ツーバス抱えて幻想入り   作:sakusan07

23 / 25
仕事の紙を閉じる

 Verse 2。

 

 ベースの重心が下がり、キックの細かな粒が増える。赤い月を模した光が、ナイフの輪郭を床へ映した。

 

 咲夜が一本を取り、拍の中央へ投げる。

 

 キン。

 

 俺は少し後ろへ置く。

 

 タン。

 

 次の拍、短い停止を挟んで刃が指へ戻る。

 

 今度は俺が中央へ先に置いた。

 

 タン。

 

 同じ位置へ銀色が来る。

 

 キン。

 

 回収。

 

 次の小節では、スネアを中央よりわずかに前へ出す。

 

 タン。

 

 返ってきたナイフは、その反対側へ遅れた。

 

 キン。

 

 また指へ戻る。

 

 今度は銀色が飛ばない。

 

 咲夜の姿だけが、白い円の右端から左端へ移っていた。

 

 途中の足音はない。

 

 移動を終えた場所から、革靴の踵が一つだけ鳴る。

 

 コツ。

 

 戻った時間の中へ、結果だけが置かれた。

 

 俺はその位置へタムを三つ回す。

 

 トン。

 

 トン。

 

 ドン。

 

 咲夜は次の停止を使わず、自分の足で右端まで戻った。

 

 今度は三歩とも聞こえる。

 

 コツ。

 

 コツ。

 

 コツ。

 

 同じ距離でも、残る音は違う。

 

「今のは誤差か」

 

「いいえ」

 

「同じ遅れを使えるんだな」

 

「必要な場所では」

 

 書庫で俺が返した言葉だ。

 

「人の返事を使うな」

 

「意味が正確でしたので」

 

「まだ仕事か」

 

「まだ観測中です」

 

 返事は固い。

 

 だが視線は、基準時計より先に俺の右足へ来るようになっていた。

 

 最初は、時計と俺を交互に見ていた。

 

 今はキックの直前に上がる踵、スネアへ入る肩、息を吸う位置まで追っている。

 

 数字にするためなのか、次を聞くためなのかはまだ分からない。

 

 ツーバスを四つ連ねる。

 

 ドドドド。

 

 咲夜は投げない。

 

 空いた上側をギターが通る。

 

 次の小節ではキックを抜き、スネアだけを中央へ置く。

 

 タン。

 

 踵も来ない。

 

 Hammondの長い音が、二人の空白を埋めた。

 

 何も置かなかった一小節にも、曲は残る。

 

 ベースとギターは止まらず、その間を通っていく。

 

 咲夜の右手はナイフを持ったまま動かない。左手のペンも紙へ触れない。

 

 次はタムを左から右へ回す。

 

 トン。

 

 トン。

 

 ドン。

 

 ナイフの代わりに、最後へ足音が入る。

 

 コツ。

 

 ペン先が記録紙の上で止まった。

 

 今の踵を記録するなら、中央から何分の一拍遅れたか書けるはずだ。

 

 咲夜は書かず、次の歌声が来る方へ顔を上げた。

 

 Pre-Chorus。

 

 基準時計の数字窓は五七。

 

 二十三時五十八分の末尾を、壁の秒針が進んでいく。

 

 Hammondが低い階段を上り、ギターがその上を走る。

 

 咲夜の踵と基準時計が重なる。

 

 コツ。

 

 カチ。

 

 その隙間へ、小さなゴーストノートを入れる。

 

 咲夜が構えた一本を止めた。

 

 空いた場所へスネアを置く。

 

 タン。

 

 次の拍で、止めていた銀色がそこへ来た。

 

 キン。

 

 刃は指へ戻る。

 

 咲夜は机の三本も取り、右手へそろえた。

 

 第二のChorus。

 

 零時まで四十六秒。

 

 “Beyond the hands of time!”

 

 同じ歌詞が戻り、違う応酬が始まる。

 

 第一のChorusでは、俺が中央へ戻れることを見せた。

 

 第二では、中央を知ったまま、二人が別の位置を選ぶ。

 

 ギターが反復するたび、白い円の中に使われない場所が生まれた。俺が埋めなければ咲夜も待ち、咲夜が残した空間をベースが使う。

 

 一本目は中央。

 

 キン。

 

 二本目は俺のスネアより後ろ。

 

 キン。

 

 床に二本。手元に二本。

 

 三本目は投げず、ツーバスが走る場所を空ける。

 

 ドドドドドドドド。

 

 四本目も構えたまま、踵を一つだけ置いた。

 

 コツ。

 

「ナイフでなくてもいいのか」

 

「音になるのでしたら」

 

 次の小節では、俺が二拍目を抜いた。

 

 咲夜はすぐには埋めない。

 

 空白が半拍を越えたところで、手元の一本を机へ戻す。

 

 カツン。

 

 刃でなく柄が木へ触れ、乾いた音がスネアの代わりになった。

 

 残る一本は投げず、左の指で基準時計の縁を一度叩く。

 

 チン。

 

 館の備品を打楽器にする判断まで、記録紙には書かれないらしい。

 

「それも音か」

 

「備品に損傷はありません」

 

「聞いてるのはそこじゃない」

 

 返事の代わりに、踵がもう一つ入った。

 

 コツ。

 

 咲夜の踵は、時計の中央からほんの少し後ろに落ちていた。

 

 ナイフを拾うための停止ではない。

 

 俺には、そう聞こえた。

 

 時計の縁を叩いた一本も机へ戻る。

 

 床の二本も短い停止で回収され、小机に四本が並んだ。

 

 咲夜は記録紙へ最後の項目を書く。

 

『後ノリ二回。基準復帰。完全停止。同位置再開』

 

 歌声が第二のChorusを閉じる前に、紙を二つ折りにした。ペンとともに机の端へ寄せ、書かれた面を隠す。

 

 試験結果はBridgeへ持ち越さない。

 

 咲夜の左手からペンが離れ、右手からもナイフが離れた。職務のために動いていた二つの手が、次の区間を待っている。

 

 中央に残るのは、基準時計と四本のナイフだけだ。

 

 Bridge。

 

 真鍮の数字窓は四〇。

 

 歌声が引き、時計の刻みが前へ出る。速いギターの線は一度ほどけ、Instrumentalへ向かう十九秒の余白が開いた。

 

「職務上の確認は終了しました」

 

「その六〇は」

 

「一日の末尾へ足す一秒です。貯めてはおけません」

 

「曲を今日のうちに終えるためか」

 

「いいえ。今夜は、続きを急がず聞くためです」

 

 数字窓は五四。

 

 会話が終わった後には、数秒ぶんのBridgeが残った。

 

 咲夜は記録紙へ戻らない。

 

 俺も次の質問を足さない。

 

 低い余韻が残る。

 

 五五。

 

 五六。

 

 五七。

 

 五八。

 

 五九。

 

 壁の秒針が十二を指した。

 

 咲夜の指が懐中時計の竜頭へ触れる。

 

 カチ。

 

 五九の次。

 

 六〇。

 

 二十三時五十九分六十秒。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。