私、スパイダーマンになりました。   作:毛糸くん345

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5 ヒーローの準備

第5話 

 

 

 

 翌朝。

 

 

 私はいつも通り学校へ向かっていた。

 

 昨日の事故は朝のニュースでも取り上げられていた。

繁華街の交差点で、酒を飲んだ男が運転する車が信号を無視して突っ込み

ガードレールに衝突したという、言ってしまえばよくある内容だった。

 

 

 幸い、死者や重傷者は出ていないらしい。

 

「……よかった」

スマートフォンのニュース画面を閉じた。

そこには、事故の状況と逮捕された運転手について書かれているだけだった。

 

 

自分のことは何も書かれていない。

 

 

 当然だ。

 

 

あの場で何が起きたのか、詳しく知っている人なんてほとんどいないのだから。

 

 

 私は歩きながら、昨日のことを思い出していた。

車が突っ込んできた瞬間、身体が勝手に動いたこと。

 

人前で糸を飛ばしたこと。そして、助けた相手の顔。

 

 

「……」

 私は少しだけ頬を緩めた。あの2人は無事だったんだろうな。

ニュースを見る限り、大きな怪我をした人はいない。

 

それならきっと大丈夫だ。

そう思うと、胸の奥がじんわりと温かくなった。

 

 昨日までの自分なら、こんなことを考えることなんてなかった。

スパイダーマンの力を手に入れてから、毎晩やっていたのはただの自己満足だった。

 

 

壁を登って。

糸を飛ばして。

スイングして。

失敗して。

上手くいけば喜んで。

 

ただ、それだけだった。

 

 

 でも昨日、初めてその力を誰かのために使った。

 

「……人助け、か」

小さく呟いた。

言葉にすると、なんだか大げさに聞こえる。

 

 

自分がヒーローになったなんて思っていない。

ただ、目の前で危ないことが起きて、それを止めただけ。

 

 

 それでも――。嬉しかった。

 

 

その気持ちだけは、はっきりしていた。

 

     

 

 

 

 

「おはよー」

「おはよう」

 

 教室に入ると、純子が手を振ってきた。

 

「昨日の事故見た?」

「うん、ニュースで」

「怖いよね。あの辺、夜は結構人いるのに」

「そうだね」

「私も気をつけよ」

 

 

 それだけだった。

 

 誰も、昨日の事故で誰かが人を助けたなんて話はしていない。

自分が何をしたのか、誰にも知られていない。

そのことにホッとする一方で、少しだけ寂しいような気もした。

もちろん、名前を知られたいわけではない。

 

(でもせっかく助けたんだから、ちやほやされたい気持ちもあるんだよなぁ……)

 

 

乙女心は複雑であった

 

 

     

 

 

 放課後

 

 

 学校を出た後、一人で歩いていた。

ふと、昨日の事故が起きた方向を見る。

 

 ほんの少しだけ、足が止まった。

行ってみようかな、そう思った。

 

 

 

 でも、やめた。

(犯人じゃあるまいし。事件現場なんて見に行ったところでなんにもならないか)

結局そのまま家へ向かった。

 

途中、横断歩道の前で信号を待つ。

 

 赤、車が走っていく。

 青、人々が歩き出す。

 

 

 その光景を眺めながら、ふと思った。

昨日までは、ただの街だった。

でも今は違う。

東京のどこかで、誰かが困っているかもしれない。

誰かが危険な目に遭っているかもしれない。

そして、自分にはそれを助けられる力がある。

 

「……」

私は信号を渡った。

 

まだ何をすればいいのかは分からない。

自分から事件を探しに行くつもりもない。

 

 ただ――。

 

もしまた目の前で誰かが危険な目に遭ったら。

 

 そのときは。

「……助けるよね、たぶん」

 

 

 

それはまだ、ヒーローになるという決意なんていう大げさなものじゃない。

ただ昨日、初めて誰かを助けてしまった少女が抱いた、小さな約束だった。

 

 

 

 

 そしてその日の夜。

 

私は自分の部屋のベッドに寝転がりながら、スマートフォンを眺めていた。

「……コスチューム、どうしよう」

 

 

きっかけは単純だった。

 

昨日、人を助けたとき自分が何者なのか知られるのが怖かった。

幸い顔を見られたのはひとりだけだったけれど、

もし大勢に見られていたら、もし学校の制服を着ていたら。

 

 

そう考えると、今まで通りの格好で夜に出歩くのは少し危ない気がしてきた。

スマートフォンで「スパイダーマン コスチューム」と検索する。

 

 

 見慣れた赤と青のスーツが画面いっぱいに並んだ。

 

 

「……うん」

しばらく画面を見つめる。

「無理だね…………私家庭科の通信簿2だし」

 

 

自分で作れるわけがない。そもそも、あんなぴったりしたスーツを着て街中を走り回る勇気もない。

 

「じゃあ、普通の服で……」

クローゼットを開けて服を眺める。

 

 パーカー、ジャージ、スウェット、Tシャツ。

 

 

取り出しては戻す。

「うーん…これかなぁ?…でも、これじゃ全然ヒーローっぽくないよ」

いや?そもそも、ヒーローっぽさなんて必要なのだろうか。

 

腕を組んだ。

大事なのは顔を隠すこと、動きやすいこと。

この2点のはずだ

 

 

「やっぱりヒーローコスチュームは辞めよう…………現実的じゃないし」

若干の未練を残しながらも私は諦めた

 

 

 だったら――。

クローゼットの奥からピンクっぽいパーカーを取り出した。

さらに黒のスウェットパンツを引っ張り出す。

そして、しばらく悩んだ末にコロナマスクを手に取った。

 

 

 全部身につけて、鏡の前に立つ。

 

 

「…………………………」

 

 自分の姿を眺めた。

パーカーのフードを被り、マスクで鼻と口を隠す。

スウェットパンツに靴は普段使っているスニーカー。

 

「……普通」

どう見ても普通の格好だった。

 

 ヒーローらしさはない。

むしろ、夜中にこんな格好で歩いていたらそれこそ怪しい人に見えるかもしれない。

 

 

身体を軽く動かしてみる。

「でも……これならスイングしても邪魔にならないし、顔もほとんど分からない」

 

 

 鏡に映る自分をもう一度見る。

「……これでいいかな」

少しだけ迷ってから、フードを深く被る。

 

「うん」

これが今の自分にできる精一杯だ。

本物のスパイダーマンみたいなスーツじゃなく、特別な装備もない。

ただのパーカーとスウェットとマスク。

 

 それでも、昨日までの自分とは少し違って見えた。

「なんか……」

遙は鏡の中の自分を見ながら笑う。

「ちょっとだけ、それっぽいかも」

 

 嬉しくなって、くるっと一回転する。

「……いや、やっぱり普通の人だ」

 

 

 それでも、私はその服を脱がなかった。

今夜も少しだけ、新しい格好で練習したかったからだ。

 

 

 

 そして――。

 

 もしまた誰かが危険な目に遭っていたら。

今度は、昨日より少しだけ落ち着いて動けるように。

 

 

「よし!!」

そして静かに部屋を出た。

 

 

 

 

 その夜から、私の練習場所は変わった。

今までのように公園へ行くことはしない。

 

 

 代わりに目をつけたのは、建物の屋上だった。

「ここからなら、たぶん大丈夫。そろそろレベル上げてかないといけないしね」

 

とあるマンションの屋上から周囲を見渡した。

東京の夜景が広がっている。

 

遠くまで続くビルの明かり、道路を流れる車のライト。

その下では大勢の人がいつも通り生活している。

でも、この高さまで来る人はほとんどいない、私だけの特等席だ。

 

 

 

「よし」

鏡の前では普通にしか見えなかった格好も、こうして夜の屋上に立っていると少しだけ雰囲気が変わる。

「……なんか、本当にそれっぽい」

自分で言ってから、ちょっと恥ずかしくなった。

 

「何言ってんだろ、私」

屋上の端まで歩いて下を見下ろす。

以前なら怖かった高さも、今ではそこまで気にならない。

 

 

 もちろん、落ちれば危ない。今更死ぬようなことはないだろうけど痛いものは痛いのだ。

だからこそ、慎重に足場とルートを確認する。

 

 

 

 そして――。

 

「いくよ」

 

 シュッ。

 

 

白い糸が向かいの建物へ伸び、しっかりと張り付いた。

 

「……!」

私は走り出した。

屋上の端を蹴り、身体を宙へと投げ出す。

 

 

次の瞬間、糸に引かれて身体が前へ振り出される。

「いえーーい!」

 

その勢いを利用して向かいの建物へ飛び移った。

 

 体を丸めて着地。そのまま止まらず走る。

 

 

「楽しいなぁっっあ!」

屋上を駆ける。

低い柵を飛び越え、配管を避け、段差を軽々と飛び越える。

以前ならただの障害物だったものが、今では全てが遊び道具だった。

 

 壁に手をついて身体をひねる。

 

 そのまま走り抜ける。

 

「次!」

 

 再び糸を飛ばした。

 

 今度は少し離れた建物へ。

 

 シュッ。

 

 糸が伸びる。

「えいっ!」

それを頼りに跳ぶ。

 

 身体が夜空へ放り出される。

 

 

 

 怖い。

 

 でも、その怖さすら楽しい。

 

 

「――!WHOOOOOOO!!!」

 

そしてその興奮が頂点に達した勢いをそのまま私は糸を掴み、身体を空中で回転させるトリックを遂に成功させた。

 

 

 

「やったっ!!!やっとできた!!PS4スパイダーマンのくるくる!!!」

 

 着地後に最初の憧れを達成できた喜びから思わず声が出るも、周囲を見回せば誰もいない。

 

 

 だから、もう少しだけ。

そこから先は、練習というより遊びに近かった。

 

 屋上から屋上へ。

糸を使って建物の間を移動し、壁を駆け、フェンスを飛び越える。

 

 まだ失敗もする。

着地に失敗して尻もちをついたり、糸の角度を間違えて思った方向へ行けなかったりする。

 

 それでも、一週間前とは比べものにならない。

私はは少しずつ、自分の身体と力を使いこなせるようになっていた。

 

 

そして最後には

「……これ、昼間にやったら絶対怒られるよね」

屋上の端に座り、リュックに入れておいたお菓子をお供に東京の夜景を満喫していた。

 

 

     

 

 数日後。

 

 とあるマンションの管理人が朝になって屋上へ上がった。

「……あれ?」

フェンスの近くに、見慣れない白い糸が残っていた。

 

「クモの巣?」

指で触れると妙に丈夫だ。

「なんだこれ……」

結局、その人は深く考えずに片付けた。

 

 別の日。

 

 

夜遅くまで仕事をしていた会社員が、帰宅途中にふと空を見上げた。

「……今、何かいた?」

ビルの屋上から、何かが隣の建物へ飛んだように見えた。けれど、見上げた時には何もない。

 

「鳥か……?」

そう呟いて、そのまま帰っていった。

 

 

 また別の日。

 

 夜のコンビニから出てきた大学生が、友人に話した。

「最近さ、夜に屋上を走ってる奴いるらしいよ」

「何それ」

「知らん。友達が見たって」

「人?」

「分からん。でもなんか、めっちゃ身軽だったとか」

「怪しすぎるだろ」

 

 

 二人は笑いながら歩いていった。

まだ誰も、本気にはしていない。

 

 ただの見間違い。退屈しのぎの噂話。

そんな程度だった。

けれど、それは少しずつ広がっていた。

 

 東京の夜の屋上には何かいる。

建物から建物へ飛び移る人影を見た。

妙に高い場所に、見慣れない白い糸が残っている。

そんな小さな話が、東京のあちこちで生まれ始めていた。

 

 

その頃、当の本人はというと――。

 

 

 

「……今日はこっち!」

また別のマンションの屋上で、楽しそうに笑っていた。

 

 フードを深く被り、糸を構える。

 

「昨日より遠くまで行けそうな気がするよ」

そして、勢いよく走り出した。

 

 

 

 シュッ。

 

 

 

 白い糸が夜空へ伸びる。

その姿が、屋上からふっと消えた。

夜の一人遊びを楽しむ少女は力を蓄えながらも、

少しずつ夜の東京に自分の痕跡を残し始めていた。

 

 

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