ツーバス抱えて幻想入り   作:sakusan07

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七つの物差しと、静粛の札

 小悪魔が運んできたのは、七枚の薄い板だった。

 

 それぞれに違う印が刻まれている。

 

 炎。

 

 波。

 

 枝。

 

 刃。

 

 山。

 

 円い日輪。

 

 欠けた月。

 

 名前を並べられる前から、全部を覚える気はなかった。

 

「火、水、木、金、土、日、月。七つの属性よ」

 

「今から試験か」

 

「覚える必要はないわ。七つの物差しだと思えばいい。どの音が、どこへ強く作用するかを見る」

 

「一つの音に、一つの印?」

 

「最初の仮説では」

 

 答えに、まだ余白を残している。

 

 小悪魔は七枚の板を床へ置き始めた。

 

 火と水は離す。

 

 日と月は向かい合わせる。

 

 土は二台のバスドラムの前。

 

 金の印はスネアの近く。

 

 そこまで置いたところで、壁に掛かった札の前で止まった。

 

 札には、大きな字で「書庫内では静粛に」とある。

 

 小悪魔は札を見る。

 

 台車を見る。

 

 二台のバスドラムを見る。

 

「あの、こちらの規則は」

 

「今日だけは例外よ」

 

「札に追記しておきますか」

 

「恒例行事にするつもりはないわ」

 

 小悪魔は筆を戻し、代わりに札を裏返した。

 

 裏には「整理中につき通行注意」と書かれていた。

 

「そっちはいいのか」

 

「今日は、だいたい合っています」

 

 書架の間にできた空間へ機材を下ろす。

 

 二台のバスドラム。

 

 スネア。

 

 タム。

 

 シンバル。

 

 スタンドを開くたび、金属の小さな音が本へ吸われる。

 

 小悪魔は安全円を広げ、書架との間に透明な膜を張った。

 

「本へ触れるほど広がったら止めます」

 

「音で頁が動くのは?」

 

「観測対象です」

 

「本が飛んだら?」

 

「回収対象です」

 

「担当は」

 

「私です」

 

 少しだけ返事が遅れた。

 

 スローンへ座る。

 

 右足を一つ目のペダルへ。

 

 左足を二つ目へ。

 

 左手にスティック。

 

 右手にも一本。

 

 パチュリーは安全円の外へ椅子を置き、膝の上に記録書を開いた。

 

「最初は遅く。一定の音量で」

 

「曲に注文をつけられるかは分からない」

 

「あなたには?」

 

「俺ならできる」

 

「なら十分」

 

 パチュリーは七枚の板を見渡した。

 

「最初の数小節は、私も魔法を加えない。現れたものだけを記録する」

 

「途中からは?」

 

「必要なら条件を変える」

 

「曲を止めずに?」

 

「止めれば、演奏中の能力を測る意味がないでしょう」

 

 実験のために曲を細切れにするつもりはないらしい。

 

 俺が最後まで叩くことと、彼女が途中の変化を追うことは両立する。

 

 小悪魔が透明な膜の外から片手を上げた。

 

「退避経路、確保できています。飛来物は、今のところありません」

 

「始まる前だからな」

 

「このまま終わる可能性も記録しておきます」

 

「たぶん消すことになるぞ」

 

 右手を上げる。

 

 まだ何もない空間へ、最初の一打を落とす。

 

 ドン。

 

 床へ低い振動が沈む。

 

 土の印が、薄く灯った。

 

 もう一打。

 

 ドン。

 

 赤黒い粒子がペダルの下からにじむ。

 

 すぐには形にならない。

 

 低い一打が二つ、三つと続くたび、粒子が床の上へ細い線を増やす。

 

 一本は書架の手前で止まる。

 

 一本は二台のバスドラムを囲む。

 

 もう一本が頭上へ上がり、低い梁の輪郭を作る。

 

 急に舞台が現れるのではない。

 

 暗い書庫の中で、眠っていた場所だけが少しずつ起きる。

 

 鉄骨が書架へぶつからない高さで組み上がる。

 

 アンプ。

 

 低い照明。

 

 姿のないベースとギターの音。

 

 図書館の暗さを追い払わず、その奥から形だけを起こしていく。

 

 低いギターはまだ旋律にならない。

 

 一音を長く残し、その下へベースが重なる。

 

 キックのたびに床の重さが返り、タムを一つ入れると蝋燭の影が隣の棚へ移る。

 

 パチュリーは音の名前より先に、起きた順番を書いていた。

 

 パチュリーの筆が動く。

 

「低域。土。安定」

 

 ハイハットを閉じて刻む。

 

 チッ、チッ、チッ、チッ。

 

 金の印が細く光る。

 

 低いギターが加わると、蝋燭の炎が同じ方向へ傾いた。

 

 火の印が赤くなる。

 

 最初は、彼女の物差しどおりだった。

 

 歌声が入る。

 

 空気の中の埃が、ハイハットの細かな刻みへ揺れる。

 

 スネアを一度打つ。

 

 タン。

 

 金の印が鋭く瞬く。

 

 次の一打では、同じ打面を同じ強さで叩いた。

 

 タン。

 

 今度は金の光の外側へ、月の青白い輪が残った。

 

 パチュリーの筆が止まる。

 

「今のは何属性ですか」

 

 小悪魔が記録紙を見た。

 

「金よ」

 

「月も光っています」

 

「残響を拾った可能性がある」

 

 パチュリーはそう書き足す。

 

 俺は何も言わず、次の小節へ進む。

 

 タムを低い方から回す。

 

 土の印が揺れ、水の印へ光が流れ、最後のクラッシュで火が開いた。

 

 古い頁が一枚だけめくれる。

 

 続いて隣の本。

 

 さらに奥の棚。

 

 誰かが順番に指を置いたように、頁が一冊ずつ起きていく。

 

 七つの印が拍を探し始める。

 

 火。

 

 水。

 

 木。

 

 金。

 

 土。

 

 日。

 

 月。

 

 名前は覚えなくても、色の違いなら見える。

 

 上昇するギターへ合わせ、一拍ごとに別の印が灯る。

 

 七拍目まで進み、次の小節の頭で全部が消える。

 

 パチュリーが小さく頷いた。

 

「同期した」

 

 その言葉の直後、曲が最初の大きな山へ入った。

 

 両足で低域を押し上げる。

 

 ドドン、ドドン。

 

 二台のバスドラムが床を別々に打ち、ベースがその間を埋める。

 

 七つの印が一度に灯った。

 

 完全にはそろわない。

 

 火が先に伸び、水があとを追う。

 

 金の輪郭へ月の余韻が重なり、土の重さから木の持続音が枝分かれする。

 

 天井近くへ、一瞬だけ魔法文字の線が走った。

 

 未来を書き込む装置ではない。

 

 今鳴っている音を追いきれず、空中へはみ出した記録だった。

 

 クラッシュを打つ。

 

 ジャァン。

 

 火と日が同時に開く。

 

 スネアを返す。

 

 タン。

 

 金と月がまた重なる。

 

 パチュリーの筆が速くなる。

 

「同時干渉。隣接反応。残響の混入」

 

「つまり?」

 

 小悪魔が光から目を離さず答える。

 

「一回叩いたのに、二か所以上が光っています」

 

「それなら分かる」

 

「厳密には違うわ」

 

「でも、だいたいは合っていますよね?」

 

「だいたいで魔法理論を記録しないで」

 

 曲は最初の山を越え、低域を残したまま次の小節へ下りる。

 

 パチュリーは七枚の板を見渡した。

 

「同じ音を、もう一度」

 

「同じ場所には戻れない」

 

「音量も打面もそろえられるでしょう」

 

「その前に鳴った音が違う」

 

「条件が変わる、ということ?」

 

「音は一発ずつ置いてるんじゃない。前の音を受けて、次へ渡してる」

 

 彼女は反論しなかった。

 

 記録書の一行を消し、別の言葉へ書き換える。

 

「なら、関係も測る」

 

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