ツーバス抱えて幻想入り   作:sakusan07

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一曲分の安全審査

「見えてから止めたのでは、遅いでしょう?」

 

 美鈴が動かしたのは右足だけだった。

 

 石畳の継ぎ目をまたぎ、左足を半歩引く。

 

 両腕は下ろしたまま。

 

 それでも、門まで続いていた道がそこで途切れたように見えた。

 

「今のも確認か」

 

「はい。あなたは私の足から見ました」

 

 俺は美鈴の肩と腰へ視線を移した。

 

 動くなら、どこから動く。

 

 癖でそれを探していた。

 

「戦うつもりはない」

 

「戦わない人も、危険なら身構えます」

 

 美鈴は俺の右側を指す。

 

「取っ手から手を離して、こちらへ二歩。荷物はそのままで」

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 右腕は歩幅に合わせて振れている。

 

 右肩も、腕の重さに合わせて下がる。

 

 だが、足を止める直前、身体の中心は左へ残った。

 

「今度は左足から」

 

 左足を出す。

 

 身体がわずかに左へ寄り、遅れて右足がその下へ入った。

 

 腕の動きは変わらない。

 

 それでも身体は、最初から右腕を数に入れていない。

 

 腕が戻る前なら、台車の重さも、狭い場所を通る幅も、左側だけで決めていた。

 

 今は右側にも身体がある。

 

 それでも、十年続けた計算が先に答えを出す。

 

「十年か」

 

「何がです?」

 

「片腕で歩いていた時間だ」

 

 右手を見る。

 

「腕が戻っても、重心まではやり直してくれないらしい」

 

「私に分かるのは、そこまでです」

 

「腕の正体は?」

 

「分かりません。生きた腕に見え、あなたも使えている。それ以上を分かったことにはしません」

 

「武術家なら、気で全部分かると思っていた」

 

「便利そうですね。私もそうなりたいです」

 

「なれないのか」

 

「分からないものは、分かりません」

 

 分からないから通す。

 

 分からないから帰す。

 

 どちらにも逃げず、分かるところまで見ようとしている。

 

「では、次は何を見る」

 

「その能力です」

 

「ここで出せと?」

 

「まだ、そうは言っていません」

 

「出さなければ見せられない」

 

「だから困っています」

 

 美鈴が台車を見る。

 

 運んできた機材だけなら、変わった旅人の荷物で済む。

 

 問題は、叩いたあとだ。

 

「口で説明した力を、口で安全だと言っても足りない」

 

「はい」

 

「身分証もない」

 

「はい」

 

「一曲やる」

 

「ここで?」

 

「身分証代わりだ」

 

「名前も生年月日も書いてありませんよ」

 

「身分証としては不合格だな」

 

「自分で言いますか」

 

「だが、門を通していいかは見せられる」

 

 美鈴はすぐに答えない。

 

 門の両側と、湖へ戻る石畳を見る。

 

 一曲を許せば、どこへ何が届くかを測っている。

 

「勝負ではありませんね」

 

「お前を倒しても、腕の安全は分からない」

 

「倒されても、通す理由にはなりません」

 

「互いに必要ない」

 

「では、安全審査にします」

 

 美鈴は指を三本立てた。

 

「始める合図を聞けること。止める合図で止まれること。人や門へ音を向けないこと」

 

「お前はどうする」

 

「攻撃ではなく、型で応じます」

 

「拳が当たりそうになったら」

 

「止めます」

 

「俺が止まれなければ」

 

「止めます」

 

 同じ言葉だった。

 

 一度目より、意味が具体的になっていた。

 

「音量は?」

 

「門も、壁も、館の中も揺らさない範囲で」

 

「かなり狭いな」

 

「門前ですから」

 

「途中で広がったら」

 

「止めます」

 

「本当に止めるのが好きだな」

 

「仕事です」

 

「合格点は」

 

「先に教えたら、そこだけ演じるでしょう?」

 

「門番らしいな」

 

「先ほども聞きました」

 

     ◇

 

 演奏場所は、門から離れ、湖側へ開いた石畳に決める。

 

 ドラムの正面へ紅い門を置かない。

 

 左右の壁からも距離を取る。

 

 能力が何を作っても、まず俺の側へ倒れる向きにする。

 

 バスドラムを二台。

 

 スネア、タム、ハイハット。

 

 必要なものだけを組む。

 

 スタンドを揺らし、ペダルを打面の手前で止める。

 

「設置も審査に入るのか」

 

「もう始まっていると言ったら?」

 

「合格点を先に教えないんだったな」

 

「覚えていますね」

 

「四回前の会話だ」

 

「回数で覚えているんですか」

 

「職業病だ」

 

 台車を置き直す。

 

 右の車輪。

 

 ゴトン。

 

 左の車輪。

 

 コトン。

 

 美鈴が言い当てた順番だ。

 

 四回目の前に呼吸を浅くする。

 

「変えましたね」

 

「聞かれていると分かったからな」

 

「隠さなくても構いません」

 

「隠していない。選んだ」

 

「では、それも見ておきます」

 

 何を選んでも審査材料になるらしい。

 

 やりにくい相手だった。

 

 スローンへ座る。

 

 右手首を回す。

 

 熱が指先から肘へ上がり、赤黒い粒子が右腕の輪郭へ一度だけ浮かんだ。

 

 能力へ、一曲分の場所を求める。

 

 石畳の継ぎ目から赤黒い光がにじむ。

 

 低い鉄骨がドラムの後ろへ組み上がる。

 

 門柱より低く。

 

 アンプは中央へ向ける。

 

 現れたのは、始まるための形だけだった。

 

 照明はまだ点かない。

 

 見えない弦も鳴らない。

 

 右のペダルを踏み、ビーターを打面の直前で止める。

 

 止められる。

 

 次に左足。

 

 こちらも止まる。

 

 力を出す前の状態で、まず身体へ確認した。

 

「今なら、まだ止められますか」

 

「止められる」

 

「では、始めてください」

 

 美鈴が演奏場所の外周へ立つ。

 

 風が門の上を抜ける。

 

 館の内側で、小さな扉が一度だけ開閉した。

 

 台車に残った氷から雫が落ちる。

 

 カン。

 

 まだ、俺の音ではない。

 

 俺へ一歩近づく。

 

 足裏が着き、重心が沈む。

 

 その瞬間、姿の見えない女の声が歌った。

 

 “No words spoken, only sound.”

 

「ここまで、かなり話したが」

 

「ここからは、ということで」

 

 美鈴が笑う。

 

 俺は右足のペダルを踏んだ。

 

 ドン。

 

 一打だけ。

 

 その一打を芯にして、低い伴奏が動き出す。

 

 真っ直ぐ四つには割れない。細かな六つの拍を、三つずつ束ねて大きく二つで受ける。八分の六拍子。

 

 揺れる輪の中へ、硬いメタルのリフが噛み込んでいた。丸い流れと直線的な音が、互いを潰さずに前へ進む。

 

 美鈴の足運びに似ている。

 

 低い音は門にも美鈴にも向かわない。

 

 二人の間の石畳へ落ち、演奏場所として定めた範囲の内側だけを走った。

 

 美鈴は次の一歩を急がない。

 

 俺もペダルから力を抜く。

 

 音が消える前に、美鈴が息を吸った。

 

 俺も、同じ長さで息を吸った。

 

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