殉職したので異世界へ   作:xzxz010

12 / 15
第十二話 北から来る軍勢

 軍隊から逃げている。

 

 負傷した男が口にしたその言葉は、これまで四人が拾い集めてきた情報の意味を一度に変えた。

 

 獣が移動している。魔物が本来の生息域を離れている。ゴブリンが人里へ近づき、飢えた黒牙獣が危険を承知で焚き火へ寄ってきた。それらを自然現象や魔物の生態だけで説明しようとしていたところへ、人間と同じように意思を持って行動する存在が入り込んできたのだ。

 

「軍隊というのは、誰の軍隊です?」

 

 恵斗は男の腕を掴み返すことも、急かすこともしなかった。呼吸が浅い。エレナの治癒術によって傷口は閉じ始めているものの、失血まで魔法で取り戻せるわけではないと聞いたばかりだった。

 

「魔族だ……」

 

 男は掠れた声で答えた。

 

「北の森に……魔族がいる。何百……いや、もっとだ。ローデンの北で見た……」

 

「あなた自身が確認したんですか」

 

「ああ。俺たちは……宿場町から戻る途中で……」

 

 そこで男の顔が苦痛に歪んだ。

 

 エレナが肩へ手を添える。

 

「もう十分です。これ以上話せば身体がもちません」

 

 恵斗は頷いた。

 

「最後に一つだけ。ローデン宿場町は、まだ無事でしたか」

 

「俺たちが……出た時は……」

 

 男の瞼が落ちた。

 

 意識を失っただけだとエレナが確認すると、三人の間から僅かに緊張が抜けた。

 

     *

 

「何百以上の魔族か」

 

 ダリオが北を見た。

 

 先ほどまで「危険」としか意味を持たなかった街道の向こう側に、突然具体的な敵が生まれている。

 

「戦争が始まったってことか?」

 

「まだそう決めるのは早い」

 

 ガレスが答えた。

 

「魔族が軍勢を動かしたなら大事だが、あの男が見たものが本当に正規軍なのかも分からん」

 

「何百も武装して歩いていれば、盗賊ではないでしょう」

 

「だからといって、王国へ攻め込んできたとも限らん。北には魔族同士で争っている土地もある」

 

 恵斗は二人の会話を聞きながら、頭の中で地図を組み直していた。

 

「エレナさん。この人は移動させられますか」

 

「今すぐ長距離を歩かせるのは無理です。担架があれば運べますが、王都まで連れて帰るとなると……」

 

「分かりました」

 

 恵斗は周囲を見る。

 

 ここから王都へ戻るには一日以上かかる。四人で負傷者を運べば速度は大幅に落ち、その間にローデンの状況が変化する可能性がある。

 

 逆に、負傷者を置いて北へ進む選択肢はない。

 

 情報を得たことで、当初の計画そのものが成立しなくなっていた。

 

     *

 

「一度、南へ戻るべきだと思います」

 

 恵斗が言うと、ダリオが意外そうに眉を上げた。

 

「ローデンまで行かないのか?」

 

「行く価値はあります。ただ、今の俺たちは調査隊であって、軍隊と接触するために出てきたわけじゃない。負傷者もいるし、王都へ持ち帰るべき情報もできました」

 

「だが、あの男の話だけじゃ正確な数も場所も分からんぞ」

 

「だから俺だけ少し北を見てきます」

 

 三人が恵斗を見た。

 

 最初に口を開いたのはエレナだった。

 

「一人で行くつもりなんですか」

 

「ローデンまで行くつもりはありません。ここから北側の状況を確認して、追跡されている人間がいないかを見るだけです。皆さんはこの人を連れて南へ移動してください」

 

「それなら俺も行く」

 

 ガレスが即座に言った。

 

「森のことなら、あんたより俺の方が分かる」

 

 恵斗は少し考えた。

 

 合理的な提案だった。

 

「お願いします。ただし、何かを見つけても戦わない。確認したら戻ります」

 

「元からそのつもりだ」

 

 ダリオが溜息をついた。

 

「俺とエレナで怪我人を運べってことか」

 

「担架はこちらで用意します」

 

「また妙な物を出すんだろ?」

 

「今回は普通ですよ」

 

「お前の普通は信用できん」

 

 恵斗は笑った。

 

     *

 

 木々に遮られた場所まで移動し、恵斗は折り畳み式の担架を召喚した。

 

 ダリオはもう驚くことを諦めたらしく、現れた担架を眺めてから無言で負傷者を載せるのを手伝った。エレナが身体を固定し、傷へ負担が掛からないことを確認する。

 

「夕方までには追いつきます」

 

 恵斗が言うと、エレナが顔を上げた。

 

「無理はしないでください。あなたが強いことは分かりましたけど、何百人も相手にできるという意味ではないでしょう」

 

「もちろんです。見つからないことを優先します」

 

「昨日も似たようなことを言って、その後で黒牙獣を四発で倒していましたよね」

 

「あれは向こうから来たんですよ」

 

「そういうことにしておきます」

 

 声音はいつもの丁寧なものだったが、恵斗を見る時間が昨日までより僅かに長かった。

 

 本人はその変化を意識しているのかもしれないし、していないのかもしれない。

 

 恵斗は特に意味を求めなかった。

 

「ダリオさん、お願いします」

 

「ああ。そっちも死ぬなよ」

 

「努力します」

 

「そこは断言しろ」

 

 最後に軽口を交わし、二組は分かれた。

 

     *

 

 恵斗とガレスは北へ進んだ。

 

 街道そのものを歩く必要はない。人間が最も移動しやすい場所は、敵にとっても最も監視しやすい場所になる。二人は森へ入り、街道と一定の距離を保ちながら北上した。

 

 先頭はガレスに任せた。

 

 土地を知る人間を差し置いて自分が前へ出る理由はない。

 

 その代わり、恵斗は移動中も視線を遠くへ置き、ガレスが地面から拾う情報とは別の層を監視した。

 

 銃は20式のままだった。

 

 昨夜のような至近距離での戦闘を想定しているわけではない。今欲しいのは火力より情報だった。

 

 一時間ほど進んだところで、ガレスが速度を落とした。

 

「また増えてる」

 

「何がです?」

 

「南へ向かう跡だ」

 

 地面には鹿だけでなく、大小さまざまな足跡が重なっていた。

 

「古いものと新しいものが混ざってる。少なくとも数日前から続いてるな」

 

「魔族の軍勢が移動し始めた時期と重なるかもしれませんね」

 

「軍隊が森を歩くだけで、ここまで逃げるものか?」

 

「規模次第でしょう」

 

 恵斗はそう答えたが、自分でも完全には納得していなかった。

 

     *

 

 さらに北へ進むにつれて、森の様子は変わった。

 

 動物が少ない。

 

 それ自体はこれまでと同じだったが、今度は人為的な痕跡が混じり始めた。

 

 切られた枝。

 

 踏み固められた下草。

 

 樹皮へ擦れた泥。

 

 ガレスが一本の低木の前でしゃがみ込む。

 

「ここを何人も通ってる」

 

「方向は?」

 

「北から南だ。昨日か、一昨日くらいだと思う」

 

「ゴブリン?」

 

「違う。もっと大きい。人間と同じくらいだ」

 

 恵斗も地面を見る。

 

 靴あるいはそれに近い履物の跡が複数残っている。

 

 隊列は整っていない。

 

 それでも、少人数ではない。

 

「街道を避けて移動してる」

 

 ガレスが言った。

 

「そう見えますね」

 

「魔族だと思うか?」

 

「可能性はあります。ただ、軍隊なら何のために森の中を歩いているのかが気になります」

 

「隠れるためじゃないのか?」

 

「それなら、もっと痕跡を減らすと思います」

 

 少なくとも、自分ならそうする。

 

 だが、それは現代軍人の基準だった。

 

 相手が同じ発想をする保証はない。

 

     *

 

 恵斗は立ち上がると、森の奥を見た。

 

 見えている情報だけでは足りない。

 

 地上から追えば、相手と同じ高さ、同じ地形条件で探すことになる。

 

 その必要はなかった。

 

「ガレスさん。少し待ってください」

 

「どうした?」

 

「上から見ます」

 

「木に登るのか?」

 

「もっと楽な方法があります」

 

 恵斗は周囲を確認してから、装備を一つ召喚した。

 

 手の中へ収まる小型無人機だった。

 

 ガレスが目を丸くする。

 

「……なんだ、それは」

 

「空を飛ぶ目みたいなものです」

 

「昨日から思っていたが、あんたの国は何と戦ってるんだ?」

 

「人間ですよ」

 

「それが一番怖い答えだな」

 

 恵斗は苦笑した。

 

     *

 

 機体を上昇させる。

 

 木々の高さを越えた瞬間、地上とはまったく異なる情報が画面へ流れ込んできた。

 

 森。

 

 街道。

 

 北へ続く丘陵。

 

 そのさらに向こう。

 

 恵斗は高度を維持したまま機体を進める。

 

 肉眼で木々の間を探すのとは違う。視点そのものを地形の制約から切り離すことで、今まで断片としてしか見えなかったものが一つの配置として見えてくる。

 

 街道上に動きはない。

 

 ローデン方面にも煙は見えない。

 

 機体を少し西へ振る。

 

 そこで恵斗の指が止まった。

 

「見つけた」

 

 ガレスが横から画面を覗き込む。

 

「どこだ?」

 

「ここです」

 

 森の一角。

 

 樹冠が途切れた場所に、人工物が並んでいた。

 

     *

 

 天幕だった。

 

 一つや二つではない。

 

 木々によって全体像は隠されているが、少なくとも数十張りある。

 

 その間を人影が動いていた。

 

 恵斗は機体を近づけすぎない。

 

 高度を保ち、角度を変える。

 

 見える。

 

 武装している。

 

 槍。

 

 弓。

 

 剣。

 

 人間より一回り大きな者も混じっている。

 

「魔族だ」

 

 ガレスが呟いた。

 

「分かるんですか」

 

「何人か角がある。あの大きい奴はオーガだ」

 

 恵斗は画面を見続けた。

 

 軍隊という証言は正しかった。

 

 少なくとも、武装集団であることは疑いようがない。

 

 問題は規模だった。

 

 画面に映っているのは、森の一部分に過ぎない。

 

     *

 

 恵斗は無人機をさらに上昇させた。

 

 視界が広がる。

 

 最初に見えた野営地の北側に、別の天幕群が現れた。

 

 さらに東にもある。

 

 街道を中心に集まっているのではない。

 

 森の中へ分散している。

 

「何人いる?」

 

 ガレスの声が低くなる。

 

「今見えてる範囲だけでも、数百はいると思います」

 

「負傷した奴の話は大袈裟じゃなかったか」

 

「むしろ少なく見積もっていた可能性がありますね」

 

 恵斗は画面上の人影を追った。

 

 兵士だけではない。

 

 荷車。

 

 家畜。

 

 物資らしい木箱。

 

 軍勢として長期間行動するための後方要素が存在している。

 

 単なる襲撃部隊ではない。

 

     *

 

 さらに妙なものが見えた。

 

 野営地の南側。

 

 柵のようなものに囲まれた一角へ、多数の小さな影が集められている。

 

 恵斗は映像を拡大した。

 

「……ゴブリン?」

 

 ガレスも画面を見る。

 

「ああ。間違いない」

 

 数十匹。

 

 武器を持っていない。

 

 兵士に囲まれている。

 

「捕虜でしょうか」

 

「魔族がゴブリンを捕まえること自体は珍しくない。奴隷にすることもある」

 

 恵斗は画面を記録した。

 

 その隣には別の囲いがある。

 

 こちらには大型の獣が入れられていた。

 

 生きている。

 

「何をしてるんだ……」

 

 ガレスが呟いた。

 

 恵斗は答えなかった。

 

 まだ材料が足りない。

 

     *

 

 その時だった。

 

 野営地の一角から、一人の魔族が空を見上げた。

 

 偶然かもしれない。

 

 恵斗は機体を旋回させる。

 

 魔族はまだ上を見ている。

 

 隣の者へ何かを伝えた。

 

 さらに二人が空を見る。

 

「気づかれたかもしれません」

 

「そんな高さにいるのにか?」

 

「相手の能力が分からない以上、見つからないとは考えない方がいい」

 

 恵斗は即座に機体を帰投させ始めた。

 

 情報は十分に取った。

 

 あと十秒欲しい、もう少し見たいという欲が、偵察では人間を殺す。

 

 ガレスもそれ以上を求めなかった。

 

     *

 

 だが、相手の反応は予想より早かった。

 

 画面の端で何かが光った。

 

 恵斗が認識した時には、機体が大きく揺れていた。

 

 映像が乱れる。

 

「何だ?」

 

「攻撃された」

 

「どうやって?」

 

「分かりません」

 

 もう一度光が走った。

 

 今度は機体の近くを通過したらしく、映像全体が白く飛ぶ。

 

 魔法。

 

 その可能性を考えた瞬間、恵斗は帰投経路を変えた。

 

 直線で戻せば、自分たちの位置まで案内することになる。

 

 機体を東へ振り、街道を越えさせる。

 

 高度を下げる。

 

 木々の上を縫うように飛ばし、野営地から離れる。

 

 背後で三度目の光が走った。

 

 今度は外れた。

 

     *

 

「新田」

 

「移動します」

 

 恵斗は無人機を回収する前に立ち上がった。

 

「ここにいる理由がなくなりました。相手が飛んできた方向を特定できるなら、この辺りまで捜索を出してくる可能性があります」

 

「機械はどうする?」

 

「別の場所へ落とします」

 

「捨てるのか?」

 

「俺たちの位置を知られるより安い」

 

 無人機は二十四時間で消える。

 

 回収に固執する必要はなかった。

 

 恵斗は機体をさらに東へ飛ばし、森の奥へ着陸させる。

 

 映像が止まった。

 

「行きましょう」

 

 二人は南へ動き始めた。

 

     *

 

 帰りは来た道をそのまま使わなかった。

 

 恵斗が先ほどまでいた地点を敵が調べる可能性を考え、いったん西へ距離を取り、それから大きく南へ回り込む。

 

 速度は上げる。

 

 ただし走らない。

 

 体力を消耗し、周囲を見る余裕まで失えば、敵から距離を取るための移動が逆に危険を増やす。

 

 ガレスは五十近い年齢にもかかわらず、森の中では驚くほど速かった。

 

「ついて来られます?」

 

 恵斗が尋ねる。

 

「誰に言ってる。二十年この森を歩いてるんだぞ」

 

「頼もしい」

 

「ただし明日は筋肉痛だ」

 

「そこは年齢に勝てないんですね」

 

「うるさい」

 

 会話する余裕はある。

 

 まだ問題ない。

 

     *

 

 十五分ほど移動したところで、恵斗は足を止めた。

 

 ガレスもすぐ止まる。

 

「どうした?」

 

「音がします」

 

 耳を澄ます。

 

 遠い。

 

 人の声ではない。

 

 規則的な金属音が混じっている。

 

 恵斗は森の隙間から後方を見た。

 

 何も見えない。

 

「追手か?」

 

「可能性はあります」

 

「どうする?」

 

 恵斗は周囲の地形を確認した。

 

 ここで撃ち合う理由はない。

 

 敵がこちらを発見しているかどうかさえ分からない。

 

「避けます。少し西へ」

 

 二人は再び動いた。

 

     *

 

 数分後、音の正体が見えた。

 

 恵斗とガレスは小さな尾根の反対斜面へ伏せ、木々の隙間から東側を観察した。

 

 魔族。

 

 六人。

 

 先頭の二人は槍を持ち、後ろには弓兵がいる。

 

 さらに一人だけ、他とは違う服装をしていた。

 

 杖を持っている。

 

「魔法使いだ」

 

 ガレスが囁いた。

 

 恵斗は頷いた。

 

 無人機を撃ったのが同じ人物かは分からない。

 

 ただ、敵には空中の小さな目標へ攻撃を届かせる能力がある。

 

 それだけ分かれば十分だった。

 

     *

 

 六人は二人の位置を知らない。

 

 少なくとも、今のところは。

 

 恵斗は20式を構えなかった。

 

 距離は百メートルに満たない。

 

 撃とうと思えば撃てる。

 

 しかし、六人を倒したところで得るものがない。銃声を出し、死体を残し、敵に「この森に未知の武器を持つ何者かがいる」という情報を与えるだけだった。

 

 戦闘力があることと、戦闘する価値があることは別だった。

 

 敵の方が人数で優位に見えても、こちらには先に発見しているという優位がある。

 

 その優位を、わざわざ発砲で捨てる必要はない。

 

 恵斗はガレスへ手で待つよう示した。

 

 二人は動かなかった。

 

     *

 

 魔族の捜索隊は五分ほど周囲を調べた。

 

 やがて一人が何かを指差し、東へ進み始める。

 

 無人機を落とした方向だった。

 

 六人全員がそちらへ向かう。

 

 姿が見えなくなっても、恵斗はすぐには動かなかった。

 

 音が十分に遠ざかるまで待つ。

 

「行きましたね」

 

「ああ」

 

 ガレスがゆっくり息を吐いた。

 

「殺せたのか?」

 

「たぶん」

 

「なのに撃たなかった」

 

「俺たちの仕事は六人殺すことじゃないでしょう」

 

 ガレスはしばらく恵斗を見ていた。

 

「兵隊ってのは、もっと敵を見たら殺すもんだと思ってた」

 

「必要なら殺しますよ」

 

 恵斗は立ち上がる。

 

「必要がないなら、見つからない方が強い」

 

 ガレスが笑った。

 

「なるほどな」

 

     *

 

 南へ向かう途中、恵斗は先ほどの映像を何度も頭の中で再生した。

 

 魔族の軍勢。

 

 分散した野営地。

 

 捕らえられたゴブリン。

 

 囲われた魔物。

 

 空中の小型無人機を発見し、攻撃できる魔法使い。

 

 そして、異常なほど多くの動物が南へ逃げている。

 

 情報は増えた。

 

 しかし、答えはまだない。

 

 軍勢が存在することと、生態系が崩れるほど獣が逃げていることの間には、まだ一本説明の足りない線がある。

 

 それを無理に想像で埋めるつもりはなかった。

 

     *

 

 夕方になる前に、二人はダリオたちへ追いついた。

 

 エレナが最初に気づいた。

 

「新田さん!」

 

 声を上げてから、すぐ負傷者の隣へ戻る。

 

 恵斗は手を上げて応えた。

 

「遅くなりました」

 

「無事だったか」

 

 ダリオが担架を下ろしながら言った。

 

「ええ。そちらは?」

 

「こいつも少し意識が戻った。まだ歩けないがな」

 

 エレナは恵斗の身体を一度見回した。

 

「怪我はありませんか」

 

「ありません。戦闘もしてません」

 

「本当に?」

 

 口にした直後、エレナ自身が少し眉を寄せた。

 

「……いえ。あなたが何もせず帰ってきたのが意外だっただけです」

 

「俺、どんな人間だと思われ始めてるんですか」

 

「少なくとも、黒牙獣が走ってきても顔色を変えない人です」

 

「顔には出さないだけですよ」

 

 エレナは小さく笑った。

 

 その視線が恵斗の顔に残る時間は、やはり以前より少し長かった。

 

     *

 

 四人は王都へ戻ることを決めた。

 

 ローデンへ進む理由はもうない。

 

 魔族の軍勢が確認された以上、これは冒険者ギルドだけで処理する問題ではなく、王国そのものが対応すべき事態だった。

 

 日没前に新しい野営地を決める。

 

 今夜は恵斗も火を使うことに反対しなかった。

 

 敵からは十分に距離を取った。

 

 負傷者には暖かさが必要で、食事も必要だった。

 

 最適な行動は、状況が変われば変わる。

 

 昨日正しかったことを今日も続ける理由などない。

 

     *

 

 夕食後、恵斗は皆へ無人機で見たものを説明した。

 

「数百人以上……」

 

 エレナの表情が曇る。

 

「王都を攻めるつもりなんでしょうか」

 

「分かりません。ただ、兵士だけじゃなく物資もありました。短期間で解散する集団には見えなかった」

 

「ゴブリンを捕まえてたってのは?」

 

 ダリオが尋ねる。

 

「数十匹いました。大型の魔物も生け捕りにされています」

 

「何のために?」

 

「それも分かりません」

 

 恵斗は素直に答えた。

 

「分からないことは多いです。でも、分かったこともある。相手は組織的に動いていて、魔法使いを含む捜索隊も出せる。それに、俺たちが使った偵察手段の一つは発見されました」

 

「その空を飛ぶ道具ですね」

 

「ええ」

 

 エレナは少し考えた。

 

「あなたの道具でも、見つかることがあるんですね」

 

「もちろんありますよ」

 

 恵斗は焚き火へ薪を一本足した。

 

「だから、見つかった後にどうするかまで考えて使うんです」

 

     *

 

 その夜、見張りを交代する直前だった。

 

 負傷した男が再び目を覚ました。

 

 今度は昼間より意識がはっきりしている。

 

 エレナが水を飲ませ、しばらく休ませてから恵斗が隣へ座った。

 

「話せそうですか」

 

「ああ……少しなら」

 

「無理なら明日でも構いません」

 

「いや。王都に知らせなきゃならん」

 

 男は深く息を吸った。

 

「俺はローデンのギルドから来た。三日前、北の猟師が魔族を見つけたんだ。それで俺たちが確認に出た」

 

「その時点で、もう数百人いたんですか」

 

「いや」

 

 男は首を振った。

 

「最初に見たのは……五十人くらいだった」

 

 恵斗の眉が僅かに動いた。

 

「三日で数百まで増えた?」

 

「違う」

 

 男の声が震えた。

 

「ずっと来てるんだ」

 

「北から?」

 

「ああ」

 

 男は暗い森へ目を向けた。

 

「毎日、増えてる」

 

     *

 

「どこから来ているのか分かりますか」

 

「分からない。けど……兵隊だけじゃない」

 

「どういう意味です?」

 

「女もいた。子供もいる。荷車を引いた老人も見た」

 

 ダリオとガレスが顔を見合わせた。

 

 恵斗も黙った。

 

 それは軍隊という言葉だけでは説明できない。

 

「彼らは王国へ攻め込んでいるんじゃなくて……」

 

 エレナが言いかけた。

 

 負傷した男が頷いた。

 

「たぶん、あいつらも逃げてる」

 

 焚き火が爆ぜた。

 

 北から逃げてきた獣。

 

 北から逃げてきた魔物。

 

 北から逃げてきたゴブリン。

 

 そして今度は、武装した魔族の集団まで南へ移動している。

 

 恵斗は炎の向こうにある暗闇を見た。

 

 ようやく問いの形が変わった。

 

 魔族の軍勢が何をしに来たのかではない。

 

 何が、彼らまで南へ追いやっているのか。

 

 その答えはまだ、さらに北にあった。

 

第十二話 了

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。