メイクデビュー当日。
俺は出走表を見て、固まっていた。
「……嘘だろ」
何度見ても、名前が変わることはない。
フジマサマーチ。
オグリキャップ。
そして――
ローカルフラワー。
まさか、同じレースになるとは思わなかった。
「トレーナーさん?」
「……いや、なんでもない」
俺は出走表から目を離す。
よりによって、この二人と同じレースか。
今のフラワーでは勝てない。
それは間違いない。
数ヶ月前とは比べ物にならないくらい速くなった。
フォームだって見違えるほど綺麗になった。
追い込みとしての走りも身についてきた。
それでも――
フジマサマーチ。
オグリキャップ。
この二人は、そんな努力だけで簡単に追いつける相手じゃない。
(まあ……いい経験にはなるか)
むしろ、今のフラワーには必要なのかもしれない。
本物を知ること。
自分との差を知ること。
そして、自分がどこまで通用するのかを知ること。
「フラワー」
「はい」
「今日の目標を言ってみようか」
「……勝つこと?」
「それも大事だけど」
俺は少し考えてから答える。
「自分の走りをすること」
「自分の……」
「ああ。今まで練習してきたことを、そのままレースでやってみよう」
「……はい!」
フラワーは頷いた。
緊張している。
それでも、その目には以前にはなかった強さがあった。
レース直前。
ゲート前に並ぶ。
フラワーは自分の隣にいるウマ娘たちを見回した。
そして――
「……あ」
少し離れたところに、フジマサマーチ。
さらにその隣には、オグリキャップ。
二人とも落ち着いている。
特にマーチは、これから始まるレースに対して一切の不安を感じさせない。
オグリも同じだ。
静かに前を見ている。
(凄い……)
フラワーは二人を見つめる。
同じレースを走る。
それだけなのに、二人から感じる圧力が違う。
模擬レースで見た時とは違う。
これが――
本番。
フラワーは小さく息を吐いた。
(怖い)
正直に言えば、怖かった。
でも――
(逃げちゃダメ)
自分は、この日のために練習してきた。
トレーナーさんと一緒に。
何度も。
何度も。
走り方を直して。
自分の脚を信じられるようになって。
少しずつ速くなって。
(私は……)
ゲートを見つめる。
(私の走りをする)
ゲートが開いた。
一斉に飛び出す。
フジマサマーチが前へ出た。
オグリキャップも続く。
フラワーは――
後方。
無理に前へ出ない。
(大丈夫)
今までなら、周りにつられて前へ行こうとしていた。
でも違う。
自分は追い込み。
最後に脚を残す。
それが、今の自分の走り。
(焦らない)
前を走るマーチとオグリを見る。
距離が少しずつ離れていく。
(速い……)
同じウマ娘とは思えない。
スタート直後だというのに、二人の走りには無駄がない。
マーチは身体の軸が一切ぶれない。
オグリは――
(なんて脚……)
地面を蹴るたびに身体が前へ運ばれている。
速い。
ただ速い。
それでも、フラワーは自分の走りを続けた。
中盤。
フラワーは後方に位置していた。
前との差は、それなりにある。
けれど焦らない。
(まだ……)
呼吸を整える。
脚を温存する。
コーナーへ入る。
身体を内側へ傾ける。
以前なら外へ膨らんでいた。
今は違う。
内側へ。
身体を倒しすぎない。
脚を止めない。
速度を維持する。
(できてる)
練習と同じだ。
いや。
練習よりも上手くできている。
(私……ちゃんと走れてる)
それだけで少し嬉しくなった。
最終コーナー。
前方ではマーチとオグリが一騎打ちになっていた。
フラワーはまだ後ろ。
けれど――
(今だ!)
脚に力を込める。
地面を蹴る。
一気に加速。
「――っ!」
視界が流れる。
一人。
二人。
三人。
抜いていく。
前が近づいてくる。
マーチ。
オグリ。
その背中が見える。
(届く!)
残り二百メートル。
フラワーはさらに速度を上げた。
脚が動く。
身体が前へ進む。
今まで積み重ねてきたものを全部使う。
(追いつく!)
距離が縮まる。
十メートル。
八メートル。
六メートル。
「――っ!」
フラワーの脚がさらに伸びる。
観客席から歓声が上がった。
「来たぞ!」
「後ろのウマ娘、凄い末脚だ!」
「フジマサマーチとオグリキャップに迫っている!」
フラワーには、観客の声など聞こえていなかった。
ただ前だけを見ている。
(いける!)
そう思った。
――その瞬間。
前を走る二人の速度が、さらに上がった。
「……え?」
一瞬。
本当に一瞬だった。
縮まっていた距離が――
また開いた。
「な……」
フラワーは目を見開く。
さっきまで届きそうだった。
なのに。
マーチがさらに加速する。
オグリも、それについていく。
二人の脚色が明らかに違う。
(速い……)
さっきまでとは別物だ。
自分だって全力。
なのに――
届かない。
フラワーは必死に脚を動かした。
もっと。
もっと速く。
けれど、二人との差は縮まらない。
むしろ少しずつ広がっていく。
(なんで……)
身体が熱い。
呼吸が苦しい。
脚が痛い。
それでも走る。
(もっと……!)
ゴールが近づく。
そして――
フジマサマーチが先頭で駆け抜ける。
オグリキャップがそのすぐ後ろ。
フラワーは、二人から少し離れた場所でゴールした。
「1着、フジマサマーチ!」
「2着、オグリキャップ!」
「3着、ローカルフラワー!」
場内に歓声が響く。
フラワーはその場で立ち止まった。
「はぁ……はぁ……」
息を整える。
身体が重い。
脚も疲れている。
でも――
悔しかった。
凄く。
「……負けた」
初めてのメイクデビュー。
3着。
悪い結果ではない。
むしろ新人としては十分な結果だ。
だけど。
そんなことはどうでもよかった。
「……届かなかった」
直線で確かに追いつけると思った。
自分の脚なら届くと思った。
なのに。
マーチとオグリは、そこからさらに速くなった。
「……なんで」
目に涙が浮かぶ。
「私……」
拳を握る。
「あんなに頑張ったのに……」
その時。
「フラワー」
聞き慣れた声。
「トレーナーさん……」
振り返る。
そこには市川がいた。
申し訳なさが湧き上がってくる。
私を見つけてスカウトしてくれたトレーナーさんの期待に応えられなかった。
涙が溢れてくる。