ここは笠松トレセン学園
目の前では模擬レースを1着で走り終えたフジマサマーチをスカウトしようとトレーナーが群がっていた。
少し離れたところでは、2組目で1着を取ったオグリキャップを北原さんがスカウトしている。
(原作通りだな)
俺には前世の記憶がある。
いわゆる転生者ってやつだ。
一応、前の世界ではゲームもやっていたし、アニメも一通り見ていた。
シンデレラグレイは特に好きな作品で、オグリキャップも好きだったけどフジマサマーチだって作中のライバルウマ娘の中では一番好きだった。
前世の記憶を思い出したばかりの頃の俺ならどちらかに声を掛けていただろうな。
けど…そんな資格、俺にはない…
転生者ではあるけどアプリトレーナーのようなチート能力は一切なし。
ステータスは見えないし、ゲームでは当たり前だったお助けアイテムだって存在しない。
かつての俺は、ゲームや原作の知識があるだけでアプリトレーナーのような活躍が出来ると思い込んでいた勘違い野郎だった。
中央で挫折した俺は、笠松トレセン学園にトレーナーとして就職した。
そこで北原さん達に出会ったことで、ここがシンデレラグレイの世界線だと知った。
それから3年、オグリキャップやフジマサマーチが入学してきた。
シンデレラグレイの物語が始まる。
原作介入なんてするつもりはない。
俺みたいな奴はオグリキャップやフジマサマーチのトレーナーに相応しくないって思いもあるが、北原さん達から愛バを奪いたくないのも理由の一つだ。
北原さん達は本当にいい人だった。
いろいろ相談に乗ってくれるし、飲み会の時に中央での失敗を話してしまった時も誰も責めなかった。
むしろ、自分たちのトレーニングに使えそうな部分について意見交換会が始まってしまったくらいだ。
その様子を見て、この人達は本当にウマ娘を育てるのが好きなんだなと思った。
同時に、ウマ娘をゲームのように見ていた過去の俺はトレーナー失格だったと改めて突き付けられてしまったわけで、オグリキャップを主人公にしたこの物語をモブトレーナーとして近くで見ることが出来るならそれで満足だった。
(さて、俺もスカウトしないとな)
トレーナーとして雇われている以上、担当を持って育てないと職務怠慢になってしまう。
かと言って、原作に影響を与えないようにベルノライトやノルンエース達3人娘も避けなきゃいけない。
なので、3組目のレースを見て、その中からスカウトしようと思う。
この組に有望なウマ娘はいない。
アニメでも描写すらされなかったのだからそう思っていたけど、なかなかの素質を感じさせるウマ娘がいた。
タイムは平凡、フォームだってバラバラだけど、この時期のウマ娘ならこれが普通だ。
専門的な指導を受けたことのない、普段走っている環境も街中である一般家庭出身のウマ娘は、変な癖が付いていることが多い。
と言うか、それが当たり前だ。
あのオグリキャップだってそうなのだから。
入学時点で教科書に載ってそうな綺麗なフォームで走っているフジマサマーチの方が例外と言える。
彼女は優れた脚力を持っているのに上手く使えていなかった。
無駄だらけのフォームを改善するだけでもかなりのタイムアップが期待できるだろう。
正直、素質だけならフジマサマーチ以上かもしれない。
マーチをディスるつもりはないが、彼女の才能は大したことない。
地方では上位といったところだ。
そんなマーチが入試で最高タイムを叩き出せたのは、幼少期から本気で努力を積み上げてきたアドバンテージによるもの。
アニメの描写からの推測だが、マーチの練習量は一日中走っていたオグリとほぼ同等。
独学で勉強し、これほどバランスよく鍛えてくるなんて大したものだ。
本当に尊敬する。
さすが笠松編のライバルだ。
おっと思考がズレたな。
スカウトしようと考えているウマ娘は、レースで先行策を取っていた。
王道と言われているだけあって、先行は最も安定した作戦だ。
だから、彼女も先行を選んだのだろう。
だが――
その走りは、明らかに噛み合っていない。
彼女の脚質は典型的な追い込み。
もったいない。
(フォームを直して、追い込みとしての走り方を教えたら……)
どこまで伸びる?
分からない。
でも――
俺には、彼女が大きく成長する姿が想像できた。
……いや。
想像できてしまった。
彼女がオグリキャップやフジマサマーチと競い合っている姿が。
(やめろ)
胸の奥がざわつく。
(俺は、原作に介入しないって決めたじゃないか)
オグリキャップ。
フジマサマーチ。
この二人には手を出さない。
そう決めた。
原作を知っているからこそ、俺が余計なことをするべきじゃない。
俺はただ、笠松で彼女たちの物語を見守るだけでいい。
そう思っていた。
なのに――
(この子なら……)
俺の足が、勝手に動いた。
レースを終えたウマ娘たちが控え室へ戻っていく。
その中で、さっきの二着のウマ娘だけが、少し離れた場所で俯いていた。
悔しそうに拳を握っている。
その顔を見て、俺は確信した。
(この子は、もっと速くなりたいんだ)
気が付けば、俺は彼女の前に立っていた。
「ちょっといいかな」
「……はい?」
彼女が顔を上げる。
近くで見ると、まだ幼さの残る顔だった。
そして、少しだけ不安そうに俺を見つめている。
「君、トレーナーは決まってる?」
「い、いえ……まだです」
「そうか」
俺は一度だけ深呼吸した。
ここまで来たんだ。
なら、最後まで言おう。
「俺は市川修。笠松トレセン学園でトレーナーをしている」
「市川……トレーナーさん?」
「ああ」
そして――
「君をスカウトしたい」
彼女の目が見開かれた。
「……私を?」
「そう」
「どうして……?」
当然の疑問だった。
今日のレースで1着を取ったのは自分じゃない。
模擬レースで目立っていたわけでもない。
実際、さっきまで自分に声を掛けようとするトレーナーなんて一人もいなかった。
だからこそ、彼女は困惑している。
「レースで先行を選んでいたけど――」
俺はさっきの走りを思い返す。
「君の適性は、もっと後ろから伸びる形だと思う」
「……後ろ?」
「うん。今の走りには無駄が多い。
でも、それは君の能力が低いからじゃない。
むしろ逆だ」
彼女が黙って俺を見る。
「君は最後の直線で、他のウマ娘たちとは明らかに違う伸び方をしていた」
「……!」
「脚力がある。
それに、前に出ようとするより、溜めてから一気に伸びる方が合っている」
これはお世辞じゃない。
本当にそう思っている。
「だから、俺は一着だった娘よりも、君に将来性を感じた」
彼女の目が揺れた。
「……私に?」
「ああ」
「本当に……?」
「本当だ」
しばらくの沈黙。
そして彼女は、俯いた。
「……ありがとうございます」
声が震えていた。
「私……ずっと、誰にも見てもらえないと思ってました」
「え?」
「今日も……マーチさんにはたくさんのトレーナーさんが集まっていて、オグリさんにもトレーナーさんがいて……」
彼女は遠くを見る。
「だから、私たちみたいな普通のウマ娘は、見てもらえないんだって……」
胸が痛んだ。
中央にいた頃の俺なら、そんなことは気にも留めなかったかもしれない。
でも――
目の前にいるのは、数字じゃない。
一人のウマ娘だ。
「でも……」
彼女が顔を上げる。
「市川トレーナーさんは、私のことを見てくれた」
そう言って、彼女は小さく笑った。
「ちゃんと、私の走りを見てくれてたんですね」
「ああ」
俺も笑う。
「君がもっと速く走れるようになるところを、見てみたいと思った」
「……はい」
彼女は一度だけ深呼吸すると、俺に向かって頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
「……こちらこそ」
こうして俺は、一人のウマ娘をスカウトした。
名前は――
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったな」
「あっ……」
彼女は少し照れたように笑った。
「ローカルフラワーです」
「ローカルフラワー……」
「はい」
鹿毛の髪が風に揺れる。
その名前を聞いた瞬間、妙な感覚に襲われた。
聞いたことのない名前。
当然だ。
前世の記憶にある『シンデレラグレイ』に、そんなウマ娘は存在しない。
オグリキャップでもない。
フジマサマーチでもない。
原作に名前すら出てこなかった、名もなき地方ウマ娘。
それが――
俺の担当になった。
(そうか)
俺は少しだけ空を見上げた。
(俺が物語に介入するんじゃない)
原作には存在しないウマ娘を選んだ。
この子の物語は最初から原作の外にある。
(だったら……)
俺は改めて、隣に立つ少女を見る。
(この子の物語くらいは、俺が責任を持って作らなきゃな)
それが、俺とローカルフラワー。
地方に咲く名もなき花との、最初の出会いだった。