呪術世界、荒天につき。   作:風都市民 I・S

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第二話 予報された雷

 

足元に砂があった。

 

白く、細かく、雨を吸っていない乾いた砂。

 

つい先ほどまでウェザーがいた街では、空から落ち続ける水が道路を覆い、濁流があらゆるものを押し流していた。だが、一歩境界を越えた途端、雨音は消えた。

 

頭上には雲一つない青空。

 

正面には、太陽の光を反射する海が広がっている。

 

風は穏やかで、波も一定の間隔で砂浜へ打ち寄せていた。

 

ウェザーは立ち止まり、周囲を観察した。

 

気温、二十七度。

 

湿度、六十六パーセント。

 

気圧、一定。

 

風速、毎秒一・二メートル。

 

一見すれば、快適な海辺だった。

 

だが、何も変化していない。

 

風向きが揺らがない。波の高さが変わらない。雲の一片すら発生しない。

 

空が生きていなかった。

 

「どうしたの?」

 

先を歩いていた真人が振り返る。

 

裸足のまま砂浜を歩き、拾った貝殻を耳に当てている。その姿だけを見れば、海へ遊びに来た人間のようだった。

 

「この空は偽物だ」

 

ウェザーが答えると、真人は楽しそうに笑った。

 

「分かるんだ」

 

「気象が固定されている。空に変化がない」

 

「ここは陀艮の領域だからね。陀艮がそうしたいと思ってる間は、ずっと晴れたままだよ」

 

少し離れた場所では、漏瑚が砂浜に置かれた椅子へ腰かけていた。

 

その隣では、花御が地面から伸ばした植物の葉を眺めている。

 

僧衣を着た男――夏油傑と呼ばれている人間は、木陰に座り、穏やかな表情で一行を見守っていた。

 

ウェザーはその男へ視線を向けた。

 

呼吸は一定。

 

体温にも大きな変化はない。

 

笑みも自然に見える。

 

だが、やはり周囲の空気が重い。

 

嵐の前に気圧が低下するように、男の内側には何かが沈んでいる。

 

「ぶう」

 

足元から声がした。

 

ウェザーが視線を落とす。

 

丸い体をした奇妙な呪霊が、砂の上から彼を見上げていた。

 

身体の一部は海洋生物に似ている。皮膚は湿り、内部には膨大な水分と呪力が蓄えられている。

 

呪胎。

 

まだ成長の途中にある存在。

 

「それが陀艮だよ」

 

真人がしゃがみ込み、陀艮の頭を軽く叩いた。

 

「この場所の持ち主」

 

陀艮は真人の手を振り払い、今度はウェザーの周囲を回り始めた。

 

ウェザーもまた、陀艮を観察する。

 

海水。

 

潮流。

 

深海。

 

溺死への恐怖。

 

ウェザーは陀艮の本質を理解した。

 

「お前は海か」

 

「ぶ」

 

陀艮が答える。

 

ウェザーは頭上の青空へ目を向けた。

 

「私は空だ」

 

その言葉と同時に、領域内の大気がわずかに動いた。

 

一定だった風向きが変わる。

 

海上の水分が上昇し、小さな雲が生まれた。

 

一滴の雨が、陀艮の頭へ落ちる。

 

続けて二滴、三滴。

 

やがて、ごく狭い範囲にだけ弱い雨が降り始めた。

 

陀艮は目を見開き、雨粒を受け止めるように口を開けた。

 

「ぶう!」

 

嬉しそうな声を上げ、ウェザーの脚へ身体を擦り寄せる。

 

「ほら、仲良くなれた」

 

真人が笑う。

 

「領域内の天候を勝手に変えるでない」

 

漏瑚が椅子から立ち上がった。

 

周囲の気温が一気に上昇する。

 

漏瑚の頭部から発せられた熱が空気を温め、上昇気流を作り出していた。

 

ウェザーはその動きを見つめる。

 

熱を風で運べば、炎は拡大する。

 

海上の水分と結びつければ、積乱雲を形成することもできる。

 

「お前は強いのか」

 

ウェザーが尋ねる。

 

漏瑚のこめかみが引きつった。

 

「昨日も聞いたな、その質問は」

 

「回答を得ていない」

 

「ならば今ここで教えてやろうか」

 

漏瑚の掌に火が灯る。

 

その瞬間、花御の腕が二人の間へ差し込まれた。

 

漏瑚は舌打ちし、炎を消す。

 

「花御。止めるな」

 

花御は言葉を発さない。

 

だが、ウェザーには空気を通して、その意思がわずかに伝わった。

 

争う必要はない。

 

少なくとも今は。

 

「俺は構わないよ」

 

真人が言う。

 

「二人が戦ったら、どんな天気になるのか見てみたいし」

 

「お前は少し黙っておれ」

 

漏瑚は吐き捨てるように言い、ウェザーへ向き直った。

 

「一つ聞こう。貴様は何のために人間を殺す」

 

「殺すことを目的にはしていない」

 

「何?」

 

「人間が存在する限り、恐怖は発生する。人間が空を恐れることで、私は生まれた。全てを滅ぼせば、新たな恐怖も生まれない」

 

漏瑚の顔が険しくなる。

 

「人間を生かし、己の糧にするというのか」

 

「生かすとも言っていない。必要であれば殺す。ただし、滅ぼすことそのものに価値はない」

 

漏瑚の周囲で熱が膨れ上がった。

 

「呪霊こそが真の人間だ。我々が人間に代わり、この世界を支配する。その理想を理解せぬ者を、仲間と呼ぶことはできん」

 

「理想」

 

ウェザーはその言葉を繰り返した。

 

空に理想はない。

 

雨は誰かを救うために降るわけではない。

 

雷は誰かを罰するために落ちるわけではない。

 

ただ条件が整い、現象が発生する。

 

「それはお前の願望だ」

 

漏瑚の足元から火柱が上がった。

 

だが、それより先に真人が二人の間へ割って入った。

 

「いいじゃん、漏瑚」

 

「どけ、真人」

 

「仲間全員が同じこと考えてたら、つまらないでしょ」

 

真人はウェザーの肩へ腕を回そうとした。

 

ウェザーがその手を避けると、真人は気にした様子もなく笑った。

 

「それに、ウェザーは僕たちを裏切るつもりはなさそうだよ」

 

「なぜ分かる」

 

「だって、ここにいた方が強い奴と戦えるから」

 

ウェザーは真人を見る。

 

正確だった。

 

真人は人間の魂を理解する。

 

ウェザーは大気の変化を読む。

 

観測方法は違うが、相手の目的を見抜くという点では似ているらしい。

 

「さて」

 

木陰にいた夏油が立ち上がる。

 

「ウェザーにも、我々の役に立ってもらおう」

 

男の声に、漏瑚の熱が収まった。

 

夏油は一枚の紙を取り出した。

 

そこには、山中に建つ古い建物の写真が載っている。

 

複数の観測機器。錆びた鉄塔。雲に覆われた山頂。

 

「閉鎖された気象観測所だ」

 

夏油は写真をウェザーへ見せる。

 

「数十年前から、周辺で異常な呪力反応が確認されている。観測所に保管された古い気圧計が、呪物化しているらしい」

 

「気圧計」

 

「台風、豪雪、落雷。予報の外れた災害で死んだ人間たちの恐怖や後悔を吸収している。君にとって興味深いものではないかな」

 

ウェザーは写真を見つめた。

 

紙の表面からでも、ごく薄い呪力を感じる。

 

恐怖。

 

空を観測し、未来を予測し、それでも災害を防げなかった人間たちの感情。

 

「回収すればいいのか」

 

「ああ。ただし、呪術師が監視している」

 

夏油は真人へ視線を向けた。

 

「真人、同行してくれ」

 

「僕も戦っていいの?」

 

「今回は観察役だ。可能な限り、ウェザーに任せてほしい」

 

真人は露骨に不満そうな顔をした。

 

「見るだけ?」

 

「彼の実力を確かめる必要がある」

 

夏油の言葉には嘘が混ざっている。

 

ウェザーはそう判断した。

 

実力を測ることだけが目的ではない。

 

夏油は、自分がどの程度まで成長する存在なのかを見極めようとしている。

 

危険であれば、何らかの処置を取るつもりなのだろう。

 

「問題ない」

 

ウェザーは答えた。

 

「観測対象がいるなら、向かう」

 

「決まりだね」

 

真人が両手を打ち鳴らした。

 

「じゃあ行こう、ウェザー」

 

 

 

山道を進む間、空は曇っていた。

 

真人は人間から奪ったらしい上着を着込み、手を頭の後ろで組みながら歩いている。

 

ウェザーはその隣を進み、上空の雲を観察していた。

 

気圧は緩やかに低下している。

 

数時間以内に雨が降る可能性が高い。

 

「ねえ」

 

真人が声をかける。

 

「昨日殺した人間、どうだった?」

 

「脆かった」

 

「楽しくなかった?」

 

「理解は深まった」

 

「それを楽しいって言うんじゃないの?」

 

ウェザーは答えなかった。

 

楽しいという感情を、まだ正確に理解していない。

 

だが、呪術師の攻撃を受け、自分の術式を知り、より効率的な殺害方法を発見した瞬間、内部に何かが生まれた。

 

真人の言う楽しさに近いものかもしれない。

 

「真人」

 

「なに?」

 

「お前はなぜ人間を殺す」

 

「面白いから」

 

即答だった。

 

「人間って、自分の魂の形も知らないくせに、身体とか命とかにすごくこだわるんだよ。少し形を変えてあげるだけで、すぐ泣いたり怒ったりする。見てて飽きない」

 

「壊せば観測できなくなる」

 

「壊した後にしか分からないこともあるよ」

 

真人は自分の手を見つめながら、指の形を鳥のように変化させた。

 

「ウェザーも同じでしょ。昨日の術師を殺して、新しいことが分かった」

 

「似ているが、同じではない」

 

「ふうん」

 

真人は笑う。

 

「じゃあ、どっちが先に完成するか競争しようか」

 

「完成」

 

「僕は魂の本当の形を知る。君は空そのものになる。面白そうじゃない?」

 

ウェザーは真人を見た。

 

この呪霊は、昨日よりも変化している。

 

目に見える形ではない。

 

だが、魂というものが存在するなら、その輪郭は絶えず動いているのだろう。

 

観測する価値がある。

 

「受諾する」

 

「本気にした?」

 

「お前を超えれば、私の成長を確認できる」

 

真人は一瞬黙り、それから腹を抱えて笑った。

 

 

 

観測所へ近づくにつれ、風が弱くなった。

 

建物が見える距離まで来たとき、ウェザーは足を止めた。

 

木々の葉がまったく揺れていない。

 

雲は上空を流れているのに、観測所の周囲だけ大気が静止している。

 

「結界だ」

 

ウェザーが言う。

 

真人は道路脇の枝を折り、観測所へ向けて放り投げた。

 

枝は見えない壁を通過した直後、空中で不自然に停止し、そのまま地面へ落ちた。

 

「本当だ。風が死んでる」

 

「内部の大気条件が固定されている」

 

ウェザーは境界へ手を伸ばす。

 

内側の空気は乾燥し、温度も湿度も変化しない。

 

外の雲とのつながりも断たれている。

 

天候を発生させるための変化そのものを封じる結界。

 

「相性悪そうだね」

 

真人が笑う。

 

「手伝うか?」

 

「不要だ」

 

ウェザーは結界を越えた。

 

空気が重くまとわりつく。

 

呼吸をする必要はないが、自分の身体を構成する呪力の流れが鈍くなるのを感じた。

 

観測所の扉は開いていた。

 

内部には二つの人間の気配がある。

 

呼吸音。

 

心拍。

 

一人は落ち着いている。

 

もう一人は速い。

 

ウェザーが建物へ入ると、暗い廊下の奥で男が待っていた。

 

四十代ほどの術師。

 

片手に細身の刀を持ち、もう一方の手で印を結んでいる。

 

その後ろには、若い術師が立っていた。

 

「来たか」

 

男はウェザーを見上げる。

 

「昨日発生した特級相当の呪力反応。まさか一日でここまで移動してくるとはな」

 

「私を知っているのか」

 

「気象庁の観測記録が狂っていた。局地的豪雨、落雷、異常な気圧低下。呪いの仕業だと考えるには十分だ」

 

男は廊下の床を踏む。

 

壁、天井、床に刻まれた紋様が光った。

 

「術式――凪室」

 

空気が完全に停止する。

 

ウェザーが掌を上げる。

 

水分を集めようとする。

 

だが、動かない。

 

温度を変化させようとしても、術式の力が周囲へ浸透しない。

 

「この結界内では、大気の状態は固定される」

 

男が刀を構える。

 

「風も、湿度も、温度も変わらない。お前のような呪霊を封じるための術式だ」

 

「興味深い」

 

ウェザーが呟く。

 

男が踏み込んだ。

 

刀が白い甲殻を斬り裂く。

 

昨日の術師よりも速い。

 

ウェザーは腕で刃を防ぎ、もう片方の手で男を掴もうとする。

 

男は姿勢を低くしてかわし、腰部の青緑色の核へ刀を突き出した。

 

ウェザーは身体を捻る。

 

刃が核の縁を削った。

 

痛みとともに、全身の呪力が乱れる。

 

「そこが核か」

 

男が距離を取る。

 

後方の若い術師が札を投げる。

 

札は天井や壁へ張りつき、凪室の結界を補強した。

 

「先輩、外にもう一体います!」

 

「分かっている。だが入ってこない」

 

男は廊下の入口へ視線を向ける。

 

そこでは真人が壁にもたれ、笑顔で戦いを見ていた。

 

「援護しないのか」

 

ウェザーが尋ねる。

 

「君がどんなふうに成長するのか見たいからね」

 

真人は軽い口調で答えた。

 

「死にそうになったら考えるよ」

 

再び男が迫る。

 

斬撃。

 

ウェザーの肩の甲殻が砕ける。

 

続く一撃が腹部へ入る。

 

ウェザーは壁へ叩きつけられた。

 

大気を支配できない。

 

外部から雷を呼べない。

 

雨も、風も、霧も発生させられない。

 

このままでは殺される。

 

その事実を認識する。

 

だが、恐怖はなかった。

 

殺される可能性。

 

それも観測すべき現象の一つにすぎない。

 

ウェザーは周囲を改めて分析した。

 

固定されているのは、大気の状態。

 

だが、空気が消失したわけではない。

 

人間の呼気に含まれる水分。

 

電気機器から漏れる熱。

 

破壊された甲殻から蒸発する呪力。

 

結界の札同士をつなぐ、微細な電気的偏り。

 

変化を起こせないなら、既に存在する差を利用すればいい。

 

ウェザーは砕けた肩へ手を当てた。

 

男が警戒しながら近づく。

 

「何をするつもりだ」

 

ウェザーの掌の上に、小さな光が生まれた。

 

青白い球体。

 

雷に似ているが、空から落ちてこない。

 

雲も必要としない。

 

光球はわずかに揺れながら宙へ浮かんだ。

 

「雷……?」

 

若い術師が声を漏らす。

 

「この空間で発生するはずがない!」

 

「雲がなければ」

 

ウェザーが言う。

 

「別の形を与えればいい」

 

光球が動いた。

 

生物のように廊下を漂い、壁に張られた札の周囲を回る。

 

男が刀で斬ろうとする。

 

光球は刃を避け、結界の継ぎ目へ触れた。

 

爆発。

 

青白い閃光が廊下を満たす。

 

数枚の札が燃え、凪室の一部が歪んだ。

 

外部から風が流れ込む。

 

ほんのわずかな風。

 

だが、ウェザーには十分だった。

 

大気の状態が変わった。

 

湿度が動く。

 

温度差が生まれる。

 

ウェザーは両腕を広げた。

 

「予報を伝える」

 

低い声が、観測所全体に響く。

 

「四十五秒後、この建造物に落雷が発生する」

 

男の顔が険しくなる。

 

「宣言型の縛りか」

 

ウェザー自身にも、それが何なのかは完全には分からない。

 

ただ、現象と時刻を言葉にした瞬間、呪力の流れが変化した。

 

指定した未来へ向かい、空気が強制的に整い始める。

 

宣言した内容は変えられない。

 

落雷地点も、発生時刻も。

 

その代わり、術式の出力が上昇していく。

 

「阻止する!」

 

男が叫ぶ。

 

若い術師が残った札を屋上へ飛ばし、避雷設備を封じる。

 

男自身はウェザーへ突進した。

 

残り三十秒。

 

刀が胸部を貫く。

 

ウェザーは後退しながら刃を掴む。

 

掌が裂ける。

 

残り二十秒。

 

男が刃を捻り、核へ向けて押し込む。

 

青緑色の渦が不安定に揺れる。

 

「お前が雷を落とす前に、核を破壊する!」

 

残り十秒。

 

上空で雲が渦を巻き始める。

 

結界の外に存在していた雨雲が、観測所の真上へ集まってくる。

 

残り五秒。

 

男の刀が核の表面へ届く。

 

三秒。

 

ウェザーは刀を掴んだまま、男を離さなかった。

 

二秒。

 

青白い放電が刀の切っ先に灯る。

 

男が目を見開く。

 

一秒。

 

「落雷地点を確認」

 

天井を突き破り、雷が落ちた。

 

光と轟音が観測所を満たす。

 

雷は男の刀を通り、ウェザーの身体へ流れ込んだ。

 

白い甲殻の隙間から、無数の雷光が走る。

 

男の身体も感電し、動きが止まる。

 

ウェザーは受けた雷を右腕へ集中させた。

 

拳を振るう。

 

雷鳴とともに、男の身体が廊下の奥まで吹き飛んだ。

 

壁へ激突し、動かなくなる。

 

「先輩!」

 

若い術師が駆け寄ろうとする。

 

ウェザーはその呼吸と心拍を観測した。

 

恐怖。

 

絶望。

 

それでも倒れた仲間を助けようとする意志。

 

興味深い。

 

もう少し観測する価値がある。

 

だが、若い術師の肩へ別の手が触れた。

 

真人だった。

 

「捕まえた」

 

若い術師の身体が歪む。

 

骨格が縮み、四肢の位置が変わり、叫び声が人間のものではなくなっていく。

 

数秒後、そこにいたのは小さな異形だった。

 

真人はそれを掌へ乗せる。

 

「なかなか面白い形になった」

 

ウェザーは真人を見る。

 

「なぜ殺した」

 

「敵だったから」

 

「私はまだ観測を終えていない」

 

真人は首を傾げる。

 

「壊した後に分かることもあるよ」

 

真人の掌の上で、異形となった術師がかすかに動く。

 

ウェザーはその姿を見つめた。

 

魂を変形させられた存在。

 

気温も、呼吸も、心拍も、元の人間とは異なる。

 

確かに、壊した後でなければ得られない情報もある。

 

だが、真人は情報を得るために壊したわけではない。

 

壊すこと自体を楽しんでいる。

 

「やはり、お前と私は異なる」

 

「そう?」

 

真人は異形を壁へ投げつけた。

 

「でも、仲良くはできそうでしょ」

 

ウェザーは答えなかった。

 

 

 

観測所の地下には、古い機材が並んでいた。

 

その中央に、ガラスで覆われた気圧計が置かれている。

 

針は壊れているはずなのに、絶えず上下へ震えていた。

 

ウェザーが近づくと、内部の呪力が反応する。

 

人間の声が聞こえた。

 

避難が間に合わない。

 

予報ではここまで強くなるはずではなかった。

 

川が溢れる。

 

屋根が飛ぶ。

 

雷が近い。

 

空が赤い。

 

何かが降ってくる。

 

ウェザーが気圧計へ触れる。

 

大量の記憶が流れ込んだ。

 

真っ赤な雨。

 

空から降る魚。

 

血のような肉片。

 

壁を通り抜ける光の球。

 

船のマストに灯る青白い炎。

 

三つに分裂した太陽。

 

地平線の彼方まで続く、巨大な筒状の雲。

 

どれも空に発生した現象だった。

 

だが、通常の天候とは異なる。

 

人間は原因を理解できないものにも名前を与え、恐怖している。

 

「これは……」

 

ウェザーの腰にある核が激しく回転する。

 

気圧計に蓄積されていた呪力が、白い甲殻へ吸収されていく。

 

真人が隣から覗き込む。

 

「君の知らない天気?」

 

「違う」

 

ウェザーは答えた。

 

「だが、人間はこれらも空の異変として恐れている」

 

再び、赤い雨の記憶が浮かぶ。

 

現時点では再現方法が分からない。

 

だが、術式の内部に新たな可能性が生まれている。

 

天候だけではない。

 

空に現れる異変。

 

理解できない光。

 

本来そこに存在しないものの降下。

 

それらに対する恐怖もまた、ウェザーを構成する力となり得る。

 

「面白そうだね」

 

真人が気圧計を指で弾く。

 

「もっと強くなったら、魚とか降らせられるの?」

 

「不明だ」

 

「じゃあ、試してみようよ」

 

ウェザーは気圧計を持ち上げた。

 

「そのために持ち帰る」

 

 

 

海辺の領域へ戻ると、漏瑚が待っていた。

 

ウェザーの甲殻はところどころ砕け、核にも細い傷が入っている。

 

それでも、手には回収した気圧計があった。

 

「随分と無様な姿だな」

 

漏瑚が言う。

 

「一級相当の術師を一人倒したよ」

 

真人が横から口を挟む。

 

「それに、新しい雷も作ってた」

 

「貴様には聞いておらん」

 

漏瑚はウェザーへ視線を向ける。

 

「生まれたばかりにしては、多少使えるようだな」

 

「お前と戦えば、さらに多くを理解できる」

 

「何故そうなる!」

 

陀艮が砂浜を転がるように近づいてきた。

 

ウェザーの傷を見つけると、不安そうに声を上げる。

 

「ぶう……」

 

「損傷は軽微だ」

 

ウェザーは陀艮の頭へ手を置いた。

 

すると花御が近づき、ウェザーの肩へ植物の蔓を巻きつけた。

 

蔓から呪力が流れ込み、砕けた甲殻の再生が早まる。

 

「修復を確認」

 

花御は静かに頷いた。

 

「これで決まりだね」

 

真人が全員を見回す。

 

「ウェザーは僕たちの仲間」

 

漏瑚は不満そうに鼻を鳴らした。

 

花御は反対しない。

 

陀艮は嬉しそうにウェザーの脚へ寄り添っている。

 

夏油だけが、少し離れた場所からウェザーの持つ気圧計を見ていた。

 

その視線には警戒が混じっている。

 

ウェザーはそれを感じ取ったが、指摘しなかった。

 

この集団にいれば、強者と戦える。

 

真人の変化を観測できる。

 

自分もまた、未知の現象へ進化できる。

 

それだけで十分だった。

 

夜。

 

ほかの呪霊たちが離れた後も、ウェザーは一人で海辺に立っていた。

 

手には、回収した気圧計がある。

 

領域内の空は晴れている。

 

ウェザーは記憶の中にあった現象を再現しようとした。

 

赤い雨。

 

空から降る異物。

 

複数の太陽。

 

術式を起動する。

 

雲が生まれる。

 

雨粒が一つだけ落ちた。

 

ウェザーは掌で受け止める。

 

透明だった水滴は、掌へ触れた瞬間に赤く染まった。

 

血の色。

 

だが、すぐに普通の水へ戻る。

 

続いて、空から何かが落下した。

 

砂浜へ小さな音を立てて落ちる。

 

一匹の魚だった。

 

魚は砂の上で数度跳ね、動かなくなる。

 

ウェザーはそれを拾い上げた。

 

なぜ生まれたのかは分からない。

 

観測所から吸収した恐怖が、術式を通じて形を得たのか。

 

背後に人間の気配がある。

 

夏油だった。

 

「天候を操るだけの呪霊ではない、か」

 

「訂正する」

 

ウェザーは魚を見つめたまま言う。

 

「天候とは、人間が理解できた空の現象に与えた呼称にすぎない」

 

夏油の笑みがわずかに深くなる。

 

「では、君は何を操る?」

 

ウェザーは空を見上げた。

 

月の近くに、一瞬だけ別の光が現れる。

 

もう一つの月。

 

あるいは、月に似た何か。

 

それは数秒で消えた。

 

「空には、まだ名前のない現象が存在する」

 

ウェザーの腰で、青緑色の渦がゆっくりと回る。

 

「私は、それらを理解する」

 

遠くで雷が鳴った。

 

晴れているはずの領域に、冷たい風が吹き始めた。

 

「理解し、再現し、やがて全てを私の一部とする」

 

夏油は何も答えなかった。

 

ただ、ウェザーの背中を静かに見つめていた。

 

空から、二滴目の赤い雨が落ちた。

 

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Fate/Strange Order : 冠位影法録(シャドウ・レコード)(作者:りー037)(原作:Fate/)

▼ 2015年、人類の未来が焼却された。▼ 人理継続保障機関カルデアに集められた48人のマスター候補生。その最後の一人としてスカウトされたヴァルナ・クロスは、魔術師ではなかった。▼ 彼の正体は、東洋の異端の術式『十種影法術』を操り、かつて聖堂教会に属し死徒を狩り続けた規格外の異邦人。▼ 突如起きたカルデア爆破テロにより、ヴァルナと盾の少女マシュは、人理焼却へ…


総合評価:1684/評価:8.27/連載:40話/更新日時:2026年09月03日(木) 20:28 小説情報

雷神の系譜~鹿紫雲一の末裔に転生したので、原作の悲劇を打ち壊す~(作者:メンチカツ)(原作:呪術廻戦)

『呪術廻戦』を愛読していた男は、なせか『呪術廻戦』の世界に転生してしまった。しかも転生先は原作には存在しない家系───"雷神"鹿紫雲一を始祖に戴く呪術師の名門だった。▼五条悟に勝るとも劣らない才能を持つ主人公だが、待っていたのは名門特有の権力闘争と、原作の悲劇。▼「鹿紫雲の術式」と「原作知識」を武器に男は決意する。推しの死も、羂索の策謀も…


総合評価:2619/評価:7.79/連載:16話/更新日時:2026年08月31日(月) 07:00 小説情報


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