「まだ曲は終わっていない」
「だから、今決めます」
美鈴は館の内側を見ない。
小さな扉から誰かが出るのも待たない。
最後の型を収めたときには、自分の中で答えを出していた。
短いフィルが、六つの輪をもう一度ほどく。
八つの拍が一直線に並ぶ。今度は二人の間で止まらず、閉じた門の前まで続いていた。
歌は高い音域へ戻っている。
曲の重さは増えていない。
低く広がるオルガンへ、明るい声と開いた金属音が重なり、門柱の間に見えていた空を奥へ押し広げる。
「終わってからでは遅いのか」
「勝った方を決めるような答えにしたくありません」
美鈴の左手が、門の留め金へかかる。
「あなたは、私が止まれば待ちました。動けば、動き終わるまで見ました。門が閉じていても、空いた一拍があっても、勝手に先へ進まなかった」
「それで通す?」
「門内の待機場所までです。その先は館の者へ取り次ぎます」
「中でも止められたら止まると思うのか」
「分かりません」
迷いのない返事だった。
「分からない相手を、何も見ずに通すつもりはありません。でも、今のあなたなら、止められた理由と次の合図を待てる。待機場所までなら任せられると判断しました」
「十分だ」
金具が外れる。
カン。
曲の音ではない。
美鈴が自分の手で動かした、普通の留め金の音だった。
「門番として、通してよいと判断します」
美鈴は門の片側へ両手を添える。
腰を落とす。
押す。
長く使われた蝶番が低く鳴った。
ギィィ……。
紅い扉が、ゆっくり内側へ動く。
音圧で押されたのではない。
門が意思を持ったのでもない。
止めることを仕事にしてきた者が、通すと決めて開いている。
美鈴の靴底が石へ沈む。
腕だけではなく、腰と両足で扉の重さを受けている。
武術の型より遅く、飾りもない動きだった。
それでも、今日見たどの一歩より、はっきりと先へ道を作っていた。
開いた幅へ、中庭が現れる。
赤い壁。
白い窓。
朝の光を受けた石の道。
風に揺れる洗濯物。
俺が止められていた間も、壁の向こうで続いていた日常だった。
門が開いたから生まれた景色ではない。
見えなかっただけで、最初からここにあった。
姿のない声が高く開く。
“Beyond the scarlet gate!”
俺はツーバスを短く踏み、スネアを返す。
ドドッ。
タン。
開いた門へ音を叩き込まない。
中庭へ低音を走らせない。
演奏場所の内側へ戻し、一曲を最後まで運ぶ。
美鈴も門の脇に立ち、急かさず待っている。
今ならスローンを立ち、身体だけ門内へ入ることもできる。
それは許可された範囲ではある。
だが、開いたことと、曲が終わったことは同じではない。
俺も美鈴も、最後の音までその場を動かなかった。
◇
最後の歌が収まる。
ギターが一音だけ残る。
右手でクラッシュを打ち、左右のペダルを一度ずつ踏む。
ジャァン――。
ドン、ドン。
赤い照明が弱くなる。
鉄骨とアンプが赤黒い光へほどけ、石畳には自分で運んだドラムだけが残った。
右腕の熱は脈の速さまで下がっている。
粒子も、指の動きの乱れもない。
美鈴が右手を差し出す。
スティックを左手へまとめ、今度は間を置かず右手で握った。
「次に来たときも、止めるのか」
「もちろん。門番ですから」
「また一曲?」
「必要なら」
「必要でなければ」
美鈴が笑う。
「そのときは、審査ではなく聞かせてください」
「分かった」
手を離す。
「ここからは、旅人としてどうぞ」
「門番は?」
「守る場所へ戻ります」
美鈴は台車の後ろへ回りかけ、一本だけ緩んだ紐を指した。
「そのままでは、敷居でスタンドが落ちます」
「審査は終わったんじゃないのか」
「門を通る荷物の確認は終わっていません」
「仕事が細かいな」
「落としたら拾うのは、たぶん私です」
紐を締め直す。
引くと、束ねた金属が一度だけ鳴った。
機材を台車へ戻す。
二台のバスドラムを最後に固定し、車輪を門の敷居へ乗せる。
脇の小さな扉が開いた。
白い前掛けの妖精メイドが、板と紙の束を抱えて出てくる。
俺を見る。
二台のバスドラムを見る。
「やっぱり三名に見えます」
「一名、機材一式です」
美鈴が紙を指した。
「予定外の来訪者一名。門内で待機。図書館へ面会希望。私の判断で通しました」
「ご用件は?」
「外の世界から来た人間の身体と、演奏で現れる力についての相談です。パチュリー様へ取り次いでください」
「分かりました」
妖精メイドは紙へ書き込み、館の内側へ飛んでいった。
俺は台車を押す。
右の車輪。
ゴトン。
左の車輪。
コトン。
金具。
カン。
紅い門の線を越える。
美鈴は最初に俺を止めた線を、もう指ささない。
開いた幅の中央を通るよう、掌で短く示すだけだった。
振り返る。
美鈴はついてこない。
門の外へ戻り、湖から続く道へ身体を向けている。
両腕を自然に下ろした、最初と同じ立ち方だった。
だが、もう障害には見えない。
次に来る何かを見落とさないため、守る場所へ残る者だった。
俺が門内へ進むほど、車輪と金具の三つの音は美鈴から遠ざかる。
聞こえなくなっても、あの門番なら最後まで数えている気がした。
◇
門内の待機場所で、台車を止める。
赤い壁に沿った石床。
屋根の影。
館の扉へ続く道には入らない。
待つよう言われた場所で待つ。
扉は目の前にある。
門前で空いた一拍へ勝手に進まなかったのなら、ここで空いた時間だけを抜け道にする理由もない。
中庭では、洗った布を干す音がする。
窓の向こうで、食器が重なる。
門前の休符で聞いていた日常が、今は壁の内側から聞こえていた。
外で聞いたときは、閉じた門の向こうを想像するための音だった。
今は、自分がその日常へ入る前に待つための音になっている。
しばらくして、妖精メイドが戻る。
「取り次ぎました。パチュリー様がお会いになります」
「ここからは?」
「この扉の先を、まっすぐです」
妖精メイドが、待機場所の奥にある扉を開く。
暗い廊下が、館の内側へ続いていた。
姿はまだ見えない。
声も聞こえない。
扉の向こうから流れてきたのは、古い紙と、蝋燭の匂いだった。
第三話「紅い門を越えて――Beyond the Scarlet Gate――」は、東方Project『明治十七年の上海アリス』を原曲とするアレンジ楽曲「Beyond the Scarlet Gate」と連動しています。
楽曲およびMVは、YouTube・ニコニコ動画で公開しています。
【投稿者名】
YouTube:sakusan07 @sakusan07
ニコニコ動画:さくさん ID:234862
【プレイリスト】
YouTube:ドコドコアレンジしよう!
ニコニコ動画:<幻想入りシリーズ>ツーバス抱えて幻想入り