負ければトレーナーもひんしのバトル──ポケモン《コール&マイン》 作:じゅぺっと
目が覚めたとき、最初に感じたのは痛みだった。
鈍く、重く、逃げ場のない痛み。
肩、肋、膝、唇の端、首の付け根。どこもかしこも、自分の身体ではないみたいに軋んでいる。
――いや、錯覚だ。
「私は勝って……治療を受けた。何の問題もない」
自分に言い聞かせるように呟く。
キバヤ戦の最後、マクノシタのアームハンマーを『こらえる』で受けた。
その代償が、全身に残っている。
身体は治っている。
少なくとも、この施設の医療はそう判定しているはずだ。
けれど、苦痛を受けた心までは、そう簡単に回復しない。
何度治療を受けても、殴られた記憶だけは神経の奥に残っていた。
薄く目を開ける。
天井は白い。
見慣れない色だった。
けれど、知識としては知っている。
コール&マインの施設内で、勝者や高額卓の参加者だけが使える治療区画。その一室だ。
ベッド脇の機器が、規則正しく音を立てている。
腕には点滴。胸元と腹部には、治療パッドのようなものが貼られていた。
そして、周囲を見渡した瞬間。
息が止まった。
そこに、私がここへ来た理由そのものがいた。
「気がついたかい?」
「……アヤ」
自分でも驚くほど、声が掠れた。
アヤは黄色と緑の着物を着ていた。
黒髪は短く切りそろえられ、どこか大和撫子めいた、落ち着いた雰囲気をまとっている。
けれど、昔みたいに軽く笑って「久しぶり」と言うことはなかった。
ただ息を止めたような顔で、こちらを見ている。
「……キバヤ戦、見てたよ。さすがリーリア。見事な勝利だった」
「これだけぼろぼろになったのに?」
「でも、君には戦う前からそうなるとわかっていた結果だ」
アヤは懐かしむように目を細める。
「昔からリーリアはそうだったね。はたから見れば危ない橋を渡っているのに、結果を見ればすべて君の予想通り。私も、スクールのみんなも、誰も一度も勝てなかった」
「そんな話をしに来たんじゃない」
「ひどいな。せっかく二年ぶりの再会なのに」
その言い方に、胸が少しだけ痛んだ。
昔。
そうやって、当たり前みたいに“昔”を持ち出せるのかと思った。
「だったら、どうして消えた」
私はまっすぐ彼女を見る。
「どうして何も言わずにいなくなった。どうしてこんな場所を作った。どうして私を呼んだ」
一気に言い切るつもりだった。
けれど、最後の問いだけは少し掠れた。
アヤはベッド脇の椅子に座り、指先を組んだまま動かなかった。
「……全部、話すつもりだった」
「つもりだった?」
「でも、話せなくなったんだ。だから……君には、このまま頂点を目指してほしい」
「無茶苦茶すぎる」
痛む身体を無理に起こしながら、私は言う。
「理由は話せない。けれど命の危険があるバトルを続けてほしい。あまりに平等じゃない」
「……それでも、君は戦ってくれると信じている」
怒りが、喉のすぐ下までせり上がる。
「勝手なことを言うな」
「わかってる」
「わかってる人間が、こんなことをするか」
「するよ」
アヤは顔を上げた。
その目には、疲れと後悔があった。
けれど、それだけではない。昔、放課後のベンチで理想を語っていたときの、あの危うい光の残骸みたいなものが、まだ奥に残っている。
「私は、リーリアにしか止められないと思った」
部屋の空気が、少しだけ張り詰める。
「リーリアなら、この施設を本当の意味で平等なポケモンバトルにすることができる。だから――」
アヤは、何かを告白しようとしている。
そう思った、その時だった。
「やあ! ご歓談中に失礼するよ!」
溌剌とした女の声が、扉のほうから聞こえた。
私は反射的に顔を向ける。
そこに立っていたのは、ひどく上品な女だった。
年齢は二十代半ばほどだろう。
長い茶髪をゆるくまとめ、質のいいドレスともスーツともつかない服を着ている。派手ではないのに、一目で高価だとわかる。
立っているだけで、部屋の空気が変わった。
明るい声とは裏腹に、静かな圧がある。
唇には穏やかな笑み。
けれど、目だけは少しも笑っていなかった。
アヤの顔色が変わる。
「……ジオラ」
その名を聞いた瞬間、私は身を起こしかけた。
脇腹の痛みの錯覚に、思わず顔をしかめる。
ジオラ。
この施設の頂点にいる女。
コール&マインの支配者。
「紹介ありがとう、アヤくん!」
ジオラは芝居がかった仕草で胸に手を当てる。
「ボクの名前はジオラ。この施設の創設者にして、現チャンピオンだ。アヤくんとは良き友人でもある!」
「……あなたが、アヤの友人?」
思わず睨みつけてしまった。
ジオラは顎に手を当て、くすりと上品に笑う。
「おっと、嫉妬の炎が燃えてしまったかな? もちろん、一番の親友は君だろうとも。元気で安心したよ、リーリア」
その振る舞いは、舞台の上に立っている役者のように仰々しかった。
だが、目だけはずっとこちらを観察している。
「君は強い。ただ強いだけじゃない。痛みを理解しながら、それでも前へ進める。まさにこの場所にふさわしい才能だよ! ぜひアヤくんと一緒に、この施設を盛り上げてほしい!」
「……ふざけるな」
「本気なんだ!」
ジオラは少しも怯まない。
「今は暫定的にボクがチャンピオンを務めているが、主催者がチャンピオンなんて不正を疑われてしまうだろう? この施設は、真に平等を求める女王を求めているんだ!」
そう言って、ジオラはまるで悲劇の主人公みたいに跪いた。
ベッドに腰かける私へ、まるでプロポーズでもするように手を差し出す。
私はその手を取らない。
「……あなたがこの施設を盛り上げたいと思っているのは、本心なのか?」
「もちろんだとも!」
ジオラは立ち上がり、楽しそうに両手を広げた。
「アヤくんの代わりに説明させてもらうが、このロール&マインは、もともとはもっと大ざっぱな施設でね。ルールも興行も洗練されていなかった。お客さんもずっと少なかったんだ」
「……ポケモンが受けたダメージの大きさに合わせて、トレーナーに電気ショックが流れる。トレーナーが指示を出せなくなったら負け」
アヤが、ぽつりと補足する。
かつて理想を語り合った頃の、思いついたことを何でも話すような軽さはない。
声は乾いていて、どこか諦めているように聞こえた。
「つまり、アヤがこのロール&マインに来て、より平等で、より厳密なルールを提示した」
私はジオラを見る。
「そして何らかの形で……いや、アヤはあなたにバトルで敗れた。その結果、何らかの契約を負わされた。そうだろう」
ジオラは一瞬、ぽかんとした顔をした。
次の瞬間、楽しそうに笑い出す。
「はーっはっはっは! まさにその通り! さすが、アヤくんが心から愛するトレーナーなだけはある!」
「リーリア……」
アヤが小さく私の名を呼ぶ。
図星を突かれたのに、ジオラは少しも困っていない。
おそらく、ここまでなら知られても問題ないのだ。そうでなければ、彼女がアヤと私の接触を許すはずがない。
「さて。つまり結局、君のやるべきことは一つだ」
ジオラは指を一本立てる。
「このBWランクで勝ち上がること。そうだな、三連勝すれば、チャンピオンであるボクが直々に戦うと約束しよう!」
ジオラの目的は、このロール&マインにふさわしいチャンピオンを誕生させること。
ならば、私が正当に勝ち上がってチャンピオン戦へ挑むのは、彼女にとっても望むところなのだろう。
「私が負けたら?」
「そこは普通、勝った時の話をしないかな?」
ジオラは肩をすくめる。
「なに、悪いようにはしないさ。アヤくんと同じように、このロール&マインで活動を続けてもらう」
「つまり……今のアヤと同じ支配下に置かれるというわけか」
アヤの契約の輪郭が、少し見えた気がした。
ロール&マインへの協力。
ただし、アヤ自身の望みは反映されない。どこまでもジオラの都合に合わせて、悪趣味な見世物バトルが続いていく。
「……なら、私が勝ったら」
私はジオラを睨む。
「チャンピオンとして、この施設のルールを書き換える権利をもらう」
「へえ。構想があるのかい?」
「当たり前だ」
私は言い切った。
「この施設は、アヤの持ち込んだ理想を客寄せのために利用しているだけだ。ポケモンバトルの平等を目指すなどとのたまいながら、人間が傷つくさまを楽しんで鑑賞し、敗者を首輪で繋いで好きに扱う。悪辣そのものだ」
私の怒りを、ジオラは涼しい顔で受け流していた。
「痛みの共有は大事だ。だが、度が過ぎている。オークションなんてふざけたルールも廃止する」
「ふふ……いいよ。構わない」
ジオラはあっさり頷いた。
「もし君がチャンピオンになれたら、好きにすればいいさ」
そう言うと、ジオラは踵を返す。
舞台の王子様みたいに、アヤの肩を抱いて連れていこうとする。
「アヤ!」
私は痛む身体を押して声を張った。
「必ず……必ず、本当のことを話してもらう! そのために、私はここまで来たんだ!」
アヤは足を止め、こちらを振り返る。
その表情は、泣きそうにも、笑いそうにも見えた。
「リーリア……ありがとう。BWランクで待っている」
二人は去っていった。
扉が閉まる。
病室に、機械の音だけが残る。
アヤとの再会は果たせた。
だが、状況は何も変わっていない。
結局、勝ち上がらなければならない。
ジオラを倒し、このロール&マインの支配を断ち切らなければ、何も変えられない。
「それでも……」
声が震えた。
「それでも、アヤが昔の理想を忘れたわけじゃなくてよかった」
それが、私は怖かった。
あの子が本当に変わってしまったのではないか。
昔語り合った理想も、痛みへの違和感も、全部捨ててしまったのではないか。
それだけが、ずっと怖かった。
一人きりの病室で、静かに涙がこぼれる。
この涙は、ほかの誰にも見せるつもりはなかった。
「だから……アヤのためにも、容赦はしない」
私は濡れた目元を拭い、ゆっくり息を吸う。
「たとえBWランクの代償がどれほどであれ……勝たせてもらう」
話が半分ほど進みました。もともと久しぶりにポケモンバトルを書いてみるために始めたのですが、やはり書いているとシンプルでもストーリー性は欲しくなりますね。