バーテミウス・クラウチJrと夜の庭の恋人 作:へびのあし
ミントの姿が溶けた、と思ったのは一瞬だった。
小さな少女がすうっと伸びて、ぼさぼさに伸びていた髪は絹のようにまっすぐと下へ流れた。少し顎が尖って額のまろやかさが薄れ、眉毛が濃さを増して円弧を描いた。
唐突に成長した?
いや、そんな生易しいものではない。
「ああ。ちょうど一時間。ポリジュース薬の効果が切れたな」
薄く笑うのは、ミント・ナイトガーデン……いや違う。それに似た姿をした誰か。なんだコイツは?
そいつは……その男は、くるりと振り向いて陽気にバーティへ手を振った。
「よう、クラウチJr。始めまして。俺の妹が随分世話になったようじゃないか」
「……は?」
「アハハ、混乱してら! まったくおかしくってたまらないね」
ケラケラと楽しそうに笑いながら、男は「おっと、闇の帝王。ネタばれは厳禁だ。バーティ自身に悩んでもらわなければ」と言う余裕さえあった。
俺の妹?
闇の帝王はこの状況を理解している?
待て。始めに帝王はなんと言った?
『ナイトガーデンの後継を連れて戻ったか』
ナイトガーデンの後継……それは一体、誰のことを指していた?
「お気づきのことだと思うが、俺はおまえの恋人じゃない」
「……兄だと言いたいのか」
「その通り。さて、いつ、どうやって入れ替わったと思う? そもそも俺は英国魔法界に所属する魔法使いながら、一度たりともホグワーツ魔法魔術学校に通っていない。魔術や常識はどこでどのように培ったんだろうな?」
一言一言、その男の言葉が響くたびにあらゆるものがガラガラと崩れていくような気分だった。
バーティはミントによく似たその男を睨みつけた。
惑わされるな、バーティ。
己に言い聞かせ、呼吸を深く静かに抑えつけた。
「さて。おまえの頭の回転を試してやる。俺の名前はなんでしょう?」
惑うな。嘆くな。恐れるな。
ただ心を静かに、己の宿命は己で掴み取る。
ああ……そうだろ?
バーティは深く息を吸って、吐いた。
「――ミント・ナイトガーデン」
「お見事」
光を燦然と浴びる舞台俳優の如く大袈裟な振る舞いが、つゆと消え失せる。
薄く唇を歪めて笑うその男は、雪色の髪をいつもの手つきですうっと梳いた。他人が真似できるものではない。熟年の動きの癖が、バーティの目に映っていた。
演技だった。
一瞬だけ他人のふりをした、本人だった。
そうなのだった。
「病気だというのは嘘だったのか……いつからポリジュース薬を?」
「聞くまでもないはずだけど?」
「入学時からだな」
「その通り」
「……なぜだ」
不可解だった。ポリジュース薬とは変身薬だ。しかし効果は一時間しか保たない。そして変身対象の髪の毛を常に常備しておかねばならず、またこの薬品自体を煎じるのもかなりの難易度だ。材料の値段も高価である。
なんのために、このような回りくどいことを?
「簡単な話だよ」
いやわからない。何が簡単なのだろうか。成長障害の嘘をついた理由もわからない。他人に化けたいならばもっとやりようがあっただろうに。おそらくは家族……彼の言動から察するに、妹の姿をずっと借りて過ごしていたのだろう。どういうことかといえば、先日の『双子がいる』という話がそもそも嘘。双子ではなく、妹だった。そりゃ、ポリジュースで本人に変身しているのだから、『瓜二つ』というのも当然である。
ホグワーツ生の全てを丸ごと騙してきたのだとたった今告白したばかりのミントは、なんでもない調子で髪の毛の先っぽをいじっていた。
「そもそもの始まりは、私が誤って男の体に生まれてきたことにある」
「……?」
「おやごめん。わかりにくい言い方をしたね。私も昔は自分のことがさっぱりわからなかった。でも……どうやら私のような者は意外にたくさんいるらしい。何と言ったらよいのかな。心は女で、体は男。まあ色々と複雑なことをおおざっぱにまとめるとそうなる」
ダンブルドア校長は、とミントは言った。
「ホグワーツ城にかけられた伝統の魔術を、私のために一部改変することすらしてくださった。本当のことを言えば、もっと大規模な措置を取ってもらうこともできたんだ。けれど私自身が望まなかった。卒業後には夜の世界に潜るナイトガーデンの矜持だよ。少しでも目立つことや、他人に借りを作りすぎることはなるべく避けたかった」
あの方が協力していなかったら、私はきっと城に通うことを諦めただろう。けれどそうはならなかった。おかげでたくさんの思い出と知識を得ることができた。特別の思慮を与えてくださった校長に、私はいつでも感謝していると、ミントは胸に手を当てた。
「私の変身術の腕前は知っているね? 実家にいる間ならば、家族に術をかけてもらうだけで女の姿になれた。けれど自力でそれはできない。そして何より事情を知っている家族ならば、私にガールフレンドを作らないかと促す者もいないのだし、特別なことなど何も意識せずとも気楽だった」
でも、とミントは昔を思い出すように目を細める。
「『学校』ではそうもいかないだろう? だからしもべ妖精に協力してもらって、個室の調理室を貸してもらった。私は入学前からポリジュース薬を調合することができたんだよ。当然、魔法薬学の成績には、才能や生育環境も寄与していたと思う。しかしこれは必要に迫られてのことでもあったんだ。私は全力で魔法薬学の勉強をしたよ。女の子として暮らすことができさえすれば、無用な苦痛を感じずに済むからね」
つい先ほどまでだぶだぶだったローブは、すらりと背が伸びた彼にとってちょうどよいサイズになっていた。
多少見た目が変わっても、彼がまとう雰囲気はあまり変わっていなかった。
淡い雪と、乾いた草と、甘くないお菓子を差し出す優しい手。
全て彼のものだと、バーティは心から納得することができた。
「……さて」
ミント・ナイトガーデンはふっと微笑んだ。
「手も口も出さず待っていてくださり、どうもありがとうございました。闇の帝王よ」
「暇つぶしの余興にはちょうどよかったからな」
「じゃあお礼に慈悲をくださいよ。できるだけ楽に死にたいんですけど」
「ほう、楽に?」
「……ダメな感じか。まあいいけどさ。期待はしてなかったしね」
軽い口調だった。
暗闇の中、静かな星の光の雫を浴びながら、ミントは肩越しに僅かにこちらを振り返った。
「バーティ」
「なんだ」
「もしも全てをやり直せるとしたなら、きみは私に再び告白するかな?」
バーティは刹那の間、考えた。
クラウチ家の存続のためには、バーティが次の当主になる必要がある。そして当然、妻はその後継者を産む義務があるだろう。
何より世間体というものもある。社交界で無用な噂を生む可能性がある配偶者はいらない。そもそもナイトガーデンの家には複雑怪奇な事情がいくつも眠っているようである。深く関わるのはリスキーだ。
そう、父上のようにするのが理想なのだ。
妻を道具に、息子を次の当主に。
バーティの進む道をわずかでも邪魔するものは切り捨てる。
「いや。二度目があるなら、おまえとは金輪際関わらないようにするよ」
「そっか」
ミントは驚いた様子を少しも見せなかった。
「私は私の幸福のために。きみはきみの幸福のために」
祈るようにミントは両手を広げてみせた。
「ぜんぶあげるよ。私の全ては、バーティの命の糧になる」
*
バーテミウス・クラウチは、帝王の指示に従いナイトガーデンを魔術で縛り付けた。そして改めて、杖をまっすぐにそれへ向けた。
初めて人間に磔の呪文をかけた。
そうではないと否定するように首を横に振った闇の帝王が見本を見せた。
肉体は傷つけず、ただありとあらゆる激痛だけを与える拷問の術。帝王の腕前に近づけるため、バーティは何度も術をやり直した。
「愉しめバーティ。術者が味わう快感が、そのまま相手に与える苦痛に変換される」
「はい。わかりました」
他人を思いのままにできるのは心地よいと思った。
かけるたびに術の腕前が向上していく。奥歯を噛み締める音、僅かな呻き、それは次第に悲鳴に変わる。嗚咽と嘔吐きが加わり、拷問の術に相応しい様相を見せ始めた。
「クルーシオ!」
「……おぇ、ゲホッ……ッ、ぅぐ、あああああ!」
「ふ、ふふ。はははっ、あははは!」
バーティは笑った。楽しかった。心から楽しかった。
そしてそいつは苦しんでいた。バーティが喜べば喜ぶほど、その顔は信じがたいほどに歪んだ。
術の効果が切れても、苦痛は余韻を引くらしい。術と術の合間には呼吸さえ苦しそうに喘いでいた。もはや叫びすぎて声は枯れ、喉が切れて流れ出した血を吐いていた。千の釘を全身に打ち込まれても、こうまで苦しむことはないのではないかという有様だった。
「どのような苦痛を与えたい? 具体的に想像するとよい。魔法には不可能を可能にする力がある。血液を沸騰させ、骨を粉々に砕き、脳を回転させる。すべて傷一つない状態で残しながら、同等の苦痛を味わわせることができる」
「勉強になります。マイロード」
ナイトガーデン家の青年が、夜空の下で朽ち果てようとしている。
秘密主義のこいつのこと。きっと家族も知らないだろう。
全て好都合だと思えば嬉しくて、バーティは何度も杖を振った。
「ほう、さすがに頑丈だな。おまえが選んだ恋人なだけあるな?」
「お戯れを。もはや恋人ではなく、排除すべき敵陣営の駒の一つです」
「当然、冗談だ」
帝王は説明した。
この術は重ね掛けしすぎると、対象を廃人にする可能性がある。人格の永久の破壊へ繋がる紙一重を見極め、その手前で拷問を繰り返すのだと。さすればいずれ心が弱り、服従の呪文にも拷問にも抵抗する厄介な敵をもこちらの都合で扱えるようになるという。
「こやつの目の色を見ろ。まだ光があるだろう」
「はい」
「あれはまだ反乱を起こすことのできる敵の目だ。もう少し躾けておく必要がある」
「了解です」
「おまえは優秀で良い子だ。バーティ」
「……ありがたきお言葉」
バーティの心は冷たく冴え冴えと澄み渡っていた。
ナイトガーデンは緑の閃光に貫かれて死ぬ前に、両目から透明な涙を流した。そして諦めたような疲れた顔で、静かに唇を動かした。
紡がれた言葉は、たった一つだった。
愛が欲しかったんだろう。バーティ。
私は知っているよ。
きみは本当は寂しがり屋なんだ。
ああ。好きになった理由なんて特にない。なんとなく。そう、なんとなくだったよ。一緒にいると楽しかった。単に相性がよかったんじゃないかな。
そうだ。記念に一つ教えてあげよう。
きみは知らなかったようだけど、愛は物欲しそうな目で座って待つものじゃないんだよ。
ならばどういうものだろうね?
簡単だよ。愛は、己の手で誰かにプレゼントするものだ。
ねえ。バーティ。
……わたしのめをみろ。
「……愛してる」
「アバダ・ケダブラ」
・ベラトリックス・レストレンジ
「私は、昔もいまも、闇の帝王のもっとも忠実な従者だ。あの方から直接に闇の魔術を教わった。……(略)」[原作5巻]
・ヴォルデモート
「(略)……そして、もう一人、最も忠実なる下僕であり続けた者は、すでに任務に就いている」(※該当の人物はバーテミウス・クラウチJrを指していたことが後に判明)[原作4巻]
これらの情報を総合すると、バーティがヴォルデモートの闇の魔術個人レッスンを受けた可能性は非常に高いと考えられる。