玉座の間を満たしていた歓声は、しばらく収まらなかった。
異世界から四人もの勇者が召喚された。
王宮に集まった貴族や騎士たちにとって、それは二百年続く魔族との戦争を終わらせる兆しにすら思えたのだろう。恵斗はそんな彼らを眺めながら、別のことを考えていた。
――四人とも勇者って決まったわけじゃないんだけどな。
少なくとも自分は違う。
女神から与えられた能力の名前は《オペレーター》。響きからして、この世界の人間には意味すら通じないだろう。
「まずは勇者様方のお力を確認させていただきたい」
国王エドガルド三世の傍らに控えていた老人が一歩前へ出た。白地に金糸の刺繍が施された法衣をまとい、胸には太陽を象った銀の聖印を下げている。
「私は聖燈教会、大司教ベルトランと申します」
どうやら宗教関係者らしい。
恵斗は軽く頭を下げた。
「どうも」
「……どうも?」
大司教がわずかに眉を動かした。
横で朱理が恵斗の袖を引っ張る。
「新田さん」
「ん?」
「もう少しちゃんとした方が……」
「ああ。そうだな」
恵斗は姿勢を正した。
「新田恵斗3等陸曹です。よろしくお願いします」
「サントウ……?」
「気にしないでください」
余計に分からなくなったらしい。
朱理が額を押さえていた。
恵斗としては、こういう場所の礼儀など知るはずもない。相手が王様だからといって、自分の世界の国家元首でも上官でもないのだから、いきなり跪けと言われても困る。
もっとも、無意味に喧嘩を売るつもりもなかった。
知らない土地では、まず情報を集める。
これは戦場でも旅行でも同じだ。
「こちらへ」
大司教に促され、四人は玉座の間の中央へ進んだ。
そこにはいつの間にか、直径三十センチほどの透明な水晶球が台座ごと運び込まれていた。
「これは《鑑定晶》と呼ばれる魔道具です。手を触れることで、その者が神より授かった天職と能力を読み取ることができます」
「天職……」
健介が呟く。
「ジョブみたいなものかな」
「たぶんね」
朱理が答えた。
恵斗だけは水晶球を興味深そうに眺めていた。
魔法。
つい数十分前までなら鼻で笑っていただろう。
ところが自分自身、無からHK416を出した直後である。
今さら水晶が光る程度では驚けない。
「では、新里朱理様から」
「は、はい!」
朱理が前へ出た。
緊張した様子で水晶へ右手を置く。
瞬間。
眩い金色の光が玉座の間を満たした。
「うわっ」
恵斗が目を細める。
光の中から文字が浮かび上がった。
この世界の文字であるはずなのに、意味だけは不思議と理解できた。
《勇者》
その瞬間、広間が爆発したように沸いた。
「勇者だ!」
「真の勇者が現れたぞ!」
「おお、女神よ!」
大司教ベルトランなど目に涙まで浮かべている。
朱理本人だけが完全に置いていかれていた。
「え、えっと……」
「新里」
恵斗が後ろから声をかける。
「たぶん大当たり」
「そんなガチャみたいに言わないでください!」
続いて坂田健介。
水晶は淡い緑色に輝いた。
《弓兵》
勇者ほどではないものの、大司教たちは明らかに満足していた。
「弓兵の天職は、弓術だけでなく索敵や遠距離攻撃にも優れます。成長すれば魔力による射撃も習得できるでしょう」
「マジか……」
健介は自分の手を見た。
「俺、弓なんて触ったことないんだけど」
「これから覚えればいいんじゃね?」
恵斗が言う。
「新田さん、なんか他人事ですね」
「他人事だもん」
「ひどい!」
次は橋本のぞみ。
彼女が恐る恐る水晶へ触れると、今度は青白い光が広がった。
《魔法使い》
「おお!」
再び歓声。
「極めて高い魔力適性です!」
大司教が興奮している。
のぞみは嬉しそうではなかった。
「……これで、魔王と戦わないといけないんですか?」
その一言で空気が少し冷えた。
「橋本」
朱理が心配そうに見る。
「私……戦いたくない」
のぞみは俯いた。
「死んだばっかりなのに。また殺されるかもしれないところに行けって……そんなの……」
当然の反応だった。
恵斗はそう思った。
むしろ、突然死んで異世界へ連れてこられた十七歳の少女へ、いきなり戦争に参加しろという方がおかしい。
国王たちも困ったようだったが、この場では追及しなかった。
「まずは新たな世界に慣れていただくことが先決でしょう」
大司教が穏やかに言った。
「戦いについては、その後でも遅くありません」
のぞみは答えなかった。
「では最後に――新田恵斗様」
「はい」
恵斗が前へ出る。
水晶球の前に立った。
後ろから健介が小声で言う。
「新田さんも勇者だったら笑いますね」
「俺、もう能力知ってるよ」
「え?」
「女神様に先に教えてもらった」
「ずるくないですか!?」
「年上特権」
「絶対違う!」
恵斗は笑いながら水晶へ手を置いた。
光った。
ただし。
ものすごく地味だった。
白い光が、ぼんやり。
そして文字が浮かぶ。
《オペレーター》
「…………」
静寂。
さっきまでの盛り上がりが嘘のようだった。
恵斗は水晶を見た。
大司教を見る。
もう一度水晶を見る。
「……はい」
何となく自分で拍手した。
ぱちぱちぱち。
「新田さん!」
朱理が吹き出した。
「だって誰も喜んでくれないから」
「自分で拍手する人初めて見ました!」
大司教は困惑していた。
「オペ……レーター?」
「オペレーター」
「どのような天職なのでしょう」
「さあ」
「ご存じではない?」
「能力の内容なら知ってます」
大司教の目が輝いた。
「おお。では、ぜひ」
「陸上自衛隊が採用した装備品を召喚できます」
沈黙。
「……リクジョウ?」
「そこからか」
恵斗は頭を掻いた。
どう説明する。
「えーっと……俺がいた国の軍隊みたいな組織が使ってた道具を出せます」
「武具を召喚する能力ですか?」
「武具だけじゃないですね。服とか、食料とか、医療用品とか、車両とか、機械とか。採用品ならだいたい」
周囲の反応は薄かった。
当然である。
この世界の人間にとって「陸上自衛隊採用装備」という言葉には何の意味もない。
大司教が尋ねた。
「剣を召喚できると?」
「まあ、銃剣なら」
「槍は?」
「たぶんないですね」
「弓は?」
「ない」
「魔杖は?」
「ないです」
「魔道具は?」
「そもそも俺の世界に魔法ないんで」
大司教の顔から期待が消えていった。
「では……戦闘に用いる武器は?」
「ありますよ」
「何を?」
恵斗は少し考えた。
「銃」
「ジュウ?」
「……ですよね」
説明が難しい。
恵斗は王を見る。
「ここで出していいです?」
国王が眉をひそめた。
「危険なものか?」
「危険ですね」
「ならばならぬ」
「了解」
あっさり引き下がった。
恵斗としては別に能力を認めてもらう必要もない。
だが、大司教たちは違った。
「召喚系能力そのものは珍しくありません」
周囲の貴族へ説明するようにベルトランが言った。
「武器を召喚する能力も過去に確認されています。しかし、召喚物そのものが強力でなければ、本人の戦闘能力を大幅に向上させるものではありません」
「なるほど」
恵斗は頷いた。
理屈は分かる。
この世界にも召喚能力がある。
ならば《オペレーター》という名前だけで特別扱いしないのも当然だ。
「新田殿」
今度は国王の傍らにいた男が声を上げた。
四十代ほど。
がっしりした身体。
鎧の上からでも分かるほど鍛えられている。
「私は王宮騎士団長ガルディオ・レーヴェンだ」
「新田です」
「そなた自身に、剣術の心得は?」
「ないです」
「槍は?」
「ない」
「弓は?」
「ないですね」
「魔法は?」
「使ったことありません」
騎士団長の眉間に皺が寄っていく。
「では何ができる?」
恵斗は考えた。
偵察。
潜入。
降下。
射撃。
市街地戦闘。
水路潜入。
救急処置。
通信。
野外行動。
その他諸々。
だが、それをこの男へ一から説明するのは恐ろしく面倒だった。
「……色々?」
「なぜ疑問形なのだ」
「説明すると長いんですよ」
朱理が横を向いて肩を震わせていた。
「新里、笑ってるだろ」
「笑ってません」
「こっち向け」
「嫌です」
国王と重臣たちは話し合いを始めた。
恵斗はその様子を眺めながら、嫌な予感というより、ある種の期待を抱き始めていた。
この人たち。
俺を要らないって言わないかな。
魔王討伐。
まったく興味がないわけではない。
魔族という存在にも興味がある。
魔物も見てみたい。
魔法も。
異世界そのものにも。
だが――王様の命令で高校生三人とパーティーを組み、騎士団に管理されながら魔王討伐。
正直。
面倒臭い。
せっかく人生二周目なのだ。
しかも女神からは「自由に生きろ」と言われた。
ならば自由にやりたい。
しばらくして国王が口を開いた。
「新田恵斗」
「はい」
「そなたについてだが……」
来た。
恵斗は真面目な顔を作った。
「残念ながら、勇者として認定することはできぬ」
「そうですか」
心の中でガッツポーズした。
「召喚された以上、何らかの神授能力を持つことは間違いない。しかし、我々が求めているのは魔王と戦える勇者だ」
「はい」
「そなたの能力は、その条件を満たしているとは判断できぬ」
「分かりました」
あまりにも素直なので、逆に王が戸惑った。
「……不満はないのか?」
「特には」
「新田さん?」
朱理が驚いている。
恵斗は肩をすくめた。
「別に俺、勇者になりたいって言ってないし」
「でも……」
「むしろ新里たちの方が大変だろ」
三人を見る。
「知らない世界に来て、いきなり魔王倒せって言われてんだから」
のぞみが俯いた。
王が続ける。
「とはいえ、我らの召喚に巻き込んだ以上、無一文で放逐するわけにもいかぬ。金貨二十枚を与える」
周囲が少しざわめいた。
どうやら、それなりの金額らしい。
「城下で暮らすもよし。他の町へ向かうもよし。今後については、そなた自身で決めるがよい」
「ありがとうございます」
恵斗は素直に頭を下げた。
王が拍子抜けした顔をしている。
「……それだけか?」
「え?」
「いや……」
「金までくれるんですよね?」
「う、うむ」
「十分です」
本心だった。
金がある。
言葉が通じる。
装備も出せる。
自由。
完璧じゃないか。
「新田さん」
朱理が心配そうに近づいた。
「本当に行っちゃうんですか?」
「行くよ」
「でも、知らない世界ですよ?」
「俺も知らない」
「一人ですよ?」
「仕事で一人になったことくらいある」
「そういう意味じゃなくて……」
朱理は言葉に詰まった。
わずか数時間前に出会っただけの男だ。
それでも、彼女たちにとって恵斗は唯一の「大人」だった。
同じ日本から来た。
同じ日に死んだ。
同じ女神に会った。
その人物がいなくなる。
不安なのだろう。
恵斗にもそれは分かった。
「新里」
「はい」
「ここに残るなら、ちゃんと飯食って、ちゃんと寝ろよ」
「……子供扱いしてません?」
「十八は十分子供だ」
「新田さんだって二十七じゃないですか」
「九歳差はデカいぞ」
「おじさん」
「おい」
朱理が笑った。
健介も笑う。
のぞみまで、ほんの少し口元を緩めた。
恵斗は三人を見る。
「まあ、同じ世界にいるんだ」
軽く手を上げた。
「そのうちまた会うだろ」
*
一時間後。
王宮の巨大な門が開いた。
新田恵斗は、一人で外へ出た。
持ち物は革袋一つ。
中には金貨二十枚。
それだけ。
服は王宮から与えられた簡素な麻のシャツとズボン、革靴だった。
背後で門が閉じていく。
巨大な扉が重い音を立て、完全に閉じた。
「…………」
恵斗は振り返った。
王宮。
その向こうに、高い城壁。
石造りの建物。
煙突から立ち上る煙。
行き交う馬車。
露店。
荷車。
剣を腰に下げた男。
果物を売る女。
走り回る子供たち。
聞いたことのない言葉が、意味だけは自然な日本語として頭へ入ってくる。
匂いも違う。
馬。
薪。
肉。
土。
人間。
現代日本ではまず嗅がない、雑多な生活臭だった。
恵斗はゆっくり息を吸った。
「……マジか」
死んだ。
そして。
異世界にいる。
突然、笑いが込み上げてきた。
「ハハッ」
通行人が怪訝そうに見る。
構わなかった。
恵斗は革袋を軽く放り上げ、受け止めた。
金貨二十枚。
女神からもらった能力。
命令なし。
上官なし。
訓練予定なし。
明日の課業もなし。
魔王討伐の義務すらない。
「……自由じゃん」
その言葉を口にした瞬間、ようやく実感した。
二十七年間生きてきて。
こんなにも予定がない日は初めてかもしれない。
「さて」
恵斗は城下町を見渡した。
まず必要なのは宿。
次に食事。
この世界の物価を知る。
地図も欲しい。
服装も現地に合わせた方がいい。
冒険者ギルドというものがあるなら覗いてみたい。
そして――。
恵斗は人気の少ない路地へ入った。
周囲を確認する。
「一応、確認しとくか」
右手を前へ出した。
頭の中で装備を思い描く。
瞬間。
ずしり。
両手に馴染んだ重量。
HK416A5。
光学照準器。
DBAL-A3。
ウェポンライト。
スリング。
自分が望んだ構成のまま、黒い小銃がそこに存在していた。
恵斗は無言で眺める。
次にプレートキャリア。
ヘルメット。
通信装備。
拳銃。
必要なものを思い浮かべれば、現れる。
「……本当に使えるんだな」
銃を見下ろした。
この世界には存在しない。
誰も知らない。
誰も作れない。
だが恵斗だけは知っている。
何ができるのか。
そして――何ができないのかも。
「よし」
確認を終える。
今は必要ない。
街中を完全装備で歩けば騒ぎになるだけだ。
召喚した装備を消せるか試すと、意識した瞬間、黒い小銃が光の粒となって崩れた。プレートキャリアも、拳銃も、順番に消えていく。
「便利だな」
最後にヘルメットが消えた。
恵斗は再び、ただの旅人になった。
路地を抜ける。
大通りへ戻る。
腹が鳴った。
「……飯だな」
まずはそこだった。
異世界に来ても腹は減る。
通りの向こうから、肉を焼く匂いが漂ってくる。
恵斗は迷わずそちらへ向かった。
その日の夕方。
アルディア王国王都の片隅にある小さな酒場で。
後に人間と魔族、その双方から様々な名で呼ばれることになる男は――。
木製のジョッキを片手に、人生で初めて飲む異世界のエールを口へ運び。
「ぬるっ」
盛大に顔をしかめていた。
第三話 了