数日前の曇り空が嘘だったかのように、その日は朝からよく晴れていた。
雲一つない青空が森の上に広がり、木々の隙間から差し込む朝日が庭を明るく照らしている。夜露に濡れた草の葉は光を受けてきらきらと輝き、枝から枝へ飛び移る小鳥たちの声が絶え間なく聞こえていた。
亡者が現れた日以来、森はすっかり元の静けさを取り戻している。
リオンは洗い終えた衣服を籠から取り出し、庭に張った縄へ一枚ずつ掛けていた。風もほどよく吹いている。この天気なら昼を過ぎる頃には乾くだろう。
「今日は洗濯日和ですね」
最後の一枚を干し終え、満足して腰へ手を当てる。
少し離れたところでは、シラキが薪を割っていた。振り下ろされた斧が乾いた音を響かせ、薪が二つに割れる。傍らにはすでにかなりの量が積み上がっていた。
亡者の一件以来、シラキは以前より周囲を警戒するようになった。もっとも、傍目にはそれほど変化はない。朝になれば食事を作り、薪を割り、暇になれば煙草を吸う。いつもと変わらない生活を送っている。
ただし、短機関銃をすぐ手に取れる場所へ置くようになったことだけは、リオンも知っていた。
以前なら小言の一つでも言っただろう。今では何も言わない。手榴弾まで食卓の近くへ置こうとした時には、さすがに止めたが。
そのさらに向こうでは、ルナが庭を歩き回っていた。しゃがみ込んでは何かを摘み、また別の場所へ移動している。何をしているのだろうとリオンが眺めていると、やがてルナがこちらへ駆けてきた。
「リオン、見て!」
両手で何かを大切そうに抱えている。近づいてきたルナが手を開くと、その中には小さな白い花がいくつもあった。
「まあ。綺麗ですね」
「いっぱい咲いてた」
「お庭で見つけたのですか?」
「うん」
ルナは嬉しそうに頷いた。
「また花冠を作るのですか?」
「今日は違うの」
「では、何を?」
「まだ秘密」
そう言って、ルナは摘んだ花を大事そうに抱えたまま家へ戻っていった。
リオンはその背中を見送りながら微笑んだ。何を作るつもりなのかは分からないが、いずれ見せてくれるのだろう。
その時、森の方から誰かの声が聞こえた。
「おーい!」
リオンが振り返る。シラキも斧を振り上げた姿勢のまま手を止めた。
「誰でしょう?」
「カークだな」
シラキが答える。
しばらくすると木々の間から少年が姿を現した。茶色い髪を揺らしながら、こちらへ向かって勢いよく走ってくる。
「リオン!」
「カーク?」
随分と慌てている。遊びに来た時とは明らかに様子が違った。
「どうしたのですか?」
庭まで駆け込んできたカークは、膝へ両手をついて大きく息を吐いた。どうやら家からここまで全力で走ってきたらしい。
「ちょ、ちょっと……待って……」
「そんなに急がなくても大丈夫ですよ」
「でも……早く……」
何度か深呼吸を繰り返し、ようやく顔を上げる。その表情には、恐怖よりも驚きと興奮が浮かんでいた。
「来たんだ!」
「来た?」
「うん!」
カークは勢いよく頷いた。
「うちに、来た!」
「……何がですか?」
要領を得ない。リオンが困っていると、薪割り場からシラキも近づいてきた。
「落ち着いて話せ」
「だって、本当に来たんだよ!」
「だから何がだ」
「赤ちゃん!」
カークが叫んだ。
「……赤ちゃん?」
リオンは思わず聞き返した。
「うん!」
「赤ちゃんが……どうしたのですか?」
「うちに来たんだよ!」
満面の笑みを浮かべる。
「創造主様が送ってきたんだって!」
「……え?」
リオンはしばらく言葉の意味を理解できなかった。
創造主が送ってきた。その言葉には覚えがある。自分たちの家へルナがやって来る前日にも、祠へ同じようなお告げがあった。
「もしかして……」
「新しい子どもか」
シラキが先に答えへ辿り着いた。
「うん!」
カークは何度も頷いた。
「女の子! すっごく小さいんだ!」
「では、ノアさんたちのところへ二人目の子どもが……?」
「そう!」
リオンは驚いた。
子どもは一つの家族につき一人。そう決められていると聞いたことはない。それでも、自分たちのもとにはルナが一人だけ送られてきたため、なんとなくそういうものなのだと思い込んでいた。
だが、違ったらしい。
「母さんが、リオンたちも呼んできなって!」
「分かりました。すぐに伺います」
「ルナも!」
「もちろんです」
その名前を聞きつけたのか、家の扉からルナが顔を出した。
「カーク?」
「あ、ルナ!」
カークが大きく手を振る。
「赤ちゃん来たよ!」
「赤ちゃん?」
ルナが首を傾げた。
「うちに新しい家族が来たんだ!」
「新しい家族……」
「すごく小さいんだよ。ルナも見に来て!」
「行く!」
意味を完全に理解しているかは怪しかったが、カークの興奮につられたらしい。ルナは先ほどの花を家の中へ置くと、すぐに戻ってきた。
「早く行こう!」
「待ってください。少し準備を――」
「すぐそこだよ!」
「それでもです」
リオンが言い聞かせると、二人は揃って不満そうな顔をした。
そんな子どもたちを眺めていたシラキが、ふと口を開く。
「銃は?」
「……」
リオンはシラキを見る。
「持っていっても構いませんよ」
「いいのか?」
予想外だったらしい。シラキが僅かに目を見開いた。
「亡者が出ることは分かりましたからね。備えておくことまで反対するつもりはありません」
「そうか」
「ただし」
リオンは念を押す。
「必要のない時には出さないでくださいね」
「分かってる」
「手榴弾も必要ありません」
「……」
「何故そこで黙るのですか?」
「一応持っていこうかと思っていた」
「赤ちゃんを見に行くのですよ!?」
「亡者が出た時の話だ」
「短機関銃で十分でしょう!」
「それもそうだな」
あっさり納得した。リオンはため息をつく。
危険に備えること自体は理解できるようになったが、この人の基準に合わせるつもりはなかった。
「シラキ、また怒られてる」
ルナが笑う。
「いつものことだよ」
カークまで笑い始めた。
「お前は昨日まで知らなかっただろ」
「母さんから聞いた」
「オルガさん……」
今度会ったら何を話したのか聞いておこう。そんなことを考えながら、リオンは家へ入る準備を始めた。
ノアとオルガの家に、新しい子どもがやって来た。
それは自分たちにとっても、決して他人事ではないのかもしれない。家族としての絆が深まれば、いつか自分たちのもとにも新たな子どもが送られてくる可能性がある。
リオンは隣に立つルナへ目を向けた。もし、この子に弟や妹ができたら。ルナはどんな顔をするのだろう。そんなことを考えると、不思議と胸が弾んだ。
「リオン、早く!」
「はいはい。今行きますよ」
待ちきれずに歩き始めたルナとカークを追いかける。その後ろを、短機関銃を肩に掛けたシラキがついてきた。
こうして三人は、ノアたちの家に加わった新しい家族に会うため、明るい木漏れ日の差す森の中へ歩き出した。
♢
四人がノアたちの家へ辿り着く頃には、先ほどまで先頭を走っていたカークもすっかり息を整えていた。
見慣れた石造りの家が木々の間から姿を現す。庭には薪が積まれ、小さな畑では朝の陽射しを受けた葉が風に揺れていた。数日前に訪れた時と何も変わらない光景だったが、この家には今日、新しい家族が増えている。
そう思うと、リオンの足取りも自然と速くなった。
「オルガさん! 子どもが来たって本当ですか!」
庭へ入るなり、リオンは家に向かって声を上げた。
返事はない。
「……?」
扉は開いている。リオンが不思議に思いながら中を覗くと、居間にいたオルガと目が合った。
その腕には、小さな赤ん坊が抱かれている。
「――」
オルガは目を見開くと、すぐさま唇の前へ人差し指を立てた。
「しーっ」
「あっ」
リオンは慌てて両手で自分の口を塞いだ。
やってしまった。
その後ろから入ってきたシラキが呆れたようにこちらを見る。何か言いたそうな顔だったが、今は何も言わないでほしい。
「ようやく寝付いたところなんだ」
奥からノアが小声で言った。
「す、すみません……」
リオンも声を潜める。
「嬉しくて、つい……」
「まあ、起きなかったからいいさ」
オルガは苦笑しながら、腕の中の赤ん坊をゆっくりと揺らしていた。
リオンは改めてその姿を見る。本当に赤ちゃんだった。
年齢は一歳くらいだろうか。柔らかそうな髪が僅かに生えており、オルガの逞しい腕の中で目を閉じている。身体には創造主から与えられたらしい小さな布の服が着せられていた。
「ちっちゃい……」
隣でルナが呟いた。
「だろ?」
カークが得意げに答える。
「すごく小さいんだ」
どうしてカークが誇らしげなのかは分からないが、すでに兄としての意識が芽生え始めているのかもしれない。二人は並んでオルガの腕の中を覗き込んでいる。
「女の子?」
「そうだよ」
「寝てる」
「ああ。だから静かにしてやりな」
「うん」
ルナが素直に頷く。カークも真似するように口元へ人差し指を立てた。
リオンはその微笑ましい姿を眺めてから、ノアへ視線を向ける。
「今朝、突然だったのですか?」
「ああ」
ノアは食卓に置かれていた一冊の本を手に取った。
「朝、この本にお告げが現れた」
「以前見せていただいた本ですね」
「そうだ。創造主から何か伝えられる時は、ここに文字が現れるらしい」
ノアが本を開く。そこにはすでに光る文字は残っていなかったが、今朝起きたことを思い返しているのか、その表情はどこか楽しそうだった。
「新たな魂を家族として送る、と書かれていた。それからしばらくして、この子が現れた」
「では、ルナが私たちのところへ来た時と同じですね」
「おそらくな」
リオンは赤ん坊へ目を向ける。
「私、一つの家族に送られてくる子どもは一人だけなのだと思っていました」
「私たちもだ」
ノアが頷いた。
「創造主から人数について説明されたことはなかったが、カークが来てから二年近く何もなかったからな。私も一家庭につき一人なのだろうと考えていた」
「じゃあ、どうして今になって?」
シラキが尋ねる。
「分からない」
ノアはあっさり答えた。
「ただ、以前話した通り、この箱庭では家族としての結びつきが深まることで新しいものが与えられる。隣人への道もそうだった。ならば、子どもについても同じなのかもしれない」
「家族として十分に受け入れられるようになったから、次の子が来た……ということでしょうか」
「可能性は高いと思う」
リオンは納得しながら頷いた。
二年間。
ノアとオルガは、その間ずっとカークの父と母として暮らしてきた。二人はこの箱庭で夫婦にもなった。そんな三人の家族としての絆を創造主が認め、新しい子どもを託したのだとすれば筋は通る。
「でも、驚きました」
リオンはオルガを見る。
「オルガさん、とても慣れていますね」
「これかい?」
オルガは腕の中の赤ん坊を見る。
先ほどから泣かせるどころか、危なっかしい様子すらない。大きな身体からは想像できないほど優しい手つきで背中を支え、一定の調子で身体を揺らしている。
「昔、村にいた頃に何度か赤ん坊の世話をしたことがあるんだよ」
「そうだったのですか?」
「ああ。戦ってばかりだったとはいっても、四六時中斧を振り回してたわけじゃないからね」
「……なんとなく、そういう生活を想像していました」
「アンタ、アタシを何だと思ってるんだい?」
「す、すみません」
オルガが呆れた顔をする。
「村にゃ子どもも大勢いたからね。親が忙しい時は、手の空いてる奴が面倒を見るなんて珍しくなかったのさ」
「なるほど……」
「まあ、こんな小さい子を自分の娘として育てるのは初めてだけどね」
そう言ったオルガの表情は穏やかだった。
大斧を手にしてシラキと睨み合っていた時とは、まるで別人のようだ。太い腕に小さな赤ん坊を抱いている姿は、一見すると少々不釣り合いにも思える。それでも見ているうちに、それ以上に似合っているように感じられてくる。
「さて」
オルガは部屋の隅へ歩いていった。そこには以前来た時にはなかった、小さな木製のベッドが置かれている。
「それも創造主様が?」
「ああ。この子が来た時には用意されてたよ」
オルガは赤ん坊を起こさないよう、慎重にベビーベッドへ寝かせた。腕を抜いた瞬間、赤ん坊が僅かに身じろぎする。
全員の動きが止まった。
「……」
「……」
赤ん坊の口が少しだけ開く。リオンは息を止めて見守った。しかし目を覚ますことはなく、やがて小さな寝息が再び聞こえ始めた。
「ふう……」
なぜかリオンまで胸を撫で下ろしてしまう。
「寝た?」
ルナが囁く。
「寝てますね」
「見ていい?」
「静かになら大丈夫でしょう」
リオンが答えると、ルナはそっとベビーベッドへ近づいた。カークは当然のようにその隣へ並ぶ。
リオンも興味を抑えきれず、二人の後ろから覗き込んだ。シラキも少し遅れて近づいてくる。四人で一つのベビーベッドを囲む形になった。
「……本当に小さいですね」
間近で見ると、余計にそう思った。
小さな顔。小さな鼻。閉じられた瞼。布団の上に出ている手など、リオンの手のひらにすっぽり収まってしまいそうだった。指が時折、何かを掴もうとするように動いている。
「かわいい……」
ルナが呟く。
「触るなよ。起きるから」
カークが小声で注意する。
「触らないよ」
「ならいいけど」
すっかり兄の顔をしているカークに、リオンは思わず微笑みそうになった。
けれど、眠っている赤ん坊を見ているうちに、その笑みは消えていった。
この子も一度、死んでいる。
当たり前のことだった。この箱庭へ送られてくる子どもたちは、皆、生前に家族の愛情を知らないまま命を落としている。
これほど小さな子が。
まだ言葉すらまともに話せないだろう。自分で食べ物を探すことも、危険から逃げることもできない。誰かに守られなければ生きていけない年齢だ。
それなのに、どうして死ななければならなかったのだろう。
「……」
胸の奥に、嫌なものが広がった。
ルナが栄養失調で命を落としたと知った時にも感じたものだった。悲しみとも怒りとも違う。どうしてそんなことが起きるのかという、行き場のない感情。
神官だった頃にも、理不尽な死を何度も見てきた。それでも慣れることなどなかった。リオンは無意識に胸元へ手を当てる。
「どうした?」
隣からシラキが小声で尋ねてきた。
「……いいえ」
リオンは首を横に振った。
「少し考えていただけです」
シラキはそれ以上聞かなかった。もう一度、赤ん坊を見る。
この子がどのように命を落としたのかは分からない。今は聞くべきことでもないだろう。
ただ、少なくともこれからは違う。目を覚ませば、オルガがいる。ノアがいる。そして、少々張り切りすぎている兄もいる。もう一人ではない。
そう考えると、胸の奥に広がっていた重苦しいものが、ほんの少しだけ和らいだ。
♢
リオンはしばらく、ベビーベッドの中で眠る赤ん坊を見つめていた。
小さな胸が規則正しく上下している。
「そういえば」
リオンはふと思い出して、ノアとオルガへ顔を向けた。
「この子のお名前は、もう決まっているのですか?」
「ああ」
ノアが頷いた。
「ミアだ」
「ミア……」
リオンは小さく繰り返した。柔らかく、かわいらしい響きだった。
「素敵なお名前ですね」
「だろ?」
なぜかカークが得意そうに胸を張った。その様子がおかしくて、リオンは小さく笑う。
「カークが決めたのですか?」
「僕だけじゃないよ。三人で決めた」
「三人で?」
「ああ」
今度はオルガが答えた。
「この子が来てから、ノアとカークと三人で相談したんだよ。いつまでも名前がないんじゃ困るだろ?」
「いくつか候補を出したんだ」
ノアが続ける。
「私としては、もう少し由来を考えて――」
「長かったんだよ、こいつの話が」
オルガが呆れたように遮った。
「名前の由来だの、昔の言葉ではどういう意味だの、どこぞの国では同じ名前の女王がいただの。赤ん坊一人の名前を決めるのに本まで持ち出してきてね」
「名前は一生使うものだ。慎重に決めるべきだろう」
「限度ってもんがあるんだよ」
「でも、父さんが調べた中にミアがあったんだよ」
カークが口を挟む。
「僕がそれがいいって言って、母さんもいいって言ったから決まった」
「なるほど」
なんともこの家族らしい決まり方だった。
ノアが大量の知識から候補を探し、カークが気に入ったものを選び、最後にオルガが決める。三人の姿が容易に想像できる。
「ミア」
ルナも名前を口にした。
ベビーベッドの縁へ手を掛け、眠っている赤ん坊を興味深そうに見つめている。
「この子、ミアっていうの?」
「そうだよ」
カークが答える。
「僕の妹」
「いもうと……」
「うん」
カークは照れくさそうに笑った。
「今日から僕、お兄ちゃんなんだ」
その声には隠しきれない嬉しさが滲んでいた。リオンは二人のやり取りを微笑ましく眺める。
ルナも、この家へ来た時には名前を持っていなかった。呼ばれる時は「おい」や「おまえ」。自分だけの名前を持ったことがなかった少女へ、シラキがルナという名前を与えた。あの日、何度も自分の名前を口にしていたルナの姿を思い出す。
ミアもいつか大きくなった時、自分の名前を気に入ってくれるだろうか。三人が自分のために考えてくれた名前だと知ったら、どんな顔をするのだろう。
「いいですね」
リオンが呟く。
「何がだ?」
隣にいたシラキが尋ねた。
「名前です」
リオンはベビーベッドへ視線を戻した。
「この子がもう少し大きくなったら、教えてあげられますから。お父さんとお母さんとお兄ちゃんが、三人で考えてくれた名前なのですよ、と」
「……そうだな」
シラキも眠っているミアを見る。
その隣では、ルナがまだ赤ん坊を興味深そうに眺めていた。その姿を見ているうちに、リオンの頭に一つの考えが浮かぶ。
ノアたちの家には、カークに続いてミアがやって来た。それなら――いつか、自分たちのもとにも新しい子どもがやって来るのだろうか。
「私たちのところにも……」
思わず言葉が漏れた。
「ん?」
シラキがこちらを見る。
「いつか、私たちのところにも赤ちゃんが来るのでしょうか」
口にしてから、リオンは改めてその可能性を考えた。
ノアたちに二人目が送られたのなら、自分たちだけが例外とは限らない。ルナと家族として暮らし、もっと長い時間を過ごした先で、創造主が新しい子どもを託す日が来るのかもしれない。
その時、自分はちゃんと母親になれるだろうか。
赤ん坊を抱き、食事を与え、泣けばあやし、眠るまでそばにいる。想像すると、不安はある。それでも不思議と嫌ではなかった。
むしろ――。
「赤ちゃん、来るの?」
ルナが振り返った。
「今すぐではありませんよ」
「いつ?」
「それは創造主様にしか分かりません」
「そっか……」
ルナは少し考えてから、もう一度ベビーベッドを見る。
「来たら、わたしがお姉ちゃん?」
「そうなりますね」
「お姉ちゃん……」
その言葉を確かめるように呟く。
やがてルナの尻尾が、ゆっくりと左右へ揺れ始めた。
「なりたい」
「お姉ちゃんにですか?」
「うん!」
思わず大きくなりかけた声を、ルナは慌てて両手で口を塞いだ。
赤ん坊は起きていない。それを確認すると、ルナは安心したように息を吐く。
「……お姉ちゃん、なりたい」
今度は小さな声だった。リオンは微笑み、ルナの頭を優しく撫でた。
「いつか、なれるかもしれませんね」
その日はいつ来るのか。それとも本当に来るのか。まだ誰にも分からない。
けれど、もし創造主が新たな子どもを自分たちへ託す日が来たなら、その子もルナと同じように迎えてあげたい。
ここがあなたの家なのだと。私たちがあなたの家族なのだと。そう伝えてあげたいと、リオンは思った。