低い女声が、古い館の壁に沿って入る。
弦は歌声の後ろを細く上がり、金管はまだ遠い。ギターとベースが大きな拍を作り、その内側を低音が行き来する。
右足を深く、左足を浅く踏む。
ドン。
ドドン。
「次は右ね」
レミリアが右のクラッシュを見る。
次の小節には必要だった。
ジャァン。
「そのあとは両足」
ドドドドン。
「分かりやすいわ」
「聞いてればな」
「では、左のタム」
ギターが歌声の後ろで高く伸びる。
左へ回せば、同じ高さへ音を重ねることになる。
俺はスネアの縁を軽く打った。
カッ。
レミリアの笑みが止まる。
「外れ」
「左は要らない」
「私が言ったのよ」
「曲は言ってない」
「ここは私の広間」
「今は曲の中だ」
レミリアの指先へ紅い光が集まる。
光はスネア、右のクラッシュ、フロアタムの順に打面を照らした。こちらが振る前に、次の動きを決める線だった。
最初のスネアだけを使う。
タン。
二つ目と三つ目は叩かず、ハイハットを閉じたまま歌の場所を残す。
「合わせなさい」
「全部入れたら、歌が隠れる」
「私の光を空振りさせるの?」
「先に走ったのはお前だ」
光が天井へ大きな弧を描く。
「ここで上げるわ」
「まだ早い」
「上げなさい」
スネアを一つ。
タン。
紅い弧だけが先へ行った。
「お嬢様」
壁際の咲夜が口を開く。
「演奏中の位置は、演奏者へ委ねる方が合理的かと」
「時計塔のあとから、ずいぶんそちら寄りね」
「職務上の意見です」
「本当に便利な言葉」
Pre-Chorus。
弦と金管が一段ずつ上がり、遠くの合唱が形を持つ。
レミリアは次の打面を言わない。
上げた右手も動かさず、俺の両足、歌声、ギターへ視線を移した。
Chorusが開く。
弦、金管、ギター、ベース、合唱が同じ入口から立ち上がる。
そこで紅い光が降りる。
俺はクラッシュを一枚。キックを一つ。
ジャァン。
ドン。
中央を歌声が抜けた。
紅い光は中央へ入らず、左右へ分かれて合唱の外側を持ち上げる。
「二つだけ?」
「聞こえるだろ」
「ええ」
レミリアは不満そうに答えた。
それでも、次を当てようとはしない。
サビの後半で細かな低音が増える。
右、左、右、左。
ドドドド、ドン。
紅い光は先回りせず、鳴ったキックの外側へ輪を置いた。
「そこは増やすのね」
「必要だからな」
「誰が決めたの」
「俺だ」
レミリアが笑う。
当てたときの笑い方ではなかった。
彼女は片足で床を鳴らす。
コツ。
大拍の中央。
俺はスネアを少し後ろへ置く。
タン。
「遅れた」
「遅らせた」
「同じでしょう」
「違う」
「咲夜もそう言った?」
「あいつは数字で測った」
「私は数字を使わないわ」
「なら、鳴った方を聞け」
次の靴音は前より軽い。
俺はスネアを使わず、ハイハットを半分だけ開いた。
シャッ。
同じ拍でも、返す音は変わる。
レミリアは次に、爪先を床へ触れさせるだけで止めた。
音になり切らない動きへ、俺もすぐには返さない。
ギターが短く下降し、歌声が一語を置く。
そのあとで、スネアを軽く鳴らす。
タン。
「今のは遅すぎるわ」
「お前の足音は鳴ってない」
「見えたでしょう」
「演奏は当て物じゃない」
「最初に予測を外せと言ったのは私よ」
「今は聞いてる」
レミリアの口元が上がる。
「誰がそう言ったの」
「次を言わなくなった」
返事の代わりに、紅い光が合唱の外側へ一本だけ伸びた。
俺は中央へキックを置く。
ドン。
光は先回りせず、その低音が消える長さに合わせて細くなった。
三度目の靴音は中央を外れた。俺は直さない。空いた場所へベースが入り、サビはそのまま終わった。
音圧が引き、月明かりが石床へ戻る。
レミリアが階段を一段だけ降りた。
「朝に神社へ向かうことは報告で聞いているわ」
「なら話は早い」
「この曲のあと、片づけて食べたら出る」
「ああ」
「霊夢に何を聞くの」
「外の世界へ戻す方法だ」
「巫女は知っているの?」
「来た場所と越え方が分かれば、戻す方法は考えられると言っていた」
「それなら、なぜ先に紅魔館へ来たの」
「境界を越え直したとき、戻った腕とこの力がどうなるかは分からないとも言った。先に調べろと、パチュリーを教えられた」
レミリアの爪先が、段の縁で止まる。
「調査は」
「終わった」
「能力の確認も」
「止めて、同じ場所から戻せた」
「だから、結果を持って巫女へ戻る」
「そうだ」
「霊夢は、あなたを帰す約束をしたわけではない」
「まだ方法を考えるところだ」
「それでも、ここを出る」
「調べるために来た。終わったら戻る」
「帰れるか分からないのに、帰るための順番だけは決めているのね」
「順番まで捨てたら、何も確かめられない」
レミリアは答えず、一段下から右腕を見る。
演奏中の腕は、スネアからタムへ動き、クラッシュの手前で戻る。調べ終わった腕であると同時に、境界を越え直したあとも残るとは誰も言えない腕だ。
次の一打を置く。
タン。
レミリアの視線だけが、その動きを最後まで追った。
Verse 2の低い弦が戻る。
レミリアは、組み上がったドラムと、広間の端に置いた台車を順に見た。
「ここは最初から、帰る途中だったのね」
「門を通ったときからな」
「巫女が神社にいなければ?」
「待つ」
「戻れると決まっていなくても?」
「決めるために話す」
「腕がどうなるかも、まだ」
「分からない」
「それでも行くのね」
「ここで確かめることは終わった」
「パチュリーにも、同じ言い方をした?」
「用事が終わったとは言った」
「咲夜には」
「朝に出ると」
「美鈴には」
「腕と力を調べるために、門を通りたいと言った」
「三人には、それぞれ次へ進む理由を話していたのね」
「聞かれたからな」
「私には報告だけ」
レミリアは玉座へ戻らない。
「知っていることと、聞くことは違うわ」
紅い光も靴音も、数小節ぶん消えた。
旅人を歌う声が、広い部屋の中央を通る。
歌声が過ぎてから、その後ろへ赤い線が一本だけ伸びた。