ツーバス抱えて幻想入り   作:sakusan07

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朝まで続く約束

 その脈より少し遅れて、茂みの奥から別の音がした。

 

 浅く、湿った呼吸。

 

「まだ誰かいる」

 

 ルーミアが言う。

 

 携帯電話の明かりを向けると、折れた枝の向こうに男が倒れていた。

 

 年は五十を越えているだろう。着物の脇腹が裂け、にじんだ血が土を黒く濡らしている。

 

「聞こえるか」

 

 男の瞼が動く。

 

「来る、な……そいつは……」

 

「人を食う。知ってる」

 

「知って、いて……なぜ……」

 

「説明は長くなる。名前は」

 

「甚六……」

 

 ルーミアが俺の肩越しから覗き込んだ。

 

「おいしそうな匂い」

 

 一曲ぶん縮まった距離が、そこで止まった。

 

 ルーミアは歌を覚えた。俺の合図を待ち、自分の声で入る場所を選んだ。

 

 だからといって、血が食べ物に見えなくなったわけではない。

 

「この人は食べるな」

 

「もう曲、終わったよ?」

 

「また夜にと言っただろ」

 

「それは次の曲の約束」

 

「その相手の前で人を食ったら、次は叩かない」

 

 ルーミアは甚六と俺を交互に見た。

 

「お腹が減ってても?」

 

「減っていてもだ」

 

「難しい」

 

「歌よりは簡単だ」

 

「歌の方が簡単になったよ」

 

 同じ反論を、今度は歌の外で返された。

 

 ルーミアは不満そうに頬を膨らませ、それでも甚六の首筋から離れた。

 

「次の夜まで?」

 

「この人は、その先もだ」

 

「ほかの人は?」

 

「相談の範囲を広げるな」

 

 約束は善意ではない。空腹も消えていない。

 

 次の一曲が、今は牙を一歩ぶん遠ざけているだけだ。

 

 それで十分だった。

 

 俺は傷へ布を当て、右手で圧迫した。左手で長い布を脇腹へ回し、ほどけないよう結ぶ。

 

 演奏が終わっても、戻った右腕は消えない。

 

「何にやられた」

 

「山犬の、妖怪だ……」

 

「歩けるか」

 

「無理を言うな……」

 

「なら運ぶ」

 

 台車の積み方を変え、二台のバスドラムを左右へ寄せた。

 

「一つ置いていけば広いよ」

 

 ルーミアが言う。

 

「二つとも必要だ」

 

「儂より……太鼓が大事か……」

 

「一瞬だけ迷った」

 

「迷うな……」

 

 抗議できるなら、まだ意識は保てる。

 

 甚六を二台のバスドラムの間へ乗せた。見た目は搬送より、巨大な太鼓に挟まれた刑罰に近い。

 

「人がいる場所はどっちだ」

 

「こっち」

 

 ルーミアが指したあと、首をかしげた。

 

「たぶん」

 

「今の間は何だ」

 

「絶対って言うと、ドラマーは信じないから」

 

「学習の使い方が違う」

 

 台車の取っ手を両手で握った。

 

 右腕へ甚六と機材の重さがかかる。肩の筋肉が張り、掌へ金属が食い込んだ。奇跡らしい便利さはない。ただ、生きた腕として疲れる。

 

 それがよかった。

 

 ルーミアは闇を前方へ浮かべ、夜の森を進んだ。

 

 道の先を見ているのか、見ていないのかは分からない。何度か木の枝へぶつかりながら、それでも来たときより短い道で森の縁まで連れてきた。

 

 木々の隙間が灰色に変わり始めていた。

 

 ルーミアが止まる。

 

「ここから先は、人間が起きるよ」

 

「朝が苦手なのか」

 

「明るいと見つかる。里の人も、赤白も追いかけてくる」

 

 朝日そのものを怖がる様子ではない。ただ、闇へ隠れにくくなった身体を森の側へ残している。

 

「じゃあ、ここまででいい」

 

「ドラマーは?」

 

「甚六を人のいる場所へ運ぶ。帰る方法も聞く」

 

 赤い目が少し細くなる。

 

「帰るの?」

 

「方法を聞くだけだ」

 

「次の夜は?」

 

「戻れるなら来る」

 

「一曲?」

 

「一曲だ」

 

「今度は最初から歌う」

 

「最初の一拍は待て」

 

「難しい」

 

「もうできる」

 

 ルーミアはすぐには答えなかった。

 

 それから、演奏の最後と同じように、俺の返事が終わるまで待って笑った。

 

「また夜に」

 

 闇が木々の間へ戻っていく。

 

     ◇

 

 森を出て間もなく、赤と白の人影が空から降りてきた。

 

 大きな赤いリボン。白い袖。片手には紙垂のついた棒。

 

 少女は俺より先に甚六の血を見た。

 

「朝から里の近くで、ずいぶんなものを運んでるわね」

 

「俺もそう思う」

 

「甚六。聞こえる?」

 

「霊夢、か……」

 

 霊夢と呼ばれた少女は傷を覗き込み、俺が巻いた布を確かめた。

 

「里まで、もう少し。門で人を呼ぶわ」

 

 それから俺の長い髪と黒い衣装、二台のバスドラムを見る。

 

「あなたは?」

 

「ドラマーだ」

 

「名前を聞いたんだけど」

 

「今はそれで通してくれ」

 

「通らないから、あとで聞くわ」

 

「外来人ね」

 

「見れば分かるのか」

 

「格好でも分かるし、昨夜、境界の近くで妙な気配がしたもの。ルーミアもいたでしょう」

 

「もう森へ戻った」

 

「そいつ、人を食べるわよ」

 

「知ってる」

 

「知ってて、次の夜を約束したの?」

 

「演奏をな」

 

 霊夢は額へ手を当てた。

 

「朝から面倒なのを拾ったわ」

 

「拾われたのは俺の方だ」

 

「どちらでも面倒なのは同じよ」

 

 台車の上から甚六が言う。

 

「博麗の巫女なら、境界のことが分かる」

 

 俺は霊夢を見る。

 

「外の世界へ帰れるか」

 

「来た場所と越え方が分かれば、戻す方法は考えられる」

 

 帰れないとは言われなかった。

 

「この腕は、外ではなかった。ここへ来たら戻った。演奏すると、ステージや伴奏まで勝手に出る」

 

 霊夢の目が右肩から指先まで動く。

 

「それで、帰ったとき腕と力がどうなるか知りたい?」

 

「ああ」

 

「知らないわ」

 

 答えは早かった。

 

「境界を越えて変わったものが、もう一度越えて同じままとは限らない。少なくとも、試して確かめる話じゃないわね」

 

 戻れば腕が消えるかもしれない。能力だけが残るかもしれない。それ以外の何かが変わる可能性もある。

 

「調べられる奴はいるか」

 

「紅魔館に、魔法と妙な現象へ詳しい魔法使いがいるわ。親切に診てくれる保証はしないけど」

 

「場所は」

 

「霧の湖の向こう。まずは里へ入りなさい。甚六を治して、あなたも食べて寝る」

 

 人を食べない相手から食事を勧められるだけで、かなり安心できた。

 

 森を振り返る。

 

 ルーミアの姿はない。

 

 それでも、最後に交わした言葉は残っている。

 

 帰還を急いで、戻った腕を試しに失うつもりはない。

 

 まず、右腕と能力を調べる。

 

 そのために、霧の湖の向こうを目指す。

 

 俺は両手で台車を押した。

 

 二台のバスドラムの間で甚六が呻き、先を行く霊夢が一度だけ振り返る。

 

 夜の続きを鳴らすために、俺は朝の人里へ向かった。

 




第一話「闇の中でツーバスは鳴る」は、東方Project『妖魔夜行』を原曲とするアレンジ楽曲「Into The Dark」と連動しています。

楽曲およびMVは、YouTube・ニコニコ動画で公開しています。

【投稿者名】
YouTube:sakusan07 @sakusan07
ニコニコ動画:さくさん ID:234862


【プレイリスト】
YouTube:ドコドコアレンジしよう!
ニコニコ動画:<幻想入りシリーズ>ツーバス抱えて幻想入り
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