あの時、黒服から持ちかけられた条件の事を、今でも時折思い出す。先生にも、後輩たちにも、誰にも言ったことのない秘密のお話。
─────貴方の代わりに、
伺い知れない表情ながら、しかし真剣な声色の黒服はそう言った。いつもの喉の奥を鳴らして笑うようなそれも見せず、そして顔は真っ直ぐこちらを見ていて。
─────多分、本気だったんだろうな。
あの頃は自分を売り渡すことしか頭になかった。そうすれば、後輩たちは誰も傷つかずに済むと思っていたから。
それに内心、からかわれているとも思ってもいた。真に受ける必要のない、黒服の戯言。しかし今思えばあれは彼なりに真面目に話していたようにも思えて。
じゃあ。
それじゃあ。
「─────アイカくんは、何者?」
私以外に、あの黒服が欲しがった存在。それも、シロコちゃんと同じ元記憶喪失で身寄りのない、1年生の男子に。
「男子……」
そう、男の子。私たちとは身体的に全く違う存在。もしかして、そのデータが欲しくて取引を持ちかけたのか。
「……ううん。そんな感じじゃなかった」
否定材料は、ただの感。そも、わざわざ黒服が男の子の身体データなんかを欲しがるだろうか。せいぜいが実験台だろうが、“神秘”とやらのことを思えば彼なんて。
「……神秘?」
─────男の体で、神秘を持っているから?
彼の頭の上で輝く丸い輪っか、ヘイローの存在。黒服が呼ぶ“神秘”という力の存在。もしかすると、それこそやつがアイカくんを求める理由なのか。
「……わからない。けど」
その可能性は高いだろう。そうなると、今後も彼を狙う
私が在学しているうちはいい。どんな手段でこられようともどうにかしてみせる。大切な後輩なのだ。全力で守るだけ。
だが来年、私が卒業したあとのことが気になる。来年はいい。まだ、シロコちゃんとノノミちゃんがいる。
じゃあ、彼が3年になった時は?私くらい強い子が入ってくれば問題は無いはず。しかし、少なくともその頃には今はシロコちゃんと同じくらいには弱い彼が、自分で自分の身を守れるようになっていなければならない。
─────なら。
身を守らせると同時に、彼を鍛えることはアビドスのためにもなる。そうと決まれば、これからは少し厳しめに接しよう。今の動きを見ている限り、まだまだ強くなれるポテンシャルはあるはずだ。
それに最近、微妙に舐められがちな気もする。ここいらでひとつ、先輩としての威厳を見せつけてみるのも悪くはないかもしれない。
そう、この時の私は考えていた─────。
△
「うへへへっへへ〜い」
─────テンション高いなぁ。
少し前を歩く背中を見てそう思う。聞き馴染みのあるポヤポヤとした声を発しながら歩くのは、我らが対策委員会委員長、3年の小鳥遊ホシノ先輩。
フラフラと揺れる不思議なアホ毛とピンクのロングヘア。涼しげな白いオフショルダータイプのワンピースに、肩から掛けたクジラのショルダーバッグ。
そして振り返る度に見せる普段とは少し違う笑顔。俺たちのことを見守る年長者としての笑顔ではなく、ただこれから行く場所に思いを馳せる1人の女の子の笑顔。
─────この人、めちゃくちゃかわいくね?
普段とのギャップ、とでも言うべきなのだろうか。
のらりくらりとしていて掴みどころのない先輩。異常に強くて頼りになって、適当なように見えて誰よりもみんなとアビドスのことを考えている。ぶっちゃけこの少人数であっても絡みの少ない先輩は、そんな人だった。
しかし、目の前を歩く先輩は、いつもの印象とはてんで違って。
「あの、ホシノ先輩」
「んー、なにぃ」
「楽しみ、なんすね。ほんとに」
その言葉に立ち止まり、無言で振り向くホシノ先輩。なにかやらかしたかと内心ヒヤヒヤしていると、これまでに見たことのないような等身大の女の子っぽい満面の笑みを見せ。
「当たり前じゃん!だってリニューアルした水族館のプレオープンに行けるんだよ!」
数週間前のこと。水族館のリニューアルオープンに先駆けたプレオープンイベント。そんなイベントのチケットを俺がたまたま懸賞で手に入れたのだ。
普段からセリカに巻き込まれて懸賞を送りまくっている俺だが、何かの手違いでチケットの懸賞に応募しており、そして何の因果かそのペアチケットを勝ち取ってしまったのだ。
しかしペアチケットとなると、セリカとアヤネのどちらかだけというのも気まずいし。かと言ってシロコ先輩はライディングに出かける予定だという。
さてどうするか。先生か
「色んな展示が増えてるらしいし、ガラスも新品になって透明感が格段にアップ!それにね、新しいお魚が沢山増えてるらしくて〜」
「そ、そうなんすか……」
「昨日の打ち合わせでも話したじゃんかぁ。しっかりしてよぉアイカくぅん」
「……っす」
「しっかりルート覚えてる?はぐれて時間を無駄にするなんてこと、許されないからね」
「急にガチトーン来るじゃないすか……」
まったくもうと、相変わらずおどけた様子で笑うホシノ先輩。
昨日の放課後、過去に行ったことがあるというホシノ先輩の提案でお部屋にお邪魔した。そして、保管しているという当時の館内マップを2人肩を並べて仲良く睨めっこ。お昼ご飯の予定も込みで、大雑把にだがルートを立てた。
「覚えてるっすよ。…………なんとなく」
「もう、しっかり覚えないとダメだよぉ。作戦だって一緒、段取りが命なんだから」
「うす」
あいかわらず柔らかく微笑んではいるが、なんだか怒られてるみたいで思わず肩を落とす。そしてその様子を見て、そっと手を伸ばして俺の頭を撫でようとすると。
「うぇ」
「……うーん、ちょっとギリだな……?」
「ちょ、撫でなくたっていいっすよ」
「いやぁ、シロコちゃんと同じしょげ方するからツイね」
「あそこまで露骨に出してないっすよ、今」
「おじさんにはわかるの。あと、ちょっと撫でてみたいってのもあるよ」
「えぇ……」
男の頭なんて撫でて何になるのだろうか。そう思いつつ少し屈んでみると、満足そうに笑って小さな手で俺の髪をかき混ぜた。
「むふぅ〜」
「……どうすか」
「……うん、ゴワゴワして撫で心地良くないね」
「……そうすか」
「うん」
なんとも言えない顔をするホシノ先輩に、俺もまたなんとも言えない気分になってじっと見つめ返す。しばらくじーっと見つめあって、やがて根負けしたようにホシノ先輩が吹き出した。
「もぅ、そんな顔しないでよぉ」
「どんな顔すか」
「んー、もっと撫でてほしそうな、もの欲しげな顔かな」
「絶対にしてないっすからね、そんな顔……っ」
「強がりだなぁ。でも、体は正直みたいだよ」
ほらと指さす方を見ると、ももの裏で俺のしっぽは左右に大きく揺れていた。まるで、撫でられたことが嬉しくて堪らないかのように。
「─────もう、お嫁に行けねぇ……!」
「婿だし、そこはもらう側にしときなよ」
「んじゃもう、ホシノ先輩に責任とってもらうしかないっすからね」
「うへぇ、おじさんみたいなのはダメだよぉ」
「なんでっすか、やっぱ例の先輩のことが─────」
「そういうんじゃないよ!?……それはほら、そりゃぁ─────」
△
─────うーん、これは。
手にした綿菓子をかじりつつ、ぐるりと辺りを見渡してみる。しかし、どこにも黒髪の頭が見えなくて。
─────迷子、だね。
水族館に入館してはや4時間。混雑するであろう昼時を避けて食事を取ろうと少し遅めの時間に訪れた大広場。いくつかのキッチンカーや屋台が並ぶその場所は、想像していたよりも人でごった返していて。
周囲との接触にひときわ気をつけていたアイカくんは、あっという間に飲み込まれてはどこかへ流されて行ってしまったのだ。
何度かおーいと声を張り上げてみるも、私ひとりの声は周りの声にかき消されてしまっていて。
─────これ、合流できるかなぁ。
ショルダーバッグからスマホを取り出すと、そこには何件かのモモトークの通知。恐らく私たちのことが気になって仕方がないと言った様子のアビドスのみんなからそれぞれと、そして先生。それらの1番上に、アイカくんから。
「焼きそば買ってます、かぁ」
その文章に、もう一度ぐるりと一回転。目を凝らしてようやく赤い垂れ幕の下がった焼きそばの屋台を目視した。
「めっちゃ遠いじゃんか」
屋台の前にはいく重にも折れて曲がってずらりと列があり、その真ん中の辺りにぽつんと黒い頭が見えた気がして。
「……目印になるとこで待ってようかな」
あの列へと人混みを縫っていくのは一苦労。とくに、私みたいに体が小さいとこういった人混みは動きづらいもので。
カバンと綿菓子に気をつけつつ、何とかたどり着いたのは少し開けた休憩所。少し裏に入ったところにあるここは、私にとっては思い出の場所。
2年前、ユメ先輩と来た時にもここで休憩したんだ。
「……そう思うと」
年季の入った木のベンチ。錆びた藤棚。少し枯れた植物たち。どうにもここは改修が入らなかったようで、あの時とほとんど変わらないそのままの景色だった。
「取り残されちゃったのかな……」
─────なんか、寂しいな。
ぼんやりとそう思う。私は1人残されても、背中を押してくれる後輩たちと出会えた。でもこの場所は、私にとって思い出の場所であっても、水族館からすれば人気のない場所で。誰も、見向きもしてくれなかったのだろうか。
いつの間にか小さくなったわたあめ。最後の一口を手に取って口に放り込む。
残った割り箸を手持ち無沙汰に弄び、アイカくんと合流しようとベンチに踵を返そうとして。
「─────うへぇ、いつからいたの?」
「あれ、思ったより驚いてくんねぇ……」
いつの間にか背後に立っていたアイカくんに気がついた。
─────隠密は、かなりのものなんだよねぇ。
戦闘時のポジションは
「何してんすか、こんなとこで」
「ちょっと思い出に浸っててね」
「思い出……?」
「んー、
いたずらっぽくそう言うと、ピンと耳としっぽを逆立てた彼。やがてしなしなとその両方が力なく垂れ下がり、また分かりやすくしょげ始めて。
「じょーだんじょーだん。おじさんの言うことなんていちいち真に受けないの〜」
「受けるっすよ。大切なんすから、思い出って」
「それはそうだけどね……」
忘れてはいけないものだけど、囚われていてもいけない。それを教えてくれたのはみんなだ。
「ちょうどいいすね、ここで食いましょうよ、これ!」
「うん、それはいいけどさ……」
「……っす?」
「ごめん、待ってね」
不思議そうに首を傾げるアイカくん。その右手には3つのフードパック。それぞれ、お好み焼き、たこ焼き、焼きそば。左手には2つのフードパック。合計で10本を超えるくらいの串焼きが入っている。そしてポケットからはお茶のペットボトルがそれぞれ飛び出していて。
「─────買いすぎじゃない?」
「そうっすか。2人分っすよ?」
「多いって」
「っすか……」
カバンから財布を取り出して中身を確認する。多少多めには持ってきているので、彼が買った分くらいは問題が無いはずだ。そう思ってお金を渡そうとすると。
「あっ、いいんすよ別に」
「よくないよ。おじさんに払わせて。流石に後輩にお金出させたくないよ」
「いやほんといいんすよ。お金払ってないんで」
「……は?」
「怖いですって。……これ、ほとんど貰い物なんすよ」
「は……?」
どういうことだろうか。ベンチにパックを並べ、羽織っていた半袖の上着をひらりとひくとその横に腰掛け。
「ほら、飲食店とか屋台とか、そういうとこで結構バイトしてるじゃないっすか」
「好きだもんね、アイカくん」
「大好きっす。それで、ここに出してる人達、ほとんど知り合いだったりして……」
「……あ、そっか。だから」
「はい、うちの事情知ってくれてる人達がサービスだって」
そういうことなら、大丈夫か。知らなかった後輩の人脈に驚かされる。
そしてアヤネちゃん辺りにでも仕込まれたのだろうか、ベンチに引いた彼の上着に座らさせられ。かと思えば一足先に湯気をあげる牛串へとかぶりつくかわいい後輩の顔を見あげた。
「焼きそば食います?俺作ってきましたよ」
「……つ、作ってきたの!?」
「あと、アイスも後で取りに来いって。ゲヘナで有名の乳牛のミルク使った濃厚アイスなんすよ。他とはダンチっす」
「ちょっと気になるなぁ……」
「あとミニカステラと飴細工のおっちゃんも、お土産に持って帰るやつ準備してくれてるらしいっす」
「大盤振る舞いだねぇ!?」
差し出された焼きそばを割り箸でつつく。彼が作ったという焼きそばは、ちょっと味は濃いがかなり美味しい。
そしてようやく3分の1を食べ切る頃、気がつけばたこ焼きとお好み焼きのちょうど半分を食べきった彼がこちらを見ていて。
「美味いっすか?」
「うん、美味しいよ。2人から料理上手だとは聞いてたけど、おじさんびっくりしちゃった。……ちょっと、多いけどね」
「あれならのこり食べるんで、お好み焼きとたこ焼きもちょっとどうっすか?」
「お、いいねぇ」
オススメなんすよ。そう言って差し出されたたこ焼きのパックを受け取る。流石に冷め始めて鰹節は踊っていないが、おそらく中はアッツアツだ。
だが─────。
「……あれ、これなにで食べればいいのかなぁ」
「……ん?」
3つのたこ焼きに対し、刺さっている爪楊枝は1本だけ。しかもそれは今の今までアイカくんが使っていたもので。これをそのまま使うというのも。
─────流石に恥ずかしいかなぁ!?
ならば焼きそばを食べるのに使った割り箸を。そう思ったアイカくんを見ると。
「……もう1本、貰ってきます?」
「おーぅ……」
残った焼きそばを、私が使っていた割り箸で啜っていた。私が口に入れていた部分を、ガッツリと口に入れていて。そう、間接キスだ。
「うん、アイカくんそれ、間接……」
「……すんません。かんっぜんに失念してました」
「い、いーよぉー」
アイカくんと間接キス。そう思うと、かぁっと顔が熱を持つ。まさかこんなことで、こんなに恥ずかしくなるとは思ってもみなかった。
「いやでも、声裏返って。新しいの貰ってきますよ」
「き、気にしなくっていいって。私もほら、かわいい後輩とだから別に気にならないからさ!」
「……そ、そっすか?」
そうなのとは、続かなかった。よく考えたらこんなこと、アビドスのみんなともしたことがないわけで。精々ユメ先輩と水筒を飲み回したことがあるくらいだろうか。
だが別に、そういうことが嫌という訳では無い。ただ少し、中々どうして恥ずかしいというだけで。だがそれも、どうしてこうも恥ずかしいのかよくわからなくて。
しかし私は震える手で、アイカくんの使っていた爪楊枝を手に取った。
後半へ続く!(?)
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