転生してもヤンデレからは逃げられない──トラウマを糧に最強になった俺は、再び愛に壊される 作:ゴロスケ
ミナト・クロフォード。
それが、この世界での俺の名前だ。
王国の第二王子。地位だけ見れば、間違いなく勝ち組だろう。
前世の記憶があるぶん、赤ん坊のふりは楽ではない。だが、文句を言える立場でもなかった。
「あーうぅ」
意味のない声を上げながら、天井を見る。
視界の端で、薄い光が揺れていた。魔力のオーラ──前世にはなかったものだ。
(これが、本物の魔力……!)
表向きは普通の赤ん坊のまま、心の中だけが騒ぐ。
まだ夢だと疑いたくなる。異世界の物語に、本当に足を踏み入れてしまったような感覚だった。
「ミナト様のご夕食をお持ちしました」
「ありがとう。さあ、ミナト」
乳母が部屋に入る。母は俺を抱き直すと、優しく微笑んで口元へスプーンを寄せた。
温かい味が広がる。初めての味なのに、妙に落ち着く。
それと同時に、体の奥へ何かが染み込むような感触があった。
(……魔力が、増えている?)
確信はない。それでも期待だけは、簡単に膨らんだ。
この世界では、成長そのものが力につながるのかもしれない。
「ふふ。この子は、すごい子になりますね」
「ええ。私たちの子ですから」
前世では得られなかったものだ。
温かい家族。豊かな魔力。
その幸福に、胸が熱くなる。
その瞬間だった。
──兄さーん。朝ですよー?
「っ……!」
頭の中を、あの声が過る。背筋を冷たいものが伝った。
──何処にも行かないでね?
短い。だが、それで十分だった。
「──ッ」
体が震える。急な吐き気と目眩。
もういないはずの妹。
なのに、前世の悪夢は、転生したあとも消えていなかった。
「ミナト様?」
「大丈夫?」
両親が覗き込む。その優しさが、今は痛かった。
「ぅ……」
涙がこぼれる。赤ん坊の癖した泣き方ではない。
抑えきれず、声を上げ続けた。
(ここは、もうあの地獄じゃない)
わかっている。わかっているのに、体が拒否する。
幸せを感じるほど、また失う想像が膨らむ。
「泣かないで、ミナト」
「怖い夢でも見たのでしょう」
母の手が、背中を撫でる。温かい。
それでも、残像は晴れない。
(……なんで、今なんだよ)
妹は、もういない。
なのに、ふとした拍子に、あの部屋の空気が戻ってくる。
(全部、俺のせいなのか?)
答えは出ない。
出せる相手も、もういない。
(あいつは、いない。もういない)
何度、心の中で繰り返しても、不安だけが胸を締めつけた。
俺は、ただ泣き続けた。
*
その後も、日常は穏やかに過ぎた。
父は厳しく、しかし嫌な人間ではなかった。兄を叱る声は大きくても、俺には妙に丁寧だった。
母は毎日のように傍にいて、夜は低い声で絵本を読んだ。
王子として、過剰なほどの環境。
前世の俺から見れば、信じられないほど平和な日々だった。
日が過ぎ、週が過ぎ、ひと月が過ぎる。
体は少しずつ大きくなり、俺もこの世界のリズムに慣れ始めていた。
──慣れたつもりでいただけなのかもしれない。
*
深夜。一時的に一人になった寝室で、目が開いた。
薄い月明かり。冷えた空気。
誰もいないはずの部屋なのに、胸の奥が先に騒ぐ。
(まただ……)
原因はわかっている。妹だ。
理由は、いまだにうまく言葉にできない。
ただ、体が先にすくむ。
──兄さん。
幻聴だと分かっている。分かっていても、反応してしまう。
鎖の音。足音。あの笑顔。
思い出しているだけなのに、今この場にあるように感じる。
──兄さ〜ん? どうして逃げるの?
見たくない、と思った時には遅かった。
ベッドの上でうずくまる俺へ、近づいてくる気配だけが膨らんでいく。
逃げようとしても、体が動かない。
金縛りではない。ただ、恐怖が先に体を押さえ込んでいる。
──また会えたね。嬉しいなあ。
「あああぁッ!!」
叫んで、跳ね起きた。
呼吸が荒い。心臓がうるさい。冷や汗が背を伝う。
赤子の体でも、恐怖だけは大人と同じだった。
部屋には、誰もいない。
「はぁ……はぁ……」
呼吸を整えようとしても、すぐに戻らない。
何度経験しても、慣れなかった。むしろ、前よりはっきりする気がする。
──明日も、楽しみにしてるからね。
耳元で言われた気がして、肩がすくむ。
幻でも本物でも、不快なことに変わりはない。
(くそっ……)
布団を叩く。大きな音にはならない。それでも、今の俺にはそれが精一杯だった。
王国の王子として生まれ直した。家族もいる。環境もいい。
なのに、まだ過去の部屋から出ていない。
「は……はは」
自嘲が漏れる。
外見が変わっても、中身は同じなのか。また同じ場所で立ち止まるのか。
その時、違和感があった。
「なんだ……?」
暗い空気の中に、薄い熱がある。
目を凝らすと、光の粒が見えた。俺自身から溢れる魔力の粒子だ。宝石のように、小さく揺れている。
美しい、と思うより先に、別の考えが来た。
この力があれば、変えられるかもしれない。
過去の悪夢を。前世の無力を。
(……そうだ)
絶対的な力が要る。
誰が来ても、二度とあの側に戻されないだけの力が。
魔力。前世にはなかったもの。
これを磨けば、変われるはずだ。
(強く、なる)
小さな手を握りしめる。
鎖は、もう付いていない。だが恐怖は、まだ残っている。
なら、自分で潰すしかない。
──現実逃避? ああ、そうだろう。分かっている。それでもいい。
俺は弱い。誰よりも脆い。だからこそ──。
(……もう、あの部屋には戻らない)
天井を見ながら、そう決めた。
家族の温もりに浸かりながらも、心の底の傷は消えない。それは事実だ。
なら、その恐怖を使う。
逃げずに勝つための執念へ、変える。
そう思った瞬間、俺の中の何かが、わずかに変わった気がした。