最初に凍ったのは、前輪だった。
白い氷が車軸へ食い込み、台車が止まる。
次に固定具。スタンド。シンバルケース。
冷気は荷台の上へ駆け上がり、二台のバスドラムをまとめて覆った。
「待て」
「待たない!」
「せめて下ろしてからにしろ」
「先攻だから!」
打面が白く閉じる。
ペダルの軸とチェーンが氷の中へ沈み、ビーターは打面へ触れる直前で止まった。
スネアの縁から細い氷柱が伸びる。クラッシュは半透明の板に包まれ、スタンドと一つになった。
数秒後。
最小限のドラムセットと台車は、巨大な氷の塊になっていた。
「ふふん!」
チルノが胸を張る。
「あたいの勝ち!」
「何を基準に」
「もう鳴らせないでしょ?」
「確かめる」
鞄からスティックを一本だけ取り出した。
左手で握り、凍ったスネアの端を叩く。
キィン。
澄んだ音が霧へ伸びた。
チルノの笑顔が止まる。
叩く位置を少し内側へずらす。
キン。
先ほどより短く、高い。
「鳴った」
「聞こえた」
「お前に言っていない」
「何してるの?」
「厚さを聞いている」
「氷の?」
「ああ」
バスドラムの凍った打面を叩く。
コン。
胴の近く。
ゴン。
同じ氷でも音が違う。
右手をバスドラムの胴へ当てると、打撃の少しあとから振動が返ってきた。氷の内部を回り、別の場所から戻ってくる。
「それ、あたいの氷だよ?」
「知ってる」
「ドラムの音じゃないよ?」
「今は両方だ」
「二人の太鼓?」
「まだ、お前は凍らせただけだ」
「じゃあ、あたいの勝ちじゃない?」
「聞く前に決めるな」
もう一度、左手で氷を叩く。
キィン。
細い氷柱が震え、その根元から別の音が浮いた。
チィン。
チルノが氷柱へ顔を近づける。
「二回鳴った!」
「最初は打面。次は氷柱だ」
「もう一回!」
「勝負中ではなかったのか」
「勝負しながら聞く!」
「都合がいいな」
「最強だから!」
チルノが氷柱を一本増やした。
先ほどより短い。
叩く。
カン。
「違う!」
「長さが違う」
「もっと長いのは?」
「低くなる」
「本当?」
「作ってみろ」
湖岸の地面から、長い氷柱が伸びた。
先端を叩く。
コン。
チルノは短い氷柱と長い氷柱を交互に見る。
壊されたことより、違う音が出たことへ興味が移っている。
「もっといっぱい作れば、もっと強い?」
「音は増える」
「じゃあ強い!」
「同時に鳴らせば、何を聞けばいいか分からなくなる」
「全部聞く!」
「今は一つずつだ」
チルノの手が止まった。
すぐ次を作ろうとしていた指先を引っ込める。
「何で?」
「次の音を選ぶためだ」
「遅くない?」
「待てない方が遅れる」
「待ったら止まるよ?」
「止まるのも音楽だ」
「鳴ってないのに?」
「次が変わる」
説明だけでは伝わらない。
右手はバスドラムの胴へ置いたままにした。氷の内部を返る振動を、手のひらで拾う。
左手だけでスネアと氷柱を叩く。
キン。
待つ。
湖面へ細い余韻が広がる。
消える直前に、右足で凍ったペダルを押した。
軸は動かない。
代わりに、足元の氷板が沈んだ。
ゴン。
低い振動がバスドラムの胴へ届く。
左足でも踏む。
ゴン。
二台のバスドラムが、少し違う高さで応じた。
「足で鳴った!」
「ペダルは動いていない。氷が鳴ってる」
「あたいの氷?」
「ああ」
「じゃあ、あたいも叩いてる?」
「今は俺が踏んだ」
「でも、あたいが凍らせた!」
「半分くらいは、お前の音だ」
「半分なら、勝負は引き分け?」
「まだ始まったばかりだ」
チルノが空中で足を動かす。
「でも、あたいは飛べるよ!」
「俺は飛べない」
「じゃあ、あたいの勝ち!」
「ノれるか」
「乗る?」
「音に」
「音は見えないよ?」
「試すか」
左手のスティックを上げる。
「俺が叩いたら、次を待て」
「何するの?」
「お前の氷を鳴らす」
「壊す?」
「鳴らしてから決める」
「たぶん?」
「聞く前には決められない」
「ドラマーって、たぶんばっかり!」
「お前は最強ばかりだ」
「最強は本当よ!」
「なら四つ待てるな」
「待てる!」
「一つ」
チルノの羽が動く。
「まだだ」
「動いただけ!」
「二つ」
青白い光が集まる。
「三つ」
光が強くなる。
「まだ作るな」
「分かってる!」
四つ目。
左手と両足を同時に落とした。
キィン。ゴン。ゴン。
凍った三つの音が、霧の中で一つの拍になった。