殉職したので異世界へ   作:xzxz010

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もしお気に召しましたら高評価よろしくお願いします。そうするともっと多くの方の目に留まりますので。


第十話 調査隊

 翌朝、恵斗が冒険者ギルドへ顔を出すと、入口近くの掲示板には昨日まで存在しなかった一枚の依頼書が貼り出されていた。

 

 北部街道周辺における魔物分布異常の調査。

 

 対象地域は王都から北へ二日から三日の範囲、目的は街道の安全確認と、生息域を外れて南下している魔物の原因調査。討伐は必要な場合に限ると明記されており、参加条件にも一定以上の等級が指定されている。単なる魔物退治ではなく、帰還して情報を持ち帰ることを重視した依頼らしい。

 

「おはようございます、新田さん」

 

 受付からミレーヌが声をかけてきた。

 

「おはよう。これ?」

 

「はい。昨日の聞き取りと、新田さんが持ち帰った情報を合わせて、ギルド長が正式に調査を決めました」

 

「思ったより早かったですね」

 

「北から来る商隊が途絶え始めていますから。魔物の問題だけなら多少は様子を見られますけど、街道が止まると王都の生活にまで影響が出ます」

 

 昨日マーサから聞いた話を思い出す。市場ではすでに一部の食料品が値上がりし始めているという。

 

 怪物が森を歩くことと、王都のパンの値段が上がることは、一見すれば無関係に見える。しかし、その二つを結んでいる街道が一本途切れただけで、人間の生活は簡単に揺らぐ。

 

「参加するなら、今日の昼までに返事をください」

 

「他には誰が?」

 

「もう三人決まっています。会ってみますか?」

 

「お願いします」

 

     *

 

 案内されたのは、ギルドの二階にある小さな会議室だった。

 

 中にはすでに三人の冒険者がいた。

 

 一人目は四十代ほどの男で、日に焼けた顔に短い髭を生やしている。壁へ立て掛けてある長弓は使い込まれており、革製の装備にも飾り気がない。恵斗が入ってくると、男は椅子から立ち上がった。

 

「ガレスだ。猟師上がりで、今は冒険者をやってる」

 

「新田恵斗です。よろしく」

 

 差し出された手を握る。

 

「話は聞いてるよ。南の村でゴブリンの巣を潰した奴だろ?」

 

「だいぶ話が大きくなってますね。全部は潰してませんよ」

 

「生き残りが逃げたなら似たようなもんだ」

 

 ガレスはそう言って笑った。

 

 残る二人は男女だった。

 

「私はエレナ。治癒術と、簡単な防護魔法を使います」

 

 二十代後半ほどの女性が丁寧に頭を下げる。白い法衣ではなく、丈夫そうな旅装の上から革製の胸当てを身につけており、腰には短い杖とナイフが下がっている。

 

「ダリオだ。前をやる」

 

 最後の男は三十代ほどで、三人の中では最も体格がよかった。傍らには長剣と大きな盾が置かれている。

 

「前?」

 

 恵斗が聞き返すと、ダリオは少し怪訝そうな顔をした。

 

「前衛だよ。あんたの故郷じゃ言わないのか?」

 

「ああ、そういう意味か。役割の呼び方が違うんです」

 

「変わった国だな」

 

「俺も最近そう思います」

 

 エレナが小さく笑った。

 

     *

 

 ギルド長が現れるまでの間、四人は簡単に互いの経験を確認した。

 

 ガレスは王都北部の森林で二十年以上狩猟を続けており、今回の地域にも何度も入った経験がある。ダリオは護衛依頼を中心に活動する剣士で、商隊とともに北部街道を往復した経験が豊富だった。エレナは治癒術師だが、負傷者が出るまで後ろで待っているだけの人間ではなく、長期の探索依頼にも慣れているらしい。

 

 恵斗にとっては都合のいい編成だった。

 

 自分に不足しているものを、この三人は持っている。

 

 特にガレスの知識は重要だった。恵斗にも偵察隊で身につけた痕跡の読み方や地形判断はあるが、この世界の動植物や魔物については圧倒的に知識が足りない。足跡を見つけても、それが異常であるかどうかは、その土地の平常を知らなければ判断できない。

 

「それで、あんたは何ができる?」

 

 ダリオが尋ねた。

 

 当然の質問だった。

 

「偵察と戦闘。怪我人が出た場合の応急処置もできます」

 

「得物は?」

 

「飛び道具です」

 

「弓か?」

 

「似たようなものだと思ってください」

 

 ガレスが眉を上げた。

 

「噂の雷みたいな音がする武器か」

 

「もうそこまで伝わってるのか……」

 

「村から来た行商人が昨日ずっと喋ってたぞ」

 

 恵斗は額へ手を当てた。

 

 中世程度の情報伝達速度だからといって、酒場の噂話まで遅いとは限らないらしい。

 

     *

 

 ほどなくしてギルド長が現れ、卓上へ地図を広げた。

 

 五十代ほどの大柄な男で、元冒険者なのか、右頬から顎へ古い傷が走っている。

 

「今回の目的は原因究明だ。魔物を何匹殺したかは評価しない。全員生きて帰って、見たものを報告することを優先してくれ」

 

 指が街道を北へ辿る。

 

「まずはここ。商隊が襲撃された場所を確認する。その後、状況が許せば北にあるローデン宿場町まで進む。昨日使者を出したが、まだ返事はない」

 

「使者はいつ戻る予定です?」

 

 恵斗が尋ねた。

 

「順調なら明日の夕方だ。ただ、調査隊は明朝出てもらう。街道上で行き違う可能性はある」

 

「分かりました」

 

「新田」

 

「はい」

 

「お前については王都の役人から多少聞いている」

 

 恵斗はギルド長を見る。

 

 王宮で召喚された以上、王都側が自分の存在を把握していること自体は不思議ではない。

 

「妙な力を持っているそうだな」

 

「まあ、妙ではありますね」

 

「詳しく聞く気はない。今回はこちらの三人と歩調を合わせてくれればいい」

 

「了解です」

 

 ギルド長は頷き、それ以上能力について追及しなかった。

 

     *

 

 打ち合わせを終えた恵斗は、その足で市場へ向かった。

 

 遠征そのものに必要な物資の大半は能力で用意できる。しかし、現地人三人と行動する以上、何もないところから水や食料を次々と出して見せる必要もない。王都で普通に買えるものについては、現地で調達した方が余計な説明をせずに済む。

 

「おや、三個の兄ちゃんじゃないか」

 

 昨日と同じ場所で、マーサが果物を並べていた。

 

「俺の名前、三個の兄ちゃんになったの?」

 

「今日は五個買えば昇格させてやるよ」

 

「何に?」

 

「五個の兄ちゃん」

 

「悪化してるじゃねえか」

 

 マーサが腹を抱えて笑った。

 

 恵斗は保存の利きそうな干し果物を選びながら、明日から数日王都を離れると話した。

 

「北かい?」

 

「まあ、その辺」

 

 老婆の手が一瞬だけ止まった。

 

「昨日、行くなって言ったばかりじゃないか」

 

「仕事になっちゃったんですよ」

 

「断りゃいいだろ」

 

「それも考えました」

 

「考えただけかい」

 

「はい」

 

 マーサはしばらく恵斗の顔を見ていたが、やがて鼻を鳴らし、袋へ干し果物を余計に一掴み入れた。

 

「これ、頼んでないですよ」

 

「売れ残りだよ。持ってきな」

 

「昨日は一個でも多く売ろうとしてたのに」

 

「うるさいね。年寄りの気が変わる前にしまいな」

 

 恵斗は少しだけ笑った。

 

「ありがとう」

 

「帰ってきたら五個買いな」

 

「そこは忘れないんだな」

 

「商売だからね」

 

     *

 

 その夜、恵斗は宿の部屋で翌日の装備を整えた。

 

 今回は洞窟でも市街地でもない。数日にわたって森林と街道を移動し、異変の原因を探る偵察行動になる。戦闘能力を確保しながら、長時間歩いても身体を殺さないことの方が重要だった。

 

 召喚した装備を寝台の上へ並べるようなことはしない。必要なものから身体へ載せ、動きながら干渉を確かめていく。

 

 プレートキャリアはいつもの構成を基本としながら、正面を厚くしすぎない。ベルトも同様で、腰を曲げた時にポーチが肋骨へ食い込まず、背負った荷物とも競合しない位置へ収める。数日の行動に必要な物資は小型のアサルトパックへまとめ、戦闘に直結しないものは身体の前面から排除した。

 

 最後に銃を召喚する。

 

 今回はHK416A5ではなかった。

 

     *

 

 現れたのは20式5.56mm小銃だった。

 

 恵斗はスリングを通し、身体の前へ落としてから何度か構え直した。

 

 慣れたHK416とは重心も操作感も僅かに違う。それでも違和感というほどではなく、身体の方が数回の動作で差を吸収していく。今回のような森林での行動なら、必要な光学器材と照明・照準補助装置を組み合わせたこの構成で不足はない。

 

 銃を身体へ吊ったまましゃがみ、立ち上がり、パックへ手を伸ばす。

 

 どこにも引っ掛からない。

 

 それで十分だった。

 

 恵斗は装備を消した。

 

 明日の朝、人目のない場所で改めて呼び出せばいい。

 

     *

 

 翌朝、四人は北門の外で合流した。

 

「荷物、それだけか?」

 

 ダリオが恵斗のアサルトパックを見て尋ねる。

 

「足りなくなったら何とかします」

 

「便利な奴だな」

 

「俺もそう思います」

 

 ガレスはすでに周囲を見ていた。

 

「風は弱い。午後から少し曇るかもしれんな」

 

「雨は?」

 

「今日は大丈夫だと思うが、明日は分からん」

 

 恵斗は空を見る。

 

 雲の流れだけでは自分にはそこまで分からない。

 

「そういうのも分かるんですね」

 

「森で生きてりゃ嫌でも覚える。あんたも人の歩いた跡なら随分詳しいって聞いたぞ」

 

「仕事で必要だったんですよ」

 

「じゃあ今日は互いに教え合おう」

 

「助かります」

 

 先頭はガレスが務めることになった。

 

 地形を知る者が前に立つ。

 

 恵斗に異論はない。

 

     *

 

 王都を離れて数時間もすると、街道を行き交う人間は目に見えて減った。

 

 南へ向かう荷車とは何度かすれ違ったが、北へ進む商人はほとんどいない。道端には旅人が休憩した跡が残っているものの、新しいものは少なかった。

 

「本当に止まり始めてるな」

 

 ダリオが呟いた。

 

「普段はもっと多い?」

 

 恵斗が尋ねる。

 

「この時期なら、半刻も歩けば一つか二つは商隊とすれ違う。北は穀物も木材も出るからな」

 

 エレナが街道脇の畑へ目を向けた。

 

「王都ではまだ大きな騒ぎになっていませんけど、長引けば困る人が増えますね」

 

「市場じゃもう値段が上がり始めてるそうです」

 

「早いですね」

 

「昨日、果物屋の婆さんに教えてもらいました」

 

 ダリオが笑った。

 

「ギルドより情報が早いじゃねえか」

 

「侮れませんよ、王都の婆さんは」

 

 少し前を歩いていたガレスまで肩を揺らした。

 

     *

 

 昼過ぎ、ガレスが足を止めた。

 

 何も言わず、右手を軽く上げる。

 

 三人も自然に止まった。

 

 恵斗は前方を見る。

 

 街道そのものに異常はない。

 

 ガレスは道端へしゃがみ、土を指で触れた。

 

「鹿だ」

 

「足跡?」

 

「ああ。だが変だな」

 

 恵斗も隣へしゃがむ。

 

 複数の蹄跡が街道を横切っている。形だけなら自分にも動物の足跡だと分かるが、そこから先はガレスの領分だった。

 

「何が?」

 

「数が多い。それに走ってる」

 

 ガレスは街道の反対側へ視線を移した。

 

「北西から南東へ抜けてる。古くても二日だ」

 

 恵斗は周囲を見た。

 

 森は静かだった。

 

 鳥の声がないわけではない。しかし、王都近郊で歩いていた森に比べれば少ない。

 

 昨日の商隊長が語った言葉を思い出す。

 

 森が静かだった。

 

     *

 

 恵斗は立ち上がり、視線を街道の先へ移した。

 

 ここで何かを決める必要はない。

 

 一つの痕跡だけで原因を作り上げれば、以後の観察までその仮説に引っ張られる。今分かっているのは、多数の鹿が北西から南東へ走ったという事実だけだった。

 

「進みましょう」

 

 ガレスが恵斗を見る。

 

「追わなくていいのか?」

 

「目的地は商隊の襲撃地点ですよね。鹿が何から逃げたかは、今追っても分からないかもしれない」

 

「同感だ」

 

 ガレスは立ち上がった。

 

 再び四人が歩き始める。

 

 その後も痕跡は増えていった。

 

 猪らしい足跡。

 

 折れた低木。

 

 街道を南へ横切る小動物の群れ。

 

 どれも単独なら珍しいものではないとガレスは言った。

 

 しかし、それらすべてが同じ方向を向いていることだけは、彼にも説明できなかった。

 

     *

 

 夕方が近づいた頃、街道の先に黒いものが見えた。

 

 最初に気づいたのは恵斗だった。

 

「前方」

 

 声量を抑えた一言で、三人の意識が切り替わる。

 

 ガレスが目を細めた。

 

「荷車だな」

 

 街道の中央で横倒しになっている。

 

 昨日、生還した商隊長が話していた場所である可能性が高い。

 

 恵斗は20式を身体の前へ持ってきた。

 

 それまで単なる荷物のように吊られていた小銃が、腕と肩の間へ収まる。銃を構えたことで姿勢を作るのではなく、前方へ向いていた視線に銃の方が追いつき、光学照準器の窓が自然に視界へ重なった。

 

「ここから先は、少し間隔を取ってください」

 

「敵がいるのか?」

 

 ダリオの声も低くなっている。

 

「分かりません。だから確認します」

 

 恵斗は前方だけでなく、左右の森へ視線を走らせた。

 

     *

 

 荷車は証言どおりだった。

 

 一台が街道を塞ぐように倒れ、さらに奥にも二台が放棄されている。車輪の一つは外れ、積荷だった布や木箱が地面へ散乱していた。

 

 そして矢が残っている。

 

 荷台の側板。

 

 御者台。

 

 木箱。

 

 射角は一方向ではない。

 

 恵斗は近づきながら、地面と森を交互に見る。

 

 ここで人間が戦った。

 

 その事実は、残されたものだけで十分に伝わってくる。

 

 街道脇には乾いて黒くなった血痕があり、少し離れた場所には折れた剣が落ちていた。

 

「ひでえな」

 

 ダリオが低く呟く。

 

 エレナは何も言わなかった。

 

     *

 

「こっちだ」

 

 ガレスが森の入口から呼んだ。

 

 四人が集まる。

 

 地面には多数の小さな足跡が残っていた。

 

「ゴブリンだ。少なくとも十以上いる」

 

「商隊を襲った連中ですね」

 

「たぶんな。ただ……」

 

 ガレスは数歩先へ進んだ。

 

 そこで足跡が乱れている。

 

 南へ。

 

 北へ。

 

 横へ。

 

 それまで街道へ向かっていた痕跡が、突然統制を失ったように散っていた。

 

「ここから逃げてる」

 

 恵斗は地面を見た。

 

 商隊の証言と一致する。

 

 ゴブリンは人間を襲っていた。

 

 そして途中で、何か別のものが現れた。

 

「大型の足跡は?」

 

「探す」

 

 ガレスが動き始める。

 

     *

 

 見つかったのは、街道から三十メートルほど森へ入った場所だった。

 

 ガレスが呼ぶ前に、恵斗にも分かった。

 

 落ち葉が大きく沈み、その中央には明確な窪みが残っている。

 

 昨日図鑑で見た黒牙獣の記述が頭に浮かんだ。

 

「これか?」

 

 ダリオが剣の柄へ手を置く。

 

 ガレスは答えず、足跡の周囲を調べた。

 

「一頭だと思う。かなり大きい」

 

「どっちへ行った?」

 

「北だ」

 

 その答えに、恵斗は眉を寄せた。

 

「北?」

 

「ああ。ここから一度街道へ出て、その後また北へ戻ってる」

 

 予想と違う。

 

 南下している魔物なら、そのまま南へ進むと思っていた。

 

 しかし、黒牙獣らしき個体は商隊とゴブリンを襲った後、北へ戻っている。

 

     *

 

 恵斗はその場で仮説を作り直した。

 

 魔物が一斉に北から逃げている。

 

 そう考えれば、ここ数日の出来事を簡単に説明できた。

 

 だが、現実はもう少し複雑らしい。

 

 生息域を外れた魔物が南へ移動していること自体は確かでも、すべてが一方向へ逃げ続けているわけではない。黒牙獣が北へ戻った理由が縄張りなのか、餌なのか、それとも別の何かなのかは分からなかった。

 

 だから追う。

 

 ではない。

 

 まずは記録する。

 

 分からないものを分からないまま残すことも、偵察では必要だった。

 

「今日はここで野営しますか?」

 

 恵斗が尋ねると、ガレスは空を見た。

 

「もう一刻もすれば暗くなる。先へ行くよりいいだろう。ただし、この場所そのものは嫌だな」

 

「同感です。血の匂いが残ってる」

 

「少し南へ戻ろう」

 

 四人は街道を引き返した。

 

     *

 

 野営地には、街道から少し離れた小高い場所を選んだ。

 

 水場からは近すぎず、周囲をある程度見渡せる。ガレスとダリオが薪を集め、エレナが食事の準備を始める間、恵斗は周辺を一周して地形を確認した。

 

 戻ってくると、小さな焚き火が上がっていた。

 

「火、使うんですね」

 

 恵斗が言うと、ガレスが笑う。

 

「使わないのか?」

 

「昔の仕事だと、状況によっては避けました」

 

「ここじゃ夜の森で火を焚かない方が危ないこともある。獣は嫌がるし、魔物でも火を避ける奴は多い」

 

「なるほど」

 

 また一つ、この世界の常識を覚えた。

 

 自分の経験をそのまま当てはめればいいわけではない。

 

 恵斗は焚き火のそばへ座った。

 

     *

 

 夕食は固いパンと干し肉、それにエレナが作った豆のスープだった。

 

「美味い」

 

 恵斗が素直に言うと、エレナが嬉しそうに笑った。

 

「よかった。ダリオさんは何を作っても味が薄いって言うんですよ」

 

「薄い」

 

「まだ食べ始めたばかりでしょう?」

 

「昨日も薄かった」

 

「昨日は一緒にいませんでしたけど?」

 

 ガレスが吹き出した。

 

 ダリオは真顔のまま塩を足している。

 

「そのうち塩の塊食い始めるぞ」

 

「ガレスは黙って食え」

 

 恵斗は笑いながらスープへパンを浸した。

 

 数時間前まで血の残った街道を調べていたのに、今は四人で鍋を囲んでいる。

 

 この切り替わりには覚えがあった。

 

 任務中でも、人間は四六時中緊張し続けることなどできない。飯を食う時にはくだらない話をし、眠れる時には眠る。それができない者から先に判断力を失っていく。

 

     *

 

「新田」

 

 食後、ガレスが焚き火越しに尋ねた。

 

「あんた、兵隊だったんだろ?」

 

 恵斗は顔を上げた。

 

「誰から?」

 

「ギルド長がそんなことを言ってた。詳しくは知らん」

 

「まあ、そうです」

 

「長かったのか?」

 

「九年くらいですね」

 

「九年か」

 

 ガレスは火へ小枝を投げた。

 

「人を殺したことも?」

 

 エレナが僅かに視線を上げた。

 

 ダリオは黙っている。

 

 恵斗は少し考えた。

 

 質問そのものに腹は立たない。兵士だったと聞けば、気になるのは当然だろう。

 

「ありますよ」

 

 それだけ答えた。

 

 ガレスも、それ以上踏み込まなかった。

 

     *

 

 しばらく焚き火の薪が爆ぜる音だけが続いた。

 

「怖くないんですか?」

 

 やがてエレナが尋ねた。

 

「何が?」

 

「戦うことです」

 

 恵斗は少し笑った。

 

「怖いですよ」

 

 エレナは意外そうな顔をした。

 

「怖くない人が強いんだと思っていました」

 

「俺は逆だと思います。怖いって分かってるから、準備するんですよ。見えるようにして、聞こえるようにして、届く武器を持って、逃げる場所も考える。怖くないなら、たぶんそんなことしないでしょう」

 

「それでも戦えるんですね」

 

「仕事でしたから」

 

 答えてから、恵斗は焚き火を見る。

 

 今はもう、その仕事ではない。

 

 それでも身体に残ったものは消えていない。

 

 暗い場所へ入れば出口を探し、人混みにいれば手を見る。部屋へ入れば無意識に死角を拾い、夜になれば光の届かない場所が気になる。

 

 戦闘技術とは、必要な時だけ取り出せる道具ではなかった。

 

 長く続ければ、世界を見る方法そのものになる。

 

     *

 

 最初の見張りは恵斗が引き受けた。

 

 三人が休み始めると、焚き火から少し離れた場所へ移動する。

 

 森は暗い。

 

 現地の三人にとって、その暗さは視界の終わりだった。

 

 恵斗には違う。

 

 ヘルメットを召喚し、今夜はWANGLEではなく四眼式のGPNVGを下ろした。

 

 視界が切り替わる。

 

 闇が消えるわけではない。

 

 代わりに、それまで黒一色だった森へ形が戻ってくる。

 

 樹木の幹、低木、岩、街道の輪郭。広い視野の中で、それぞれが奥行きを伴って配置されていく。

 

 恵斗は首を必要以上に振らず、森を見渡した。

 

 夜そのものが明るくなったのではない。

 

 自分だけが、夜から隠れる権利を奪っている。

 

     *

 

 一時間ほどは何も起きなかった。

 

 焚き火の向こうではダリオが寝返りを打ち、ガレスは微かな鼾をかいている。

 

 恵斗は時折位置を変えながら周囲を監視した。

 

 やがて視界の端で、何かが動いた。

 

 右。

 

 街道側ではない。

 

 森の中。

 

 恵斗は身体だけを僅かに向ける。

 

 低木の向こうに小さな影がある。

 

 一つ。

 

 さらに奥にも動きが見えた。

 

 恵斗は20式へ手を添えたが、まだ構えなかった。

 

 影は近づいてこない。

 

 こちらを見ている。

 

     *

 

 数秒後、その正体が木々の隙間へ姿を現した。

 

 ゴブリンだった。

 

 武器は持っていない。

 

 痩せている。

 

 さらに後ろから、もう一体が顔を出した。

 

 こちらはもっと小さい。

 

 幼体かもしれない。

 

 二体とも焚き火を見ている。

 

 恵斗は撃たなかった。

 

 依頼は調査であり、目の前にいるのは今のところ脅威ではない。

 

 それに、何より様子がおかしかった。

 

 ゴブリンは火を恐れているのではなく、その向こうにいる人間を警戒しているようにも見えたが、それ以上に何度も背後を振り返っていた。

 

 何かを気にしている。

 

 森の奥を。

 

     *

 

 恵斗はゆっくり立ち上がった。

 

 その動きを見たゴブリンが一歩下がる。

 

 逃げるなら追わない。

 

 そう考えた直後だった。

 

 森のさらに奥で、鳥が一斉に飛び立った。

 

 羽音が夜気を震わせる。

 

 ゴブリンたちの反応は、それより早かった。

 

 二体とも弾かれたように走り出し、焚き火から逃げるのではなく、街道を横切って南へ消えていった。

 

 恵斗はその背中を見送らない。

 

 すでに視線は、鳥が飛び立った方向へ向いていた。

 

 何も見えない。

 

 少なくとも、まだ。

 

 しかし、森の静けさが変わっていた。

 

 恵斗は20式を肩へ収めると、焚き火のそばで眠る三人へ低い声をかけた。

 

「ガレス、起きてください。何か来ます」

 

 猟師は一度で目を覚ました。

 

 問い返すより先に弓へ手を伸ばす。

 

 その動きを見ながら、恵斗は再び森へ視線を戻した。

 

 今度は聞こえた。

 

 遠く。

 

 木が折れる音だった。

 

第十話 了

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