咲夜が小机の四本を取った。
壁の大時計は止まっている。
振り子も、歯車も、風に持ち上げられたカーテンも動かない。白線の外では、月明かりに浮く埃が同じ場所へ留まっていた。
真鍮の基準時計だけが六〇を示す。
五九まで鳴っていた刻みが消えている。
静かなのは外側だけだ。
円の中ではギターの弦が震え、Hammondの空気が動き、バスドラムのヘッドが踏み込んだ足を押し返す。
円の内側で、HammondとギターのInstrumentalが始まった。
外の時刻を進めないまま、演奏区画だけが曲の続きを持っていた。
俺は両足を走らせる。
ドドドドドドドド。
咲夜はすぐには投げない。
右手に四本をそろえたまま、ギターの上昇を一度聞き終える。
時計塔へ入ってから、初めて次の拍を測らずに待っているように見えた。
右肩が、測定中よりわずかに下がっている。
四本を挟む指の間隔も、最初ほどそろっていない。
それでも一本も落ちない。
その間も曲は欠けない。
Hammondが長く伸び、ギターが小さく下降し、俺の両足が低い格子を守る。
次の小節で踵が加わる。
コツ。
一本目が主拍の隙間へ飛ぶ。
キン。
二本目はスネアの直後。
キン。
三本目は、一拍を空けた先へ。
キン。
三本は床に残り、一本だけが指にある。
三つの銀音は等間隔ではない。
主拍の間、スネアの後ろ、一拍の空白の先。どれも中央へ戻れる技術を持った上で選ばれている。
俺は同じ形を返さない。右足と左足の強さを変え、連打の重心を左右へ動かす。
右のビーターを強く当て、左を浅くする。
次の四連では逆にする。
左右が同じ速さで動いても、低音の影は振り子のように往復した。
咲夜の視線が、その往復を追う。
Hammondが上がり、ギターが外側を回った。
咲夜が床の三本を抜く。
次に見たときには、四本がもう一度右手へそろっていた。
刃先の角度はばらばらだ。
そろえ直さない。
試験中なら、次の投擲前に一本ずつ直していた。
今は四本の違う角度をそのまま残し、右手を低く構える。
「足すだけか」
「まだ続きがあります」
俺はフロアタムを打つ。
ドン。
低い余韻が細くなるまで、ナイフは来ない。
消える直前へ踵が落ちる。
コツ。
フロアタムの丸い余韻と、短い靴音が一つの句になる。
俺は次の音をすぐ足さない。
余韻が消えた場所へ、ギターの旋律だけが残った。
四連打へ入る。
一つ。
二つ。
三つ。
四つ目を踏まない。
空いた位置へ、もう一度踵が入った。
コツ。
次は咲夜が一本を構える。
投げる直前で止めた。
俺はその空白へスネアを置く。
タン。
四本は手元に残ったまま、Hammondとギターが先へ進む。
足した音より、投げなかった一本の方がはっきり見える。
咲夜は構えを解かず、空白がどこまで続くかを聞いている。
咲夜の親指が懐中時計の蓋へ伸びる。
触れずに戻る。
「今の空白は測らないのか」
「今は、聞いています」
次の一小節、咲夜は何も加えない。
俺もスネアを置かない。
ベースが低い位置を守り、Hammondが長く伸びる。ギターだけが細い線を描いた。
外では振り子が止まったまま、次の一往復を待っている。
内側では、誰も急かさない小節が終わる。
咲夜の踵が中央へ落ちた。
コツ。
俺は少し後ろへ返す。
タン。
咲夜は基準時計を見ない。
俺は次のフィルを短くし、先に空白を残した。
咲夜はそこへ入らない。
半拍後、ギターの下降が始まった場所へ一本を寝かせるように投げる。
キン。
高い音が旋律の先端へ重なった。
咲夜が白線を横切り、床の一本を抜く。
次のギター音までに、右手の四本へ戻る。
回収は仕事と同じ精密さだ。
次に投げるまでの間だけが、予定表にない。
◇
Guitar Solo。
速いネオクラシカルの旋律へ、二本目のギターが重なる。Hammondは逆向きの線を描き、俺は両足で三つを下からつないだ。
一本目のギターは時計の針のように上がる。二本目は半歩遅れ、同じ頂点へ別の道から向かう。オルガンの対旋律が二つの間を横切った。
ドドドドドドドド。
右肩には、演奏した分の熱が戻っている。
咲夜は四本を構えたまま、置ける場所を幾つも通り過ぎた。
中央を過ぎる。俺のスネアの後ろも過ぎる。
右手は動かないまま、ギターソロだけが先へ行く。
「一秒を使っても、仕事の顔だな」
「顔を変える予定はありません」
「音は」
視線が、基準時計から俺へ上がる。
「今、決めます」
「俺が先に置けば、追うだけになる」
「では、どうしますか」
「先を空ける」
右足を上げたまま待つ。
咲夜は一本だけを低く構えた。
拍の中央ではない。
俺が作ってきた後ろでもない。
ほんの少し前。
銀色が走る。
キン。
基準時計は動かない。
俺が空けた場所の中で、位置を決めたのは咲夜だった。
半歩ぶん待ち、右足を踏む。
ドン。
二本のギターが頂点で重なる。
残る三本が続けて飛んだ。
キン。
キン。
キン。
床に四本。
スネア、右足、左足、クラッシュで返す。
タン。
ドン。
ドン。
ジャァン。
最後へ踵が加わる。
コツ。
六十秒目は、二人が選んだ音で満ちた。
白線の外の埃はまだ落ちない。
内側では床の四本が余韻を受け、銀の柄だけを細く震わせている。
咲夜が床の四本を見て、懐中時計へ手を戻す。
曲は、まだ終わっていない。
蓋へ指をかける。
私的な一秒を閉じる動きに、迷いはなかった。