ツーバス抱えて幻想入り   作:sakusan07

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急がない一秒

 咲夜が小机の四本を取った。

 

 壁の大時計は止まっている。

 

 振り子も、歯車も、風に持ち上げられたカーテンも動かない。白線の外では、月明かりに浮く埃が同じ場所へ留まっていた。

 

 真鍮の基準時計だけが六〇を示す。

 

 五九まで鳴っていた刻みが消えている。

 

 静かなのは外側だけだ。

 

 円の中ではギターの弦が震え、Hammondの空気が動き、バスドラムのヘッドが踏み込んだ足を押し返す。

 

 円の内側で、HammondとギターのInstrumentalが始まった。

 

 外の時刻を進めないまま、演奏区画だけが曲の続きを持っていた。

 

 俺は両足を走らせる。

 

 ドドドドドドドド。

 

 咲夜はすぐには投げない。

 

 右手に四本をそろえたまま、ギターの上昇を一度聞き終える。

 

 時計塔へ入ってから、初めて次の拍を測らずに待っているように見えた。

 

 右肩が、測定中よりわずかに下がっている。

 

 四本を挟む指の間隔も、最初ほどそろっていない。

 

 それでも一本も落ちない。

 

 その間も曲は欠けない。

 

 Hammondが長く伸び、ギターが小さく下降し、俺の両足が低い格子を守る。

 

 次の小節で踵が加わる。

 

 コツ。

 

 一本目が主拍の隙間へ飛ぶ。

 

 キン。

 

 二本目はスネアの直後。

 

 キン。

 

 三本目は、一拍を空けた先へ。

 

 キン。

 

 三本は床に残り、一本だけが指にある。

 

 三つの銀音は等間隔ではない。

 

 主拍の間、スネアの後ろ、一拍の空白の先。どれも中央へ戻れる技術を持った上で選ばれている。

 

 俺は同じ形を返さない。右足と左足の強さを変え、連打の重心を左右へ動かす。

 

 右のビーターを強く当て、左を浅くする。

 

 次の四連では逆にする。

 

 左右が同じ速さで動いても、低音の影は振り子のように往復した。

 

 咲夜の視線が、その往復を追う。

 

 Hammondが上がり、ギターが外側を回った。

 

 咲夜が床の三本を抜く。

 

 次に見たときには、四本がもう一度右手へそろっていた。

 

 刃先の角度はばらばらだ。

 

 そろえ直さない。

 

 試験中なら、次の投擲前に一本ずつ直していた。

 

 今は四本の違う角度をそのまま残し、右手を低く構える。

 

「足すだけか」

 

「まだ続きがあります」

 

 俺はフロアタムを打つ。

 

 ドン。

 

 低い余韻が細くなるまで、ナイフは来ない。

 

 消える直前へ踵が落ちる。

 

 コツ。

 

 フロアタムの丸い余韻と、短い靴音が一つの句になる。

 

 俺は次の音をすぐ足さない。

 

 余韻が消えた場所へ、ギターの旋律だけが残った。

 

 四連打へ入る。

 

 一つ。

 

 二つ。

 

 三つ。

 

 四つ目を踏まない。

 

 空いた位置へ、もう一度踵が入った。

 

 コツ。

 

 次は咲夜が一本を構える。

 

 投げる直前で止めた。

 

 俺はその空白へスネアを置く。

 

 タン。

 

 四本は手元に残ったまま、Hammondとギターが先へ進む。

 

 足した音より、投げなかった一本の方がはっきり見える。

 

 咲夜は構えを解かず、空白がどこまで続くかを聞いている。

 

 咲夜の親指が懐中時計の蓋へ伸びる。

 

 触れずに戻る。

 

「今の空白は測らないのか」

 

「今は、聞いています」

 

 次の一小節、咲夜は何も加えない。

 

 俺もスネアを置かない。

 

 ベースが低い位置を守り、Hammondが長く伸びる。ギターだけが細い線を描いた。

 

 外では振り子が止まったまま、次の一往復を待っている。

 

 内側では、誰も急かさない小節が終わる。

 

 咲夜の踵が中央へ落ちた。

 

 コツ。

 

 俺は少し後ろへ返す。

 

 タン。

 

 咲夜は基準時計を見ない。

 

 俺は次のフィルを短くし、先に空白を残した。

 

 咲夜はそこへ入らない。

 

 半拍後、ギターの下降が始まった場所へ一本を寝かせるように投げる。

 

 キン。

 

 高い音が旋律の先端へ重なった。

 

 咲夜が白線を横切り、床の一本を抜く。

 

 次のギター音までに、右手の四本へ戻る。

 

 回収は仕事と同じ精密さだ。

 

 次に投げるまでの間だけが、予定表にない。

 

     ◇

 

 Guitar Solo。

 

 速いネオクラシカルの旋律へ、二本目のギターが重なる。Hammondは逆向きの線を描き、俺は両足で三つを下からつないだ。

 

 一本目のギターは時計の針のように上がる。二本目は半歩遅れ、同じ頂点へ別の道から向かう。オルガンの対旋律が二つの間を横切った。

 

 ドドドドドドドド。

 

 右肩には、演奏した分の熱が戻っている。

 

 咲夜は四本を構えたまま、置ける場所を幾つも通り過ぎた。

 

 中央を過ぎる。俺のスネアの後ろも過ぎる。

 

 右手は動かないまま、ギターソロだけが先へ行く。

 

「一秒を使っても、仕事の顔だな」

 

「顔を変える予定はありません」

 

「音は」

 

 視線が、基準時計から俺へ上がる。

 

「今、決めます」

 

「俺が先に置けば、追うだけになる」

 

「では、どうしますか」

 

「先を空ける」

 

 右足を上げたまま待つ。

 

 咲夜は一本だけを低く構えた。

 

 拍の中央ではない。

 

 俺が作ってきた後ろでもない。

 

 ほんの少し前。

 

 銀色が走る。

 

 キン。

 

 基準時計は動かない。

 

 俺が空けた場所の中で、位置を決めたのは咲夜だった。

 

 半歩ぶん待ち、右足を踏む。

 

 ドン。

 

 二本のギターが頂点で重なる。

 

 残る三本が続けて飛んだ。

 

 キン。

 

 キン。

 

 キン。

 

 床に四本。

 

 スネア、右足、左足、クラッシュで返す。

 

 タン。

 

 ドン。

 

 ドン。

 

 ジャァン。

 

 最後へ踵が加わる。

 

 コツ。

 

 六十秒目は、二人が選んだ音で満ちた。

 

 白線の外の埃はまだ落ちない。

 

 内側では床の四本が余韻を受け、銀の柄だけを細く震わせている。

 

 咲夜が床の四本を見て、懐中時計へ手を戻す。

 

 曲は、まだ終わっていない。

 

 蓋へ指をかける。

 

 私的な一秒を閉じる動きに、迷いはなかった。

 

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