家の中へ招かれた三人は、居間の大きな食卓を囲んでいた。
ノアとオルガの家は、自分たちの家よりも少し生活感が強かった。
壁際には本棚がいくつも並び、その多くが分厚い本で埋め尽くされている。反対側には大きな斧や農具、調理器具が整然と置かれていた。
誰がどちらを使うのかは、なんとなく想像がついた。
「お茶でいいかい?」
「はい。ありがとうございます」
オルガが大きな手で木の杯を並べていく。
その間も、ノアは興味深そうに三人を見ていた。
「それで」
ノアが身を乗り出す。
「君たちは、どんな世界で生きていたんだ?」
「……」
リオンは少しだけ目を瞬いた。
初対面で聞くことだろうか。しかも、この箱庭にいるということは、皆一度死んでいる。つまり、その質問は必然的に――。
「それと、どうやって死んだ?」
やはり聞いた。リオンは思わずノアを見る。悪意はなさそうだ。本当に、純粋な興味だけなのだろう。だからこそ質が悪い。ずいぶんと遠慮のない方だ。
そう思っていると、隣のシラキが普通に口を開いた。
「俺の世界は地上が汚染されていた」
「ほう」
ノアの目が輝く。
「人間は地上に住めなくなって地下へ逃げた。地下鉄の駅や地下施設を拠点にして、生き残った人間同士で暮らしていた」
「地下世界か……!」
ノアがさらに身を乗り出す。
「地上は?」
「化け物の領域だ」
「化け物?」
「ああ」
シラキは淡々と話す。
「人間の身体を無理矢理つなぎ合わせたような奴もいた。不定形の奴もいた。四本腕、裂けた口、無数の目。種類は色々だ」
「なるほど……!」
ノアが興奮したように頷く。
「では生態系は完全に――」
「ノア」
オルガの低い声。
「なんだ?」
「またかい」
「何が?」
ゴンッと鈍い音が響いた。
「痛い」
ノアが頭を押さえる。オルガの拳が見事に頭頂部へ落ちていた。
「初対面の相手に、死に方やら化け物やら根掘り葉掘り聞く奴があるかい」
「だが貴重な話だ」
「そういう問題じゃないんだよ」
「そうか……すまない」
ノアは素直に頭を下げる。リオンは思わず苦笑した。どうやら、この家ではオルガが止めなければ、ノアはどこまでも聞いてしまうらしい。
「俺は別に気にしてない」
シラキが言う。
「そうかい?」
「ああ。聞かれたから答えただけだ」
「シラキさんは、もう少し気にしてもいいと思いますけど……」
リオンが小さくため息をつく。
ノアは頭をさすりながらも、まだどこか名残惜しそうにシラキを見ていた。このままだと再び話が戻りそうだ。リオンは慌てて別の話題を探す。
「そういえば」
「ん?」
「先ほど、ノアさんはオルガさんのことを『妻』とおっしゃっていましたよね」
「ああ」
ノアが頷く。リオンは少し迷ってから尋ねた。
「もともとの世界でも、ご夫婦だったのですか?」
「いや」
即答だった。リオンは少し驚く。
「では……」
「ここへ来てからだ」
ノアが答えるより先に、オルガが少し照れくさそうに腕を組んだ。
「まあ、そういうことさ」
「この箱庭で結婚されたのですか?」
「ああ」
オルガの頬が、ほんの少しだけ赤くなる。大斧を構えていた時の迫力とは随分違う。乙女の顔だ。
「創造主様の前で?」
「そうだよ」
オルガが照れ隠しのように鼻を鳴らす。
「創造主に見守られてね」
「僕もいたよ!」
少し離れたところにいたカークが、嬉しそうに口を挟む。
「ちゃんと見た!」
「そうだったな」
ノアが微笑む。
リオンはその光景を想像した。エルフとオーク。生前なら、同じ場所に立つことすら難しい世界もあっただろう。それでもここでは、一つの家族になっている。
「素敵ですね」
リオンが言う。
「そうかい?」
「はい」
オルガが少し照れたように笑う。
そのまま、何か思いついたようにリオンとシラキを交互に見た。
「で、そっちは?」
「……はい?」
「二人はどうなんだい?」
リオンは一瞬、意味が分からなかった。だがオルガの視線で、すぐに理解する。
「い、いえ!」
思わず声が上ずる。
「私たちは、まだ会って数日しか経っていませんし!」
「そうなのかい?」
「はい!」
リオンは慌てて頷く。すると隣から、シラキが平然と口を開いた。
「それに俺は年下趣味はない」
「……」
リオンの動きが止まる。
「……シラキさん?」
「なんだ」
「その言い方、少し失礼ではありませんか?」
「事実だろう」
「それでも言い方というものがあるでしょう!」
思わずむっとしてしまう。オルガが一瞬目を丸くしたあと、大声で笑った。
「はははは! いいじゃないか!」
「何がですか!」
「息は合ってるよ!」
「合っていません!」
「そうか?」
「そうです!」
リオンが否定すると、オルガはさらに楽しそうに笑う。シラキは何が面白いのか分からない様子で首を傾げていた。
「まあまあ」
ノアが間に入る。
「創造主にも考えがあるのだろう」
「考え、ですか?」
「ああ」
ノアは真面目な表情に戻る。
「この箱庭では、親役になる者同士も、ある程度相性を見て選ばれているらしい」
「相性……」
「性格、価値観、役割。そういったものを含めてだろうな」
リオンは少し考える。
確かに自分は人を癒やすことや、寄り添うことを大切にしてきた。シラキは不器用だが、誰かを守ることに迷いがない。ルナにとって、その二つはどちらも必要だったのかもしれない。
リオンは隣に座るルナを見る。
ルナはカークと何か話しながら、小さく笑っていた。
なるほど。創造主様が相性を考えているという話にも納得できる。そして、そのまま視線をシラキへ向ける。
「……」
シラキは何食わぬ顔で茶を飲んでいた。
数日前にはピクニックへ短機関銃を持って行こうとし、川の魚を手榴弾で捕ろうとした男である。
……本当に相性を考えて選ばれたのでしょうか。
リオンは少しだけ疑問に思った。
「ルナ」
カークが立ち上がる。
「外で遊ぼう」
「いいの?」
「うん。庭に色々あるよ」
ルナはリオンを見る。
「行ってもいい?」
「もちろんですよ」
「やった!」
ルナが立ち上がる。二人はそのまま並んで庭へ走っていった。
扉が閉まり、居間に静けさが戻る。リオンは思わず微笑んだ。
「子どもは無邪気でいいですね」
「ああ」
シラキが頷く。
「そうだな」
ノアも同意する。
「まったくだよ」
オルガも腕を組みながら笑った。
四人はしばらく、庭の方から聞こえてくる子どもたちの声に耳を傾けていた。
笑い声が響く。走り回る足音が聞こえる。その音を聞いていると、先ほどまでの緊張が嘘のようだった。
家族が違っても種族が違っても、きっと守りたいものは同じなのだ。
リオンはそう思いながら、静かに茶を口へ運んだ。
庭から聞こえる笑い声を聞きながら、しばらく穏やかな時間が流れた。
「そういや」
オルガが口を開いた。
「そっちも親になったばかりなんだろ?」
「はい」
リオンは頷く。
「ルナが来たのは、まだ数日前です」
「数日前か。そりゃ大変だ」
「ええ……そうですね」
リオンは手元の杯へ視線を落とした。
ルナと過ごした時間を思い返す。名前をもらった時の嬉しそうな顔。
初めて温かな食事を口にして、泣き出したこと。庭を走り回ったこと。
花冠を作ったこと。夜、安心したように眠っていたこと。
少しずつ、この家を自分の居場所だと思ってくれている。それは嬉しい。
けれど――。
「正直に言えば、今でも不安なんです」
「不安?」
「はい」
リオンは小さく頷いた。
「私は神官として、多くの方と接してきました。子どもたちのお世話をしたこともあります。ですが……親になったことはありませんから」
当然だ。自分はまだ十代だ。
いつか結婚し、子どもを育てる未来を漠然と考えたことくらいはあった。けれど、それはずっと先の話だと思っていた。
まさか一度死んだ後、本当に親になるとは思ってもいなかった。
「何が正しいのか、分からないことばかりです」
ルナが泣けば、不安になる。笑えば安心する。何かを教える時にも、本当にこれでいいのかと考えてしまう。
「この子のためにと思ってしたことが、本当にルナのためになっているのか。それすら、時々分からなくなります」
「そんなの、こっちだって同じさ」
「え?」
顔を上げる。オルガはあっけらかんと笑っていた。
「アタシだって、カークが初めてだからね」
「そうなのですか?」
「当たり前だろ? 生きてた頃は戦ってばかりだったんだ。子育てなんてしたこともなかったよ」
オルガは腕を組む。
「最初なんて酷かったもんさ。腹が減ってるなら飯を食わせりゃいい。眠いなら寝かせりゃいい。そんなもんだと思ってた」
「……それは」
「雑だろ?」
「い、いえ。そこまでは……」
「顔に書いてあるよ」
オルガが笑う。
リオンは気まずくなり、視線を逸らした。
「でもね」
オルガの声が少しだけ柔らかくなる。
「カークと暮らしてりゃ、だんだん分かってくるもんさ」
「分かってくる……」
「ああ。あの子が何を嫌がるのか。何をすれば笑うのか。どんな時に一人にしてほしくて、どんな時にそばにいてほしいのか」
庭の方へ視線を向ける。窓の向こうを、カークとルナが駆け抜けていった。
「最初から全部分かる親なんていないだろうさ」
「……」
「それに、親になる資格試験なんてここにはないからね」
「資格試験……」
リオンは思わず笑ってしまった。
「確かにそうですね」
「そういうことさ」
オルガが豪快に笑う。
するとノアも静かに頷いた。
「私も随分調べた」
「調べた?」
「ああ」
ノアが真剣な顔をする。
「この家へ来てから、本棚にある本を片っ端から読んだ。育児、教育、心理、子どもの成長について書かれたものもな」
「さすがノアさんですね」
「だが」
ノアは少しだけ眉を寄せた。
「残念ながら、『正しい親のなり方』という本はまだ見つけていない」
「……」
リオンは一瞬、言葉を失った。
「そんな本があったとしても、役に立つのか?」
シラキが言った。
ノアが彼を見る。
「何故だ?」
「子どもによって違うだろ」
「……なるほど」
「本に頼りすぎるな」
「む……」
ノアが難しい顔をする。
オルガが吹き出した。
「ははは! アンタ、会ったばかりのシラキにまで言われてるじゃないか!」
「本は偉大だ」
「そういうところだよ」
オルガは笑いながらノアの背中を叩く。リオンも小さく笑った。
不思議だった。先ほど会ったばかりだというのに、ずっと前から知っている人たちと話しているような安心感がある。
創造主が、自分たちの相性を考えている。先ほどノアが話していた言葉を思い出す。もしかすると、それは家族だけではないのかもしれない。
「でも、少し安心しました」
リオンが言う。
「私だけではなかったのですね」
「何がだい?」
「親として、迷っているのがです」
オルガは少し驚いた顔をした後、笑った。
「当たり前じゃないか」
その一言が、不思議と胸に残った。
迷っていい。分からなくてもいい。それでもルナと向き合い続ければいい。
そんなふうに言われた気がした。
「何か困ったことがあったら来な」
オルガが言う。
「え?」
「隣人なんだろ? それくらいしたっていいじゃないか」
「……はい」
リオンは微笑む。
「ありがとうございます」
「こっちも頼るかもしれないけどね」
「もちろんです」
リオンは迷わず答えた。
「私にできることであれば、何でも」
「俺もできる範囲なら手伝う」
シラキも続ける。
「修理や工作なら、ある程度できる」
「それは助かるね。こっちの椅子が一脚、少しガタついてるんだ」
「後で見る」
「頼むよ」
早速頼み事ができている。
「私は治癒の奇跡を使えます。怪我をした時は呼んでください」
「治癒か」
オルガが感心したように頷く。
「そいつは心強い」
「ノアさんは、やはり本でしょうか」
「無論だ」
即答だった。
「知識が必要なら私に聞いてくれ。植物、歴史、言語、農業、建築、料理、医学――この家にある本で調べられることなら何でも調べよう」
「料理?」
オルガが眉を上げる。
「アンタ、料理できないだろ」
「本には詳しい」
「作れないだろ」
「理論は分かる」
「それをできないって言うんだよ」
「……」
ノアが黙った。リオンは思わず口元を押さえる。
どうやら、この夫婦の力関係も少しずつ分かってきた気がする。
その時だった。勢いよく扉が開く。
「リオン!」
「母さん!」
二人の声が同時に響いた。
「どうしました――」
振り返ったリオンの動きが止まる。
カークとルナが立っていた。二人とも、泥だらけだった。
服には茶色い染みがつき、手も足も泥まみれ。ルナに至っては銀色の髪にまで葉っぱがくっついている。
先ほどまで綺麗だった面影がない。
「……ルナ?」
「……カーク?」
リオンとオルガの声が低くなる。
二人の子どもが、びくりと身体を震わせた。
「何をしていたんですか?」
「何してたんだい?」
ほとんど同時だった。
「えっと……」
ルナがカークを見る。カークもルナを見る。
「穴掘ってた」
「穴?」
「うん」
カークが答える。
「大きい穴」
「何のために?」
「……」
カークは考え込んだ。ルナも考える。やがて二人は顔を見合わせた。
「……なんでだっけ?」
「わかんない」
二人が笑った。
「……」
リオンは額へ手を当てる。隣ではオルガも同じような顔をしていた。
先ほど自分が口にした「子どもは無邪気でいいですね」という言葉を思い出す。
「……訂正します」
「早かったな」
シラキが言う。
「シラキさん」
「なんだ」
「少しは私の味方をしてください」
「泥を落とすなら手伝う」
「そういう意味ではありません」
オルガが腹を抱えて笑い出す。
「はははは! やっぱりアンタたち、相性いいじゃないか!」
「どこがですか!」
リオンの声が家の中へ響いた。
♢
それからしばらくして。
泥を落としたルナを連れ、三人は帰ることになった。
「今日はありがとうございました」
家の前でリオンが頭を下げる。
「こっちこそ楽しかったよ」
オルガが笑う。
「いつでも来な」
「はい」
「シラキ」
ノアが呼びかける。
「今度、君の世界について詳しく聞かせてくれ」
「構わない」
「だからアンタは!」
オルガの拳が上がる。
「待て。本人の許可は取った」
「……そうだったね」
拳が下がった。シラキが不思議そうに二人を見る。リオンは苦笑するしかなかった。
「ルナ!」
カークが呼ぶ。
「?」
「また遊ぼう」
ルナの金色の瞳が大きくなる。
「……いいの?」
「いいよ」
カークは当然のように答えた。
「明日も遊ぼう」
「うん!」
ルナが満面の笑みを浮かべる。
「遊ぶ!」
二人は笑い合った。その姿を見て、リオンの胸が温かくなる。
ルナに友達ができた。年齢は少し離れている。それでも、そんなことは二人には関係ないのだろう。
「では、また」
「ああ。またね」
三人は帰り道を歩き始めた。
何度も振り返り、カークへ手を振るルナ。そのたびに、カークも大きく手を振り返していた。リオンはそんな二人を見ながら微笑む。
家族が増えたわけではない。けれど、この箱庭で大切に思える人が、また少し増えた。それだけで、この世界が昨日よりも少し広くなったように思えた。