ツーバス抱えて幻想入り   作:sakusan07

3 / 25
闇へ来い、真夜中の宴

 右のクラッシュが、硬い閃光のような音で闇を切り裂いた。

 

 その一打を待っていたように、ギターとベースが動く。

 

 俺は左手でスネアを打ち、両足を二台のペダルへ落とした。

 

 右、左、右。短く二つ。間を空けて一つ。

 

 戻った右腕を十年前と同じ場所へ戻す必要はない。片腕で組み直した左手と両足の演奏へ、新しい一本を足す。

 

 それが今の俺の四肢だった。

 

「始まった!」

 

 ルーミアが赤い照明を横切った。

 

 右から声がしたと思えば、赤い目は左の枝近くに浮かぶ。踊っているようにも、どこから食べるか確かめているようにも見えた。

 

「右の手、ほんとに動くんだね」

 

「俺も確認中だ」

 

「食べたら、またなくなる?」

 

「確認する方法が悪すぎる」

 

 金色の髪が光を横切る。

 

 低いリフの隙間で、歌い手の見えないボーカルが歌い始めた。月光が薄れ、赤い目と這う影だけが見える。ルーミアが闇を広げるほど、ステージの外側が黒く沈んだ。

 

「暗いな」

 

「あたし、闇を操れるの」

 

「先に言ってくれ」

 

「暗い方が好き?」

 

「演奏中は明るい方が助かる」

 

「じゃあ、もっと暗くするね」

 

「話を聞け」

 

 照明が一段暗くなった。

 

 ルーミアは俺の背後へ回る。

 

「振り返らないの?」

 

「演奏中だ」

 

「後ろから食べるかも」

 

「それを今言うのか」

 

 背中へ冷たい気配が近づく。

 

 首筋は冷え、呼吸が浅くなる。それでも右手のハイハット、左手のスネア、両足の短い連打は止めなかった。

 

「怖いのに、やめないの?」

 

「怖いことと、次を叩くことは別だ」

 

 恐怖を消すのではなく、四拍ずつに切り分ける。一小節が終われば、また次の四拍を数えればいい。

 

 ギターの旋律が大きく開いた。

 

 俺はツーバスの連打を減らし、左右へ一打ずつ重く置く。

 

 ドン。

 

 闇の奥で赤黒い照明が灯る。

 

 ドン。

 

 見えなかった空間が、音によって円形に押し広げられた。

 

 歌い手の見えないボーカルが、開いた闇へ響く。

 

 “Come into the night”

 

 “Come into the dark”

 

「夜へ来い。闇へ来い、か」

 

「あたしみたい」

 

「お前の歌なのか」

 

「知らない。でも、いいね」

 

 ルーミアが空中から右手を差し出した。

 

「手を取って」

 

「両手が塞がってる」

 

「じゃあ、目を閉じて」

 

「合図が見えなくなる」

 

「入ったら、もう出られないよ」

 

「今のは歌の話か、食事の話か」

 

「どっちも」

 

 即答だった。

 

 これはまだ、共演への誘いではない。

 

 俺は手を取らず、右のクラッシュを大きく鳴らした。

 

 差し出された闇を壊すのではなく、その深さを音で測る。

 

 ここへ入ると決めたのは俺だ。

 

 どこまで入るかも、一打ずつ俺が決める。

 

 ルーミアの目が首筋からスティックの先へ移った。

 

「手、取らないんだ」

 

「今はな」

 

「逃げる?」

 

「曲の途中では逃げない」

 

「じゃあ、終わったら食べるね」

 

「覚えてたか」

 

 ルーミアの笑い声が旋律の隙間へ落ちた。

 

 俺は次の小節でも、同じ場所を空けた。

 

 笑い声が、もう一度そこへ入る。

 

 偶然ではない。ルーミアは俺の右手を見て、スネアが鳴ったあとを選んでいた。

 

「今の、もう一回」

 

「どれだ」

 

「ドン、ドドンってするやつ」

 

「候補が多いな」

 

 ルーミアが空中で両足を交互に振った。

 

 指定された形をツーバスで返す。

 

 ドン、ドドン。

 

 ルーミアが短い声を乗せた。一音目は低すぎ、二つ目は高すぎ、三つ目は半拍遅れた。

 

「ずれた」

 

「そーなのかー」

 

「俺がスティックを上げたら入れ」

 

「分かった」

 

 次の小節で右手を上げる。

 

 ルーミアは二拍早く歌った。

 

「早い」

 

「上げたよ?」

 

「上げてから待て」

 

「難しい」

 

「食べるよりは簡単だ」

 

「食べる方が簡単だよ」

 

「比較対象を間違えた」

 

 失敗した声へ、見えないギターが短い音を返した。ルーミアは面白がってまねる。俺は連打を一小節だけ減らし、彼女の声が落ちる場所へスネアを置いた。

 

 うまい歌ではない。

 

 声量も音程も揺れる。それでも、最初から用意された声ではない。ルーミアが俺の一打を見て、自分で息を吸い、自分で外し、もう一度入ろうとしている。

 

 その方が、今は面白かった。

 

 右のクラッシュから赤黒い火花が散る。

 

 一つだった笑い声が二つになった。

 

 枝の上から甲高い声。霧の奥から低い唸り。地面近くの影が、スネアと同時に落ち葉を叩いた。

 

「増えたな」

 

「みんな来たんだ」

 

「音を聞きに?」

 

「お腹がすいたのかも」

 

「観客としては最悪だな」

 

「でも、ちゃんと見てるよ」

 

 赤、黄、青白い目が、闇の縁で揺れている。

 

「何人くらいいる」

 

「人じゃないよ?」

 

「そこは今どうでもいい」

 

 数えるのを諦めた。

 

 妖怪たちは俺を獲物だと思っている。だが今は、食べるために囲むより、次の一打を聞くために残っていた。

 

 火花が散り、笑い声が上がる。

 

「宴みたい」

 

「食卓の中心に俺がいる宴だろ」

 

「叩く食べ物は初めて」

 

「分類を変えてくれ」

 

 ルーミアはもう一度、自分から声を入れた。

 

 今度は一拍だけ早い。

 

 俺はスネアをずらして受け止める。

 

「合った!」

 

「俺が合わせた」

 

「同じでしょ?」

 

「今夜はな」

 

 反復する笑いと影の動きが、ばらばらなまま一つの拍へ戻ってくる。

 

 食卓だった円形の場所が、真夜中のステージへ変わり始めていた。

 

 ルーミアが正面へ降り、また右手を差し出す。

 

「今度は、手を取って」

 

「両手は塞がってる」

 

「知ってるよ」

 

 差し出した手を拍に合わせて上下させる。

 

「あたしがそう言ったら、強く叩いて」

 

「注文が増えたな」

 

「歌うから」

 

 最初の「手を取って」は、俺を闇へ閉じ込める罠だった。

 

 今の「手を取って」は、ルーミアが自分の声を曲へ入れる合図になっている。

 

 見えないギターが開く直前、ルーミアが息を吸った。

 

 俺は返事の一打を、次の一拍まで待った。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。