「─────あ、あの、失礼します!」
最初は、おどおどとした女の子の声。
いつものように3人で校舎を出て校門をくぐる。その外にいた3人のうちのひとりが1歩を踏み出して、しかし不安そうにこちらを見ていた。
「……どちら様?」
「あ、アビドス公立第1中学、3年の奥空アヤネです!」
私にはわかったが、微かに警戒の色を滲ませたホシノ先輩が問いかけると、赤ぶちメガネの彼女は慌てた様子で名乗り出す。それに続くようにして、その後ろに控えていたひとりが口を開き。
「黒見セリカよ。私もアヤネちゃんと同じ、第1中学の3年ね」
「ほほう、ふたりともあそこの子なんだ」
それじゃあ。そう言ってホシノ先輩は残ったひとりを見る。これまで見たことの無い、本当に不思議そうな顔をしていた。
それは私の横にいたノノミも同じく、半開きになった口からほぉっと声を漏らしてボーッと彼のことを眺めていた。
「俺もふたりと同じく、アビドス第1の柳ヶ瀬アイカっていいます!」
「アイカ……くん?」
「はい」
硬そうで短い黒髪。私たちよりも骨太で角張った体つき。ノノミと同じくらいの身長。そして、聞き馴染みのない低い声。
「─────男の子だ」
「はい」
「……うへぇ」
「存在、するんですね……」
「ん……?」
「そりゃするでしょうよ」
「ま、そういう反応になるわよねぇ」
「あはは……」
オートマタ以外で初めて見た人の男子は、柴犬を思わせる耳を揺らしてやっぱりかと頬をかく。
─────彼、柳ヶ瀬アイカとの出会いは、こんな感じだった。
それから数ヶ月。3人は無事にアビドス高校へ入学してきてくれた。私とノノミにとって、初めてのかわいい後輩ができたのだ。
ノノミ曰く、養子入りしている実家はトリニティ関係の旧名家とかいうものらしい彼。トリニティ総合学園からの勧誘を受けており、中学校からもトリニティへ行くよう促されていたんだとか。
それでも、どうして彼がアビドスを選んだ理由について聞いたことがある。
「なんでアビドスを選んだか、っすか」
「うん」
トリニティに行けたなら、廃校寸前のアビドスよりもきっとそっちを選んでいたはず。なにも郷土愛が強いというタイプでもないのに、なのに何故。
そう問いかけると、彼は困ったような顔をした。それからうーんと悩んでみせると、少し照れたように頬を赤らめ。
「アヤネがここで頑張りたいって言って、セリカが私もと乗っかって。やっぱ、そんな状況で俺1人トリニティになんて行けねぇっすよ」
「……」
─────彼も私のように、記憶のない状態で行き倒れていたらしい。
身を寄せる場所もなく、頼れる人もいない。あてもなくさまよい続けて、そして出会ったのがアヤネとセリカのふたり。
彼を保護したふたりはお互いの家で彼を保護しあい、常識を教えこみ。やがて縁のできた家に養子入りし、中学校に入学できた彼を、ふたりは大切な友達として迎え入れた。
私にとってのホシノ先輩とノノミ。そう思うと、彼がふたりの意見を尊重して着いてきたというのも想像に容易いものだ。
「でも、もうひとつあるんです」
「ん」
もうひとつ。それは、一体なんだろうか。彼の青い瞳がじっと私を見つめ、そして私を映し光る。
「俺、ホシノ先輩とシロコ先輩に助けられたことあるんすよ」
「……?」
初耳だった。彼と出会っていたら忘れないくらい印象的なものだと思うが、全くもって心当たりがない。一体いつのことかと思い出そうとする私に、彼は笑った
「あー、覚えてなくても仕方ないっすよ。直接関わってた訳じゃないんで」
「……どういうこと?」
「俺、手軽に稼げるって聞いてヘルメット団に詐欺られかけたことがあったんすよ」
たしか、アヤネに誕生日プレゼント買いたくて。なるほど、彼らしい理由だ。だが、それと同時に思い出すことのないそのヘルメット団のことを考えてはみるが。
「……ごめん。潰しすぎてどれか覚えてない」
「そうっすよね。実際俺もなになにヘルメット団か覚えてませんから。なんか、水音っぽいやつだった気が……」
「……えっちなの?」
「違うんすけど!?」
毛の逆立ったしっぽをビンとおったてて、彼は数歩後ろに下がる。
彼はこういうことに敏感だ。ひとつふたつ揶揄うと、大慌てで訂正を求めてくる。ぶっちゃけ、かなり初心いのだ。お昼寝しているホシノ先輩を起こすために、肩を触ってゆするのも躊躇うくらいに。
……さすがに、事故でノノミの着替えを覗いてしまった時は同情する。他の追随を許さぬあのノノミのデカパイ。きっとあれは、男の子には刺激が強すぎたんだ。
「と、とにかく。俺、助けられた恩も返したかったんすよ」
「気にしなくていいのに」
「俺は気にするんです」
ムスッとした顔でこちらを見るアイカ。律儀で義理堅くて、紳士で少しえっちで。それにかっこつけようとしているのが、なんだか無性にかわいくて。
「……なら、恩返し頑張ってね」
「うすっ!」
かわいい後輩の頭を、乱雑に撫でてみた。かつて、私がホシノ先輩やノノミにされてきたみたいに。
△
「─────流石におかしくはねぇっすか!?」
俺の叫びに、ワイシャツ姿の彼女はピタリと動きを止めた。
放課後、人気のない校舎。開け放たれた窓から吹き込むのは、僅かに砂を含んだ穏やかな風。夕日が照らすのは、誰も来ないであろうふたりっきりの空き教室。そして、並べた机の上に仰向けで固定される俺と、そんな俺の腰にまたがる彼女。
「………………?」
「いや、そんな顔で首傾げられても困るんすわ」
かわいいけども。そうこぼせばありがとうと頬を染めて微笑み、俺のベルトへと手を伸ばす。なんてかわいくない動作なんだ。
何とか両腕を頭の上で縛り付けていたハンドタオルを振りほどき、ベルトの構造に苦戦してチャックへと手を伸ばす彼女の腕をなんとか掴み止める。
まさぐっていた手を止めさせられた、その事に彼女はムッと口をすぼめると、少しイラついたようにこちらを見下して。
「ん、強引なのはダメ」
「どの口が言ってんすか。あんたっすよ、強引なのは」
「私は大丈夫」
「なんで」
「アイカは、これから合意することになる」
「ふざけろ……っ」
合意があれば和姦だってか。何をひとりだけいい空気吸っているのか彼女は。
しかし、どうにかしてこの状況を打破しなければ。パワー的に押し負けることはまずありえないが、もし万が一にもこの状況を誰かに見られ用ものならどうなるかなんて考えたくもない。
先生なら、まぁいいだろう。こんな突飛な状況に出会っても、脳内で状況を整理してそれなりに対応してくれるはず。彼女を諫めるなり、見て見ぬふりをするなり。
─────いや、想像の中でくらいかっこよく止めてくれよ。
だが哀れ。先生のそんな姿は想像もできなかった。
「……ん、今日のアイカ」
「なに」
「ちょっと汗臭い」
「汗臭い?」
指と指を絡め合っての両手で押し相撲。その隙を見て首元に顔を埋めた彼女がすんと鼻を鳴らす。一方の俺も、目の前に広がる銀髪と彼女の耳に鼻をくすぐられていた。
汗の匂いはない。代わりに彼女が校舎のシャワールームに備えているリンスインシャンプーの香り、シトラス系の爽やかな香りが鼻腔を埋めて行く。
「そーいうことなら、今日はやめといたらどうっすか?お互い、汗臭いままなのは嫌でしょうに」
「ん、むしろいいアクセント。唆るね」
幼なじみに言われてからはより一層気をつけている体臭ケア。ここの環境もあって、一応今日も制汗シートで体を拭いてはいるのだが。
─────まさか
ぽしょぽしょと耳をくすぐる彼女の声と、舌なめずりのおとがひとつ。そのままちろりと首筋をひと舐め。ぞくりとくる未知の感覚に思わず体が跳ねた。
「─────うぉっ」
「ん?」
しくじった。そう思った時には既に遅く。上体は倒したままその様子を見た彼女はしばらく俺の表情を伺い、やがて確信づいたように頷くと。
「……なんすか」
「わかった。今の気持ちよかったんだ」
「そういうんじゃねぇんすけども!?」
「そうかな。……でも、身体は正直かもね」
再び彼女の顔が迫ってくる。幼さの残るものの恍惚とした美人系な顔立ちは、状況が状況なら思わずコロリと堕とされてしまいそうな程に魅力的で。俺は思わず目を固く瞑った。
しかし最後に見た彼女は、みずみずしい唇の間からチラリと舌をのぞかせていて。
「ん」
「─────っ!」
ぴとりと鼻に触れる湿った感触。それが離れると、今度は左の頬を下から上へ、舌の先端らしきものがつーっと線を引いていく。だが、来るとわかって身構えていれば大したことでは無い。
顔の正面、近い距離から聞こえる声は、呼吸が少し荒くなったように感じる。舐められていることと、顔にかかる生暖かい呼吸。そんななんとも言えない口内の匂いは、意外なことに俺と同じ歯磨き粉の匂い。
「……あんまり、反応が良くないかも」
「そりゃあ、さっきのは不意打ちだったから身体が驚いただけっす」
「ふーん」
彼女の顔が離れたのを感じて目を開ける。やはり先程までと同じ位置に、先程よりも上気した彼女の顔があって。
それに、上体を伏せたからか開けられたシャツの胸元が緩んでいる。白色の肩紐が微かに顔を覗かせ、決して小さくは無い胸元に形成される谷間がその存在の主張を強めていた。
「ん、視線がえっち」
「みっ、いや、見てねぇんすけど、胸なんて!?」
「さすがに嘘。私、おっぱい見てたって言ってないのに。……そうだ、吸ってみる?」
「なに言ってんすか先輩!?」
「すごく動揺してるの、かわいい。……ならどうしたい?」
「かいほーしてほしいっす」
囚われそうになる視線を必死に逸らし、ダメ元で言った言葉。だがどういう訳か、彼女はそれを受け入れる。のっそりと腰から降りた彼女は、ようやく胸元の様子に気づいてか。赤面して服装をただしてこちらを見下ろした。
「こうして見下してると、思い出すね」
「類を見ないほどに最悪な思い出しかたっすね……」
△
「─────あの頃は、かわいい後輩だった」
「そのかわいいっての、やめて欲しいんすけど……。せめてそこはほら、カッコイイ!とかイケメン!とか……」
「ん、それは無理」
「なんでっすか!」
無理なものは無理。そう首を横に振ってやるとがくりと肩を落とす。
しかしこの位は慣れたもの。気を取り直して机に腰掛けたままの彼はこちらを見て。
「てか、だったってなんすか、だったって」
「ん?」
「じゃあ、今の俺の印象ってなんなんすか。……こ、こんなことまでして」
「ん」
頬を赤らめる彼。今の彼の印象、それは私の中でひとつしか無かった。
「ホシノ先輩のお迎えに行った時のこと覚えてる?」
「そりゃもちろん。みんなでおかえりってしたっすから」
「その時と、あとはほら、ゲヘナと戦った時」
「風紀委員会っすね。……あの横乳、マジで意味わかんないんすけど」
「それはもう、忘れよう」
「っす」
とにかく、対ヘルメット団とかではなく、風紀委員会やカイザーPMCのような大規模な敵相手に戦うことになった時。これまで斥候を任されていた彼は、怯むことも臆することなく銃を手に立ち上がった。
「道は俺が切り開く、だっけ」
「あー、そうっすね」
「最近決め言葉みたいによく言ってるやつ」
「あの、グサッとくるんでやめてもらっていいっすか?」
「その言葉の前に言った言葉、覚えてる?」
「……えー」
顎に手を当て首をひねり、うんと考え込むアイカ。しばらくの沈黙のあと、何も思い当たらなかった彼はダメだと零し。
「むしろ、何言ってたか教えて欲しいっす」
「ん、いいよ」
んーんと声を調整し、頑張って出す低い声。閉じたまぶたの裏に思い浮かべるのは、いつもより大きくて立派に見えた彼の背中。
「俺の好きな人たちの道を邪魔するやつは、誰であろうとぶっ倒せっ。道は、俺が切り開くんだ!」
「─────んぶふっ」
勢いよく吹き出すアイカ。咳き込み、そしてこれでもかと耳まで真っ赤にして頭を抱える。
「俺、そんな恥ずいこと言ってました!?」
「うん」
「嘘だろ!?」
嫌だ嫌だと身を捩るが、過去は変えられないし、私の脳裏に刻まれたあの姿は決して忘れない。
「恥ずかしがることないよ」
「恥ずかしいもんは恥ずかしいっすよ!あれっすからね、好きってのはライクっすからね!みんな仲間で、家族みたいでって!」
「そっか。でも、あの一言で私は好きになったよ」
「好きになったって、恥ずかしいったら─────」
抗議するような彼の動きと声が止まり、そして沈黙。
えっという情けのない声をぽかんと開いた口から漏らしてこちらを見つめる彼。そんな彼に私は歩み寄り、向き直り、そして。
「─────あの日、あの姿を見た時、私はすごくドキドキした。そして私の中で、アイカらかわいい後輩じゃなく、頼れる男の子になった」
「……そ、なんすか」
「うん」
「え、好きって、そういう」
「ん、ラブのほう」
未だに言葉を飲み込めず、ドギマギと私の言葉を繰り返す彼。
しかし、好きになった頼れる男の子は、それはそれはライバルが多すぎた。
「……そう、っすか?」
「鈍感、朴念仁、唐変木」
「意味がよくわかんねぇすけど、今日日聞かない表現で乏しめられたのだけはわかるっす」
「─────まぁ、とにかく手っ取り早く襲って既成事実でもと思って」
「どういうことすか!?」
服装を正しつつ立ち上がっていた彼が吠えた。細かいことは乙女の秘密。彼が知るところではないのである。
「んな横暴な……」
「とにかく、また気を取り直して、ね」
「しねぇっすからね!?」
お互い清い体のままで。そう叫ぶ彼を思わず睨む。私だって恥ずかしいのに、なんてわがままな後輩なのだろうか。これはまた、理解らせなければならない。
「ん、それじゃあ今からでも─────」
「─────失礼しまーす」
ガラリと空いた教室のトビラ。立っていたのは、袖をまくった白いワイシャツにタイトスカート姿の女性。
「─────先生!?」
「あぁ、シロコとアイカ、一緒にいたんだね!」
「…………ん」
「……あれ、というか、2人きりで何をして─────」
先生の視線が私を見つめる。胸元は直したとはいえ、ネクタイとブレザーは手に持っている。続いてアイカに視線が向かう。よれた服に寝ころべるよう並べられた机、そして少し顔の赤い彼。
そして、ボンッと真っ赤に熟れた先生が、手にしていたタブレットで視線を遮って教室から出ていき。
「─────ごめんねっ。み、見なかったことにするから!みんなには、もうすぐ来るって言っておくからね!?」
だんと踏み出す音。続いてたったと駆ける音が遠ざかって。
「ん、これが既成事実」
「─────ちげぇし!先生も勘違いだっ。事故なんすよぉ!」
「そうだよね、
「事故っす、じぃーこぉー!」
素晴らしいスタートダッシュを決めると、先生と一緒に遠ざかっていく彼の声。ふたりを見送った私は、想像よりも早まる鼓動と熱を持つ頬を落ち着けつつ、対策委員会のみんなが待つ部屋へゆっくり歩き出した。
「─────なんか、好きっていっちゃった」
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