ツーバス抱えて幻想入り   作:sakusan07

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第六話 紅い運命を駆け上がれ――Crimson Ascension――
紅い大広間


 窓の外は、黒から青へ変わる途中だった。

 

 博麗神社へ出るにはまだ早い。だが、出発の準備を始めるには十分な明るさがある。

 

 右腕を前へ伸ばす。

 

 握る。開く。手首を返し、肘を曲げ、肩を上げる。

 

 時計塔で一曲叩いた疲れは残っている。筋肉を使った分だけの重さだ。痛みも熱もない。

 

 二台のバスドラムは、壁際の台車へ固定してある。

 

 右の車輪を回す。交換された輪は、床の継ぎ目を越えても引っかからなかった。左も同じ幅だけ進む。束ねたスタンドも揺れない。

 

 美鈴は門前で、一曲を安全審査として受けた。

 

 パチュリーは書庫で、戻った右腕と演奏で現れる力を調べた。

 

 咲夜との時計塔では、その力を自分の意思で止め、二秒後に同じ位置から再開できた。

 

 持ち帰る結果はそろった。

 

 朝になれば神社へ行く。霊夢に調査の結果を話し、外の世界へ戻る方法をもう一度相談する。

 

 荷紐を引いたところで、扉が三度鳴る。

 

「お目覚めですか」

 

「起きてる」

 

 入ってきた咲夜は、俺より先に右腕を見た。

 

「痛みは」

 

「ない」

 

「可動に異常は」

 

「これから台車を押せる程度には」

 

「演奏について伺っています」

 

「一曲なら問題ない」

 

「では、お嬢様がお待ちです」

 

「大広間か」

 

「はい。ただし、昨夜の時点で承諾はいただいておりません」

 

 咲夜は台車の脇に立ち、こちらの返事を待つ。

 

 断れば、朝食を受け取り、そのまま門へ向かえる。神社へ着く時刻も早まる。

 

 右腕の調査。能力の停止と再開。眠る部屋。交換された車輪。

 

 この館で受け取ったものは、神社へ戻る判断を支える材料になっている。

 

「一曲だけ返す」

 

「何に対してでしょう」

 

「ここで世話になった分だ」

 

「お嬢様個人への返礼ではないのですね」

 

「聞かれたらそう言う」

 

「承知しました。終演後は」

 

「片づけて、朝飯を食って、神社へ出る」

 

「朝食は持ち運べる形にいたします」

 

「助かる」

 

「館の食器はお持ち出しになれません」

 

「食器を運ぶとは言ってない」

 

「確認です」

 

「何でも仕事にするな」

 

「必要なことですので」

 

 時計塔の外でも、咲夜の答えは同じだった。

 

     ◇

 

 大広間へ入る。

 

 宴の机も飾りも片づけられ、石床の中央だけが大きく空いている。奥には階段があり、その上の赤い椅子にレミリア・スカーレットが座っていた。

 

 左右の高窓には夜が残る。月明かりは細く床を切り、燭台の炎は階段の影を長く伸ばしていた。

 

「遅かったわね」

 

「早く来たそうだ」

 

「私が待ったのよ」

 

「予定より一分五十八秒早く到着しております」

 

「咲夜。どちらの味方なの」

 

「時刻の確認を」

 

「頼んでいないわ」

 

「失礼いたしました」

 

 レミリアは咲夜を見てから、俺へ赤い瞳を戻した。

 

「朝には出るそうね」

 

「その予定だ」

 

「知っているわ」

 

 それ以上は聞かず、椅子へ深く座り直す。

 

 台車から機材を下ろす。

 

 二台のバスドラムを並べ、スネアとタムを組み、スタンドを立てる。右のクラッシュを少し遠くへ置き、フロアタムを椅子へ寄せた。

 

 右足を踏む。

 

 ドン。

 

 左足。

 

 ドン。

 

 低音が階段へ当たり、壁を回って戻ってくる。時計塔のような白線はない。広間の石も天井も、鳴ったものを隠さない。

 

 スネアを弱く一度。

 

 タン。

 

 高い音は天井へ抜け、低い余韻だけが床に残った。

 

 右のクラッシュをもう少し外へ動かし、フロアタムを椅子の近くへ寄せる。広いからと全部を広げれば、右腕へ余計な距離が増える。演奏後に神社へ向かうなら、鳴らす前から疲れを使う理由はない。

 

 レミリアの視線が、動かしたクラッシュから右肩へ戻った。

 

「小さく組むのね」

 

「必要な幅にしてる」

 

「せっかく広間を空けたのに?」

 

「床の広さを全部叩くわけじゃない」

 

「見栄えも演奏のうちよ」

 

「音が出てから言え」

 

 レミリアは不満そうに椅子の肘を指で叩いた。

 

 コツ。

 

 正確な拍ではない。待ちくたびれた者の一音だった。

 

「床を壊したら弁償よ」

 

「壊れそうか」

 

「壊れないわ」

 

「なら言うな」

 

「私の館で最初の命令をしたかったの」

 

「もう遅い。朝に出る話をした」

 

「それは報告の確認でしょう」

 

 レミリアの口元が上がる。

 

 設置が終わるまで急かしはしない。視線だけが、右肩、手首、両足、二台のバスドラムへ移る。

 

「美鈴は、あなたの一曲を安全審査にして、最後まで門前に残った」

 

 レミリアが言う。

 

「パチュリーは書庫の予定を延ばした。咲夜は零時の報告を遅らせた」

 

「最後のは本人に聞け」

 

「聞いたわ。三人とも、別の理由を答えた」

 

「同じものを聞いても、仕事が違えば答えも変わる」

 

「だから、私の答えは私が決める」

 

 レミリアが椅子を離れる。

 

 赤い靴は、まだ階段の一番上にある。

 

「予測できない音を見せなさい」

 

「外すだけなら、曲にする必要はない」

 

「三人が仕事を越えて聞いたのは、でたらめな音?」

 

「違う」

 

「なら、音楽のまま私を外しなさい」

 

「曲がそう求めたらな」

 

 スティックを握る。

 

 能力を起こすと、石床の底から低い弦が現れた。

 

 金管が遠い柱の間へ立ち、ギターは薄い輪郭だけを作る。歌も合唱もまだ来ない。

 

 長いIntro。

 

 弦が一度高くなり、また低い場所へ戻る。金管は広間の幅を測るように伸び、夜の残る窓へ余韻を置いた。

 

 見えない演奏者の影が、柱の間へ一つずつ立つ。

 

 アンプの赤黒い輪郭はまだ淡く、歌声の来る中央だけが空いている。大広間の装飾より大きな音の骨組みが現れても、レミリアは椅子へ戻らなかった。

 

 翼を閉じたまま、曲と俺のどちらが先に動くか見ている。

 

 俺は踏まない。

 

 レミリアも急かさない。

 

 曲が入口を開くまで、赤い靴と二本のスティックは動かない。

 

 低いギターが加わる。

 

 右足を一つ。

 

 ドン。

 

「始めたわね」

 

「一曲だけだ」

 

 Crimson Ascension。

 

 広間の夜が、最初の拍を受け取った。

 

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