メイクデビュー。
結果は――1着。
「やった……!」
ゴール板を駆け抜けたブリッジコンプは、荒い息を吐きながら自分の脚を見つめた。
「勝った……!」
初めてのレース。
初めての勝利。
胸の奥から、喜びが込み上げてくる。
「市川トレーナー!」
「ああ、よくやった」
市川も笑顔で迎えてくれた。
「初戦としては上出来だ」
「はい!」
ブリッジコンプは満面の笑みを浮かべる。
だが、市川は少しだけ考えるように顎に手を当てた。
「……でも」
「?」
「こんなもので満足してちゃダメだ」
「え?」
「君はもっと強くなれる!」
その言葉に、ブリッジコンプの胸が高鳴る。
「もっと……?」
「ああ」
市川は確信を持って頷いた。
「じゃあ……次のレースは――」
そこまで言って、ブリッジコンプはふと首を傾げた。
「……ちょっと待ってください」
「ん?」
「市川トレーナー」
「どうした?」
「私の希望とか……そういうのは聞いてくれないんですか?」
「…………」
市川が瞬きをする。
「出たいレースがあるの?」
「いえ、特にないですけど……」
「なら、問題ないね」
「え?」
市川は何の迷いもなく言った。
「とりあえず、ジュニアのGⅠをどれか取ろうか」
「…………」
数秒。
ブリッジコンプは固まった。
「……は?」
「だから、GⅠ」
「G……GⅠ!?」
「そう」
「絶対無理ですよ!」
思わず声が裏返る。
さっきまでメイクデビューを勝って喜んでいたのに。
いきなりGⅠ。
しかもジュニア戦とはいえ、GⅠだ。
「大丈夫だって」
市川は平然としている。
「ジュニアのGⅠなんて、有名どころはほとんど出てこない狙い目だよ」
「狙い目って……」
「ここで賞金を稼いでおけば、クラシックに上がってからのローテーションが楽になる」
「…………」
ブリッジコンプは呆然とした。
この人。
本気で言っている。
「いやいやいや!」
「大丈夫、大丈夫」
「何を根拠に!?」
彼の頭の中には、前世のゲーム知識があった。
ジュニアGⅠ。
そこで勝っておけば、後々の育成が楽になる。
賞金も稼げる。
そして何より――
(この時期のGⅠなら、ネームドウマ娘を避ければ十分勝負になる)
少なくとも、市川はそう考えていた。
「とにかく、やってみよう」
「うぅ……」
ブリッジコンプは不安そうな顔をしながらも頷いた。
「……分かりました」
こうして。
ブリッジコンプの無謀とも思えるGⅠ挑戦が始まった。
結果から言えば。
無謀ではなかった。
「また勝った……」
「うん」
「また……?」
「うん」
「また勝っちゃった……」
スキル。
市川が体系化した独自の技術。
それを一つ、また一つとレースへ組み込んでいく。
スタート。
位置取り。
ペース配分。
コーナー。
終盤の加速。
ゲームの中で「スキル」として表現されていたものを、現実の走りとして再現する。
ブリッジコンプは、それを忠実に実践した。
「凄い……」
走るたびに、自分でも驚くほど身体が動く。
以前なら届かなかった相手に届く。
抜けなかった相手が抜ける。
そして――勝つ。
「私……強くなってる」
勝利を重ねるたび、その実感は強くなっていった。
最初は市川の言葉を半信半疑で聞いていた。
GⅠなんて無理だと思っていた。
けれど。
勝った。
その次も。
さらにその次も。
気が付けば、ブリッジコンプはジュニアGⅠへ挑戦する権利を手にしていた。
「いよいよだな」
市川が言う。
「ホープフルステークス」
「……GⅠ」
ブリッジコンプは呟く。
メイクデビューを勝った時には、想像もしていなかった舞台。
「ここまで来たんだ……」
少しだけ怖い。
けれど。
それ以上に――
「勝ちたい」
そう思えるようになっていた。
市川が自分を見つけてくれた。
自分を強くしてくれた。
だから。
「市川トレーナー」
「ん?」
「私、勝ちます」
「ああ」
市川は笑った。
「そのためにここまで来たんだからな」
そして。
ブリッジコンプは、ホープフルステークスのゲートへ向かう。
ホープフルステークス。
ゲートの中で、ブリッジコンプは静かに息を整えていた。
身体の調子はいい。
今までのレースと同じように、しっかりと調整してきた。
市川トレーナーから教わったスキルを発動させるタイミングもしっかり頭に入ってる。
周囲を見渡す。
他のウマ娘たちも、特に変わった様子はない。
(大丈夫)
今まで通りに走ればいい。
今まで通りなら――勝てる。
ゲートが開く。
――走る。
序盤。
問題ない。
いつも通りに位置を取る。
スキルも予定していたタイミングで発動させる。
「よし……!」
身体が軽い。
練習通りだ。
中盤に入っても順調だった。
前との差も予定通り。
後ろから迫ってくるウマ娘たちも、まだ届かない。
(このままなら……)
勝てる。
そう思った。
けれど――
レースが終盤に近づくにつれて。
胸の奥に、妙な違和感が生まれ始めた。
(……あれ?)
何かがおかしい。
身体が重いわけじゃない。
疲れているわけでもない。
スキルもちゃんと使えている。
なのに。
(なんで……?)
いつもなら、ここからもう一段階伸びる。
練習でも。
これまでのレースでも。
同じタイミングで、同じように身体を動かせば――
もっと前に出られた。
もっと速度が上がった。
もっと、もっと――
(伸びるはずなのに!)
最後の直線。
「っ……!」
ブリッジコンプは必死に脚を動かす。
腕を振る。
身体を前へ。
教えられた通りに。
いつも通りに。
なのに。
(どうして!?)
加速できない。
思うように速度が上がらない。
前のウマ娘との差が縮まらない。
後ろから迫ってくる気配まで感じる。
「くっ……!」
最後まで必死に走った。
そして――
ゴール。
「3着!」
場内に実況が響く。
ブリッジコンプは、そのまま数歩走ってから足を止めた。
「はぁ……はぁ……」
荒い息を吐く。
周囲では、喜びの声が上がっていた。
初めてのGⅠで3着。
普通なら、胸を張っていい結果だ。
けれど――
「…………」
ブリッジコンプの胸には、どうしても晴れないものが残っていた。
(どうして……?)
負けたことが悔しい。
それは分かる。
けれど、それだけじゃない。
もっと根本的な何か。
(私……)
自分の走りを思い返す。
身体は動いていた。
スキルも使った。
練習通りだった。
なのに。
(いつもの私じゃなかった)
その感覚だけが、妙に引っかかっていた。
「GⅠで3着……」
口に出してみる。
「十分、すごいことのはずなのに……」
なのに。
「なんで、こんなにモヤモヤするのかな……」
一方。
「…………」
市川は呆然と掲示板を見つめていた。
「3着……?」
思わず呟く。
別に悪い結果ではない。
むしろ、新人トレーナーの担当が初めて出走したGⅠで3着なのだ。
普通なら大喜びするところだろう。
だが。
「なんで3着?」
市川の頭の中では、別のことが引っかかっていた。
(乱数調整ミスったかな?)
ゲームでは、こんな結果になるはずじゃなかった。
育成状況。
スキル。
ステータス。
レース展開。
自分の知っている情報を照らし合わせれば、勝てるはずだった。
(スキルの発動タイミングも問題なかったよな?)
市川はレースを思い返す。
おかしい。
何が悪かったのか分からない。
「……まあ、こういうこともあるか」
結局、市川はそう結論づけた。
ゲームだって、毎回同じ結果になるわけじゃない。
たまたま運が悪かった。
きっとそうだ。
「次は勝てる」
そう言って、市川はブリッジコンプを迎えに行った。
けれど。
この時、二人はまだ気づいていなかった。
今日の敗北が――
ただの「運の悪い三着」ではなかったことに。