ツーバス抱えて幻想入り   作:sakusan07

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ノれる? 飛べる? しっかりつかまれ

 右のバスドラムが低く鳴っている。

 

 左は少し遅れて返る。

 

 右。左。左手。

 

 ゴン。ゴン。キィン。

 

 足が先に氷を揺らし、少し遅れて低音が浮かぶ。その後ろへ高い音を置くと、重いはずの拍が前へ転がった。

 

「変なの! 足が先なのに、音があとから来る!」

 

「聞けてるな」

 

「間違えた?」

 

「わざとだ」

 

「どうして?」

 

「その方が動きたくなる」

 

「あたい、もう動いてるよ」

 

「なら合ってる」

 

 チルノの両足は、空中で交互に跳ねていた。

 

 四つ数える。

 

 三つ目で動きかけた羽が、俺の声で止まった。四つ目のクラッシュが氷越しに鳴ると、青白い光が余韻に沿って一周する。

 

「できた!」

 

「今のは飛んだだけか」

 

「ノったの!」

 

 その言葉へ、どこからともなく女性の声が重なった。

 

 “Do you like to get down?”

 

 俺たちは同時に霧を見回した。

 

「誰?」

 

「俺も知らない」

 

「あんたの仲間じゃないの?」

 

「演奏を始めると、勝手に歌う」

 

「いつも勝手なの?」

 

「毎回だ。説明はない」

 

 見えないギターが、霧の底で跳ねるような低音を刻み始める。

 

「あたいは飛べる!」

 

 チルノが言う。

 

 “Do you like to fly?”

 

 見えない声は、それを英語へ変えて返した。

 

 チルノが自分の口を両手で押さえる。

 

「あたい、変な言葉しゃべった!」

 

「しゃべったのは別の声だ」

 

「なんで、あたいの言ったことが分かるの?」

 

「俺も説明書をもらってない」

 

「なくしたの?」

 

「最初からない」

 

「じゃあ、あんたの方がばかじゃない!」

 

「否定材料が足りない」

 

 見えないボーカルは事情を説明せず、次の問いを歌う。

 

 俺が一打を置けば、チルノは羽で返した。チルノが先に飛べば、俺は着地点へ低音を置く。

 

 音が並ぶにつれて、右腕の内側が熱を持つ。赤黒い粒子が凍った胴の隙間へ滲み、低く歪んだ弦が一つ加わった。

 

 照明も鉄骨も出ない。

 

 能力は今ある氷の音を邪魔しないように、霧の底へ低域だけを足している。

 

 右手をバスドラムの胴から離し、二本目のスティックを取った。

 

 左手だけで見つけた並びへ、右手の一打を加える。

 

 “Come on and break the ice.”

 

 短い歌声が、勝負の合図になった。

 

「チルノ」

 

「なに!」

 

「飛べるか」

 

「当たり前!」

 

「ノれるか」

 

「できる!」

 

「次を見たいか」

 

「見せて!」

 

 質問が、初めて同じ場所へ着いた。

 

 足で氷へ先に振動を入れる。

 

 スネア中央。タムの縁。氷柱の根元。

 

 枝分かれしていた響きが、二台のバスドラムの間へ集まる。

 

 音の低くなる場所。

 

 振動が逃げず、何度も戻ってくる場所。

 

 そこが共鳴点だった。

 

「次の四つで行く」

 

「何するの?」

 

「砕く」

 

「あたいの氷を?」

 

「俺たちの音で」

 

 一つ。

 

 足元の氷が低く鳴る。

 

 二つ。

 

 赤黒い粒子が亀裂の手前で止まる。

 

 三つ。

 

 チルノの羽が開き、青白い光が同じ線を照らす。

 

 四つ。

 

 両手と両足を、一つの打点へ重ねた。

 

 ガァン!

 

 二台のバスドラムの間から、白い亀裂が走る。

 

 ペダルを閉じていた氷を抜け、足元を通り、浅瀬の薄氷まで伸びた。

 

 氷片が霧の中へ跳ね上がる。

 

 打面を覆う氷は残っている。ペダルも半分は動かない。それでも、最初に俺たちの間を塞いでいた氷へ、確かな道が一本できた。

 

 足元の板が傾く。

 

 右手でスタンドをつかみ、割れた溝へ落ちる寸前で踏み止まった。

 

 亀裂の向こうで、チルノが笑っている。

 

 勝った顔ではない。

 

 次に何が起きるのかを待ち切れない顔だった。

 

 青白い羽が低く降りる。

 

 チルノは割れた氷の上から、こちらへ手を伸ばした。

 

「しっかりつかまって!」

 

 “You better hold on tight.”

 

「また訳した!」

 

「感心している場合か。何をする」

 

「滑るの!」

 

「何が」

 

「これ!」

 

 右のスティックを椅子の脇へ置き、差し出された手を握った。

 

 小さく冷たい手が、強く握り返す。

 

 チルノが俺の足元を指した。傾いた氷板には、椅子と最小限のドラムがまとめて乗っている。凍結したスタンドの脚が氷へ食い込み、機材と板を一つにつないでいた。

 

「待て。どこへ――」

 

 握った右腕が引かれる。

 

 同時に冷気が湖面を走り、一本の白い道を作った。

 

 俺と機材を乗せた板は、その上を滑り始める。

 

「飛んでる!」

 

「滑ってる!」

 

「ちょっと浮いてる!」

 

 完全には間違っていなかった。

 

 板の先端が手のひら一枚ぶん浮き、後ろ半分だけが湖面を削っている。

 

 チルノが右へ曲がる。氷板は遅れて左へ振られた。

 

「次、跳ぶよ!」

 

「どれくらいだ」

 

「これくらい!」

 

「数字で言え!」

 

「すごくすぐ!」

 

「それは時間だ!」

 

 羽が強く光り、氷の道が一瞬途切れる。

 

 板が浮き、次の氷へ落ちた。

 

 ガン!

 

 二台のバスドラムが着地の衝撃で同時に鳴る。

 

 説明は役に立たない。

 

 代わりに羽を見る。

 

 跳ぶ前には六枚が後ろへ倒れ、先端が青く光る。右へ曲がるときは、右側の三枚が先に傾く。

 

 本人は説明していない。

 

 だが、動きは先に鳴っていた。

 

「もう一度。同じ高さだ」

 

「もっと高い方が楽しいよ」

 

「まず同じものを合わせる」

 

 青い光。

 

 着地の一瞬前、両足で氷へ振動を入れる。

 

 ゴン。

 

 板が湖面へ触れる。

 

 ドン。

 

 左手で凍ったスネア。

 

 キィン。

 

「合った!」

 

「次は右だ」

 

 羽の傾きより先に重心を移し、滑り終わる場所へ低音を置く。

 

 前ではチルノが引いている。

 

 だが、もう引かれているだけではない。

 

 彼女が作る道を見て、俺が着地の拍を選ぶ。俺の足が低音を置けば、彼女は次の曲がり方を変える。

 

 一方的な警告だった「つかまれ」が、次の一打を共有する合図へ変わっていた。

 

 氷の道は大きく弧を描き、最初の亀裂の近くへ戻る。

 

 速度が落ちる。

 

 チルノが手を離し、俺は二本目のスティックを取った。

 

 右足。

 

 ドン。

 

 チルノが氷柱を一本立てる。

 

 左手。

 

 キン。

 

 氷柱の先が弾け、一枚の氷片が宙へ回る。

 

 右手。

 

 ジャキィン。

 

 六枚の羽が同時に光った。

 

 一打が届いてから、一つだけ返ってくる。

 

 俺が一拍空ければ、チルノも何も作らない。

 

 さっきまで待つことを嫌がっていた妖精が、休符まで聞いている。

 

 最後の一打を止めた。

 

 余韻の中で、氷片が湖へ落ち、小さな輪を作る。

 

 凍った機材も、砕けた氷も、足元を滑らせた道も、すべて違う音を返した。

 

 なら、もっと大きなものも鳴らせる。

 

 スティックで、霧の向こうまで続く水面を指した。

 

「次は、湖そのものを使う」

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