――有馬記念。
年末の大舞台。
観客の夢と期待を一身に背負ったウマ娘たちが、次々とパドックに姿を現していく。
その中には、今や中央競馬を代表する四人の姿があった。
現役最強――タマモクロス。
地方から中央へと駆け上がり、幾度も重賞を制してきた――オグリキャップ。
そして、笠松から追いかけてきた二人。
フジマサマーチ。
ローカルフラワー。
それぞれの陣営が、最後の確認を終える。
「マーチ」
柴崎がマーチの肩に手を置く。
「ここまで来たな」
「ああ」
マーチはコースを見つめた。
「これまで、私は何度も壊れて、その度に作り直してきた」
そうやって、ここまで来た。
「だから、今日は全部出す」
「……そうだな。悔いのないように走ってこい」
「ああ」
一方、フラワーの元では市川が最後の確認をしていた。
「フラワー」
「はい」
「無理をするな、とは言わない」
市川は一度言葉を切る。
「でも、自分の走りを忘れるな」
「……はい」
フラワーは静かに頷いた。
「私の走りは、ちゃんと私のものです」
「ああ」
「だから、大丈夫です」
市川は笑った。
「行ってこい」
「はい!」
しっかりとした足取りでゲートに向かう二人を見送り、市川と柴崎はレースを見届けるために観客席へと向かう。
「北原と六平さんの所に行かなくていいのかい?」
「…行かない。
マーチの言葉を借りるなら、俺たちは馴れ合うために来たんじゃない。
このレースが終わるまでは敵対陣営だ」
「…そうだね」
そして――。
ゲート前。
四人のウマ娘たちが、それぞれのゲートへと収まっていく。
場内の歓声が、徐々に大きくなっていく。
実況の声が響く。
さあ、いよいよ有馬記念!
今年最後の大一番!
現役最強タマモクロス!
中央の頂点を目指すオグリキャップ!
そして笠松からやって来たフジマサマーチとローカルフラワー!
ゲートが閉じる。
一瞬。
世界から音が消えたように静まり返る。
そして――。
スタートしました!
ゲートが一斉に開いた。
――だが。
おおっと!
大きく出遅れたウマ娘が一人。
ディクタストライカ、大きく出遅れています!
スタートで完全にタイミングを外した。
勢い余った身体がゲートへ突っ込み――。
「――っ!」
額をゲートに強くぶつける。
赤いものが走った。
ディクタストライカ、額から出血しています!
大丈夫なのか!?
それでも彼女は走り出す。
だが、すでに先頭集団は遥か前方へと進んでいた。
これは痛恨の出遅れ!
その前方では――。
先頭に立ったのはフジマサマーチ!
マーチが一気に前へ出る。
迷いはない。
そのまま先頭を奪い取った。
フジマサマーチ、果敢に逃げる!
その少し後ろ。
オグリキャップが前目の位置につける。
オグリキャップは好位につけている。
さらに後方。
タマモクロスは後方待機!
タマモクロスは、慌てることなく自分の位置を確保している。
そして――。
そのさらに後ろにローカルフラワー!
フラワーは最後方集団。
タマモクロスよりもさらに後ろにいる。
静かに前を見つめていた。
先頭を走るマーチの背中。
前につけ、タマモクロスとの距離を維持しようとしているオグリ。
そして、自分の前方にいるタマモクロス。
後ろには、スタートで大きく出遅れたディクタストライカがいる。
それぞれの思惑を乗せて。
レースは序盤へと突入していく。
さあ、まず先頭はフジマサマーチ!
オグリキャップがそれを追う!
タマモクロスは後方から虎視眈々!
そしてローカルフラワーは最後方!
四人の位置取りは、完全に分かれた。
だが――。
これは、まだ始まったばかりだ。
レースは序盤から、異様な空気に包まれていた。
先頭を走るフジマサマーチ。
その遥か後方にはローカルフラワー。
まるで二人が、オグリキャップとタマモクロスを挟み込むような位置取りになっている。
そして――。
「……来たな」
マーチがスキルを発動する。
直後、後続のウマ娘たちの動きが僅かに鈍った。
ほんの僅かな変化。
しかし、それは一度では終わらない。
マーチは次々とスキルを発動させ、後続のペースを乱していく。
さらに――。
「……ここ」
最後方に近い位置を走るフラワーもスキルを発動。
前方のウマ娘たちにプレッシャーを与えながら、少しずつその効果を積み重ねていく。
前からマーチ。
後ろからフラワー。
二人が仕掛けることで、レース全体の流れが徐々に歪んでいった。
「入れ込みすぎたか……」
ディクタストライカが、後方から前を見据える。
額から流れる血を拭うこともせず、苦笑した。
「けど、かえって良かったかもな」
前方から迫る異様な圧。
そして、背後から追い立てるような気配。
「……あれに巻き込まれずにすんだ」
ディクタストライカは、スタートで大きく出遅れたことで、二人のデバフが重なる範囲から外れていた。
だから、よく見えていた。
レースそのものが明らかに乱れている。
前と後ろ。
二方向からプレッシャーを掛けられたウマ娘たちは、自分のペースを維持できず、少しずつ走りが崩れていく。
今はまだ違和感を覚えている程度。
だが、いずれは自分が今どんなペースで走っているのかさえわからなくなるだろう。
「まあ……肝心の奴らには効いてないみたいだけどな」
ディクタストライカの視線の先。
そこには二人のウマ娘がいた。
一人は、現役最強タマモクロス
「やるやないか」
前からも、後ろからも、これだけのプレッシャーを受けて、それでもタマモクロスの走りは乱れない。
一定のリズム。
一定の呼吸。
まるで何事もなかったかのように、自分自身のペースを刻み続けている。
「前と後ろから、こんだけのプレッシャーを掛けてくるなんてな」
タマモクロスが僅かに口元を吊り上げる。
「けど、それでどうにかなるほど――」
前方を走るオグリキャップを見据える。
そして、そのさらに先にいるフジマサマーチへ視線を移す。
「ウチは甘くないで」
現役最強の自負と積み重ねてきた経験によってペースを維持する。
タマモクロスの脚は、微塵も乱れていなかった。
そしてもう一人は、オグリキャップ。
タマモクロスとの差を一定に保ちながら、前目の位置を走ることで、彼女もまた、二人の仕掛けをものともしていなかった。
オグリは周囲のウマ娘たちが乱れていることなど気にも留めず、自分の走りに集中していた。
その表情には焦りも、動揺もない。
むしろ――。
楽しそうだった。
(マーチ……フラワー……)
オグリの視線が、一瞬だけ前後の二人を捉える。
笠松から自分を追いかけてきた二人。
中央に来てから、一度はどん底まで落ちた二人。
それでも諦めず、這い上がってきた。
(強くなったな)
そう思う。
だが――。
(それでも、負けるつもりはない)
オグリは後ろへ意識を向ける。
そこにいるのは、現役最強。
タマモクロス。
そして、その背後には――。
まだ姿を隠しているフラワー。
前からマーチ。
後ろからフラワー。
その二人に挟まれながら、オグリとタマモクロスは悠然とレースを進めていた。
しかし――。
まだ序盤。
このレースで、本当の勝負が始まるには早すぎる。
誰もがそう思っていた。
――この時までは。