パチュリーは七枚の板の位置を変えなかった。
代わりに、板同士を結んでいた細い線を消した。
「順番を決める線はいらない」
火から水へ。
水から木へ。
あらかじめ引かれていた流れがなくなる。
「物差しまで捨てるのか」
「捨てないわ。順番だけが仮説だった」
「ならいい」
「理論を壊しに来たのではないの?」
「壊したいなら、最初から調べてもらいに来てない」
パチュリーの指が、消した線の端で止まる。
「そう。なら、残せるものは残す」
「次は?」
「一音ではなく、一小節を見る」
「広がったな」
「あなたが条件を増やしたのよ」
「曲が増やした」
「同じことではないの?」
「今から確かめるんだろ」
パチュリーの口元が、笑う手前で止まった。
それも記録せず、椅子から立つ。
「小悪魔。記録をお願い」
「はい」
「安全円の維持も」
「はい」
頭上を横切った本が、透明な膜へ当たって向きを変えた。
「飛んでいる本の回収も」
小悪魔は右手に記録板、左手に三本のペンを持ち、尻尾で長い柄の網をつかんだ。
「助手が演奏へ参加しない理由が、よく分かりました」
「お願いね」
「はい。すべて私ですね」
パチュリーは安全円の内側へ入った。
楽器は持っていない。
両手を胸の前で開く。
七つの印から細い光が立ち上がり、空中で横へ並んだ。
鍵盤の形になる。
指を下ろす。
低く、太い持続音が図書館の空気へ入った。
古いオルガンに似ている。
だが風で鳴っているのではない。
火の熱。
水の流れ。
木の伸び。
金の輪郭。
土の重さ。
日の明るさ。
月の陰り。
七つの性質を、和音の中へ別々に残した声だった。
俺はハイハットを細かく刻み、持続音の下へキックを置く。
最初の和音は、小節の頭から動かなかった。
俺がスネアをわずかに後ろへ置く。
パチュリーの指は同じ位置にある。
だが、月の印だけが遅れたスネアへ引かれた。
次の小節で、彼女は和音の終わりを少し伸ばした。
俺はその余りへタムを二つ入れる。
木の光が枝分かれし、土へ落ちるはずだった低音が水へ流れた。
同じ短い型を、もう一度使う。
スネア、キック、低いタム。
一度目は小節の頭へ置く。
金、土、月の順に灯った。
二度目は歌声の語尾へ重ねる。
金の光が弱まり、火と木が先に伸びる。
三度目は、パチュリーの和音が切れる直前へ押し込む。
七枚の板すべてが、ごく薄く反応した。
打面も強さも変えていない。
変わったのは、置いた場所と、前後にいた音だけだった。
「三回とも同じ型だ」
「ええ。だから差を無視できない」
彼女は空中の鍵盤へ新しい線を一本足した。
単音を属性へ結ぶ線ではない。
前の和音から次の一打へ、流れそのものを囲う線だった。
「今、変えたな」
「あなたも」
「聞こえたなら十分だ」
歌声が二度目のVerseへ入る。
空中に古い円がいくつも開き、ルーンが一行ずつ光る。
パチュリーは説明しない。
一行目を和音にする。
俺が拍で返す。
二行目は前より短い。
キックを一つ抜き、空いた場所へベースが入る。
三行目は左右へ分かれた。
タムを中央から両側へ散らす。
知識が紙から離れても、知識であることをやめていない。
魔法の式は音の中に残り、音は式どおりに終わらない。
小悪魔の三本のペンが、別々の紙を走る。
一冊の本が頭上を越えた。
尻尾の網がそれを捕まえる。
もう一冊が反対側へ飛ぶ。
「回収対象が増えています」
「観測対象も増えているわ」
「記録する手は増えていません」
「あとで手伝う」
「演奏が終わったら、お願いします」
声は困っていても、ペンは止まっていなかった。
二度目の上昇へ入る。
最初は俺の拍へ七つの印を合わせた。
今度は、パチュリー自身が線の外から半歩入る。
オルガンの声がギターの隙間へ滑り込み、同じ旋律をなぞらず別の道を進む。
俺は二つの道の間へスネアを置く。
七つの印が点く。
順番はない。
火の中に金が立ち、水の流れを木が支え、月の陰りから日が開く。
同じスネアが、今度は火の印を短く揺らした。
「残響じゃない」
パチュリーが演奏の中で言った。
「前後の音によって、働きが転じている」
「分類不能ですか?」
小悪魔の問いに、彼女はすぐ答えなかった。
二度目のChorusが開く。
低域が床を持ち上げるのではなく、床の奥まで沈んで支える。
パチュリーの和音がその上へ立つ。
俺のドラムだけを測っていた七つの光が、彼女の指にも反応する。
研究者と検体を分けていた線が、消えたのではない。
二人とも観測の内側へ入った。
「分類はできる」
パチュリーの声が、太い和音の間から届く。
「ただし、一音を一つへ固定する分類では足りない」
「長くなりましたね」
「一回叩くたびに答えが変わる、でいい」
「それは短すぎるわ」
「だいたいは合っていますよね?」
小悪魔が先ほどと同じ言葉を返す。
パチュリーは今度は否定しなかった。
ただし、感覚だけへ任せたわけでもない。
次の和音では、直前に月が強く出た音程を避け、木の持続が残りやすい間隔を選んだ。
俺がそこへ同じ型を返すと、木の光から火が枝分かれする。
彼女は結果を見て、さらに一音を低くする。
記録してきた差を、今度は音を選ぶために使っている。
理論が即興を縛るのではない。
即興の中で、次に試す場所を示している。
俺も細かなキックを一つ増やし、その仮説へ返事をする。
曲がChorusを越え、音場が左右へ開き始める。
彼女は最後の和音を残したまま、安全円の外へ手を伸ばした。
記録書を閉じる。
「記録を止めるわ」
「失敗ですか?」
「逆よ。書いている間にも条件が変わり続けている」
「次はどうする」
「直接聴く」