バーテミウス・クラウチJrと夜の庭の恋人 作:へびのあし
バーティが彼女に勝てないものといえば、魔法薬学。常に敗北を喫する教科がもう一つ増えたのは、三学年に上がってからのことだった。
「全教科履修する? とうとうバーティは頭がおかしくなったんだね。叩いて直してやろう!」
「やめろ。これ以上ないほど俺は正気だとも」
「いやしかし授業時間が被ってるのに同時に履修は不可能だよ」
「全ての授業に出る必要はない。交互に出席し、追加課題を行えばよしという特例措置を取っていただいた」
「ふむ。やはり頭がおかしいようだ……イテッ!」
ぱんと軽く頭をはたいてやると、「何も叩かなくても……」と恨みがましい目で見られた。
「最初に叩くだのなんだのと言ったのはおまえだが?」
「でもバーティ。占い学も数占いも、ついでに魔法生物飼育学もマグル学も興味ないんじゃないのかな本当は。かっこつけたいがために余計な授業を増やすのは……うん。ちょっと異常な心理だと思うけど」
「かっこつける? おまえは何も俺のことを見ていないんだな。必要だからやる。役に立つからやる。それだけだ」
「まあいいけど」
ちなみにミント・ナイトガーデンは占い学と魔法生物飼育学を取っていた。
「おまえこそ、占い学なんて柄だったのか? だいぶ意外だぞ」
「魔法薬作りで意外と使う」
「え?」
「超上級の魔法薬とか、あとは自分で調合法を研究したいときに限定されるけど。それにこういうのは教科書を開いて勉強してもあんまり意味はない。感覚の強い先生のそばで陶酔状態の魔力を辿るのが一番早いし……まあ、学んどいて損はないよ。多分ね」
くしゃくしゃの銀髪に埋もれた笑顔がニコッと笑った。わずかにドキリとした。こいつはときどき不意打ちで笑うのだ。
バーティは動揺を押し隠すように唇を結び、ふむと目を細めて低い声で呟いた。
「占い学は……魔法省に神秘部があるからには履修しておこうと思ったのだが……そうか。他にも使い道があるなら、まずはそこから調べておくべきか」
「頑張れバーティ」
「うるさい」
「てへぺろ」
実際ミントには占い学の才能があったようで、「私なんて大したことないですよお~生徒のみなさんの心の眼の美しさに感動しっぱなしですねえ~」と終始ニコニコうさんくさいピエロ顔をしている教授にたっぷりと褒められていた。ついでにミントに隣で助言を請うていたバーティも課題においてほとんど最良の結果を出し、教授はバーティの眼前1cmの距離で破顔した。ゾッとした。
「……俺、あいつ苦手だ……」
「しかしただものじゃないよあの教授。予言の水晶玉をいっぱい神秘部に寄付してるって」
「わかる。わかるがどうしても好きになれない」
「ほらバーティ、深呼吸。占いは手順と方法、そして解釈。世界の運命を左右するようなとんでもない予言に憧れると大体悲惨なことになる。ちょっと次元を変えて世界を別の角度から垣間見る、程度のことだけを考えてれば試験で良い成績を取るのは難しくない。雲と風と経験則から天気予報をするのと同じだからね」
ミントは当たり前のように取り出したいつもの小瓶の中身を煽り、まずぅ……と身震いして舌を出した。
世界に灰色が増えてきた。不穏の種が撒かれ、母の手紙がさらに増え、逆に父の近況報告はほとんどゼロ……否、正しくゼロとなった。
廊下で闇の魔術が放たれたという噂が流れ、監督生は新入生にまず純血やマグル生まれの溝について話し、特にマグル生まれは出来る限り出身を隠せと忠告するのが仕事になった。
マルシベールやエイブリーが何やら洒落にならない事件を起こしたらしい。
ジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックがスネイプ先輩を吊るし上げ、スネイプ先輩は己を庇ったリリー・エバンズに穢れた血という禁句を言い放った。
家族が行方不明になったからと一時帰宅した生徒が、二度とは帰ってこなかった。
錯乱して森に火をつけた生徒がいた。
呪われた首飾りによって死者が出た。
月が巡り、季節がくるりと一回転を終えたとき、異様な恐ろしさの影はおさまるどころかますます濃さを増していくようだった。
たっぷりの髭をたくわえたダンブルドア校長のキラキラ星の散ったようなブルーの瞳が現れると、それら全ての闇は水に流されたように綺麗に浄化された。
しかしそれも見せかけだった。
彼が背を向けると、銅像や木陰から深紅の血や透明な涙が静かに染み出した。
何かが起こっていた。
具体的に何が起こっているのか、おそらく全ての状況を一括で把握している者は片手で数えられるほどしかいないのだろうと思われた。
「――ブラック先輩」
「どうしました。バーティ」
湖のほとりで、薄青色の水生生物を膝に乗せて耳の後ろをかいてやっていたレギュラス・ブラックは、傍目にはいつも通りの先輩のように見えた。
しかしそうではないことはバーティの目に明らかだった。
わずかに乱れた黒髪。青白い唇。夏でも構わず隙のない長袖のローブ。
違和感はいくつもあった。気付くヒントはいくらでもあった。
レギュラス・ブラックは疲弊していた。その疲弊を誰にも見せることができずにいた。
「俺は下級生です」
いぶかし気なレギュラスに、バーティはほとんど息を継がずに淡々と語った。
「そしてレイブンクロー。最も個人主義で、結束力の弱い寮と言われている」
「……それで?」
「まったくもってその通り。俺は鷲の寮に貢献する気など全くありません……しかし、先輩」
バーティは静かに息を吸った。
人生を変えたいならば。他の凡愚と同じ道を辿り、ただ右往左往するだけの運命からのがれたいならば。それ相応に行動するべきである。
昨夜ひっそりと行った占いは、黒が守護する二番目の星を示した。レグルス――獅子座の暗き一等星。銀の蛇に噛みつかれ、星は人知れずゆっくりと血を失い続ける。
「俺には頭脳と、魔術の才があります」
続きを促すように、先輩は微かに顎をしゃくった。やはりその表情には疲れがあった。
「黒き館は、帝王の陣営に加わった。あなたは若き配下の一つとして左腕に印を焼き刻みつけられた。ゆえに長袖のローブをまくろうともしない……そうですよね」
「ああ……なるほど。しかしバーティ。レイブンクロー生がそこまで情報を集めるのは大変だったのではないですか?」
「そうでもありません。レイブンクロー寮に情報が回って来ずとも、スリザリン生ならばほとんどが知っていること。そして先ほど俺は言いました。俺には魔術の才能がある、と」
一瞬、レギュラスが戸惑ったように表情を惑わせた。そして次の瞬間、ハッと眉間に皺を寄せた。
「誰です」
「何がですか」
「あなたが服従の術にかけたのは」
「……はは。真実薬、はまあ厳密には魔術ではないので除外するとして。開心術かもしれないじゃないですか?」
「校長並みの才能があると自惚れで? 下手にかければ被害者は何を抜き取られたのかはっきりとわかってしまう。その点服従させておけば裏切りの心配がない。何より用意周到なあなたが、この私に己を売り込む場面でそのようなぬるい技をアピールするわけがないでしょう」
さすが先輩はよくわかっていらっしゃる。堪えきれない笑みが唇からこぼれだす。三日月の笑みはバーティが本当に楽しいときにのみ見せるもの。
レギュラス・ブラックはため息を吐いた。
彼の手元でだらだらと休憩していた涼しげなゼリーみたいな見た目の水生生物は、ぬるりと手放されて湖へ飛び込んだ。ぽしゃん、小さな音と共にキラキラと水色の飛沫が空中を舞う。
「私はあくまで未成年です。末端の構成員であり、帝王の駒の、そのまた駒のようなもの。機会があればあなたのことを話してみますが、あまり期待はしないように」
「ありがとうございます。先輩」
「まったく。手段を選ばず目的を遂げる狡猾さ……あなたはどうしてスリザリンに来なかったのです?」
「組み分け帽子はずいぶん悩んだようですけれどね」
「ええ。納得です」
レギュラスは湿った土と草の上に腰を下ろしたまま、美しい円環の波紋が次々に浮かぶ湖をじっと眺めていた。
「……そういえば、ミス・ナイトガーデンはどうしていますか?」
「あいつはただの能天気ですよ。何も知らずに毎日魔法薬やら何やらを煎じています」
「あの子は賢い」
レギュラスの表情は冷たく、固く、そして心配を含んでいた。
「バーティ。あなたが思うよりずっと、あれは賢い子です。少なくとも私はそう思います」
「それはどういう意味……」
「私が己の器ではかり切れないと思った人物はあまり多くはない。校長先生。闇の帝王。マダム・ピンス。エバンズ先輩、クリー……ゴホン。とにかく、ミス・ナイトガーデンは何か底知れないものを抱えています。それが大きなものなのか、案外小さなものなのかはわかりませんが」
あれに恋をするつもりならば、覚悟を据えて望むべきだと思いますよとレギュラスは言った。でなければ、思わぬ火傷を負うかもしれないからと。
「ご忠告どうもありがとうございます」
バーティは一礼してその場を去った。
抑えきれない感情で、突き抜けるように天を見上げた。
自分で自分の世界を変えたのだという実感があった。動悸が激しかった。
確かに今、人生を変える何かが起こったのだ。
それが何をもたらすのかはわからない。しかし凡愚としての一生を過ごすことは、きっとない。
バーテミウス・クラウチJrは己の人生の分かれ道を選択した。
運命の回転が始まった。