死後の世界で家族になる   作:カズヤミサワP

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第3話 明日もきっと

 朝食を終えると、リオンは食器を片付け始めた。ルナは自然とその後ろをついて歩く。

 

「お手伝いしますか?」

 

「……うん」

 

 ぎこちない返事をする。それでも、リオンが笑うとルナも少しだけ表情を緩めた。

 

 その様子を見ていたシラキは、小さく息を吐く。

 

 どうやら完全に懐かれたのはリオンの方らしい。まあ、それでいい。自分は子どもの相手など得意ではない。

 

「少し外に出る」

 

 それだけ告げて家を出た。庭へ出ると、森を抜ける風が心地よく頬を撫でる。

 

 ポケットから煙草を取り出し、一本くわえる。火をつけ、ゆっくりと煙を吐き出した。

 

 昨日まで二人だけだった家に、小さな子どもの声が響いている。それだけで家の空気がこうも変わるものなのか、と少しだけ不思議に思う。煙が空へ溶けていく。

 

 その時だった。

 

 後ろで、小さな足音が止まった。振り返るとそこにいたのはルナだった。扉の陰から半分だけ顔を覗かせ、こちらを見ている。

 

「どうした」

 

 問いかけると、ルナは少し肩を震わせた。やはり自分は怖がられているらしい。

 

 シラキは苦笑しながら煙草を口から外す。そして地面へ落とし、靴で火を消した。

 

「これでいいか」

 

 煙はもう立ち上っていない。ルナはその様子をじっと見つめていた。しばらく沈黙が流れる。

 

 やがてルナが、小さく口を開いた。

 

「……ありがとう」

 

「……なんだって?」

 

 思わず聞き返す。

 

 ルナは指先を胸の前でぎゅっと握った。

 

「名前」

 

 それだけだった。

 

「ありがとう」

 

 小さく頭を下げる。

 

 そして返事を待つこともなく、くるりと向きを変えた。ぱたぱたと小さな足音を立てながら、家の中へ戻っていく。

 

 残されたシラキは、その背中を黙って見送っていた。

 

「……」

 

 礼を言われるようなことをした覚えはない。ただ、思いついた名前を口にしただけだ。それなのに。

 

「参ったな」

 

 思わず頭を掻く。

 

 戦場では銃を握ればよかった。敵を倒せばよかった。だが、小さな子どもから向けられる「ありがとう」は、それよりもずっと扱いに困る。

 

 照れくさいような。くすぐったいような。何とも言えない感情が胸の奥に残っていた。

 

 シラキは小さく息を吐くと、もう一度頭を掻いた。

 

 少しだけ口元を緩めながら、ゆっくりと家の中へ戻っていく。このあとリオンに煙草の吸殻をポイ捨てしたことを注意された。

 

 

 

 

 朝食を終えると、ルナは落ち着かない様子で部屋の中を歩き始めた。

 

 棚を見上げ、窓から外を覗き、小さな机へそっと触れる。まるで、この家のすべてを確かめるようだった。リオンはその姿を微笑ましく見守る。

 

「気になるものがたくさんありますか?」

 

 ルナはこくりと頷く。

 

「……おうち」

 

 その一言だけで、リオンの胸が温かくなった。昨日までは、ここはただの家だった。けれどルナは、もう「おうち」と呼んでくれている。

 

 やがてルナは、自分の部屋へ駆け込んだ。窓からは柔らかな光が差し込んでいる。そこに小さなベッドと棚。机と椅子。昨日、二人で整えたばかりの部屋だ。

 

「……わたしの?」

 

 振り返るルナに、リオンは微笑む。

 

「はい。ルナのお部屋ですよ」

 

 少女は部屋を見回し、嬉しそうにベッドへ腰掛ける。恐る恐る布団へ触れ、小さく笑った。

 

 その笑顔を見た瞬間、リオンは思う。この部屋を用意して、本当に良かった、と。

 

 しばらくすると、ルナは家の外へ出た。

 

 森の匂いや風の音。鳥のさえずり。何もかもが珍しいのか、小さな足で庭を歩き回る。探検を楽しんでいるようだ。

 

 ふと、その足が祠の前で止まった。

 

「これ……?」

 

 不思議そうに首を傾げる。リオンは隣へ立った。

 

「これは祠です」

 

「ほこら?」

 

「創造主様へ感謝を伝える場所ですよ」

 

 ルナは石をじっと見つめる。

 

「創造主様?」

 

「はい」

 

 リオンは静かに頷く。

 

「私もシラキさんも、一度命を落としました」

 

 ルナは驚いたように目を見開く。

 

「でも創造主様が私たちをこの箱庭へ導き、新しい役目を与えてくださいました」

 

 優しくルナを見る。

 

「そして、あなたも」

 

「……わたしも?」

 

「はい」

 

「創造主様が、あなたをここへ送ってくださったのです」

 

 ルナはしばらく祠を見つめていた。やがて小さな両手を胸の前で組む。

 

「……ありがとう」

 

 誰に教えられたわけでもない。その小さな感謝は、静かな風に乗って空へ溶けていった。

 

 リオンは思わず微笑む。創造主も、きっと喜んでいるだろう。

 

 

 

 

 昼食は朝と同じように慎ましかった。

 

 けれど、ルナの表情は朝とは違っていた。一口食べるたびに目を輝かせる。

 

「……おいしい」

 

 その言葉に、リオンも自然と笑みがこぼれる。

 

 隣ではシラキが静かに食事をしていたが、時折ルナへ向ける視線はどこか穏やかだった。

 

 昼食を終えた後、ルナは庭へ出ていた。

 

 最初は遠慮するように、家の近くを歩くだけだった。

 

 けれど、柔らかな風が吹き、木々の間から差し込む光を浴びるうちに、少しずつ表情が変わっていく。

 

「あ……」

 

 小さな声を漏らし、ルナが足を止めた。そこには、色とりどりの花が咲いていた。金色の瞳が輝く。

 

「綺麗……」

 

 その呟きに、リオンは微笑んだ。

 

「そうですね」

 

 ルナは花の前へしゃがみ込む。しかし、触れていいのか分からないように、そっと手を伸ばして止める。

 

「触ってもいいの?」

 

 その問いに、リオンの胸が少し痛んだ。この子は、何をするにも許可を求める。

 

 怒られないか。嫌われないか。いつも誰かの顔色を見ている。

 

「もちろんですよ」

 

 リオンは優しく答えた。

 

「この庭の花は、ルナが見ても、触れてもいいものです」

 

 ルナはしばらく花を見つめた。そして、恐る恐る一輪の花へ触れる。

 

「……柔らかい」

 

 小さな笑顔が浮かぶ。その表情を見て、リオンも嬉しくなった。

 

「ルナ。花冠を作ったことはありますか?」

 

「花冠?」

 

 首を傾げる。

 

「はい。花で作る飾りです」

 

 リオンは近くの花をいくつか摘む。

 

「こうして、茎を絡ませて……」

 

 ゆっくりと作り方を見せる。ルナは真剣な表情で見つめていた。

 

「やってみますか?」

 

「……うん」

 

 小さな返事をする。

 

 リオンの隣に座り、ルナは花を手に取る。やはり最初は上手くいかなかった。茎を折ってしまったり、花の向きがばらばらになったりする。

 

「あ……」

 

 失敗したことに気づき、ルナの表情が曇る。

 

「ごめんなさい」

 

 その言葉に、リオンはすぐ首を振った。

 

「謝らなくていいんですよ」

 

「でも……」

 

「初めてなら、上手くできなくて当たり前です」

 

 リオンは微笑む。

 

「大切なのは、誰かのために作ろうと思った気持ちです」

 

 ルナはその言葉を聞き、もう一度花へ向き直った。小さな手で、一つずつ丁寧に編んでいく。時間をかけて。何度もやり直して。やがて――

 

「できた」

 

 ルナの手の中には、小さな花冠があった。少し形は歪だったけれど、そこには彼女が一生懸命作った時間が詰まっていた。

 

「綺麗ですね」

 

 リオンが言うと、ルナは嬉しそうに花冠を見る。そして、少し迷った後。

 

「……リオン」

 

「はい?」

 

 ルナは花冠を差し出した。

 

「ありがとう」

 

 その一言に、リオンは目を見開く。

 

 まだ出会って一日も経っていない。それでも、この子は少しずつ誰かを信じようとしている。

 

「ありがとうございます」

 

 リオンは優しく受け取った。

 

「シラキさんにも渡してあげたらどうですか?」

 

 そう言うと、ルナは少し驚いた顔をした。庭の端では、薪を整理していたシラキがこちらを見ていた。

 

「俺にも?」

 

 無表情な顔だが、わずかに戸惑っているのが分かった。

 

 ルナはたどたどしくももう一つ、花冠を作った。

 

 ルナは少し緊張しながら近づく。そして、小さな手で花冠を差し出した。

 

「……名前、くれたから」

 

「……」

 

 シラキはしばらく花冠を見る。その手へ、小さな少女が作ったものが渡される。シラキは静かに受け取った。

 

「ありがとう」

 

 短い言葉。けれど、ルナは嬉しそうに尻尾を揺らした。

 

 リオンはその様子を見つめ、微笑む。

 

 この子はまだ、家族というものを知らない。けれど今。少しずつ、誰かへ気持ちを渡すことを覚え始めている。

 

 それはきっと、家族になるための最初の一歩なのだと思った。

 

 

 

 

 夕方になるとリオンは薪へ火を入れ、大鍋へ水を張った。

 

 湯気が立ち上る頃には、木桶にも温かな湯が満ちていた。

 

「ルナ」

 

「?」

 

「身体をきれいにしましょう」

 

 ルナは少し緊張した様子だったが、リオンが自分の腕を濡れ布で拭いて見せると、安心したように頷いた。温かな布が黒い肌へ触れる。

 

「……あったかい」

 

 思わず零れたその言葉に、リオンは優しく微笑む。

 

「気持ちいいでしょう?」

 

 ルナも小さく笑った。

 

「……うん」

 

 その笑顔を見て、リオンは胸を撫で下ろした。

 

 

 

 

 夕食を終える頃には、ルナは何度も欠伸をしていた。

 

「眠くなりましたか?」

 

 こくり、と頷く。部屋へ連れていき、布団を掛ける。

 

「おやすみなさい」

 

「……おやすみ」

 

 ルナはぬいぐるみを抱き寄せる。その表情に、朝の怯えはもうなかった。安心しきったような顔だった。しばらくぼーっと天井を眺めていると次第に瞼が閉じていった。リオンは部屋の灯りを落とし、そっと扉を閉めた。

 

 居間へ戻ると、シラキが椅子へ座っていた。

 

「寝たか」

 

「はい」

 

 リオンも向かいへ腰を下ろす。しばらく静かな時間が流れた。やがてシラキが口を開く。

 

「……何とかなりそうだな」

 

 リオンは小さく笑う。

 

「ええ」

 

 昨日まで、自分たちは親になる覚悟しか持っていなかった。けれど今日、その一歩を踏み出した。

 

 もちろん、不安はまだある。失敗する日もあるだろう。それでも――

 

「きっと大丈夫です」

 

 リオンがそう言うと、シラキも静かに頷いた。

 

「ああ」

 

 窓の外では、夜空に月が浮かんでいた。

 

 その淡い光は、ルナという名前を優しく祝福しているように見えた。

 

 

 

 

 布団はふかふかだった。

 

 ルナは胸へぬいぐるみを抱き寄せながら、ぼんやりと天井を眺めていた。眠気に抗えず目を閉じると、リオンが部屋を出ていく音が聞こえた。

 

 今日は、たくさんのことがあった。

 

 目を覚ました時、そこは知らない部屋だった。知らない男の人と、優しそうなお姉さんがいた。怖かった。あの時は、逃げなければと思った。

 

 けれど、お姉さんは怖がるルナへ優しく声をかけてくれた。

 

『大丈夫ですよ』

 

 その言葉を思い出すと、今でも少しだけ胸が温かくなる。

 

 男の人は少し怖い顔をしていた。けれど、その人はルナに名前をくれた。

 

 ――ルナ。

 

 小さく口にしてみる。

 

「……ルナ」

 

 不思議な名前だった。けれど、その響きが嫌いではなかった。

 

 今まで、ルナには名前がなかった。呼ばれる時は「おい」や「おまえ」といった言葉ばかりだった。だから、自分だけの名前があるということが、まだ少し信じられない。

 

「……ルナ」

 

 もう一度呟く。今度は、ほんの少しだけ嬉しかった。

 

 家の中も見て回った。自分だけの部屋があった。自分だけのベッドがあった。誰にも追い出されなかった。それが、とても不思議だった。

 

 外には小さなお祈りの場所もあった。創造主様という、とても偉い存在が自分をここへ送ってくれたのだと、リオンが教えてくれた。ルナはそこで「ありがとう」と言った。ちゃんと届いたのかは分からない。けれど、言わずにはいられなかった。

 

 昼ご飯も美味しかった。お腹いっぱい食べても、誰にも怒られなかった。

 

 庭では花冠を作った。リオンが作り方を教えてくれた。最初は上手くできなかったけれど、何度もやり直して、ようやく一つ完成させることができた。

 

 リオンへ渡すと、嬉しそうに笑ってくれた。

 

 シラキへ渡した時は、少し変な顔をしていた。

 

 でも、「ありがとう」と言ってくれた。それが嬉しかった。

 

 夕方には、温かいお湯で身体をきれいにしてもらった。あんなに温かいお湯に入ったのは初めてだった。

 

 今日は、初めてのことがたくさんあった。怖いこともあった。けれど、それ以上に嬉しいことがあった。

 

 ルナはぬいぐるみをぎゅっと抱き締める。部屋の外から、小さな話し声が聞こえてきた。リオンの優しい声とシラキの低い声だ。

 

 二人とも、まだそこにいる。そのことが分かるだけで、ルナは安心できた。朝まで胸の奥にあった固いものが、少しずつ溶けていくようだった。

 

 それでも、ふと不安になる。目を覚ましたら、この家はなくなっているのだろうか。リオンも、シラキもいなくなっているのだろうか。そんな考えが頭をよぎる。

 

 ルナはぬいぐるみを抱く腕に、少しだけ力を込めた。

 

 怖い。

 

 けれど――今日は、信じてみたかった。明日も、リオンは笑ってくれる。シラキも、きっと「おはよう」と言ってくれる。

 

 そう思うと、不思議と怖くなくなった。ルナはゆっくりと布団へ潜り込む。

 

 柔らかな布団に身体を包まれながら、もう一度ぬいぐるみを抱き締めた。

瞼が重くなっていく。

 

 やがて、穏やかな寝息が小さな部屋へ静かに響き始めた。

 

 その表情に、朝のような怯えはもうなかった。

 

 ルナはその夜、生まれて初めて――安心して眠ることができた。

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