポップコーンでも食べながら、アクション映画として眺めていたいのだ。
自分がその映画の登場人物になるなんて、まっぴらごめんだ。
俺は目を閉じて、呼吸を整えた。
お腹の底にある、熱いエネルギーの塊を意識する。
心臓の鼓動に合わせて、その熱を全身の血管へと流し込んでいく。
指先から足の先まで、見えない膜を張るようなイメージ。
今の俺の皮膚は、そこらのコンクリートよりずっと硬い。
鉄のハンマーでフルスイングされても、ビクともしない自信がある。
よし、これで俺自身の準備は万端だ。
「……二乃。これからマジの荒事のど真ん中に突っ込むことになるかもしれないんだぞ。お前も絶対に油断するなよ」
俺は真面目な声のトーンに切り替え、隣の二乃に告げた。
「基礎はしっかりできてるんだから、ヤバいと思ったら咄嗟に応用の『堅』で全身をガードできるように、常に気を練っておけ」
「うっ……」
俺の要求に、二乃は露骨に顔をしかめて言葉を詰まらせた。
「わ、わかってるわよ。でも……一瞬で全身に気を張り巡らせて維持するのって、すっごく神経使うし疲れるのよ。口で言うほど簡単じゃないんだからね……」
と、高度な念技術の要求にぶつぶつと文句をこぼしている。
「文句言ってる場合か。命を守るためだぞ」
「お客さん、見えてきましたよ。あれが米花ツインタワーです」
運転手の声に目を開けると、フロントガラスの向こうに、とんでもなく巨大な建造物がそびえ立っていた。
灰色の雲を突き刺すようにそびえる、二つのガラス張りのタワー。
右側のタワーが高く、左側のタワーが少し低い。
そして、その二つのタワーの中腹あたりを、一本の細長い連絡橋が繋いでいる。
俺はその外観を見た瞬間、頭を抱えて叫びそうになった。
なんだあの構造は。
バカなのか。設計したやつはバカなのか。
あんな風にタワーを二つ並べて、その間を細い橋で繋ぐなんて。
「さあ、ここに爆弾を仕掛けて、橋を真っ二つに折ってください!」と言っているようなものじゃないか。
アクション映画のクライマックスで、主人公が崩れ落ちる橋の上を必死に走って隣のビルに飛び移るシーンが、はっきりと脳裏に浮かんだ。
絶対にそうなる。
俺の嫌な予感センサーが、かつてないほどの警報を鳴らしている。
あの橋は、絶対に渡ってはいけない。渡ったら最後、ドカーンだ。
「……ねえ二乃。あの橋、絶対に爆破されるよね」
俺が指をさして言うと、二乃は呆れたように俺の指をペシッと叩いた。
「縁起でもないこと言わないの。ただのオシャレなデザインでしょ。あんた、映画の見過ぎよ」
「映画じゃない、ここは米花町だ! あんなあからさまな弱点を作って、無事で済むわけがない! きっと、どっちかのタワーの下で火災が起きて、上の階に取り残された人たちが、あの連絡橋を使って逃げようとした瞬間に爆破されるんだ。俺には見える、そういうシナリオがはっきりと見える!」
俺が興奮してまくしたてていると、タクシーはゆっくりとスピードを落とし、タワーの正面エントランスに向かう車寄せに入っていった。
周囲には、高級車が何台も停まっている。
黒塗りのセダンや、ピカピカに磨かれたスポーツカー。
どうやら、このタワーのオープンを記念して、どこかでお偉いさんたちのパーティーでも開かれているらしい。
スーツを着た男たちや、ドレスアップした女性たちが、次々とタワーの中に吸い込まれていく。
「はい、到着しました。お忘れ物のないように」
タクシーが停車し、運転手がホッとしたような声で言った。
よっぽど早く帰りたかったのだろう。
メーターの料金以上のチップをもらっているのだから、これで無事に自分の管轄に帰れれば、彼にとってはいい一日になるはずだ。
「ありがとう、運転手さん。安全運転で帰ってね」
二乃が笑顔で言うと、運転手は愛想笑いを浮かべて頷いた。
俺はドアを開けて、重い足取りで外に出た。
雨はまだ小降りだが、空気が妙に湿っぽくて、肌にまとわりつくようだ。
見上げると、ツインタワーのガラス窓が、鈍い銀色に光っている。
まるで、巨大な墓石のように見えた。
「行くわよ、八雲。シャキッとしなさい」
先に降りた二乃が、気合を入れるように俺の背中をバシッと叩いた。
「痛っ……わかってるって。だけど、一つだけ約束してくれ」
俺は振り返り、二乃の目を真っ直ぐに見据えた。
「もし本当にヤバい事態になったら、依頼人の護衛なんかどうでもいい。俺は迷わずお前を抱えて全力で逃げる。だから、絶対に俺のそばから離れるなよ。お前に何かあったら困るんだから」
「えっ……」
真剣な俺の言葉に、二乃は一瞬パチクリと目を瞬かせた。そして、みるみるうちに耳の先まで赤く染め上げ、ふいっと顔をそらした。
「……な、なによ急に。バカじゃないの。あんたのその情けない逃げ足の速さだけは、これ以上ないくらい信用してるわよ」
憎まれ口を叩きながらも、その横顔には隠しきれない照れと、どこかホッとしたような柔らかな安堵が浮かんでいた。
俺たちは並んで歩き出し、タワーの巨大な自動ドアに向かった。
エントランスは、無駄に天井が高く、床は大理石でピカピカに磨かれている。
中央には、どこから持ってきたのかわからないような巨大な彫刻が飾られていて、水の流れる心地よい音が響いていた。
受付のカウンターには、モデルのように綺麗な女性たちが数人並んで、作り物の笑顔でお客を迎えている。
いかにもお金がかかっています、という空間だ。
「……この大理石の床、爆発したら破片が飛んできて危ないよね」
俺は床をコツコツと靴の裏で叩きながら、小さく呟いた。
「だから、爆発する前提で話を進めないの。私たちはただ、依頼人に会って、数時間横に立ってるだけ。それでお寿司よ。いいわね?」
二乃が釘を刺してくるが、俺の不安は少しも拭えない。
周りを歩いている人たちが、みんなエキストラに見えてくる。
これから起こる大事件の、悲鳴を上げるための舞台装置。
俺たちは、そんな舞台のど真ん中に、自ら足を踏み入れてしまったのだ。
「えっと、依頼人との待ち合わせは最上階のVIPラウンジだったわね。エレベーターであがるわよ」
二乃が案内板を見ながら、奥のホールへと歩き出す。
俺はその背中を追いかけながら、周囲の様子を油断なく観察していた。
怪しい荷物を持っている奴はいないか。
コートの膨らみが不自然な奴はいないか。
清掃員に変装した暗殺者が潜んでいないか。
エレベーターホールには、銀色に光る扉がいくつも並んでいた。
一番奥にある、専用のキーカードがないと乗れないらしい特別仕様のエレベーター。
二乃が受付で受け取ってきたらしいカードをかざすと、静かな音を立てて扉が開いた。
中は、無駄に広い。
ふかふかの絨毯が敷かれていて、壁には風景画が飾ってある。
エレベーターの中に絵を飾る意味がわからない。どうせ数秒しか乗らないのに。
俺たちが中に入ると、扉がゆっくりと閉まり始めた。
その時だった。
「あ、すみません! 乗ります!」
閉まりかけた扉の隙間から、小さな声が聞こえた。
同時に、パタパタという軽い足音が近づいてくる。
俺がボタンを押して扉を開け直すと、そこに立っていたのは、一人の少年だった。
年齢は小学校の低学年くらいだろうか。
青いジャケットに、半ズボン。
首元には赤い蝶ネクタイをつけていて、顔の半分くらいを覆うような、不自然なほど大きな丸眼鏡をかけている。
手には、おもちゃみたいなサッカーボールを抱えていた。
「ありがとう、お兄さん!」
少年は無邪気な笑顔を浮かべて、エレベーターの中に乗り込んできた。
俺は、その少年の顔を見た瞬間。
心臓が嫌な音を立てて跳ね上がり、全身の毛穴からブワッと冷や汗が吹き出すのを感じた。
見間違えるはずがない。
あの蝶ネクタイ。あの丸眼鏡。
そして、この町。
終わった。
俺の頭の中で、完全に何かが終わる音がした。
この空間に、この子供がいる。
それはつまり、これからここで、確実に、百パーセントの確率で。
殺人事件か、爆破テロか、あるいはその両方が起きるという、何よりの証明だった。
「お兄さんたちも、最上階に行くの?」
少年が、首を傾げながら無邪気な声で俺を見上げてくる。
大きな眼鏡の奥の瞳が、俺の顔をじっと観察しているのがわかった。
俺は引きつった笑顔を顔に貼り付け、震える手でエレベーターのボタンに指を伸ばした。