「クラッシャーは健在か……」
中央のオープン戦。
ウマ娘たちが懸命に走っている。
そのレースを見ながら六平は苦々しい表情を浮かべていた。
目の前を走っているのは、フジマサマーチ。
笠松時代、オグリキャップに唯一土をつけたウマ娘。
その肩書きを引っ提げて中央へ乗り込んできた。
誰もが期待した。
笠松の怪物と互角に渡り合った実力。
あのオグリキャップと何度も競り合ったライバル。
中央でも、きっと旋風を巻き起こすだろうと。
だが――
「……ひでぇな」
六平の口から、思わず言葉が漏れる。
速くないわけじゃない。
脚力が足りないわけでもない。
むしろ、一つ一つの動きだけを見れば異常なほど鋭い。
スタート。
位置取り。
加速。
コーナリング。
そして終盤のスパート。
その全てに、何らかの技術が組み込まれている。
なのに。
噛み合わない。
まるで、別々のウマ娘がそれぞれ違う走りをしているようだった。
スタートでは身体が前へ出る。
だが、次の瞬間には脚の回転がそれを邪魔する。
コーナーでは異様なほど速度を維持する。
なのに、立ち上がりでフォームが崩れる。
終盤に入れば強烈な加速を見せる。
しかし、その頃にはすでに体力を使い果たしている。
一つ一つは武器になる。
だが、武器が多すぎる。
それぞれが互いの邪魔をしている。
「……全部、バラバラじゃねえか」
六平は眉をひそめた。
そして、そのままレースは終わった。
マーチは最後まで見せ場を作ることなく、後続にも大きく離されてゴールした。
着順――最下位。
これで三連敗。
しかも。
三戦とも、圧倒的な最下位だった。
「……」
周囲のウマ娘たちから、冷たい視線が向けられる。
「笠松ではオグリキャップに勝ったって聞いたけど……」
「中央じゃ全然じゃん」
「これなら私でも勝てそう」
「地方と中央じゃレベルが違うってことだろ」
侮蔑。
嘲笑。
期待外れを見る目。
観客からすらそれを向けられたマーチは…
「はぁはぁ……はぁはぁ…」
膝に手をつけて荒い息を吐いている。
肩が大きく上下し、全身から滝のように汗が流れ落ちる。
それだけ見れば、誰もが思うだろう。
限界まで走ったのだと。
そして…
「……ふふ」
六平の眉が動く。
「……?」
笑っている。
マーチが。
それも――
「ふ、ふふふ……」
口元を歪めて。
楽しそうに。
嬉しそうに。
笑っている。
「ふふ……」
マーチが顔を上げた瞬間。
六平は背筋に寒気を覚えた。
周囲にいたウマ娘たちも同じだった。
「……な、何?」
「なんなの、あの顔……」
さっきまでマーチを嘲笑っていたウマ娘たちが、一歩、また一歩と後ずさる。
マーチはそんな彼女たちを見ようともしない。
その視線は、ただ前だけを見ている。
そして。
「……まだだ」
小さく呟いた。
「まだ、足りない」
笑みが深くなる。
「もっとだ」
六平は思わず眉間に皺を寄せた。
「なんて顔で笑ってやがる。
勝ったはずのウマ娘たちが怯えているじゃねえか」
最下位で負けたはずのウマ娘に、それ以外のウマ娘全員が気圧されている。
こんな光景は、六平も見たことがない。
「……クラッシャーは健在か」
再度、苦々しく呟く。
クラッシャー。
ウマ娘の走りを壊すほどの、異常な育成。
中央で三連敗。
しかも最下位。
普通なら、心が折れて当然だ。
だが――
六平はマーチから目を離せなかった。
これは心が折れた顔じゃない。
むしろ逆だ。
何かを掴みかけている。
何かを確信している。
そんな顔だ。
「……市川」
六平は、中央に戻ってきたトレーナーの名前を思い出す。
ローカルフラワーを担当する男。
そして――
中央時代に担当を壊したと噂される、曰く付きのトレーナー。
「お前……一体、こいつらに何を教えやがった?」
六平の問いに答える者はいない。
ただ。
ターフの上で不気味に笑うフジマサマーチだけが――
これから始まる何かを予感させた。
中央トレセン学園、生徒会室。
「失礼します」
扉を開ける。
そこで待っていたのは、生徒会長――シンボリルドルフだった。
「来たか、市川トレーナー」
「はい」
俺は一歩前へ出る。
その後ろには、マーチとフラワー。
三人で呼び出された理由なんて、考えるまでもなかった。
中央に来てからの成績。
三戦三敗。
しかも――
全て圧倒的な最下位。
これ以上、中央で走ることを許されるのか。
そんな話だろう。
「まず、私から話しておきたいことがある」
ルドルフが静かに口を開いた。
「私は、オグリキャップを見誤っていた」
「……」
「笠松から来たばかりの彼女に対して、私は中央を舐めるなと言ってしまった」
ルドルフは苦笑する。
「今思えば、随分と傲慢な言葉だった」
オグリが中央へ来た直後。
まだ中央の環境も分からない彼女に対し、ルドルフは厳しい言葉を投げかけた。
だが――
「結果は、君たちも知っている通りだ」
オグリは勝った。
そして勝ち続けた。
重賞すら次々と制していった。
ルドルフの視線が俺たち三人を捉える。
「だから、君たちは何も言わずに見守ることにした」
「……」
「笠松から来た二人が、オグリキャップとどう戦うのか期待もしていた」
マーチとフラワーを見る。
「だが――」
ルドルフの表情が険しくなる。
「この成績では、そうも言っていられない」
予想していた言葉だった。
「三戦三敗」
淡々と告げる。
「それも、全て大差をつけられての最下位」
「…………」
「君たちが中央へ来た理由は理解している」
ルドルフの目がマーチ、そしてフラワーへと移る。
「オグリキャップに勝つためなのだろう」
「はい」
フラワーが答える。
「その通りです」
マーチも迷いなく続けた。
ルドルフは僅かに目を細める。
「ならば、なおさら」
静かな声だった。
「このまま中央で走らせ続けるのは、本人たちにとっても酷だ」
部屋の空気が重くなる。
実質的な最後通告。
俺はそう受け取った。
遅かれ早かれ、こうなることは分かっていた。
いくら俺たちが「まだやれる」と思っていても、結果が出なければ話は別だ。
中央は、そんなに甘い場所じゃない。
「……分かりました」
俺は頭を下げた。
「次のレースに勝てなければ、我々は笠松に帰ります」
「なに?」
ルドルフの眉が跳ね上がった。
あまりにもあっさりとした返答だったからだろう。
「市川トレーナー……」
「俺も、無理に中央へしがみつくつもりはありません」
俺は二人を振り返る。
「二人も、それでいいな?」
「はい」
「もちろんだ」
即答。
「…………」
ルドルフが俺を睨みつける。
その目には、怒りが宿っていた。
「君は……」
言葉が止まる。
ルドルフの視線が、俺の後ろへ向いた。
「……?」
マーチ。
フラワー。
二人とも、微動だにしていない。
悲しんでもいない。
怯えてもいない。
ましてや、絶望している様子など欠片もない。
ただ真っ直ぐにルドルフを見つめている。
「…………」
ルドルフは黙り込んだ。
そして、ゆっくりと息を吐く。
「……そうか」
先ほどまで滲んでいた激情が、少しずつ消えていく。
代わりに、冷静な観察者の目が戻ってきた。
「少なくとも」
ルドルフは二人を見る。
「君たちと担当の間には、確かな信頼関係が築かれているようだな」
「……はい」
俺は答える。
「二人がどう思っているかは分かりませんが、俺はそう思っています」
「それならば――」
ルドルフは椅子に深く腰掛けた。
「次のレースを見せてもらおう」
「ありがとうございます」
「ただし、約束は忘れるな」
「分かっています」
俺は頭を下げる。
「次で勝てなければ、笠松へ帰ります」
その言葉に、マーチとフラワーも頷いた。
「……失礼します」
三人で生徒会室を後にする。
扉が閉まる。
静寂が戻った室内で、ルドルフはしばらく扉を見つめていた。
「……不思議な男だ」
そして、二人のウマ娘を思い出す。
三連敗。
それも圧倒的な敗北。
普通なら、心が折れていてもおかしくない。
それなのに――
「二人とも、迷いや不安を抱えている様子が全くなかった」
むしろ。
何かを確信しているような目だった。
「次のレース……か」
ルドルフは小さく呟く。
「一体、何を見せるつもりなのだ?」
その答えを知る者は、まだ誰もいなかった。