ディクタストライカは、前を見据えた。
(認めるよ。確かに、ぬるかった)
出遅れてよかった。
あの二人の仕掛けに巻き込まれずに済んだ。
そんなことを考えていた自分に、腹が立つ。
(何を守りに入ってやがる!)
ここからだ。
ここからが、本当の勝負だ。
「さあ……ひりつく勝負をしようじゃねえか!」
領域『弾丸蹴脚《だんがんしゅーと》』
瞬間。
ディクタストライカの脚が、弾けた。
ここでディクタストライカが上がってきた!
やはり、このウマ娘もとんでもない末脚を持っている!
後方から一気に順位を上げていく。
その勢いは、ローカルフラワーにも匹敵していた。
だが――
先頭はフジマサマーチ!
しかし、オグリキャップとタマモクロスが迫っている!
そして、ここに来てローカルフラワーがすごい勢いで上がってきています!
残り100メートル。
勝負は、完全に絞られた。
フジマサマーチ。
オグリキャップ。
タマモクロス。
ローカルフラワー。
そして、後方から迫るディクタストライカ。
誰が勝ってもおかしくない。
誰もが限界を超えて走っていた。
タマモクロスは、隣を走るオグリキャップを見た。
(大した奴らや)
前を走るマーチ。
後ろから迫るフラワー。
どちらも、オグリがライバルと認めたウマ娘だ。
(さすが、オグリがライバルと認めただけのことはある)
だが――
(けど、やっぱ最後はアンタとの勝負みたいやな、オグリ)
残り50メートル。
オグリキャップとタマモクロスが、ついにマーチへ並びかける。
フラワーもすぐ後ろまで迫っている。
並ぶか!?
オグリキャップ、タマモクロスがついにフジマサマーチと捉えるか!?
フジマサマーチ、苦しい!
――だが。
(……領域)
マーチの脳裏に、初めてその言葉を知った日のことが蘇る。
時代を作るウマ娘が持っているとされる能力
東海ダービーを目標にしていたあの頃。
そんなもの、自分には遠い世界の話だと思っていた。
初めて領域というものを知った時。
真っ先に思い浮かべたのは――
(オグリだった)
オグリキャップなら、きっと持っている。
そう確信していた。
そして今。
そのオグリは、この有馬記念で本物の領域を見せている。
マーチは、オグリの走りを見てきた。
何度も。
何度も。
笠松にいた頃から。
中央へ行ってからも。
自分が追いつくために。
自分が勝つために。
ずっと、見続けてきた。
その姿を。
その走りを。
その強さを。
自分の中に焼き付けてきた。
(だったら――)
最後の50メートルだけなら。
ほんの一瞬だけなら。
届く。
マーチの身体が、さらに沈む。
擬似領域『
極端な前傾姿勢。
まるで地面に身体を叩きつけるような低いフォーム。
それを可能にしているのは、脚関節の柔軟性だった。
幼い頃から、マーチはストイックに身体を鍛えてきた。
柔軟性も例外ではない。
むしろ、怪我によるロスを避けるため、人一倍意識してきた部分だった。
だからこそ――
ほんの50メートル。
刹那の間だけなら。
再現できる。
マーチの身体が、さらに前へと伸びる。
フジマサマーチ、ここで再加速!
これは、まさか!?
タマモクロスの表情が変わった。
(ここで……オグリやと!?)
隣から感じる圧力が、明らかに増した。
オグリキャップ。
その領域が、さらに深くなっている。
(そら、そうや)
自分のライバルが、最後の最後に見せたのは――
自分自身の走り。
しかも、それはこのレースで初めて使ったはずの領域だ。
(オグリ自身よりも、オグリの走りを見て……理解しとった証や)
タマモクロスの胸に、熱いものが込み上げる。
負けたくない。
ここで引くわけにはいかない。
「ウチは――」
脚に力を込める。
「最強《タマモクロス》やぞ!」
精神を奮い立たせる。
だが。
ほんの一瞬。
マーチに意識を奪われた。
その一瞬が――命取りだった。
タマモクロス自身も、それを理解していた。
残り30メートル。
四人が横一線になる。
オグリキャップ。
フジマサマーチ。
ローカルフラワー。
タマモクロス。
さらに、その後ろからディクタストライカが迫る。
「うおおおおおおっ!」
ディクタストライカが最後の力を振り絞る。
だが――
届かない。
残り10メートル!
まだ分からない!
オグリキャップ!
フジマサマーチ!
ローカルフラワー!
三人が、ほとんど並んだまま――
ゴォォォォォォォル!!
歓声が爆発する。
分かりません!
これは写真判定です!
誰もが息を呑む。
そして――
写真判定の結果が出ました!
場内が静まり返る。
一着――オグリキャップ
二着、フジマサマーチ ハナ差
三着、ローカルフラワー ハナ差
四着、タマモクロス! アタマ
歓声が、一気に膨れ上がった。
笠松からやって来た三人が上位を独占!
そして、あのタマモクロスが四着!
シンボリルドルフは、言葉を失っていた。
(……まさか)
現役最強。
天皇賞・秋、ジャパンカップとオグリキャップを破ったウマ娘。
そのタマモクロスが――
(連対すら出来ないとは……)
視線の先には、有馬記念の上位を独占した三人。
オグリキャップ。
フジマサマーチ。
ローカルフラワー。
笠松から中央へやって来た三人が、再び同じ舞台で肩を並べている。
そして、その中心で。
オグリキャップが笑っていた。
「……強かったな」
マーチを見る。
次に、フラワーを見る。
「二人とも」
マーチは荒い息を吐きながら、それでも笑った。
「当然だ。私はお前のライバルだからな」
フラワーも頷く。
「また、勝てなかったけどね」
「ああ」
オグリは静かに頷いた。
「私も、まだ負けるつもりはない」
その言葉を聞いて、マーチは笑みを深くした。
ゴールを駆け抜けた三人は、しばらくその場から動けなかった。
荒い息を吐きながら、それでも互いの顔を見て笑う。
そこへ、一人のウマ娘が歩み寄ってきた。
「完敗や」
タマモクロスだった。
「オグリだけやない。アンタらとも走れて……楽しかった」
「タマ……」
オグリの表情が曇る。
その顔を見て、タマモクロスは苦笑した。
「そんな顔するな」
マーチとフラワーにも視線を向ける。
「アンタらとなら、まだ一緒に走りたいとも思う」
「だったら――」
フラワーが口を開く。
だが、タマモクロスは静かに首を横に振った。
「けど、そういうわけにはいかん」
「……」
「名残惜しいけどな」
少しだけ寂しそうに笑う。
「ウチは、ここで引退や」
「タマ……」
オグリが俯く。
タマモクロスは、そんなオグリの肩を軽く叩いた。
そして、真っ直ぐにオグリを見つめる。
「オグリ、アンタはこれから頂点として、追われる存在になる」
「……追われる?」
「ああ」
タマモクロスは頷く。
「今までは、誰かを追いかける側やった。
けど、これからは違う。
アンタが一番上に立ったんや」
マーチが続ける。
「皆がお前に勝つことを目標にする」
「そういうことや」
タマモクロスが笑う。
「プレッシャーも半端ないで」
そして、胸を張った。
「経験者は語る!……や!」
「……そうか」
オグリはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。
「ああ」
その瞳には、もう寂しさだけではない。
「私も、負けない」
「その意気や」
タマモクロスは満足そうに笑った。
「ほなな、オグリ」
「タマ……ありがとう」
「礼なんかいらん」
タマモクロスは背を向ける。
「また、いつか……なんて言葉は言わんでええ」
そして振り返ることなく歩き出した。
「ウチはもう、走り切ったんやからな」
その背中を、三人は黙って見送った。
そして――
有馬記念から数日後。
中央トレセン学園。
「待ってくれ!」
オグリが二人を追いかける。
「どうしてだ!」
マーチとフラワーは、荷物を持っていた。
中央を離れる準備を終えていたのだ。
「私達の走りは、完全に壊れた」
「……まさか!」
オグリの顔が青ざめる。
「故障したのか!?」
「いや」
マーチは首を横に振る。
「故障じゃない」
「じゃあ、どういうことなんだ?」
「中央に来たばかりの頃、連敗していただろう?」
マーチは自分の脚を見る。
「その時と同じ……いや」
苦笑する。
「もっと酷い状態かな」
「……」
フラワーも頷く。
「普通に走ろうとしても、身体が勝手に違う動きをしちゃうんです」
「今まで覚えてきたものが、全部バラバラになってる」
マーチが続ける。
「まともに走れるようになるのですら、一年は掛かるだろう」
「一年……」
オグリが息を呑む。
「だから、私たちは笠松に帰るの」
フラワーが優しく微笑んだ。
「市川トレーナーも一緒です」
「……そうか」
オグリは俯いた。
だが――
「勘違いするなよ」
マーチが笑った。
「私たちは、まだまだ走り続ける」
「え?」
「中央から逃げるわけじゃない」
その目には、あの日、笠松で見せていたものと同じ闘志が宿っていた。
「お前よりも長く現役でいるつもりだ」
「……!」
オグリの目が見開かれる。
「だから、オグリさんも中央で頑張って」
フラワーが言う。
「オグリさんなら、もっと強くなれる」
そして、胸に手を当てる。
「私たちが一番よく知ってるから」
「……フラワー」
「だから、信じてるよ」
オグリは二人を見つめる。
そして――笑った。
「ああ」
拳を握る。
「私も、もっと強くなる」
マーチが笑う。
「次に会う時は、今度こそ勝つ」
「うん」
フラワーも頷く。
「次は、私が勝つよ」
「望むところだ」
三人は、それぞれの道へ歩き出した。
中央へ残るオグリキャップ。
笠松へ帰るフジマサマーチとローカルフラワー。
そして、引退という道を選んだタマモクロス。
――三人の道は、再び別れた。
だが。
仲間であることも。
ライバルであることも。
決して変わらない。
いつかまた、同じ舞台で走るその日まで。
それぞれが、それぞれの未来へ向かって――
走り続ける。