1998年、京都。
押し寄せるBETAの紅い濁流の前に、歴史ある古都は一瞬にして地獄へと変わった。
目の前で次々と食い殺されていく同期たち。
恭夜は崇宰の忌まわしい教育で培った技術のすべてを動員し、唯依と上総を死に物狂いで護り抜いた。
しかし、瑞鶴の装甲をBETAの顎が引き裂き、燃え盛る京都の街が黒煙に包まれていく絶望の中で、彼らが味わったのは「ただ生き延びることしかできなかった」という圧倒的な敗北感だった。
◇
数日後、臨時の後方基地。
全身に泥と硝煙を浴びたまま、三人は泥のように眠る衛士たちの中で、ただじっと燃え残る灰色の空を見上げていた。
多くの仲間を失い、かつてない悲痛な表情で唇を噛み締める唯依。
傷ついた愛機を見つめ、己の無力を呪う上総。
そして、血の滲む拳を握りしめ、戦術機武御雷――帝国近衛の象徴であり、武家の至宝とされるあの機体の戦いぶりを思い出していた恭夜。
確かに武御雷は強かった。
近衛の精鋭が駆るそれは、一騎当千の力を示していた。
だが、それでもこの絶望を覆すには至らなかった。京都は失われ、日本は国土の多くを食い荒らされたのだ。
「このままでは、駄目だ……」
恭夜が低く、地を這うような声で呟いた。
その瞳には、かつて武家を冷めて見ていた陰気さはなく、世界への激しい憤怒が燃え盛っていた。
「今の日本には、BETAを根絶やしにする決定的な力が足りない。精神論や家柄の誇りだけじゃ、あの化け物どもは殺せないんだ」
唯依がハッと顔を上げ、恭夜の横顔を見つめる。
恭夜の言葉は、唯依の胸の奥底にある焦燥と、完全にシンクロしていた。
「ええ……。近衛の至宝、武御雷ですら足りない。あんな最高峰の機体があっても、押し寄せる数には勝てない……!」
上総もまた、静かに、しかし確固たる決意を込めて言葉を継いだ。
「必要なのは、戦況そのものを一変させるほどの概念。既存の枠組みをすべてぶち壊すような、圧倒的な力よ」
三人の視線が交差する。
彼らが導き出した答えは一つだった。
(もっと、もっと強い戦術機を造らなければ、この世界は滅びる――!)
武家としての誇りも、平民としての諦めも関係ない。
ただ、愛する者たちを生き残らせるため、そしてこの理不尽な絶望に復讐するために、彼らは「次世代の力」を渇望した。
それから3年後
極寒のアラスカ、ユコン基地のブリーフィング室。
そこには、重苦しい沈黙と、爆発寸前の熱気が満ちていた。
帝国新型戦術機開発プロジェクト「XFJ計画」。その開発総官として過酷な重圧に耐えながら陣頭指揮を執る篁唯依の傍らには、補佐官兼テスト衛士として彼女を支え続ける恭夜の姿があった。
しかし、その場に集まった開発陣と衛士たちの前で、米国から派遣された日系アメリカ人のテストパイロット、ユウヤ・ブリッジスが言い放った言葉が、恭夜の逆鱗に触れた。
「――話にならないな。この『不知火・弐型』とかいう機体は、跳躍時間のコントロールもまともにできない、ただの欠陥機だ。こんなブリキの玩具じゃ、BETAの群れに突っ込んだ瞬間、一秒も持たずにすり潰される。貴重な時間を無駄にしたくないんだ、もっとまともな機体を用意してくれ」
フっと鼻で笑い、日本の技術と、唯依たちが京都の地獄から血を吐く思いで導き出した「新型機への執念」を真っ向から否定するユウヤ。
その瞬間、唯依の顔が屈辱と悔しさで青ざめる。
だが、彼女が言葉を発するより早く、恭夜が凄まじい足音を立ててユウヤの胸ぐらを掴み上げていた。
「……おい。今、なんつった、お前」
崇宰の影のスペアとして、死線を行き来する教育を叩き込まれてきた恭夜の眼光は、ただの平民のそれではない。獣のような鋭い殺気に、さしものユウヤも一瞬息を呑む。だが、ユウヤもすぐに不敵な笑みを浮かべて恭夜を睨み返した。
「事実を言ったまでだ、お仲間さん。欠陥機を欠陥機と言って何が悪い?」
「黙れッ!!」
恭夜の怒号が、狭い室内を震わせた。
「お前の駄々を聞いている余裕はねぇんだよ! 日系人だか何だか知らねえが、星条旗の過保護なシミュレーターの中で生きてきた甘ちゃんが、知った風な口を利くんじゃねえ! 目の前の機体が動かねえなら、動くまでねじ伏せるのが衛士の仕事だろ!」
恭夜はユウヤを激しく突き放し、軽蔑に満ちた目で言い放った。
「文句があるなら国に帰れ、このアメリカ野郎!!」
「……何だと?」
ユウヤの目が、本物の怒りでギラリと反転する。
一触即発。殴り合いが始まる直前、唯依の鋭い静止の声が響いた。
「二人とも、そこまでにしなさい!」
唯依が二人の間に割って入り、毅然とした態度で睨みつける。恭夜はチッと舌打ちをして顔を背け、ユウヤは不快そうに髪を掻きむしって部屋を飛び出していった。
◇
その夜、深夜の格納庫。
整備中の不知火・弐型の足元で、恭夜は一人、悔しさに拳を震わせながら壁に背を預けていた。
そこに、静かに歩み寄る足音が一つ。
「……頭は冷えましたか、恭夜」
唯依だった。彼女の手には、温かい飲み物の入った缶が二つ握られている。
「悪かったな、唯依。計画の責任者であるお前の前で、あんな見苦しい真似を」
「いいえ。……嬉しかったわ」
唯依は優しく微笑み、恭夜の隣に腰掛けた。
「あの男の言葉は悔しかった。けれど、あなたが私以上に怒ってくれたから、私は開発総官として、冷静でいられたの。ありがとう、恭夜」
「唯依……」
「でも、あのユウヤ・ブリッジスという男の技量が、本物であることも確かよ。悔しいけれど、あの不知火の荒削りな挙動に、彼の操縦が『追いつきすぎて』起こったエラーなのも事実なの」
唯依の言葉に、恭夜は苦々しく愛機を見上げた。
京都の地獄を知る自分たちと、合理主義のアメリカで育ったユウヤ。噛み合うはずのない歯車が、この極寒の地で激しく火花を散らし始めていた。