メイクデビューで3着になってから、数か月。
ローカルフラワーは、少しずつ変わっていった。
最初の頃は、とにかく走り方を覚えることに必死だった。
コーナーでは身体を傾ける角度を意識する。
加速するときは、必要な瞬間だけ力を使う。
それだけ。
たったそれだけのことを、一つずつ身体に染み込ませていった。
そして――
「先頭はローカルフラワー!」
初勝利。
ゴールを駆け抜けたフラワーは、何が起きたのか分からないような顔をしていた。
「……私?」
「ああ」
「私……勝ったんですか?」
「そうだ」
「……勝ったんだ」
その瞬間。
フラワーの顔がぱっと明るくなった。
「やったぁ!」
両手を握りしめて喜ぶ。
俺も思わず笑ってしまった。
たった一つの勝利。
けれど、それは大きな一歩だった。
二勝目。
「ローカルフラワー、差し切った!」
三勝目。
「またローカルフラワーだ!」
四勝目。
「直線で一気に伸びた! これは強い!」
勝利を重ねるたびに、フラワーの走りは洗練されていった。
そして何より。
表情が変わった。
以前のフラワーは、どこか自信がなかった。
模擬レースでマーチやオグリを見た時もそうだった。
自分とは違う世界の存在。
そんな風に感じていたのだろう。
けれど。
今は違う。
「トレーナーさん!」
「どうした?」
「今日の私、コーナーで外に膨らみませんでしたよね?」
「ああ。かなり良かった」
「加速も?」
「完璧だった」
「やっぱり!」
嬉しそうに笑う。
「ちゃんと速くなってますよね、私」
「もちろんだ」
「……えへへ」
自分の成長を、自分自身で実感している。
それが何より嬉しかった。
そして、勝利を重ねていくうちに。
フラワーは、あることに気付き始めていた。
「……次のレースなんですけど」
「どうした?」
「最近、オグリさんとマーチさんの名前をよく見かけるんです」
「ああ」
「私も、同じところまで来たんでしょうか?」
「まだだ」
即答すると、フラワーが頬を膨らませる。
「むぅ……」
「でも」
俺は続ける。
「近づいてはいる」
「……!」
「だから、このまま行けばいい」
「はい!」
フラワーは笑った。
焦る必要はない。
一つずつ。
そう言い聞かせながら。
俺たちは次のレースへ進んでいった。
そんなある日のことだった。
「トレーナーさん」
「ん?」
「次はゴールデントロフィーですよね?」
「ああ」
笠松の大きなレース。
そして――
オグリキャップとフジマサマーチ。
物語が大きく動き始めるレースでもある。
「私、出れますか?」
「ああ。今の成績なら問題ない」
「……」
フラワーが黙り込む。
「どうした?」
「ここで勝てば……」
「?」
「マーチさんやオグリさんに、もっと近づけますよね」
「ああ」
その言葉に、フラワーは嬉しそうに笑った。
だが。
俺はその日の夕方。
北原さんとの会話で、ある話を聞いた。
「そういえば市川」
「はい?」
「オグリのことなんだけどな」
「オグリがどうかしました?」
「ゴールデントロフィーに出すことにした」
やっぱり、ここは原作通りか。
「ゴールデントロフィー?」
「ああ」
北原さんは頷く。
「もしかしたら…これが笠松で最後のレースになるかもしれない」
「……中央移籍、ですか?」
「まあ、オグリにとっちゃそれが一番良いことだ」
そう言って笑う北原さん。
けれど。
俺には、笑っているようには見えなかった。
知っている。
北原さんの葛藤も、オグリとギクシャクしているであろうことも。
原作通りだ。
そして――
最後には吹っ切れて、勝利することも。
次の日のトレーニング。
「フラワー」
「はい?」
「少し話がある」
「なんでしょう?」
「ゴールデントロフィーのことだ」
「はい」
「オグリが勝てば、中央に行くことになる」
「……!」
フラワーの目が見開かれた。
「中央……」
「ああ」
「そんな……」
驚き。
そして。
寂しさ。
その両方が混ざったような表情だった。
「じゃあ……オグリさんと一緒に走れるのは」
「これが最後の機会になる」
「……」
フラワーは俯いた。
少しだけ考える。
そして。
「トレーナーさん」
「なんだ?」
「私、オグリさんに勝ちたいです」
以前とは違う。
メイクデビューの時の「勝ちたい」とは明らかに違っていた。
あの時は、届かない相手に挑戦してみたいという気持ちが強かった。
今は違う。
「私、ここまで頑張ってきました」
「ああ」
「トレーナーさんに教えてもらったことも、一つずつ覚えました」
「ああ」
「勝つたびに、自分が強くなっているのが分かりました」
フラワーは自分の脚を見る。
「だったら……」
拳を握る。
「ここまで来たのなら」
顔を上げる。
「勝ちたいです」
その目には、もう迷いがなかった。
「オグリさんに」
「ああ」
「マーチさんに」
「ああ」
「今の私が、どこまで通用するのか」
そして。
「確かめたいです」
俺は黙ってフラワーを見る。
その姿に、少しだけ胸が熱くなった。
以前の俺なら。
ここでゲームの知識を使って、勝てる方法を探しただろう。
強いスキルを詰め込んで。
能力を底上げして。
自分がウマ娘を勝たせようと。
でも、今は違う。
フラワー自身が望んでいる。
だからこそ。
「分かった」
「……!」
「やるからには、勝利を目指そう」
「はい!」
フラワーが笑う。
「ゴールデントロフィー」
俺はその名前を口にする。
「そこが、今の俺たちの目標だ」
「はい!」
「ただし、今まで通りだ」
「スキルを身体に馴染ませて…磨き上げる」
「そうだ」
フラワーは拳を握った。
「絶対に勝ちます」
その言葉を聞いて。
俺も覚悟を決めた。
オグリキャップ。
フジマサマーチ。
俺たちが追いかけてきた二人。
これまで、背中を見ることしかできなかった。
けれど。
次は違う。
同じレース場に立つ。
同じスタートラインに並ぶ。
そして――
勝負する。
ゴールデントロフィー。
良い経験になればいいとは、もう思わない。
フラワーは、勝つために走るのだから。