中央トレセン学園。
「……またダメか」
スカウトしたウマ娘から渡された返事を見て、市川修は深くため息を吐いた。
中央トレセン学園にトレーナーとして配属されてから、しばらく。
俺は何人ものウマ娘に声を掛けてきた。
だが――
ことごとく断られている。
「なんでだよ……」
しかも、だ。
俺がスカウトを断られたウマ娘の何人かは、その後にベテランや名門トレーナーのところへ行っている。
「……くそっ」
思わず机を叩く。
(俺の実力に嫉妬して、妨害しているに違いない)
新人の俺が有望なウマ娘をスカウトするのを嫌がって、裏で手を回している。
そんな風に考えていた。
――もちろん、そんな事実はない。
単純な話だった。
俺が声を掛けていたのは、ゲームに実装されていたウマ娘ばかり。
そのほとんどが名門出身だったり、入学前から才能を知れ渡っていたりする超有望株だった。
当然、スカウトは殺到する。
そんな中に、実績が何もない新人トレーナーが混ざったところで、選ばれるはずがない。
むしろ、選ばれる方が異常事態だ。
「……俺なら、ゲームの知識を使って活躍させられるのに」
前世の記憶がある。
ゲームの知識もある。
原作の知識だってある。
それなのに、誰も俺を選ばない。
少しずつ、苛立ちが募っていく。
「こうなったら……」
俺はスカウト候補の資料を眺めた。
「モブウマ娘でもいい」
ゲームに登場するネームドウマ娘は、もう競争率が高すぎる。
ならば、名前すら付いていないようなウマ娘を担当すればいい。
「俺が担当すれば、モブでも活躍できるだろ」
ゲームでは、育成次第でどんなウマ娘だって強くできる。
ましてや俺には、前世の知識がある。
それを使えば――
「……ん?」
一枚の資料に目が止まった。
「ブリッジコンプ」
その名前を見た瞬間。
「…………え?」
俺は資料を二度見した。
「ブリッジコンプ……?」
知っている。
いや、知っているどころじゃない。
前世では、ある意味で有名なモブウマ娘だった。
「全世界のGⅠを総なめにすることでお馴染みの……」
ゲーム内では育成対象ではない。
ストーリーにもほとんど絡まないモブウマ娘。
だが、二次創作のなかではチートトレーナーの犠牲者の代表格。
訳もわからずG1ウマ娘にされると言ったらこの娘だ。
「前世で一番有名なモブウマ娘じゃねぇか!」
思わず声が出た。
俺は慌てて周囲を見回す。
幸い、誰もこちらを見ていない。
改めて資料を見る。
「……まだ担当トレーナーが決まってないのか?」
これは――
「めちゃくちゃラッキー!」
今までの苦労が嘘のようだった。
ゲームでも妙に優遇されているが、モブでしかない。
だからこそ、誰も彼女の将来性を知らない。
だが、俺は知っている。
このウマ娘は――
「絶対に強い」
そう確信していた。
いや。
正確には――
二次創作では強かった。
だが、この時の俺は、その違いに気づいていなかった。
「よし!」
資料を握り締める。
「ブリッジコンプをスカウトする!」
こうして。
ゲーム知識という名の万能感に満ちた新人トレーナー、市川修は。
自分の運命を大きく変えることになる、一人のウマ娘のもとへ駆け出した。
選抜レース。
今日も走った。
これで何度目だろう。
ブリッジコンプは、レースを終えて息を整えながら、観客席を見上げた。
走ることは好きだ。
レースだって楽しい。
だから、選抜レースに出るたびに一生懸命走ってきた。
けれど――
「…………」
レースが終われば、トレーナーたちは次々と目当てのウマ娘のもとへ向かっていく。
「あの子、いいな」
「将来性がありそうだ」
「うちのチームに来ないか?」
そんな声が飛び交う。
けれど。
自分のところへ来るトレーナーはいない。
「……私じゃ、ダメなのかな」
何度も選抜レースに出ている。
それなのに、未だに担当トレーナーが決まらない。
自分には、特別な才能がない。
名門の家に生まれたわけでもない。
誰もが知っているような実績があるわけでもない。
だから仕方ない。
そう思おうとしても、やっぱり寂しかった。
そんな時だった。
「ブリッジコンプさん!」
「……え?」
声を掛けられた。
振り返ると、そこには一人の男性が立っていた。
「市川修です。トレーナーをしています」
「トレーナー……さん?」
「はい」
市川は緊張した様子もなく、真っ直ぐに彼女を見つめていた。
「君をスカウトしたい」
「……私を?」
「そうです」
思わず聞き返してしまった。
「本当に……私でいいんですか?」
「もちろん」
即答だった。
その言葉が嬉しかった。
今まで、自分に声を掛けてくれるトレーナーはいなかった。
それなのに。
この人は、自分を必要としてくれている。
「……よろしくお願いします!」
ブリッジコンプは頭を下げた。
「はい、こちらこそ」
こうして。
ブリッジコンプは初めての担当トレーナーを得た。
「それじゃあ、さっそくトレーニングを始めよう」
「えっ?」
翌日。
ブリッジコンプはトレーニング場に立っていた。
「まずは基礎体力を確認して、それから――」
市川は次々とメニューを説明していく。
「……あの」
「どうした?」
「こういうのって……まずは、お互いのことを知るところから始めるものじゃないんですか?」
ブリッジコンプは恐る恐る尋ねた。
友達から聞いた話では、担当が決まったばかりの頃はトレーナーと一緒に話をしたり、目標を決めたりするものらしい。
「ん?」
市川は少し考える。
「ああ、そういうトレーナーもいるな」
「やっぱりそうですよね?」
「でも、トレーナーによってやり方は違うから」
「……そうなんですか?」
「うん。まずは君の身体能力を把握したい」
「なるほど……」
ブリッジコンプは頷いた。
確かに、トレーナーによって指導方法が違うのなら、こういうこともあるのだろう。
「じゃあ、頑張ります!」
「その意気だ」
ブリッジコンプは走り始めた。
最初は、基礎トレーニングだった。
走り込み。
筋力トレーニング。
柔軟。
体幹。
バランス感覚。
市川はブリッジコンプの走りを細かく観察しながら、必要なメニューを次々と組んでいった。
「もう少し上体を起こして」
「はい!」
「右脚の接地が少し外側に流れてる」
「こうですか?」
「そう。今の感じ」
ブリッジコンプは言われたことを素直に実践していく。
そして。
「次はこれだ」
「……これは?」
「スキルだ」
「スキル?」
「ああ」
市川は、前世のゲームに存在したスキルを一つ一つ現実の走りへと落とし込んでいた。
ゲームの中では、ボタン一つで習得できる。
だが、現実のウマ娘にそんな便利なものは存在しない。
だから市川は、その効果を実現するために研究した。
身体の使い方。
呼吸。
重心。
視線。
腕の振り。
脚の運び。
速度を維持するための細かな技術。
それらを組み合わせて一つの技術とした。
「ここで重心を少しだけ前に」
「はい!」
「そのまま腕を――そう」
「……!」
ほんの僅かだった。
だが。
「今の感覚、分かったか?」
「はい!」
ブリッジコンプの目が輝いた。
「なんだか、いつもより身体が前に進んだ気がします!」
「そう。それが重要なんだ」
市川は満足そうに頷く。
「これを身体に覚えさせる」
「分かりました!」
こうして。
基礎能力を高めるトレーニングと並行して、独自の育成理論によるスキル習得が始まった。
ブリッジコンプは必死についていった。
新しい技術を覚えるたびに、走りが少しずつ変わっていく。
速くなる。
身体が軽くなる。
今まで届かなかった速度に手が届く。
「……私、強くなってる」
その実感が嬉しかった。
初めてだった。
自分にも才能があるのかもしれない。
そんな風に思えたのは。
「もっと頑張ろう」
市川の指導を信じて。
ブリッジコンプは、ただひたすら走り続けた。
この時の彼女はまだ知らない。
自分が教え込まれている「スキル」が、単なる走法ではないことを。
そして――
市川自身もまた。
この育成理論が、ウマ娘の身体にどれほど大きな負担を与えるものなのか。
まだ理解していなかった。