その後の方が、最悪だった。
ブリッジコンプが再起不能になって引退した。
俺は、自分が全てを壊したのだと思っていた。
もう二度と、ウマ娘を担当するつもりはなかった。
――なのに。
「市川トレーナー!
私を担当にしてください!」
「え……?」
突然、俺のところにウマ娘が押し寄せるようになった。
最初は意味が分からなかった。
どうして?
俺は失敗した。
担当を壊した。
トレーナーとして失格だ。
そう思っていた。
けれど、周囲から見れば違った。
新人トレーナーだった俺が、誰からもスカウトされなかったウマ娘を担当した。
そのウマ娘が、重賞をいくつも勝った。
ついにはG1でも入着した。
後半になって成績が落ちていったのも、彼女が早熟でピークを過ぎたからだと思われていた。
つまり。
俺は――
「優秀なトレーナー」に見えていた。
「俺なんかに期待しても……」
「お願いします!」
「私は、他のトレーナーから声を掛けてもらえないんです」
「市川トレーナーなら、私でも勝たせてくれるって聞きました!」
「……」
特に、名門の出身でもない。
才能にも恵まれていない。
そんなウマ娘たちにとって、俺は希望の象徴になっていた。
才能がなくても。
有名じゃなくても。
優秀なトレーナーに見初めてもらえれば、重賞を勝てる。
G1だって夢じゃない。
そんな幻想を、俺自身が作ってしまった。
「市川トレーナー……」
ある日、一人のウマ娘が泣きながら俺に頭を下げた。
「一度でいいんです」
「……」
「一度でいいから、勝たせてください」
その姿を見て。
俺は断れなかった。
「……分かった」
こうして、また担当を持った。
今度は絶対に同じことを繰り返さない。
そう決めていた。
だから、スキルを教えることをやめた。
基礎体力を鍛える。
フォームを整える。
身体の使い方を覚える。
それだけでいい。
そう思っていた。
「市川トレーナー」
「なんだ?」
「スキルを教えてください」
「……ダメだ」
「どうしてですか?」
「君には必要ない」
「でも……」
ウマ娘は不安そうに俯く。
「ブリッジコンプ先輩には教えてましたよね?」
「それでもだ」
俺は説明した。
スキルは便利だ。
だが、使い方を間違えれば走りそのものを壊す。
ブリッジコンプがどうなったかも話した。
どれだけ怖いものなのか。
どんなリスクがあるのか。
それでも――
「それでも、勝てるんですよね?」
「……」
「だったら、教えてください」
「ダメだ」
「どうして!?」
泣きながら訴えてくる。
「勝ちたいんです!」
「分かってる!」
「じゃあ、どうして!」
「君を壊したくないからだ!」
そう叫んだ。
それでも。
彼女は諦めなかった。
「壊れてもいいです」
「……え?」
「勝てるなら、それでもいい」
「そんなことを言うな!」
「お願いします!」
結局。
俺は、一つだけ教えた。
一つ。
たった一つなら大丈夫。
ブリッジコンプの時も、最初はそうだった。
一つ。
二つ。
それくらいなら、レースを有利にする小技でしかない。
そう自分に言い聞かせた。
そして。
「すごい……!」
初めてスキルを使った彼女は、明らかに速くなった。
「市川トレーナー!」
嬉しそうな顔。
「勝てました!」
「……ああ」
「もっと教えてください!」
「……」
「お願いします!」
断れなかった。
「……一つだけだ」
また勝った。
すると、また欲しくなる。
「もう一つだけ」
「ダメだ」
「どうしてですか?」
「今の君なら、これ以上は必要ない」
「でも、あの子には負けました」
「それはスキルの問題じゃない」
「じゃあ、どうすれば勝てるんですか?」
「基礎を鍛える」
「基礎を鍛えれば勝てるんですか?」
「……」
彼女が言うあの子とは、分家とは言え名門の血筋のウマ娘だ。
違うのは才能だけじゃない。
幼い頃から専門のトレーニングを受けることができる。
積み重ねてきたものが違う。
だから、普通の努力では埋められないことが分かっている。
だから、勝てるとは言えなかった。
目の前のウマ娘が勝ちたいと渇望している。
そして俺は。
その願いを叶えるための方法を知っている。
「……一つだけだぞ」
また教える。
また速くなる。
また勝つ。
「市川トレーナー!」
「もっと!」
「もう一つだけ!」
「……」
いつの間にか。
ブリッジコンプの時と同じことを繰り返していた。
「……ここまでだ」
ある日のトレーニング。
俺は、そこで止めた。
「え?」
「これ以上は教えない」
「どうしてですか!?」
「君の走りが崩れ始めている」
「そんなことありません!」
「ある」
「私はまだ走れます!」
「走れるかどうかの問題じゃない!」
身体は動いている。
スキルも使える。
だが。
ほんの僅かに。
走りのバランスが崩れている。
これ以上は危険だ。
俺には分かる。
ブリッジコンプの時と同じだったから。
「これ以上やったら、本当に走れなくなる」
「……」
「だから、もう教えない」
「……分かりました」
彼女は俯いた。
その日から、少しずつ関係が悪くなっていった。
「どうして教えてくれないんですか?」
「君のためだ」
「私はまだ強くなれます!」
「これ以上のスキルは悪影響でしかない」
「でも!」
「ダメだ」
何度頼まれても断った。
すると。
「……もういいです」
ある日、彼女はそう言った。
「え?」
「市川トレーナーには、私を勝たせる気がないんですよね」
「違う!」
「だったら、どうして!」
涙を浮かべながら叫ぶ。
「どうして、私がもっと強くなるのを邪魔するんですか!」
「邪魔なんてしてない!」
「じゃあ、私はどうすればいいんですか!」
「だから、基礎を――」
「それじゃあ、絶対に追いつけないじゃないですか!」
その言葉を最後に。
彼女は俺との契約を解除した。
その後。
彼女は別のトレーナーのもとへ移った。
俺は、それでいいと思っていた。
自分には、もう彼女を育てられない。
だから、別のトレーナーに任せた方がいい。
そう思っていた。
けれど――
成績は戻らなかった。
むしろ。
どんどん悪くなっていった。
スキルによって身についた身体の使い方。
その癖を、他のトレーナーも簡単には修正できなかった。
一つのスキルを捨てようとすれば、別のスキルに影響する。
フォームを直そうとすれば、今度はタイミングが狂う。
そうして彼女は、ズルズルと成績を落としていった。
「……」
その結果を見て。
俺は何も言えなかった。
自分が教えたものだからだ。
そんなことが、一度では終わらなかった。
俺を頼ってくるウマ娘。
スキルを求めるウマ娘。
それを止めようとする俺。
それでも勝ちたいと願う彼女たち。
結局、一つ。
また一つ。
そうやって教えてしまう。
そして走りが崩れ始めたところで、俺が止める。
すると――
「市川トレーナーは、私を見捨てた!」
「勝てる方法を知っているくせに教えてくれない!」
「最初から私なんてどうでもよかったんだ!」
契約を解除される。
別のトレーナーのところへ行く。
そして。
成績を落とす。
それを何度も繰り返した。
いつしか。
俺には、あだ名が付いていた。
――クラッシャー。
ウマ娘を壊すトレーナー。
才能のないウマ娘を甘い言葉で誘い。
無茶な技術を教え込む。
勝てるだけ勝たせて。
壊れたら捨てる。
そんな最低のトレーナー。
それが。
周囲から見た俺だった。
「市川って、知ってるか?」
「ああ、クラッシャーだろ?」
「担当に無茶な技術を詰め込んで、壊れたら契約解除するっていう……」
「酷い奴だよな」
「才能のないウマ娘を利用してるだけだって噂だ」
「……」
違う。
俺は――
壊したくなかった。
だから、途中で止めた。
これ以上は危険だと。
それなのに。
俺が教えたスキルは、彼女たちの身体に残った。
俺が作った理論は。
俺が否定したはずのものは。
俺が止めようとした後も、彼女たちを苦しめ続けた。
そして世間から見れば。
俺は、ウマ娘を道具のように扱い。
使い潰して。
壊れたら捨てる。
そんなクズトレーナーだった。
「……違うんだ」
誰も聞いてくれない。
「俺は……」
俺の心は、限界に近づいていた。
ある日、ブリッジコンプが俺の前に現れた。
「信じたかった。
でも、貴方にとって才能のないウマ娘なんてモブのままだったんですね!」
「…………」
俺を糾弾するブリッジコンプに何も言い返せなかった。
だから。
俺は中央トレセン学園を去った。
もう二度とウマ娘を担当しないつもりで。