「――『一人で苦しまないでください』って、お前が言うか!?」
恭夜の思わぬ大声に、唯依は弾かれたように肩を震わせ、目を丸くした。
「い、今、なんと言いました……?」
「お前のことだよ! いつも張り詰めた顔して、今にも壊れそうなほど思い詰めてんの、バレバレなんだよ!」
恭夜は立ち上がり、唯依の目の前まで歩み寄ると、彼女の肩をがっしりと掴んだ。平民の血が混じっているとはいえ、徹底的な武家教育を受けたその手は大きく、力強い。
「篁の正当な後継者がどれだけ凄いか知らないがな、俺から見ればお前は、自分で自分の首を絞めてるただの意固地な女の子だ。完璧な成績を出したって嬉しそうにしない。失敗しないことだけに必死で、まるで何かに怯えてるみたいに見える」
恭夜の瞳には、怒りではなく、隠しきれない切実な心配の色が宿っていた。
家名を奪われ、スペアとして地獄を見てきた恭夜だからこそ、唯依が背負う「篁」という呪いの重さが痛いほど分かってしまうのだ。
「自分の足元も見えなくなってる奴が、他人の心配なんてしてんじゃねえよ。恭子姉さんなら……お前がそんな顔して生きてるのを見たら、悲しむに決まってるだろ」
「あ……」
恭子、という名前に唯依の唇が微かに震える。
「だから……もうそんな顔すんな。俺の秘密を守るって言うなら、お前も少しは俺を頼れ。弱音くらい、俺と上総の前で吐いたってバチは当たらないはずだ」
不器用だが、真っ直ぐで温かい恭夜の言葉。
後ろで見守っていた上総が、ふっと口元を和らげて小さく息を吐いた。
「篁さん。……どうやら、私たちの方が一本取られたようね。彼の言う通りよ」
唯依は、掴まれた肩に伝わる恭夜の体温を感じながら、ゆっくりと俯いた。
いつもなら「篁の人間として」と突っぱねるはずの言葉が、不思議とすんなり胸に染みていく。
「……ずるいです、恭夜様。そのようなことを言われたら、私は……」
俯いた唯依の目から、ぽろりと一滴の涙が床に落ちた。
張り詰めていた心の糸が、恭夜の手によって、ようやく優しく解き放たれようとしていた。
「――様付けはやめろ。今の俺は平民だ。いつものように『恭夜』と呼べ」
恭夜がぶっきらぼうに、けれど照れ隠しのようにそう告げると、唯依は一瞬きょとんとした後、嬉しそうに微笑んだ。
「……分かりました、恭夜。あなたも、私のことを篁ではなく『唯依』と呼びなさい」
その日を境に、三人の関係は決定的に変わった。
日頃の訓練でも、恭夜は平民としての演技を保ちつつ、陰ではその高い技術で唯依や上総の死角を補い、唯依が重圧に潰されそうになると不器用な言葉で支え続けた。唯依もまた、恭夜の前でだけは「篁の後継者」という硬い鎧を脱ぎ、等身大の笑顔を見せるようになっていった。
お互いが心の拠り所となり、過酷な訓練の日々も乗り越えていける――そう確信し始めていた、ある日の放課後だった。
食堂の片隅に設置されたテレビの前に、異様な人だかりができていた。
静まり返る生徒たちの隙間から、恭夜たち三人も画面を凝視する。
画面に映し出されていたのは、緊迫した表情のニュースキャスターの声と、信じられないほど赤く染まったユーラシア大陸の勢力図だった。
『――臨時ニュースをお伝えします。中央大陸の防衛線が突破されました。BETAの進軍速度は予想を遥かに上回り、現在、極東地域へ向けて侵攻を続けています……』
凄惨な戦場の映像、そして、大陸を埋め尽くす異形の怪物「BETA」の群れ。
人類の絶対的な防衛線が崩壊したという事実は、BETAの魔の手がいよいよ、この日本にまで迫っていることを意味していた。
画面の光に照らされた唯依の横顔が、恐怖と使命感で再び強張る。
上総もまた、拳を血が滲むほど固く握りしめていた。
「ついに、ここまで……」
唯依の短い呟きが、震えていた。
かつてスペアとして武家社会を呪い、平民として生きることで世界の戦いから目を背けようとしていた恭夜だったが、今、その胸に宿る感情は以前とは全く違っていた。
武家なんてどうでもいい。崇宰の家名も知ったことか。
だが――自分のすぐ隣で、この理不尽な世界に立ち向かおうとしている、大切なこの少女(唯依)たちだけは、絶対に死なせたくない。
恭夜は隣に立つ唯依の手を、今度は自分から力強く握りしめた。
「唯依、上総。……怯むなよ。何が来ようと、俺たちが生きて、生き残り続けるんだ」
「……ええ。ええ、そうね、恭夜!」
唯依は恭夜の手の温もりに突き動かされるように、力強く頷き返した。
迫り来る人類の破滅の足音を前に、三人の絆は、より苛烈な決意へと変わっていく。