でも今後も活動を続けたら時間の問題、監視社会って怖いですね。
第8話
翌朝、東京では昨夜の事故が大きな話題になっていた。
きっかけは事故現場を撮影した動画だ。
映像の中では少女が突然頭上から事故現場へ飛び込んでくる。そして、落下してきた鉄骨を勢いそのままに受け止め道路の端へ投げ飛ばしていた。
それはとても普通の人間にできる動きには見えなかった。
『CGじゃないの?』
『映画のプロモとかじゃなくて?』
『さすがに本物はないだろ』
投稿されたばかりの動画にはそんなコメントが次々とついていた。
その証拠が映像一本だけならば疑うのも無理はない、今どき映像なんていくらでも加工できるのだから。
けれどしばらくすると状況が変わった。
『こっち別角度』
『これも同じ現場だぞ』
『撮影者違うじゃん』
『待って、こっちは壁走ってる』
新しい動画が次から次へと投稿され始めた。
道路の反対側から撮影された映像。近くの店の前から撮られた映像。信号待ちをしていた車の中から撮影された映像。撮影した場所も、画質も、映っている範囲もバラバラだった。
それなのに、どれにも同じ少女が映っている。
しかも、別角度の映像を見比べることで一本目の動画だけでは分からなかったことまで明らかになっていった。
少女は鉄骨を受け止めただけではない。
落下してくる鉄骨をかわしながら事故現場へ入り、人を助け、そのまま白い糸を頼りに壁を走って建物の屋上へ駆け上がっていたのだ。
『いや待って、壁走ってるんだけど』
『人間じゃなくね?』
『さすがにこれはCGだろ』
『でも別の人が同じ場所から撮ってるぞ』
『編集で作ったにしては画角多すぎん?』
次第に「この動画は本物か?」だけではない。
「本物だとして、この少女はいったい何者なんだ?」という疑問が広まっていった。
超人的な力を持ち、事故に巻き込まれた人を助けた少女。
『この子スパイダーマンじゃね?』
その名はあっという間に広がっていった。
――――――――――――――――――――――――――
そして当然のように朝のニュース番組に取り上げられた
「まずはこちらの映像をご覧ください」
スタジオの大型モニターに昨夜の事故映像が映し出される。
「こちらは昨夜、東京都内で撮影された映像です。事故現場に居合わせた方が撮影したものということですが現在SNS上で大きな話題になっています」
キャスターがそう説明すると角度の異なる映像に切り替わる。
「そして、こちらも同じ場面を撮影したものです。先ほどとは別の方が撮影しています」
同じ場面が、別の角度から繰り返される。
「……同じ人物ですね」
隣のコメンテーターが画面を見つめた。
「はい。さらに、他の映像もご覧ください」
次の映像では、少女が壁を駆け上がり画面から消える。
スタジオには沈黙が落ちた。
「いや……ちょっと待ってください。これ、本当に現実なんですか?」
「現時点では、映像が撮影された経緯や人物について詳しいことは分かっていません。ただ今回の映像は一つではなく、撮影地点の異なる映像が複数確認されています。」
「専門家によりますと、現時点で映像に加工が施されたことを示す明確な証拠はないということです。」
「まるで……映画みたいですね」
コメンテーターが思わず呟く。その一言が妙に重く響いた。
昼になると、当然ワイドショーを始め全ての局がこの話題を取り上げ始めた。
事故現場からの中継が入り、リポーターの背後には多くの人々が集まっている。
「こちらが昨夜、謎の人物が現れた現場です。現在も多くの方が訪れています」
「昨日の映像、ご覧になりましたか?」
リポーターが近くにいた男性へ声をかける。
「見ました。いや、あれヤバいですよ。マジでスパイダーマンじゃないですか」
「スパイダーマンですか?」
「だって糸出して壁走って跳んでますもん」
男性は興奮した様子でスマートフォンを見せる。
「これですよ、これ。昨日からずっと見てます」
別の女性にも話を聞く。
「最初はCGだと思ったんですけど、動画がいっぱい出てきて……。同じ場所で違う人が撮ってるんですよね?だから本当にいたのかなって」
街の人々が、昨日まで誰も知らなかった少女について口々に話している。
テレビ局もネットも、その反応をさらに拾っていった。
警察にも問い合わせが相次いでいることが報じられ、SNSでは早くも正体探しが始まった。過去に東京で撮影された不可解な映像まで掘り返され、昨日の少女と同一人物ではないかという投稿も次々と現れる。
『これ一週間前のやつじゃん』
『服の色似てない?』
『この時から活動してたのか?』
『撮影場所特定できそう』
一方で、正体を探すことに否定的な声もあった。
『助けてくれた人なんだから放っておけよ』
『正体なんて知らなくていいだろ、てか多分ピーターパーカー定期』
『ヒーローの正体探し始まるの嫌だな』
意見は大きく割れていた。
ただ一つ確かなのは、誰もが少女の存在を知ってしまったことだ。
そしてその存在は当然海外へも流れ始める。
『TOKYO SPIDER-MAN?』
『Real-life Spider-Man appears in Japan』
『Mysterious web-slinging hero saves civilians in Tokyo』
英語、中国語、韓国語、スペイン語。世界中の国々でメディアに取り上げられる。
『No way this is real』
『日本現在也有蜘蛛人了』
『누구시든, 감사합니다.』
『Por favor, no reveles su identidad.』
世界中の人間にとってスパイダーマンとはあまりにも馴染み深い存在だった。
コミックを、映画を観たことがなくともそのヒーローを知らない人間などほとんどいない。
その「スパイダーマン」が現実の東京に現れた。
もちろん、映像の少女はコミックや映画のスパイダーマンとは違う。
白いパーカーを身につけた正体不明の人物だ。
それでも、人々は彼女をそう呼ぶのを止めることはできなかった。
――――――――――――――――――――――――
その日の夕方。
遙は自分の部屋で、ベッドに座ったままスマートフォンを眺めていた。
朝から騒がれていることは知っていた。
「……海外でもやってる…………すごいなぁ……」
どこか他人事な気持ちで思わず笑った。
ただ人を助けただけだった。それなのに、一晩で世界中の人間が自分を知った。
けれどしばらく画面を眺めているとその面白さも薄れていく。
『次はいつ現れる?』
『東京ならどこに住んでるんだろう』
『誰か正体を探してくれ』
『もっと活動してほしい』
『日本の警察は何してるんだ?』
「……そりゃあそうなるよね」
誰かを助ければ、その次を期待される。
今までは、自分がやりたいときにやっていただけだった。
でも、もう違う。
自分が出てくることを期待している人間がいる。
事故が起きれば「スパイダーマンは来るのか」と考える人間もいるだろう。
自分に関する考察サイトやアカウントの状況を確認してみる。
自分の名前はない。
学校名も住所もない。
家族についての情報もない。
過去の映像を並べて活動場所を調べている人もいる。撮影された建物から場所を特定したり、映像に映った時間から活動時間帯を推測したりしている投稿もあった。
しかし、そこから先はまだ何もない。
そもそも、私が活動していた時間はほとんど深夜だ。
しかも毎晩決まった場所に現れていたわけではない。
東京は広い。
これまで助けた場所を地図に並べてみても、到底個人を絞り込める範囲ではなかった。ある日は西、別の日は東。
自分がその日に行きたいと思った場所へ適当に移動していたから、活動地点だけを見ても生活圏はかなり広く見えるはずだ。
実際、ネットで出ている情報も「東京のどこかにいる若い女性」というところから先へは進んでいない。
映像に映っているのは事件が起きた場所へ突然現れて、蜘蛛糸を使って人を助けそのまま夜の街へ消えていく姿だけだ。
もちろん、監視カメラまで考えれば話はもっと複雑になる。
道路、駅、店、マンション、建物の出入口。移動している以上どこかで撮影されている可能性はある。
でも、カメラに映るのは「その時間にそこを通った人物」だけだ。
それに私は活動するときはできるだけ同じ道を使わないようにしていたし、移動のほとんどは屋上だ。監視カメラを全てつなぎ合わせて辿るのはたとえ警察でも容易ではないだろう。
今思えば、これまでの隠蔽活動が完璧だったわけではない。
それでも、今日までの活動回数と範囲を考えれば今すぐ自分の生活まで辿られるほどの材料が揃っているとは思えなかった。
「だから……まだ、大丈夫」
その言葉には、根拠があった。
今のところ私と「東京のスパイダーマン」を直接結びつける情報が存在していない。
なら、これ以上増やさなければいい。
「でも、もしこれから活動を続けるなら違う。同じ時間に出て、同じような場所で事件に遭遇して、何度も同じ姿を見られる。最初はただの偶然でも、何回も重なればそれはもうパターンになる」
そうなれば、監視カメラも目撃情報も意味を持ち始める。
今はまだ、広い円の中にいくつかの点がばらばらに散らばっているだけだ。
でも、このまま活動を続ければその円を自分で縮めてしまう。
そこまで考えて、私はようやく自分が何を怖がっていたのかを整理できた気がした。
「……見つかるのが怖い」
それはずっと分かっていた。
正体が知られれば、今まで通りの生活はできなくなる。
家の前に人が集まるかもしれないし、学校だって今のままではいられない。
だけど、それだけじゃなかった。
結果だけを見れば今回の救助はうまくいった。けれど、もし少しでも遅れていたら。
もし糸が外れていたら。もし力加減を間違えて、鉄骨を明後日の方向へ飛ばしていたら。
「……私、助けられなかったときも怖いんだ」
事故は一瞬で起きる。
どれだけ力があっても世界が自分の思った通りに動いてくれるわけじゃない。
自分がどれだけ速くても、間に合わないことはある。判断を間違えることだってある。
そして、そのたった一度の失敗で、誰かが死ぬかもしれない。
それを認めるのは少し悔しかった。せっかく手に入れた力なのに。
それでも――。
「……もう、十分かな」
ぽつりと呟いた。
正体を知られる覚悟も救えなかったときの責任を背負う覚悟も私にはないのだから。
それを認めると不思議なくらい気持ちは落ち着いた。
後悔はない。
ただ、少しだけ寂しかった。
――――――――――――――――――――――――
一ヶ月後
私は本当に夜の街へ出なくなった。
パーカーもマスクもクローゼットの奥にしまったまま。蜘蛛糸を飛ばすことも、屋上へ上がることもなくなった。最初の数日は夜になると少し落ち着かなかった。実際、一度だけ窓に手をかけた。
でも、
「……やめとこ」
窓を閉めて机に向かった。
勉強をしたり、漫画を読んだり、友達とメッセージをしたり。そうしているうちに日々の過ごし方も少しずつ元に戻っていった。
それを一番実感したのは放課後だった。
「遙、今日暇?」
帰り支度をしていた私に、純子が声をかけてきた。
「うん。どうしたの?」
「駅前行かない? 新しいクレープ屋できたんだって」
「いいよ。私も甘いもの食べたいし」
鞄を持つと、純子が少し意外そうな顔をした。
「……遙って最近、放課後の誘い断らなくなったよね」
「そう?」
「うん。前は『ちょっと予定あるから』って帰ること多かったじゃん」
「ああ……」
確かにそうだった。放課後になればその日の夜のことを考えていた。
友達から誘われてもその後にヒーロー活動が控えていれば断るしかなかった。
「まあ、最近は予定がないから」
「前は何してたの?」
「いろいろ」
「またそれ?」
「本当にいろいろだって」
純子はまだ何か言いたそうだったけれど、結局それ以上は聞かないでくれた。いい友達だ。
「じゃあ今日はとことん付き合ってもらうからね。クレープ食べたあと、ちょっと買い物もしたい」
それから私は、放課後に友達と過ごすことが増えた。
そんなある日の放課後。
「飛騨さん、ちょっといい?」
廊下で他のクラスの男子に呼び止められた。
「うん。どうしたの?」
「少し2人だけで話をしたいんだけど……」
二人で廊下の端へ移動する。男子はしばらく黙っていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「俺、飛騨さんのことが好きです。よかったら付き合ってください」
「ああ……」
よくあるやつだ、そして答えもいつも決まっている。
「ごめんね。気持ちは嬉しいんだけど、今は誰かと付き合いたいっていう感じじゃないかな」
「……そっか」
「うん。でも、言ってくれてありがとう」
男子は残念そうに笑って教室へ戻っていった。
私も戻ったところで後ろから純子に肩を叩かれた。
「また告白?」
「うん。見てたの?」
「こっそり見てたよ。というか、最近ほんと多くない?」
「そうかなあ」
「そうだよ。今年入って何人目?」
「知らない。そもそも告白された人数なんていちいち覚えててないもん」
そう言ってから、私は少しだけ笑った。
断ることがほとんどとはいえ、好意を向けてもらえるのは悪い気はしないものだ。
例えば、期末テストの返却日。
「飛騨さん、今回も満点ですね」
「ありがとうございます」
答案の右上には百点。席に戻ると純子がさっそく覗き込んできた。
「……また?」
「また」
「一回くらい負けてよ」
「そんなこと言われても困るんだけど」
「だって毎回満点じゃん」
私は答案を眺めながら少し考えた。
「じゃあ次は一問くらいわざと間違えてみようかな」
「それ、一番腹立つやつ!」
その日の帰り道、期末テストの反省会をやることを約束して、私は純子と駅前で別れた。
一人になってしばらく歩いていると、遠くからサイレンが聞こえてきた。
私は足を止め、反射的に音の方向を探した。
けれど、今日は動かなかった。
サイレンが遠ざかっていく。
「……行かなくていいんだよね」
小さく呟いて、私は駅へ向かって歩き出した。
その夜。
ベッドに横になった私は、机の横に置かれたパーカーとマスクを見つめていた。
「……楽しかったな」
スパイダーマンが嫌になったわけではない。
ただ、今はこの学校生活を大切にしたかった。
スマートフォンを手に取って動画サイトを開くと、おすすめ欄に見覚えのある映像が出てきた。
『今見ても凄すぎる。東京のスパイダーマン』
「うわ……」
サムネイルには、あの日の私が映っている。少し気になってコメント欄を開いた。
『結局この人何者だったんだ?』
『もう一ヶ月くらい見てないよな』
『引退したのかな』
『本当に実在したの?』
『いや映像残ってるだろ』
一ヶ月も新しい映像や目撃情報がなければ、人々の興味が別のニュースへ移っていくのも当然だった。
世界中を騒がせた「東京のスパイダーマン」はほんの少しずつ過去の出来事になり始めている。
その流れを肌で感じ安堵した私はスマートフォンを伏せ、今後の学校生活に思いを馳せた。
お気に入り登録・感想・評価を頂けると嬉しいです。
もし貰えたらエタる可能性が大幅に減少します。なんなら、この作品じゃなくてBNDの感想でも大丈夫オッケーなくらい感想欲しいです。
追記
何かいつの間にかオリ主タグが外れてる、え?
別にいいけど…怖っ。