フジマサマーチがG3を制覇した翌日。
そのレース場は、朝からいつもとは違うざわめきに包まれていた。
今日、ここで行われるG3レースには――ローカルフラワーが出走する。
昨日のマーチの走りは、あまりにも鮮烈だった。
笠松時代、オグリキャップと競い合ったウマ娘。
しかし中央へ移籍してからは、まるで別人のように敗北を重ねていた。
それが昨日。
誰も期待していなかった彼女が、最後の直線で突然、圧倒的な加速を見せた。
そして、その走りを見た者たちは思い出したのだ。
かつて最強と呼ばれながら、その出自ゆえに大きな舞台へ上がることのできなかった、あのウマ娘を。
――マルゼンスキー。
彼女の姿が、フジマサマーチの走りに重なった。
ならば――。
同じ笠松からやって来たローカルフラワーは、いったい何を見せてくれるのか。
そんな期待が、レース場を満たしていた。
そして――。
最後の直線。
さあ、ここからどうなる!?
来るか!?
来るのか!?
観客席が一斉に沸き立った。
その瞬間――。
最後方にいたローカルフラワーが地面を蹴った。
ターフが爆ぜる。
その姿が、まるで別人のように変わる。
身体を深く沈め、脚を鋭く回転させる。
そして――。
擬似領域『
来たーーー!
ローカルフラワーが最後尾から上がってくる!
これは、まさか彼女なのか!?
観客たちも息を呑む。
その走り。
その加速。
後方から一気に順位を上げていく姿。
誰もが知っている。
幾つもの名勝負を生み出してきた、あの三冠ウマ娘の走りを。
三冠ウマ娘――
ミスターシービーだ!!
抜いていく!
抜いていく!
次々と前のウマ娘を捉え、追い抜いていく!
凄い末脚だ!
一気に先頭に立った!
ローカルフラワー、抜け出した!
そのままゴールイン!
1着はローカルフラワー!!
場内が歓声に包まれた。
その光景を、二人のウマ娘が並んで見つめていた。
シンボリルドルフ。
そして――マルゼンスキー。
「フジマサマーチが出来たのだ」
ルドルフが静かに呟く。
「あの男の直接の担当であるローカルフラワーも当然使えるか」
「あら、随分冷静ね。ルドルフ」
マルゼンスキーが楽しそうに笑う。
「まあ、二度目だからな」
ルドルフはフラワーの走りを見つめた。
「しかし……やはり領域ではない」
「やっぱり?」
「ああ。似て非なるもの…『擬似領域』とでも呼ぶべきか」
「擬似領域……ね」
「本物の領域ほどの出力はない。
だが、領域と違って発動するために極限まで精神を研ぎ澄ます必要もない」
「つまり?」
「領域を技術として再現している」
マルゼンスキーが目を細める。
「凄いわね。
私たちだって、領域をあんなに都合よく使えるわけじゃないのに」
「ああ」
ルドルフは頷いた。
「いつでも、好きなタイミングで使える……」
マルゼンスキーは、先ほどまでフラワーが走っていたコースへ視線を戻した。
「でも、ルドルフ」
「なんだ?」
「本当に驚いているのは、擬似領域じゃないんじゃない?」
「……」
ルドルフは答えなかった。
「私には、あの子の追い込みがシービーほど速かったようには見えなかったわ」
「その通りだ」
「なのに、他の子たちを圧倒していた」
「……ああ」
ルドルフの表情が僅かに険しくなる。
「フジマサマーチの時と同じだ。
前から仕掛けるか、後ろから仕掛けるかの違いだけ」
「ああ」
マルゼンスキーが首を傾げる。
「でも、ルドルフだって現役時代に似たようなことをやっていたんでしょう?」
「私を買い被りすぎだ」
「え?」
「あの二人は、レース中ずっと何かを仕掛けていた」
ルドルフの視線は、フラワーの走りを追っている。
「だが、その一つ一つが何を意味しているのか……私にはほとんど理解できなかった」
「……」
「ペースを乱す。
相手の呼吸を崩す。
加速するタイミングをずらす。
進路を限定する。
そういった技術の類いなのはわかる。
だが、あんなに乱発していれば自分の走りだって乱れるはずなんだ」
「つまり……」
「あの二人は、私にも出来ないことをやっている」
ルドルフは静かに言った。
「レースそのものを、自分が勝つ形へ作り変えている」
マルゼンスキーが珍しく言葉を失った。
ルドルフほどのウマ娘にすら理解できない技術。
そんなものが存在していたとは。
そして――。
別の場所でレースを観戦していたブリッジコンプもまた、言葉を失っていた。
あの二人の走りは、確かに壊れていた。
それも――自分と同じだ。
膨大な数のスキルを詰め込みすぎた結果。
スキルが互いに干渉し合い、本来ならまともに走れるはずがないのだ。
なのに。
あの二人は走れている。
いや――。
それどころか、今日は勝ってすらいる。
マーチの擬似領域。
フラワーの擬似領域。
あれは、多くのスキルを組み合わせた結果として生まれた技術なのだろう。
それぞれのスキル単体では、そこまで大きな意味を持たない。
けれど、それらを繋ぎ合わせる。
重ね合わせる。
絶妙なタイミングで発動させる。
そうすることで、奇跡的なバランスの上で成立している。
理屈までは分からない。
でも――。
私は、なんとなく理解できてしまった。
これは。
私が目指していたものと同じだ。
「……私も」
思わず声が漏れる。
「私も……諦めなければ、出来たのかな」
胸の奥が痛んだ。
あの頃の私は、自分を信じられなかった。
トレーナーも信じられなかった。
私をモブだと言って、名門ウマ娘の名前を出した、あの人を。
私はずっと疑っていた。
だけど――。
本当は。
私は、怖かっただけなのかもしれない。
トレーナーに問い詰めることが出来なかった。
聞いて、自分が本当に才能のないウマ娘だと言われることが怖かった。
だから、聞かなかった。
もしあの時、私が一歩踏み込んでいたら。
もし、トレーナーを信じることができていたら。
もし――。
「……違う」
ブリッジコンプは小さく首を振った。
今さら、もしもの話をしても仕方がない。
私は自分で選んだ。
そして、あの二人も選んだのだ。
壊れるかもしれない道を。
それでも、走ることを諦めない道を。
「……凄いな」
悔しい。
羨ましい。
そして――。
ほんの少しだけ、嬉しかった。
自分が失敗したと思っていた育成理論から、こんな走りをするウマ娘が生まれたのだから。
「……私も、もう少しだけ……」
ブリッジコンプは、勝利を喜ぶローカルフラワーを見つめ続けていた。
その胸の奥に、忘れかけていた感情が、小さく灯っていた。
ローカルフラワーとフジマサマーチがG3を制した。
そして――。
そこから始まる快進撃。
GⅢに出走して勝つ。
GⅡでも勝つ。
気が付けば――二人は、重賞5連勝を成し遂げていた。
中央に来てからの三連敗。
しかも、いずれも圧倒的な最下位。
あの惨状が嘘だったかのように、二人は勝ち続けている。
世間の評価も変わっていた。
中央では通用しない。
しょせん地方は中央の2軍で、オグリキャップだけが特別なんだ。
そんな声は消えていった。
そして、ついに…
「……有馬記念?」
市川は、手元の書類を見つめていた。
「ああ」
柴崎が頷く。
「ファン投票の結果も十分だ。
出走条件も満たしている」
隣ではマーチが腕を組み、フラワーが静かに頷いている。
「ようやく、ここまで来たか」
マーチが呟いた。
「うん」
フラワーも笑う。
「やっと……オグリさんと走れる」
これまで何度も口にしてきた名前。
目標。
憧れ。
そして――最大のライバル。
「当然、オグリキャップも出走する」
市川が告げる。
二人の目に鋭い光が宿る。
だが――。
今回の有馬記念には、もう一人。
二人にとって、いや、オグリキャップにとっても、絶対に無視できない相手がいた。
「それと――タマモクロスも出る」
その名前を聞いた瞬間。
空気が変わった。
オグリキャップは、中央へ移籍してから快進撃を続けていた。
だが――そんなオグリキャップの前に立ちはだかったのは一人のウマ娘だった。
タマモクロス。
現役最強。
白い稲妻。
オグリキャップが中央で初めて、本当の意味で越えなければならない壁。
そのタマモクロスもまた、有馬記念に出走するのだ。
オグリキャップ。
タマモクロス。
フジマサマーチ。
ローカルフラワー。
それぞれが、それぞれの理由でここへ集まった。
最強を証明するため。
ライバルを超えるため。
そして――。
笠松時代から追い続けてきたライバルと、もう一度決着をつけるため。
運命に導かれるように。
四人の道が、再び一つの場所へと収束していく。
有馬記念。
年末の大舞台。
ファンの夢が集まる、特別なレースが始まろうとしていた。