バーテミウス・クラウチJrと夜の庭の恋人 作:へびのあし
バーティはOWL試験を十二教科全てO(優)の最高成績で突破した。
父は一言の誉め言葉も送ってこなかった。あまりにも多忙すぎたのだ。運の悪い時期に責任者を任された父は、闇の陣営を闇雲に崩そうとして、空回りしているようだった。少なくともバーティの目にはそう見えた。
思い切った政策を断行していく勇敢な父は人気があるらしい。乾いた笑いが漏れた。確かに他の誰がやるよりマシだろう。しかし戦況を見れば根本的な解決は何一つ成されていないことに、父を褒めたたえる阿呆どもは気付いているのだろうか。
父を助けるのは俺だ、とバーティは考えていた。そのために、まずは一手を打たねばならない。
バーティは、単身で闇の陣営にもぐりこむつもりだった。
雪がシャンパンのようにキラキラと降る夜のことだった。
赤い瞳の帝王は美しく偉大に佇んでいた。彼は神のようだった。少なくとも人間ではありえなかった。
配下はぐるりと円形に囲んで頭を垂れていた。闇の印がローブの下でひそかに燃えたという、それだけで集結して余計な問いも戸惑いもなく静謐に彼らは並んでいた。
異様だった。
少なくともバーティは生まれてこの方このような光景を見たことがなかった。
夢のようだった。現実であるというにはあまりにももったいなく、美しかった。
バーティの中で、何かが切れた。
今まで信じてきた世界が塗り変わった。丁寧に重ねてきた積み木が崩れることなく、ただその材料だけが全く別のものになってしまったかのようだった。
「バーテミウス・クラウチJr」
帝王は必要以上を語らなかった。
「全てを賭してロードに仕えると誓えるか」
バーティは伏して大地に額をつけた。
「イエス、マイロード」
父は多くの場合に正しかった。しかしたった一つ。たった一つの、とても大きな間違いを犯していたのだった。
それに、ようやくバーティは気付いたのだった。
帝王は打倒すべき巨悪ではなかった。
全人類がこの人についていくべき神であった。
それを理解できないならば死ねばいい。行く手を阻むものは排除する。
それでいい。それがいい。
他の何がそれの重要性を上回るというのだろうか?
バーティは本能的に気づいていた。帝王に隠し事はできないと。王者の魔力は凄まじく、抵抗しようと思ってもできるものではない。いや、そもそもする意味がなかった。なぜならたった今、バーティは心からの恭順の意を示したのだから。
そうだ。闇の陣営は敵だと考えていた。思想に理解できる部分はあれど、バーティの立場においてはやはり賛同してはならない考え方を凝集させた集団であると。しかし、それらの前提は瓦解し、霧散した。世界は反転していた。
このとき、バーティは全神経を賭して願ったのだ。
闇の帝王が正しくバーティの忠実なる心を汲み取り、彼のために働き、彼のために身も心も砕いて投げ出したいと叫ぶこの覚悟を、最大限に使用するに相応しいと断ずることを。
バーティこそは、この場で最も帝王の役に立つ狂信者であることを。
そして、帝王はバーティの願いを聞き届けた。
当然のことのように、帝王は全てを見通しているのだった。
陶酔の喜びを湛えたバーティの目を覗き込み、偉大なる帝王は怜悧な笑みを浮かべ、声の調子を穏やかに語りかけた。
「恋人がいるだろう。次の新月の夜、その子もここへ連れてきなさい」
ミント・ナイトガーデン。
小さな魔女の顔が脳裏に浮かんだ。スラグ・クラブのダンスパーティを良い機会として、つい先日彼女に告白したことが遠い日の思い出のように蘇った。
そうだ、大抵のことは余裕の顔で流す草の香りの少女は、電流を浴びた金魚のように固まったのだ。告白如きであの魔女のそんな顔が見られるとは思わなかったので驚いた。
ミントは最終的にOKしてくれた。
しかしひどく緊張した様子だった。
「どうした、ミント。俺に恋愛感情がないとでも思っていたのか?」
これでも俺は男だぞとバーティは軽口を叩いたが、ミントは余計に口端を引きつらせた。バーティは困ったように眉を下げた。
「……なんだ。嫌なら嫌だと言えばいい。その程度でおまえに何か悪感情を抱くようなつまらない人間ではないつもりだが」
「そうじゃない。いや、なんというか……予想はしてたんだ。嫌なわけない。むしろずっと待ってた。でもダメだ。いやダメじゃない。……ごめん、心がぐちゃぐちゃで、ちょっと整理がつかなくて」
「ゆっくり呼吸しろ。大丈夫だから」
「あのさ、バーティ」
「なんだ?」
「こんなご時世、誰がいつ死んでもおかしくないよね。恋愛なんてリスキーだ。私が死んだら、バーティはどうする?」
「おいおい。告白に了解しておいて最初にする話がそれか?」
あきれ果てながらもバーティは出来る限り真摯な答えを探した。
「……少なくとも、俺はおまえほど一緒にいて静かな気持ちになれる魔女を他に知らない。だからしばらくは、おまえの影響があろうとなかろうと一人で暮らすことになるだろうな。きっと寂しくなるから……うん。きちんと喪に服すよ」
しかし新しく魅力的な魔女が目の前に現れたら、とバーティは言った。
「そいつに浮気するかもしれない。まあ、おまえがやめろって言うなら生涯独身でいてやるよ。どうする?」
しばらく、ミントは黙りこくった。
そして、聞いたこともないほど静かな声で語り始めたのだ。
「ずっと言ってなかったことがある。……私には実は、双子の妹がいるんだ」
ミント・ナイトガーデンとカモミール・ナイトガーデン。
瓜二つの姉妹。
しかし片方は魔女であり、もう片方に魔力は宿らなかった。いわゆるスクイブと呼ばれるものである。
ホグワーツ魔法魔術学校へ通うのはただ一人。
もう一人はマグルとして生きている。
そもそも両親の出会いからして少し特殊だったのだ。身内に魔法族を排出した繋がりで魔法族の父親と知り合った、マグルの母親。
ゆえに家には電化製品と魔法の製品がごた混ぜになっている。
「私が死んだら、妹を守って」
「どうして?」
「そっくりだよ。顔も背格好も全部同じ。性格は……似てないところも多いけど、似てるところもある。きっとバーティは気に入るはず。なんなら戦争が終わったら……今の動乱に全部片が付いたらの話だけど、お互い同意の上で妹と結婚して欲しいなって思うくらい」
「なんだそれ」
「なんだろうね」
ミント・ナイトガーデンは泣いていた。バーティと会ってから初めてのことだった。
これにはさすがのバーティもうろたえたのだ。
しかし……どうしたものか。さすがのバーティも、マグルと結婚するというのは無理だろうと思った。
魔法薬や占いで自身を負かした、ミント・ナイトガーデンがいいのだ。
レイブンクロー寮の談話室前で共にドアノッカーの問いに回答した彼女だから、バーティは惚れてしまったのだ。
いくら見た目が同じだとしても、中身が違うなら意味がないではないか。
何より魔法界で生きてこなかった女では、バーティの優秀さや、いかに彼が聡く、黙って従うにふさわしい主人であるかについて理解が得られないだろう。
くるくると思い出が心を巡る。
帝王に見つめられると、本当に心の奥底までさらけ出してしまう。
白く優しく美しく、帝王に紹介したならばさぞ気に入ってもらえるだろう賢い魔女のことをバーティは夢でも見るように思い出していた。
帝王は満足げに笑った。
蛇のように清く冷たい音楽が彼の喉からこぼれてくるようだった。
現実が戻ってくる。
まるで夢のような現実が。
「必ず。次の新月に」
バーティは帝王と約束した。
ならば必ず連れてこなければならない。ミント・ナイトガーデンを。彼女が望む如何に関わらず。