死後の世界で家族になる   作:カズヤミサワP

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第7話 守るもの

 朝から空は曇っていた。

 

 厚い雲が空一面を覆い、いつもなら木々の間から差し込んでくる朝日も、今日はほとんど見えない。森の中には薄暗い灰色の光が満ちていた。風が吹くたびに木々の葉がざわざわと揺れ、どこか肌寒さすら感じる。

 

「今日はお天気が悪いですね……」

 

 リオンは空を見上げながら、井戸へ木桶を下ろした。

 

 昨日まで続いていた晴天が嘘のようだった。とはいえ、雨が降っているわけではない。水汲みを終えたら朝食の準備を手伝い、その後は洗濯をして――。

 

 いつもと変わらない一日になるはずだった。

 

「よいしょ……」

 

 水をいっぱいに汲んだ桶を引き上げる。

 

 数日前に比べれば、この作業にも随分慣れた。最初は重く感じていた桶も、今ではそれほど苦にならない。リオンは汲み上げた水を地面へ置いた。

 

「もう一回ですね」

 

 再び井戸へ桶を下ろそうとする。

 

 その時だった。

 

「……?」

 

 視界の端に、白い光が映った。

 

 リオンは手を止める。庭の奥にある木々に囲まれた場所に建つ、小さな石造りの祠。そこから淡い光が漏れていた。

 

「創造主様?」

 

 先日と同じだった。隣人への道が開かれた時にも、祠はこうして光を放っていた。

 

 また何か、新しいお告げがあるのだろうか。そう思ったリオンだったが、なぜか胸の奥に小さな不安が生まれた。

 

 前回とは違う。何が違うのかは分からない。ただ、曇り空の下で光る祠が、妙に不気味に見えた。

 

「シラキさん!」

 

 リオンは家へ向かって声を上げた。

 

「シラキさん、来てください!」

 

 しばらくすると、家の扉が開いた。

 

「どうした?」

 

 シラキが姿を現す。

 

「祠がまた光っています」

 

「祠?」

 

 シラキの表情がわずかに変わった。二人は庭の奥へ向かう。

 

 祠へ近づくにつれ、石から放たれる光がはっきりと見えるようになった。

 

「また道が開いたのか?」

 

「分かりません」

 

 リオンは祠の前へ跪いた。

 

「ですが、創造主様からのお告げだと思います」

 

「そうか」

 

 シラキも隣へ立つ。二人で祠を見つめる。やがて淡い光が強くなり、石の表面へ文字が浮かび始めた。

 

『地獄より亡者が抜け出した』

 

「……え?」

 

 リオンは思わず声を漏らした。

 

 何度読み返しても、そこに浮かんでいる文字は変わらない。

 

 地獄の亡者。それが地獄から抜け出した。

 

「亡者……ですか?」

 

「そう書いてあるな」

 

 シラキの声は落ち着いていた。だが、その目はすでに先ほどまでとは違っている。

 

「でも……」

 

 リオンは祠へ視線を戻す。

 

「ここは、安全な場所ではなかったのですか?」

 

「ああ」

 

「創造主様は、子どもたちが安心して暮らせる場所だとおっしゃっていました」

 

 親に恵まれなかった子ども。家族を知らずに死んだ子ども。希望も愛情も知らないまま、生涯を終えた子ども。そんな魂たちが安らかに暮らし、家族の愛を知るために作られた世界。それが、この箱庭だったはずだ。

 

「それなのに、地獄から亡者が抜け出してくるなんて……」

 

 リオンには理解できなかった。ここは創造主が作った世界だ。創造主ほどの存在ならば、亡者が抜け出すことなど簡単に防げるのではないだろうか。

 

 いや。そもそも――。

 

「創造主様は、ご存じだったのでしょうか」

 

「何をだ?」

 

「亡者が抜け出すことをです」

 

 シラキは少し考える。

 

「知ってただろうな」

 

「……やはり、そう思いますか?」

 

「ああ」

 

 即答だった。

 

「あの神が知らなかったとは思えん」

 

「では、どうして……」

 

 そこまで言って、リオンは口を閉じる。創造主なら防げたはずだ。それなのに、亡者は地獄から抜け出した。

 

「分からん」

 

 シラキが言う。

 

「神の考えてることなんて、俺には分からんよ」

 

 相変わらず、創造主に対して随分と遠慮のない物言いだった。神官だったリオンとしては少し注意したくなる。だが、今はそれどころではなかった。

 

「ただ」

 

 シラキが祠を見る。

 

「本当にどうにもならない相手なら、こんな警告だけで済ませるとも思えん」

 

「……え?」

 

「俺たちで対処できるってことじゃないか」

 

 リオンは目を瞬いた。

 

「私たちが、ですか?」

 

「ああ」

 

「でも、相手は地獄から抜け出してきた亡者ですよ?」

 

「だから?」

 

「だからって……」

 

 あまりにも平然とした返事に、リオンは困ってしまう。シラキは祠に浮かんだ文字を見つめながら続けた。

 

「創造主が何を考えてるのかは知らん。俺たちを試してるのかもしれんし、自分で何でも片付ける気がないのかもしれん」

 

「……」

 

「だが、少なくとも警告はしてくれた」

 

 シラキの表情が引き締まる。

 

「だったら、備えろってことだろ」

 

 その言葉に、リオンは何も返せなかった。自分にはまだ、創造主の意図が分からない。だが一つだけ、確かなことがある。

 

「……ルナ」

 

 家の中にいる少女の姿が頭に浮かんだ。

 

 先日、初めて友達ができた。カークと楽しそうに笑い合っていた。少しずつ、この箱庭での生活を楽しめるようになってきた。その子を危険な目に遭わせるわけにはいかない。

 

「シラキさん」

 

「ああ」

 

「ルナを家から出さない方がいいですね」

 

「そうだな」

 

 シラキは頷いた。

 

「ノアたちにも知らせた方がいい」

 

「はい。ですが、まずは――」

 

「静かに」

 

 突然、シラキが低い声で言った。

 

「え?」

 

「何かいる」

 

 その一言で、リオンの身体が強張る。シラキの視線は森へ向けられていた。リオンもそちらを見る。

 

 薄暗い森の中。風が木々を揺らしている。ざわざわと葉の擦れ合う音が響く。それ以外には何も聞こえない。

 

「何も……」

 

「よく聞け」

 

 シラキに言われ、リオンは口を閉じた。

 

 耳を澄ませる。風の音。鳥の声。木々が軋む音。その中に――何かが聞こえた。

 

 森の奥からだ。何かが草木を掻き分けている。ゆっくりと。しかし確実に、こちらへ近づいてきていた。

 

「動物……でしょうか」

 

「違う」

 

 シラキが即答した。

 

「歩いてる。二足歩行だ」

 

 リオンの背筋に冷たいものが走った。

 

 昨日までなら、森から誰かが近づいてきたとしても、それほど恐ろしく感じなかっただろう。ノアやオルガかもしれない。カークがルナを遊びに誘いに来たのかもしれない。

 

 だが今は違う。祠には、たった今こう記された。

 

『地獄より亡者が抜け出した』

 

 音が近づく。

 

「……ルナ」

 

 無意識に、その名前が口から漏れた。

 

「家に入れ」

 

 シラキが言った。

 

「シラキさんは?」

 

「武器を取ってくる」

 

 昨日までのリオンなら、反射的に止めていたかもしれない。ここは創造主の箱庭なのだから、武器など必要ない。ピクニックへ短機関銃を持っていこうとした時にも、自分はそう言った。

 

 だが――森の奥から、再び音が響く。

 

「……分かりました」

 

 今日は止めることができなかった。

 

 シラキが家へ向かう。リオンはその背中を見つめてから、もう一度森へ視線を戻した。木々の向こう。薄暗い森の中で、何かが動いた。人影のように見えた。

 

「……一人?」

 

 さらに奥でも何かが動いている。

 

 リオンは息を呑んだ。人影が増えていく。ゆらゆらと身体を揺らしながら、こちらへ向かって歩いてくる。森を抜けようとしている。

 

 その時、背後から金属同士が触れ合う音がした。振り返るとシラキが戻ってきていた。肩には、見覚えのある短機関銃が掛けられている。腰には拳銃。胸元にはいくつものポーチ。数日前、初めて出会った時と同じ。戦うための姿だった。

 

「シラキさん……」

 

 リオンは思わず呟いた。

 

 シラキは何も答えない。ただ短機関銃を手に取り、森へ向ける。

 

「だから武器は必要だと言っただろ」

 

「……今、それを言いますか?」

 

「言うなら今だろ」

 

「もう……」

 

 こんな時だというのに、いつもの調子を見せるシラキ。リオンはほんの少しだけ、肩の力が抜けるのを感じた。

 

 だが、それも一瞬だった。森の向こう。最初の人影が、ゆっくりと木々の間から姿を現そうとしていた。

 

 これまで穏やかだった箱庭へ、初めての脅威が、近づいてきていた。

 

 

 

 

 森の奥から現れたものを見て、シラキは短機関銃を構え直した。

 

 人間――だったものだ。

 

 一体、二体ではない。木々の隙間から、次々と姿を現してくる。そのさらに後ろにもいる。軽く数えただけでも数十の大群だ。

 

「……随分と多いな」

 

 思わず呟いた。

 

 亡者たちは、どれも酷く痩せ細っていた。骨に皮を張り付けただけのような身体。腕も脚も枯れ枝のように細い。服らしきものを纏っている者もいたが、そのほとんどは朽ち果て、ぼろ布と変わらない。身体のあちこちでは皮膚がただれ、肉ごと剥がれ落ちている。頬は削げ、眼窩は深く窪み、その奥から濁った目がこちらを見つめていた。

 

 死体が歩いている。そうとしか思えない姿だった。

 

「シラキさん……」

 

 背後からリオンの声が聞こえる。

 

「下がってろ」

 

「ですが」

 

「ルナのところへ行け」

 

 シラキは森から目を離さなかった。

 

「家から絶対に出すな」

 

「……分かりました」

 

 リオンの足音が遠ざかっていく。

 

 それを確認してから、シラキは短機関銃の安全装置を外し、初弾を装填した。小さな金属音が響く。

 

 亡者たちはゆっくりと近づいてきていた。一歩。また一歩と。ふらふらと身体を揺らしながら、それでも確実にこちらへ向かってくる。

 

「……なんで」

 

 声が聞こえた。シラキは眉を寄せる。

 

 先頭を歩いている男だった。唇は半分ほど崩れ落ち、剥き出しになった歯の隙間から掠れた声を漏らしている。

 

「なんで……お前らだけ……」

 

 その後ろから、別の声が続いた。

 

「ずるい……」

 

「俺たちは……地獄なのに……」

 

「なんで……」

 

「なんで……」

 

 声が増えていく。老若男女様々な亡者たちが口々に呟いている。

 

「俺だって……幸せになりたかった……」

 

「暖かい飯を……食いたかった……」

 

「家族が……欲しかった……」

 

「愛されたかった……」

 

「なんでお前らだけ……」

 

「ずるい……」

 

「ずるい……」

 

「ずるい……」

 

 無数の声が重なっていく。森のざわめきすら飲み込むほどの呪詛となって、シラキへ押し寄せてきた。

 

「そこを寄越せ……」

 

「俺たちにも寄越せ……」

 

「代われ……」

 

「お前らが地獄へ行け……」

 

「俺たちがそこで暮らす……」

 

 亡者たちの足が少しずつ速くなる。シラキは黙ってその姿を見ていた。

 

 不思議と、怒りは湧かなかった。むしろ――その気持ちが分かってしまった。

 

「……そうだな」

 

 小さく呟く。

 

 自分だって、好きであんな世界に生まれたわけではない。地上は汚染され、人間は地下へ追いやられた。薄暗い地下鉄の駅の中。湿った空気に、ろくに手に入らない食料。いつ襲ってくるかも分からない化け物。銃を抱いて眠り、銃声で目を覚ます。昨日まで話していた人間が、次の日には死んでいる。そんな日々だった。

 

 もっとまともな世界で生きてみたかった。朝になれば太陽が昇る。腹が減れば飯を食う。夜になれば、明日も生きていることを疑わずに眠る。そんな当たり前の生活をしてみたかった。

 

 家族を持つことだって。戦争や化け物のことなど考えず、くだらないことで笑うことだって。できることなら――してみたかった。

 

「俺たちだって幸せになりたかっただけだ!」

 

 一体の亡者が叫んだ。

 

 その声だけは、不思議なほどはっきりと聞こえた。

 

「なんでお前らだけ!」

 

「……ああ」

 

 シラキは答えた。

 

「その気持ちは分かるよ」

 

 亡者たちが近づいてくる。距離は十数メートル。その後ろにも、まだいる。

 

「俺も、もう少しまともな世界で生きたかった」

 

 短機関銃の銃床を肩へ押し当てる。照準の先に、亡者の姿を捉えた。

 

「だが」

 

 家の方から物音がした。シラキは一瞬だけ視線を向ける。

 

 窓の向こうからリオンがこちらを見ている。その隣から、小さな銀色の頭が覗いていた。ルナだ。不安そうな金色の瞳が、こちらを見つめている。

 

 それだけで十分だった。シラキは亡者へ視線を戻す。

 

「この家は、お前たちにはやれない」

 

「寄越せ……」

 

「俺たちのものだ……」

 

「そこに入れろ……!」

 

「家族を寄越せ……!」

 

「それはもっと駄目だ」

 

 シラキの指が引き金へ掛かる。

 

「悪いな」

 

 亡者の一体が走り出した。

 

「俺にも守るものができたんだ」

 

 引き金を引いた。乾いた銃声が、森に響き渡った。

 

 先頭の亡者の胸から血とも泥ともつかない黒いものが飛び散る。身体が後ろへ弾かれ、そのまま地面へ倒れた。だが、亡者たちは止まらない。

 

「ずるい!」

 

「ずるい!」

 

「殺せ!」

 

「奪え!」

 

「俺たちにも寄越せ!」

 

 群れが一斉に走り出した。

 

「来るなら来い」

 

 シラキは短機関銃を構え直し、引き金を絞った。連続した銃声が響く。先頭の亡者たちが次々と倒れていった。

 

 弱い。撃った瞬間に分かった。生前の世界で戦っていた化け物とは比べものにならない。あの怪物たちは、数発撃ち込んだ程度では止まらないものも珍しくなかった。身体の一部を失ってなお襲いかかってくる。

 

 だが、こいつらは違う。肉体そのものが酷く脆い。弾丸が当たれば肉が裂け、骨が砕ける。足を撃たれれば転倒し、胸を撃ち抜かれれば動かなくなる。

 

「がああああっ!」

 

 一体が横から飛びかかってくる。シラキは銃口を向け、一発撃つ。頭部が跳ね上がった。そのまま倒れる。続いて二体が襲いかかってくる。短く連射する。二体とも地面へ転がった。

 

「……弱いな」

 

 思わず口に出た。数だけは多い。だが、それだけだった。戦い慣れている者もほとんどいない。ただ妬みと憎しみに任せ、こちらへ殺到しているだけだ。

 

「なんで……」

 

 一体が倒れながら手を伸ばす。

 

「なんで……俺は……」

 

 シラキは一瞬だけそちらを見る。

 

「幸せに……」

 

 言葉が最後まで続くことはなかった。亡者の身体が崩れ、黒い霧となって消えていく。

 

「……」

 

 シラキは何も言わなかった。

 

 次の亡者へ銃口を向ける。引き金を引く。倒す。また次。撃つ。倒す。

 

 弾倉が空になった。すぐさま新しい弾倉へ交換する。身体が覚えている。何度繰り返したか分からない動作だった。

 

 銃を構える。狙い、撃ち、殺す。

 

 生きていた頃と、何も変わらない。

 

 やがて銃声が止んだ。

 

「……」

 

 シラキは短機関銃を構えたまま、森を見つめる。もう動いている亡者はいなかった。地面へ倒れた亡者たちの身体が、一体ずつ黒い霧へ変わっていく。風に吹かれ、霧は森の中へ消えていった。

 

 後には何も残らない。まるで最初から、誰もいなかったかのようだった。

 

 静寂が戻ってくる。シラキはゆっくりと銃口を下げた。

 

「……終わったか」

 

 息を吐く。それほど苦戦はしなかった。手も震えていない。

 

 人の形をしたものを何十体撃ったところで、今さら何かを感じるほど綺麗な人生を送ってきたわけでもない。

 

 だが――。

 

『俺たちだって幸せになりたかっただけだ』

 

 亡者の言葉が、頭に残っていた。シラキは短機関銃を見る。そして、自分の手を見る。

 

 血と硝煙にまみれた人生だった。世界を恨まなかったと言えば嘘になる。どうして自分たちが。どうしてこんな世界に。もっとまともな場所に生まれていたら。そんなことを考えたことなど、何度でもある。

 

 違いがあるとすれば――。

 

 自分には今、守りたいものができた。それだけなのかもしれない。

 

 シラキは黒い霧が消えていった森を、しばらく黙って見つめていた。

 

「……俺も」

 

 小さく呟く。

 

「あいつらと、そう変わらないのかもしれないな」

 

 曇った空の下、その言葉だけが誰にも届くことなく、静かな森へ溶けていった。

 

 

 

 

 しばらくして、リオンは家の外へ出た。

 

 森には、もう亡者の姿はなかった。先ほどまで響いていた銃声も消え、聞こえるのは風に揺れる木々の音だけだ。

 

 庭の端では、シラキが一人で座っていた。

 

 短機関銃を膝の上へ置き、いつものように煙草を吸っている。戦いを終えたばかりだというのに、その横顔はいつもと変わらない。

 

「シラキさん」

 

「ん?」

 

 シラキが顔を上げる。

 

「怪我はありませんか?」

 

「ああ。かすり傷もない」

 

「そうですか……」

 

 リオンはほっと息を吐いた。そして、シラキの隣へ腰を下ろす。

 

「ありがとうございました」

 

「何がだ?」

 

「私たちを守ってくださったことです」

 

「……」

 

 シラキは少しだけ目を逸らした。

 

「やるべきことをやっただけだ」

 

「それでもです」

 

 リオンは微笑む。

 

「本当に、ありがとうございました」

 

「……ああ」

 

 短い返事だった。けれど、それで十分だった。

 

 リオンはシラキの横顔を見つめる。数日前、ノアから自分たちは相性を考えて選ばれているのだと聞いた。その時は、本当だろうかと思ってしまった。自分とシラキでは、あまりにも違う。生きてきた世界も。考え方も。得意なことも。

 

 けれど――。

 

 今日、少しだけ分かった気がした。自分には、あんなふうには戦えない。ルナの心へ寄り添うことはできる。傷ついたなら癒やすこともできる。けれど、危険が迫った時。迷わずその前へ立ち、戦うことのできる人がいる。だから創造主様は――。

 

「シラキ!」

 

 家の扉が開いた。

 

 二人が振り返る。

 

 ルナがこちらへ駆けてきていた。

 

「ルナ?」

 

 そのままシラキの前まで来ると、ぴたりと足を止める。

 

「どうした?」

 

「……」

 

 ルナは何も言わない。

 

 先ほどの戦いが怖かったのだろう。いつもの元気はなく、尻尾も垂れ下がっている。それでも、しばらくすると小さく口を開いた。

 

「シラキ」

 

「なんだ」

 

「怖い人たち、いなくなった?」

 

「ああ」

 

 シラキは頷く。

 

「もういない」

 

「もう来ない?」

 

「……」

 

 シラキが少し考える。

 

「来ても、俺が追い返す」

 

 絶対に来ないとは言わなかった。けれど、その言葉を聞いたルナの尻尾が少しだけ上がった。

 

「……そっか」

 

「ああ」

 

 ルナは胸の前で指を握る。

 

「ありがとう」

 

「……」

 

 シラキの動きが止まった。リオンは思わず微笑む。

 

 先日、花冠を渡された時と同じ顔をしている。戦場ではどれだけの敵を相手にしても平然としているのに、どうやらこの人は、子どもから感謝されることには未だに慣れていないらしい。

 

「……ああ」

 

 シラキは頭を掻いた。

 

「どういたしまして」

 

 ルナが嬉しそうに笑う。その笑顔を見て、リオンもようやく肩の力を抜いた。

 

 シラキが何を思いながら亡者たちと戦っていたのか、リオンには分からない。きっと、自分には想像できないものを抱えているのだろう。それでも今は、それを無理に聞く必要はないと思った。

 

「今日は私が朝食を作りますね」

 

「……大丈夫か?」

 

「どういう意味ですか?」

 

「いや」

 

 シラキが視線を逸らす。

 

「この前の卵を思い出しただけだ」

 

「失礼ですね!」

 

 思わず声を上げる。

 

 その隣で、ルナがくすくすと笑い始めた。シラキもほんの少しだけ口元を緩める。

 

 いつもの二人だった。それが今は、何より嬉しかった。

 

「では、三人で作りましょう」

 

「わたしも?」

 

「はい。手伝ってくれますか?」

 

「うん!」

 

「俺もか?」

 

「もちろんです」

 

「……分かった」

 

 三人は並んで家へ戻っていく。

 

 空はまだ厚い雲に覆われていた。

 

 それでもリオンには、先ほどまでよりほんの少しだけ、辺りが明るくなったように思えた。

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